扉絵:和服が描きたくて仕方なかったという理由だけで描いた蓮条。構図がいろいろ趣味に走りすぎている点などは指摘しないで下さい!
chapter1:fanatic love
#6 false silence-1
蓮条は、躊躇無くメール送信ボタンを押していた。
今はまだ朝だ。早朝という時間帯でもなく、もうすぐ昼になろうかという時間帯だが、送信相手はきっとまだ起きては居ないだろう。寝ている所を叩き起こしてまで伝えたいような内容ではない。何故ならそれは、蓮条の中では依然として確信には繋がっていなかったからである。見慣れない窓の外の風景を見つめながら、蓮条は携帯電話を閉じた。
一時的な待機場所としてこの部屋を用意したため仕方のないことではあるが、この部屋には家の者に急遽用意させた最低限の着替えと、先程まで自分が休んでいた布団以外何も無い。調べた所によれば、このマンションの部屋はどれも全く同じ間取りの部屋らしいのだが、あの二人の部屋と基本は同じだとは考えも付かないほど、それは殺風景なものだった。
手早く身支度を済ませ、部屋の外に出る。
ここはあいつらの部屋のちょうど真下にあたる六〇一号室だ。玄関の扉の前には東西に連絡通路が伸びていて、この部屋と同じ南側にずらりと八つの部屋が並んでいる。通路の突き当りにはエレベーターがそれぞれ一箇所ずつあり、角を折れたところに非常階段がある。
念のため昨日全フロアを回って確認したが、やはりどのフロアも同じ構造であった。
一つ一つの景色を脳裏に焼き付けるようにゆっくりと視認しながら、非常階段を降りていく。そして、歩く先にちょうど自分の部屋の真下にあたる五〇一号室のプレートを確認し、蓮条は迷うことなくそのインターホンを鳴らした。
「……はい?」
しばしの沈黙の後、女の声が聴こえた。
「お休みのところを申し訳ありません、昨日いろいろとお話を聞かせて頂いた蓮条ですが」
「ああ、また貴方? 今度は何の御用?」
相手の声音には、戸惑うような曇りがあった。明らかに歓迎されていないのは分かっていたが、蓮条にはここで引き下がるわけにはいかない明確な理由があった。
「すみませんが、もう一度だけお話を聞かせて頂けないでしょうか」
「ちょっと待ってて」
ぶっきらぼうな物言いだったが、観念してくれたらしい。程なくして履物を引きずるような音が聞こえ、扉が開いた。
「また突然お邪魔してしまって申し訳ありません」
蓮条がペコリと一礼すると、パジャマ姿の女はどうしたものかと困惑した様子で頭を掻いた。眠れなかったのか眼の下にくっきりと隈を浮かび上がらせてはいるものの、女の様子は昨日よりはだいぶ落ち着いているように見えた。
「貴方、高校生でしょ。事件の情報なんか集めてどうするつもりなの? 後は警察に任せておけばいいのよ」
「確かにそれはそうなんですが、どうしても気になることがあって」
「何なの?」
何があろうと絶対に引き下がるつもりはない。
強い誓いを体現するようにまっすぐに見つめると、女は白旗を振るように両手を挙げ、深く溜め息をついた。
「昨日のことをもう一度聞かせて欲しいんです。今日になって何か思い出したことはありませんか?」
「またその話なの? 昨日話したこと以外には何もないわよ」
女は嫌悪感を露わにし、かぶりを振った。眼を伏せ、自らを抱きかかえるように身を屈めたその姿は、さすがに痛々しく思えた。
「あの時は自分が何をしてたのか、あんまり覚えてないのよ。廊下で電話してて、終わって彼の部屋に戻ったらあんなことになってて……血溜まりの中で転んで、服にべっとりついた血を見たら訳が分からなくなって……廊下に飛び出したら、あの綺麗な顔の男の子が居て、声を掛けてきてくれて」
ここまでは、昨日と全く同じ証言だ。しかし昨日と決定的に違うのは、この先に活路を見出すための切り札を用意しているという事だ。確信に満ちた表情で、蓮条はその手札を明かしていた。
「貴女が悲鳴を上げて外に飛び出すまでの間には、その男を一度も見かけていないんですね?」
「ええ、そうよ」
「貴女が電話をしながらうろついていたのは、通路のどの辺りでしたか?」
「どういう事? 私、そんなに広い範囲を歩いてたわけじゃないわ。扉の前を行ったり来たりしてただけよ。何でそんな――」
そこまで言ったところで、女の注意が別の方向に反れていることに気付く。
弾かれたように振り返った蓮条の後ろには、怪訝な表情でこちらの様子を伺う紅流の姿があった。
「蓮条君、何やってるんだい?」
その口調は、昨日教室で話したときと変わらないくらいの、穏やかな口調であった。
しかし、紅流の発する気配そのものに、蓮条は言い知れない重圧を感じ取っていた。思わず愛刀の入った袋を握る手に力が込もる。
