この空虚な世界を撃ち抜く、
気まぐれに手を伸ばす。
俺の、この空虚な世界を撃ち抜くーー
ちっぽけで綺麗で、小さく脆い、その存在に。
***
うっすらとたちのぼる硝煙。
俺が落とした空薬莢が、からん、と鳴ってアスファルトを転がった。
頭上に広がる、相変わらずの曇り空。
半壊の家屋が無秩序に、そして乱雑に立ち並ぶ、荒れ果てた路地の向こう。
ブーツの靴音を鳴らして現れたのは、名も知らぬ若者。バカにしたような愛想笑いを浮かべ、俺から少し離れた位置で立ち止まった。
「なぁ、いいのかよ。あんたともあろう人が、こんなとこでのんびりしてて」
なれなれしい口調。顎で示す方角、何ブロックか先から聞こえてくる破壊音と喧噪。
黙したまま、わざと睨むように目を向ければ、ひきつった愛想笑いを浮かべて両手を挙げ、そそくさと立ち去る。
下らねぇ。
俺は安物のタバコをくわえて、曇天に向け、白い息を吐いた。
わずかに変わった風向きを確認してから、吸い殻を落として歩き去る。
腕慣らしに穴だらけにした、コーヒーの空き缶をひとつ、置き去りにして。
***
銃を構える。照準器に映る標的の姿。
心臓に向けて、迷いなく引き金をひく。
四方に飛び散る鮮血と、動かない身体を見て、終わったことを確認する。
何万回と繰り返した、慣れた作業だ。
銃をカバンの中に放り込み、俺は足早にその場を去った。
コートの襟を立ててじめじめとした路地を抜け、薄暗い階段を駆け下りる。反響する一人分の靴音。明滅する橙色のナトリウムランプ。浮浪者や病人や死体がそこここに転がる。
この環境を、引き金をひく感触を、頭蓋をぶち抜く感覚を、内蔵をさらけだす光景を、嫌なものだと思ったのは、一体いつが最後だったか。思い返すのもバカバカしいほど、昔の話だ。
死にたくないから撃つ。それだけだ。それ以上の意味を持たせようとする奴が、余計な感慨を持つ奴が、ここにはあまりに多すぎる。
折れた雨どいから、ぴちゃんと水滴が落ちる音。
目の前、自販機の陰に、一人の青年が腕組みをして立っているのが見えた。
俺に気づくと黙礼をして歩み寄ってくる。
「たった今、確認がとれたところだ。さすがの腕だな」
無意味な賞賛。聞きあきた言葉だ。さすがだろうとなんだろうと、死ぬときは死ぬ。
だから俺は無表情でそれを聞き流して、問う。
「報酬は」
「ああ、ほら。また頼むよ」
模様も定かではないくらい磨り減った銅貨をいくつか受け取る。
二、三、事務的なやりとりを交わしたあと、青年は去っていく。
俺は西の方角に足を向けーー
干からびた水路橋のアーチの下まできたところで、ふと足を止めた。鼻から長い息を逃がす。
不意に――とてつもなく、バカらしくなったのだ。
飽きもせず、意味のないルーチンをこなすのが。必死こいて生きるのが。生にしがみつくのが。
他者を殺してまで生きたいまっとうな理由なんか、俺にはない。ないはずなのに生きている。こうやって。
嗚呼、それだ。
なんのために生きるのか。
……なんて、今さら、そんなガキみたいな、哲学者みたいな禅問答、持ち出してどうする気もないのだが。
ふと思っただけだ。いい。またすぐに忘れる。
それにーー
さっきから頭上がやたらと騒がしい。
俺は考えを中断して、煉瓦づくりの水路橋を見上げる。
そこに。
「きゃ……!」
近づいてきていた軽やかな足音が途切れ、かすかな悲鳴と、頭上で広がる赤いローブ。
降ってきた小さなかたまりを反射的に避けようとして……俺は、踏みとどまる。
たぶん俺はそのとき単純に、何かしらの変化を求めていた。
なんでもいい、何か、きっかけを。
コートの下から両腕を伸ばす。明らかに敵意のない、小さなかたまりを抱きとめた。
