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婚約破棄から始まるけれど、どこまでもやさしい世界 作者:倉永さな
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*一* 婚約破棄

     ◆   ◆

 わたしの手のひらに、一通の封筒がひらりと置かれた。宛先はルベル・ロセウス──わたしの名前──で、封筒を裏返すと、差出人の名が書かれていて……。

「カニス・オース……?」

 ってだれだっけ? とわたしが思っても、だれも責めないはず。
 だって、見慣れない……いえ、初めて見る名前で、だけど、わたしの記憶の奥底を刺激するもので……。
 わたしは自室に向かいながら、一生懸命に記憶を探る。
 カニス……カニス……オース?
 オース家といえば、わたしの故郷の町の中心地に、大きな屋敷を構える家で……。

「あっ」

 とそこで、わたしはようやく、カニスがだれだったか、思い出した。
 そうだ、わたしの婚約者……だ。
 そう、幼い頃に取り決められていた、たった一度しか顔を合わせたことがない、名前だけの婚約者。顔も声も思い出せないほど、うっすらとした記憶しかない相手だ。
 思い出した自分を褒めてあげたいくらい、記憶の奥底に沈んでいたものだった。

 噂では、カニスは女遊びがひどいと聞いていたけれど、オース家はとうとう腹に据えかねて、わたしとの結婚を進める気になったのだろうか。いやそれなら、父から連絡があるだろうし、そうなれば、オース家の家長からの手紙になるはずだ。となると、この手紙は一体、どういったものなのだろうか。
 今までまったく連絡をしてこなかった人物からの手紙に、わたしは戸惑った。
 まあ、連絡をしなかったのは、わたしもだから、お互い様と言えばお互い様ではあるけれど、それでも、これは親好を深めるための手紙なのか、はたまた他の理由なのか。
 とはいえ、嫌な予感に捕らわれつつ、わたしは早歩きで自室へ入った。

 飾り気のない寝台と机、椅子のみのシンプルなわたしの部屋。しっかりと鍵を掛けて、上着も脱がずに椅子に座る。
 改めて封筒を見ると、封緘にはオース家の家紋がワックスで留めてあるところを見ると、本物のようだ。封筒に使われている紙も上質だし、それなりに正式な文書である、というのはよく分かった。
 引き出しからペーパーナイフを取りだして、意を決して一気に開けた。
 切り口からのぞくのは、舞踏会などの招待状と同じ硬めの紙。
 これだけ見れば、悪い知らせであることがよーっく分かった。
 どきどきと心臓が逸るけれど、深呼吸をして、封筒の中から紙を引っ張り出した。
 真っ白な、紙。
 それだけでオース家がそれなりの家であるということが分かる。
 それにしても、今まで気がつかなかったというか、他人事として捉えていたから考えたことがなかったんだけど、町外れにひっそりと住むわが家と、オース家が、どうして婚約なんてできたんだろうか。明らかにうちの方が、立場的には下のような気がするのだけど。
 まあ、今はいい。
 それより、この中にはなにが書かれているのだろうか。
 よい知らせではないというのは分かったけれど、封緘の色を見ると、茶色のワックスだったから、不幸なお知らせではないというのは分かった。
 もう一度、深呼吸をして、えいやっと勢いで手紙を開いた。
 そこには、あまり綺麗ではない字で、

『この度の婚約はなかったことにしてほしい』

 と一言。
 そして、最後に、カニスのサインが入っているだけの、大変シンプルかつ意味が分からないもの。

 ……うん。
 なかったことにするのは別にいいのよ?
 だってわたし、カニスに特に思い入れがあるわけでも、今の今まで忘れているくらいの人物だったし、そもそも婚約していたことさえ忘れているくらいのものだったし。
 だけどさ、これ、かなり一方的だし、理由も書かれてないってどういうことなの。
 しかも、オース家の家長からのものではなく、カニスからってのも、納得しかねる。
 分かんない、ほんっと意味が分かんない!

 婚約しているってことを知っているのは、わが家とオース家だけだから、別になかったことにされても、お貴族さまではないから、実害はたぶんないと思う。
 思うけれど、まったく意味が分からなくて、どういうことか手紙を書こうと引き出しからレターセットを取り出した時点で、ふと気がついたことがあった。

 ……ちょっと待って。
 この手紙が故郷からわたしの元に届いたということは、故郷からこの王都までのルートが封鎖されている訳ではないし、そんな話も聞いたことがない。
 それなのに、わたしが頼んでいた荷物が実家から届かない。
 いや、頼みもしないのにいつもは届く荷物が届かないから督促したんだけど、それでも届かないって……?
 なにかおかしい。
 このタイミングで婚約破棄。
 届かない荷物。

 故郷で……なにか異変が起こっている?

