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生徒会長補佐日誌
作:新木吾妻



052 第一章刹那40 累卵




 見慣れた教室。

 ざわざわとクラスメイト達の声が聞こえる。

『くあぁ! トヤ君、また百点かよ!』

 僕の答案用紙を覗き込んだ瞬ちゃんが悶絶した。教室に瞬ちゃんの声が響く。
 その声に合わせる様に見渡してみると、クラスのみんなも自分の答案用紙を見ていた。一喜一憂するのに忙しそうで、僕たちへの反応はなかった。

『いや、今回のテストは簡単だったからだよ』

 自分的には謙遜したつもりだったが、瞬ちゃんは呆れた様な表情で僕を見てから、かわいそうな物を見るみたいに悲しそうな視線を僕の隣に巡らした。

『うぅ〜……! どうせボクは15点だよ〜』

 瞬ちゃんの視線の先には遥。僕の隣の席でもある遥は僕を恨めしげに見ながら、自分の答案用紙を机の下に隠してしまった。

『ご、ごめん、遥』

 僕は慌てて謝る。

『でも、おかしいよね。ハルは、いつも百点のトヤ君に教わってるのにさ、いっつもビリッケだもんね』

 遥の後ろの席、僕の斜め後ろの席に座るせっちゃんが、からかう様に言った。

『せっちゃんまで〜』

 途端に泣きそうになる遥、慌てた様にせっちゃんもゴメンねを繰り返す。

 その光景にため息を吐きながらも、僕の顔は綻んでしまう。クラスメイト達の喧騒の中でも二人の声が、やけに僕の耳によく届く。

 僕の後ろの席に座る瞬ちゃんを見ると、僕と同じ様な表情だった。それを見て僕の表情は更に綻んだ。

 それは、ごく当たり前の光景。

 僕の日常。

 僕たちの日常。





 ……?

 …………僕?

 ――?

「――――!!」

 大きく息を呑むのと同時に視界が別のものに変わる。『俺』の視界が回復する。

 目の前には数学の教科書が開かれていた。

 百点の答案用紙ではなく、泣きそうな遥の顔でもない。

 全身が気持ち悪かった。じんわりとにじんだ脂汗が不快だった。汗を吸ったワイシャツが煩わしかった。

「ちょっと十八? 今、居眠りしそうになってたでしょ?」

 すぐ隣からの声。視線をやれば、頬を膨らませた刹那がいた。

「あ、ああ……ごめん」

 視線を彷徨わせながら、曖昧な返事を返す。合わせて出来損ないの作り笑いも返しておく。意識はまだあやふやだった。

 隣に刹那。視線の少し先には刹那の机で突っ伏している瞬。

 見慣れてる様な、見慣れない様な、懐かしい筈なのに、居心地の悪い部屋。

 刹那の部屋。

 そうだ……ここは刹那の部屋で、今は恒例の勉強会の真っ最中だった。

 刹那の様子から察するに、俺は盛大に居眠りしていた訳ではなさそうだ。恐らく数秒、いや、一瞬かもしれない。……もしかしたら、居眠りというより、意識が飛んでいたのかもしれない。

 マズい……気を付けていた筈だったのに、かなり集中力が散漫になっている。

 数時間前の会議室、先生とのやり取りからか、俺は随分やられているらしい……。

 最近は刹那とも仲良くなってきたし、佐山の家に来るのにも慣れてきた。いつも一緒だった刹那と瞬との日常が戻りつつある。

 できる事は少ないけど、生徒会の仕事にも慣れてきた。海老原さんやルナちゃん達とも自然と接することができる様になってきた気がする。

 今日の生徒会の説明会や合同会議。どういう訳か、俺に白羽の矢が立った"窓口"の件。そして、徳川先生……。

 慣れてきたとはいえ、流石に疲れたし、驚いた。

 でも、まさか先生から『あれ』に通ずる話を聞くことになるとは思わなかった……。

 先生がどうして知っているかとか、新しい仕事への不安は少ない。

 遥……。

 今の俺は、酷い罪悪感に包まれていた。

「ほーらっ! しっかりなさい!」

「ふみゅぶ――」

 妄想から帰還したばかりで、はっきりしない俺の様子を見兼ねたのか、刹那が両手で俺のホッペタを左右から引っ張る。

 痛い。

 ぐいんぐいん

「…………」

 白くて華奢な指先で引っ張ったり戻したりされる。当事者の刹那は『おっ……』みたいに目を丸くしながら、それを繰り返す。

 ……いや、痛いって。

 ぐいんぐいん

「……ふふふっ」

 ……ちょっと? どうしてそんな"とっても楽しいオモチャを見つけちゃった無邪気なチビッコ"みたいな表情をするの?

「えいっえいっ」

 ぐいんぐいん

 引っ張る。戻す。引っ張る。戻す。

 痛いよ! ……ああ……でも、嫌だけど嫌じゃないのは何故だろう……。

 ――はっ!

 じぃ〜

 尚も俺のホッペタを引っ張り続ける刹那越しに視線を感じた。

 じぃ〜

 海老原さぁーんっ!! そうだった。今日の勉強会には海老原さんも来ているんだったよぅ。

「ちょぷむふゅ――刹ぱふぅ――やめぴゅふ――」

 海老原さんのどこか非難する様な、呆れた様な、そんな視線が辛すぎるっ。俺で遊ぶのに夢中になってる刹那に抵抗してみた。

「むぅっ、無駄な抵抗をする気ねっ。ふふふっ、よいではないか、よいではないか」

 俺の必死の抵抗も空しく、タテタテヨコヨコにエスカレートする刹那のイタズラ。めちゃくちゃ楽しそうである。

 じぃ〜

 凝視を続ける海老原さんの瞳がウルウルしてるーっ! 非難も呆れも通り越して、軽蔑してるーっ!?