「おい、そこから落ちたぞ!!」
「死んだかちゃんと確認しろ」
頭上から聞こえてくる怒鳴り声。慌ただしく駆け回る足音。
腕の中の赤いかたまりは、布の中からもそもそと、小さな頭部を突き出す。
硝子玉のような瞳が、まっすぐに俺を映した。
俺の、顔面を横切る古傷と、肩に乗せた狙撃用の耳当てを見るなり、はっと息をのんで青ざめる。
それを無視して、俺は右足から銃を抜き、
「お、おい! そこのお前、なにして――」
頭上から怒鳴ってきた見知らぬ男を撃った。口を開けたままの頭部が吹っ飛ぶ。男が構えかけた銃が非常階段に落ちて、甲高い音を立てた。
悲鳴を上げた少女が俺の肩をつかむ。細い指ががたがたと震えている。
小さいな、と目の前の存在を眺めて改めて思う。今すぐにでも死にそうだ。
肉親も友人も恋人も、すべて死んで久しい。俺がガキの頃、守る力をつける間もなく死んだ。知人が生きているやつのほうが珍しい、俺が生きているのはこういう世界だ。
俺が何か言う前に、頭上からやけに明るい声がした。呼ばれたのは俺の通称。
「あんただろう? 久しぶりだな。なぁ、取引しようぜ。あんたにとっちゃそのガキ、なんの価値もないはずだ。充分な金に替えてやるよ」
名は忘れたが、その顔には見覚えがある。以前に依頼を受けたことがある。
笑みに混じって見える焦りの意味を、俺は黙って考える。
なおも青ざめたままの少女が、俺の顔と男のそれとを、交互に見やる。
男は親しげに喋り続ける。
「そうだ、また依頼したいことがあるんだ。この前の、聞いたぜ。国軍の一部隊、小一時間で片付けたんだろ?」
話しながら、男の視線が――ほんのわずかに右に逸れて、すぐに戻ってくる。
「あぁそうだ、いっそのこと俺たちの組織に入ってくれよ。それがいい。あんたほどの人、総員を挙げて歓迎するぜ」
なるほど、そこか。
俺は、橋脚の根元に投棄されたガラス片に目をやる。ななめ後ろの家屋が映り込む。一瞬だけ何かがちらついた二階の小窓に、続けて3発撃ち込んだ。
飛び散るガラス。その奥、かすかに苦悶の声。
頭上の男が血相を変えて銃を構える前に、その顔面を撃ち抜く。どさり、と人間一人分の重さが、後方へと崩れ落ちる音がした。
「片付いたぞ」
銃をホルスターにしまって、俺は目の前の小さな丸い頭部にそっと手を置く。
布の中にうずまって震えていた少女は、周囲の静寂に気づいて顔を上げ、俺を見上げ、両目を丸く見開く。
「……なんで……」
小鳥のさえずりのような、かすかな声だった。
「気まぐれだ」
短く答える。なんでだろうな。
手袋の端を噛んで手から外し、汚れだらけの小さな顔を素手でぐいとぬぐう。現れたのは、随分整った顔立ち。髪色は恐らく明るいブロンド。瞳は淡い翠。
じっと眺めていると、たちまち赤面してうつむく。細い髪がさらりと流れて頬に影を落とす。
今日は、たまたまそういう日だった。
無意味な考え事をしていた日だった。
空虚な気持ちを持て余していた。
それならば、手始めに。
偶然目の前にあった、ちっぽけで綺麗なものを守ることから始めることにした。
少しは何かが変わるかもしれない。
人ががむしゃらに生きる理由なんて、案外、そんなもんなのかも知れない。
「――お前、名前は?」
不安げに周囲を見回していた少女は、俺の声にくるりと振り向く。
硝子玉のような瞳がまっすぐに俺を映す。
嗚呼、歓迎しよう。
俺の、この空虚な世界を撃ち抜く、小さく脆い、ただ一人の存在を。
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2018/10/14 加筆修正