 わたしはレターセットとカニスの手紙を一緒に引き出しにしまい込むと、先ほど辞したばかりのラーウス王子の部屋へと直行した。

     ◆   ◆

 ラーウス王子の執務室に行くと、王子はまだ仕事をしていた。さすが仕事馬鹿だ。

「失礼いたします」

 と部屋に入れば、ラーウス王子は綺麗な灰色の大きな瞳をさらに大きく見開き、わたしを見た。
 相変わらず、この部屋は薬草の匂いが立ちこめている。そして、王子からは嗅ぎ慣れた、わたしを魅了する、甘い匂い。ちょっとくらりとしたけれど、お腹に力を入れて、王子の執務机まで進んだ。
 王子はこの時間になると、ようやく書類仕事に取りかかる。もっと早い時間にしてくれればいいのにと思うけれど、そこはしてくれないよりマシだから、うるさく言うのは止めた。

「ルベル?」
「ラーウス王子、少しお時間、いただいてよろしいでしょうか」

 この部屋にくる道すがら、わたしは作戦を一つ立てた。たぶんこの作戦は失敗するだろう。それでも挑むのは、待っていられない、その一言だ。失敗したら、そのときはそのときだ。

「ルベルのためならいくらでも」

 ラーウス王子はそう甘い言葉を囁くと、羽根ペンを瓶に差し、聞く体勢を取ってくれた。
 わたしは深呼吸をして、頭を下げた。
 たぶん、王子はすごく驚いた表情をしているだろう。わたしは頭を下げたまま、口を開いた。

「王子、明日から数日、休暇をいただきたいのですが」
「駄目だ」
「…………」

 うん、分かっていた。
 分かっていたのよ、この仕事馬鹿が休みをくれないってのは。
 とはいえ、週に二日は普通に休みがもらえているから、まったくの無休ってわけではないのは一言断っておく。
 だけど、まとまった休みを欲しいと言っても、王子はいつも首を振る。そのせいで、王子付きとなってからこちら、故郷には帰れていない。

「王子、わたしの休暇、たまっていたと思うのですが」
「たまっているね」
「そのお休みを、三日ほど使いたいのですが」
「三日!」

 今、王子から任されている仕事は、落ち着いたはずだ。だから明日と明後日は休みになっている。それにプラスして三日くらいなら休めるだろうというもくろみで言ったのだけど、王子は驚いたようにそう言った。

 ねぇ、王子の職場ってブラックだと思わない?
 一応、休みはある。あるけれど、休んでいても王子は部屋に訪ねてきて、しばらく手を握って離してくれないとかってのもあるんですけど。
 だからわたしは、休みの日でも、王子に居場所を知らせておかなければならない。

 ……え、わたしの仕事はなにかって?
 それは、こう見えてもわたし、騎士なんですよ。第三王子であるラーウス・アーテル王子直属の騎士なんですけれど、世界がこうも平和だと、騎士として護衛なんてほとんど必要がないため、王子の仕事を手伝っているという、他の騎士が見たら嘆きそうなことをやっている。
 わたしとしては、騎士で護衛といってもすることがないから、暇で仕方がないから、王子の手伝いってのはありがたいんだけど。
 でも、だからって、片時も離さないというと言いすぎだけど、それに近い状況は止めて欲しい。

 ラーウス王子は何事かを考えていたようだけど、ようやく考えがまとまったのか、口を開いた。

「ルベル、理由は? 行き先は?」

 うん、聞かれますよね、それは。
 だからわたしは、あらかじめ用意していた説明をすることにした。

「故郷から届くはずの荷物が届かなくて困っているんです」
「荷物?」
「はい。毎月、決まった日に届く荷物が届かないんです」
「ご実家、忙しいんじゃないの?」

 祭りがある時期は、確かにそれなりに忙しいけれど、基本はわが家は暇を持て余しているはずだ。
 忙しいといっても、荷物一つを送れないくらい忙しいなんてことは、ない。あったとしても、絶対にだれかが荷物をなんとしてでも送ってくれるとわたしは信じている。
 それができない、ということは、忙しいという理由ではなく、別の理由で送れないのだ。
 なにかが起こっている、としか思えない。

「いえ、忙しくても、荷物が今まで届かなかったことなんてなかったんです」
「忘れているってのは?」
「それもあり得ません」

 忘れるなんて、あるわけがない。
 だって、その荷物が届かないと、わたしが困るって、家族みんな、分かっているから。
 それがされないってことは……。

「なにかが起こっている、んだと思うんです」
「それなら、ルベルが一人で行くのは、危ないよ」
「…………」

 危ないってなんですか。
 わたし、王子付きの騎士なんですけれど。
 そりゃあ、一対一だったらたいていの人に勝てる自信はあるけれど、複数人相手となったら、自信はない。でも、そういう類の異変ではないのは分かる。

「危ないと申しますが、わがアーテル国は平和です」
「平和、だねぇ」
「早馬で行けば、片道一日の距離です」
「早馬で一日って、相当、遠いんだね」
「……国の端にありますからね」

 わたしの住むアーテル国は、南は海に面していて、北には山脈があるという、自然豊かな土地にある。そして、わたしの故郷であるアウリスは、北の山脈地帯に近い地域にある。王都は南の海に近い位置にある。
 要するに、国の端から端に移動するということになるのだ。

「ルベルの故郷は、アウリスだっけ?」
「はい」
「ずいぶんと辺境にあるけど、寒くない?」
「ここに比べれば寒いかもですけれど、雪も降らないですし、それほど変わりませんよ」
「そっかー。私も一度、アウリスに行ってみたいなあ」

 え、ちょっと待って。
 この流れ、まずくない?






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