 ちょっと刹那、やめてぇっ! ……でも、やめないでぇっ! あわわ……俺は何を考えてるんだっ!

 って、瞬! いつの間にか起きて、いつの間にか俺達の様子をムービーするなぁっ!






 ……

 …………

 遠くに聞こえる波の音を聞きながら歩く。頼りない街灯に照らされながら歩く。生憎の曇り空で月が見えないのが、少しだけ残念だった。

 隣には肩を並べる様に歩く海老原さんが一緒だった。勉強会を終えて、佐山の家を後にした俺達は二人で家路を辿っていた。もちろん海老原さんを無事に家まで送り届ける為だ。

 会話は無かった。でも、俺の心はとても凪いでいた。冷たい空気に運ばれて聞こえる波の音が心地よかった。
 海老原さんの歩調は、とてものんびりで、ゆっくり歩くのが好きな俺には丁度よかった。

 ふと、ついさっきの刹那を思い浮かべて、ニヤけそうになる。

「寒いね?」

 それを誤魔化す為に話を振ってみた。

「……うん……」

 似た様な家が並ぶ住宅街、そこに住む人達の為の生活道路。俺達の辿る家路であるその先を見つめたままの海老原さんは応えてくれた。

「期末テスト、もう少しだね? こうも毎日勉強してるとさ、ちょっと待ち遠しいね?」

 自分で言っておいて、マジで? って思った。前の質問と少しも繋がってないじゃん、とも思った。

「……うん……十八……頑張ってるから……私も……楽しみ……」

 下らない質問にもかかわらず話に乗ってくれた海老原さん。視線は辿る道の先を捉えたままだった。

「…………」

 あれっ……? って思ってしまった。いつもなら、俺に視線を合わせてくれるところだと思ったのに……。

 その後、他の話題を探したが、思い付かなかった。海老原さんも何も言わず、静かに歩くだけだった。

 波の音が、少し煩わしくなっていた。

「……送ってくれて……ありがと……」

 ピタリと足を止めた海老原さんは呟く。

「あ、あれ? もう着いてたんだ。うん、どう致しまして」

 いつの間にか、海老原さんの家の前に着いていた。ずっと続いていた住宅街に立ち並んだ家々と同じ様な彼女の自宅が彼女を迎えようとしていた。

 海老原さんの家は、意外にも俺の家の近所である。
 いつだか海老原さんが言っていたが、新聞配達のコースでもよく通る所だ。海老原さんの家にも、毎日俺が新聞を届けていた。

「えっと、じゃね、海老原さん」

 俺がいつまでも突っ立ったままだと、海老原さんが家に入れない気がしたので、言いながら踵を返した。

「……十八……」

「えっ? 何?」

 呼ばれて再び踵を返す。このまま別れるのが、寂しかった俺は嬉しくなって笑顔になっていた。

 海老原さんは自宅には入らずに、自宅の玄関の明りに照らされながら俺を見つめていた。

 頼りない街灯よりも明るい光に照らされた海老原さんの表情は、酷く不安そうだった。

 もちろん、俺の表情は引きつった。

「どう、したの……?」

 その視線を受けた俺の罪悪感が、何故だかぶり返した。

「……うぅん……何でもないの……おやすみ……十八……」

 海老原さんにしてははっきりとした口調だった。俺の罪悪感が増した。

「……うん、おやすみ……」

 嘘を吐いた様な気がした。
 見透かされた様で彼女から視線を外していた。

 海老原さんは、ほんの少し間を置いてから、自宅に帰って行った。



 その帰り道、海老原さんと並んで歩いていた時よりも、ゆっくりと歩く。

 自分の家に帰るのが嫌だった。足が鉛でも付いてるみたいに重かった。

 無意識に今日の出来事を思い返してしまう。瞬や刹那の顔を思い浮かべてしまう。

 遥の顔を思い浮かべてしまう。

「――あ、れ――」

 カクン、と膝が折れた。

 宵闇を捉えていた視界が揺れる。

 慌てて立ち上がろうとするが、力が入らない。

「……おかしい、な……」

 自分の家の少し手前の海岸沿いの道、住宅地は途切れて周りには民家も無い。

 誰かに見られた訳じゃないのに、恥ずかしくなった俺は地面に手を付きながら、もう一度立ち上がろうとする。

 パタン――

 地面に寝っ転がってしまった。ジャリ、と道路に転がっていた小石が体に当たって痛かった。

「ははは……」

 誰に向けたのかわからない愛想笑いをする。

 もう一度。

 ゴロン――

 立ち上がれない。自分の意志とは無関係に膝が笑う。節々が痛い。

 肌が粟立つ。じわじわと不安が這い上がってくる。

 胸を突く恐怖から吐き気がする。

 街灯が届かない暗闇が怖い。

 冷たい筈の潮風が生温い。

 両手を使えばいいのに使えない。左手がポケットの中の携帯から離れない。

 動いていないのに、尚も揺れる視界が怖い。

 寒いなんて思わないのに、震える自分の体が怖い。

 怖い。

 怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

「――せっちゃん……!」

 聞こえる筈ない助けを呼んだ。

 この姿を絶対に見られたくない人の名前を呼んだ。


 波の音だけが、酷く煩わしく聞こえた。


















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