「あ、昨日の男の子――」
部屋の女性の口調もどこか重々しい。彼女もうっすらと、この現場を見られてしまったことに対して抵抗を感じていたのかもしれない。
重苦しい沈黙が流れる中、静かに対峙した二人は互いに表情を崩すことのないまま、しばし見つめあっていた。
「ここで嘘を言っても仕方がないな。言わせてもらうが、私は一連の殺人事件は全て貴様の仕業ではないかと思っている」
「え――」
驚いているのは女性ただ一人だ。
疑惑を向けられた本人である紅流は、さして驚いた様子も見せず、平然としていた。
「やっぱり、そうなんだ。昨日いろいろ聞かれたからそうじゃないかとは思ってたけど。じゃあ君が昨日僕のためにわざわざ部屋を二つ取ってくれたのも、僕を監視するためだったってわけ?」
「そういうことだ」
冷静に言い放った蓮条を嘲笑するかのように、紅流は肩をすくめ、ゆっくりと首を振った。
「わかんないなあ。僕はさ、あの部屋の人が殺された時間確かにあの階には居たけど……あの死体が発見される前、階段の踊り場でこの女の人が電話をしているのを見てた話はしたでしょ? 踊り場からあの女の人に気付かれないように廊下を通って部屋に行って、あんな手の込んだ死体を用意する方法なんてあったと思うの?」
「何かしら方法があるから、現に死人が出ているんだろう。専門家ではないから、詳しくは分からないが」
自分の言動を心の底から嘲っているような紅流の態度も、今は大して気にならなかった。普段の自分であれば言語道断の侮辱に他ならない態度であるはずなのに、である。それだけ自分は確信をついていると思っていたし、相手を追い詰める切り札があると、蓮条は思っていた。
「気に入らないなあ。だいたい、何で僕なんかに目をつけるわけ? 僕、警察の人にもあんまり疑われてないみたいなんだけど。その証拠に、昨日だってほとんど警察官とは話なんてしなかったよ」
「たぶんこの先もそうだろうな。警察の捜査ではお前が犯人であると断定することは、おそらく一生かかっても出来ないだろう」
「じゃあ、何で僕が犯人だってことになるんだよ」
より一層挑発的な態度を強め、紅流は苦笑した。悩まし気に髪をかきあげる仕草は、どこか狂気染みた妖艶さを帯びているようにも見えた。
「私が貴様を疑ったのは、このマンションの構造を把握したときだった」
相手の意見などお構いなしに淡々と話し出す蓮条を見て、紅流はうんざりした様子で溜め息をつき、いかにも渋々といった表情で耳を傾けていた。
「このマンションは東西に細長い造りになっていて、全階層が同じ構造だ。高層マンションであることから、マンションの住人は階段ではなく大抵皆がエレベーターを利用して階層を行き来する」
「そんなの知ってるよ。でもそれがどうしたの? だからその時、エレベーターは点検中だったって言ったじゃない」
「確かにあの時、エレベーターは点検中だった。これは管理人に確認したが、紛れもない事実だった。だからお前は階段を使って四階へ行った。しかし、ほぼ犯行時刻と変わらない時間帯にここへ来た私と篠崎は普段通りエレベーターを利用していた。どうして私達にはそれが出来たかわかるか?」
蓮条の問いに、紅流は肩をすくめることで応えていた。
「簡単なことだ、このマンションには東端と西端の両方に一箇所すつエレベーターがある。貴様は西端の部屋である一〇八号室の住人だから、西側のエレベーターを使おうとしたんだろう。しかし、エレベーターは点検中だった。ところが篠崎が住んでいるのは東端の七〇一号室。何事も無ければ東側のエレベーターを使おうとするはずだ。東側のエレベーターはあの時点検はされていなかった。両方のエレベーターを一気に利用不能にすれば、住人から苦情が来てもおかしくないだろうからな」
「それが、どうしたんだよ――」
蓮条の理路整然とした語り口調に危機感を感じ始めたのだろうか。紅流は徐々に焦燥感を露わにし始める。
「貴様は四階の階段の踊り場に居た時、この女性が廊下でウロウロしているのを見たと言ってたな。しかし、この女性が居たのは東側の非常階段の一番近くの部屋――要するに、四〇一号室の部屋の前の廊下だ。東側の階段の踊り場に居たのならまだしも、西側の階段の踊り場に居て、女性が悲鳴をあげる前にその存在に気付くとは考えにくい。完全な死角になる位置だからな」
並べ立てられていく事実を耳にしながら顔色を変えているのは、紅流だけではなかった。部屋の女性もみるみるうちに顔色を変え、紅流を見つめる目が、次第に畏怖の混じったものへと変わっていく。
「それでも、女性が廊下に居たことは事実だ。電話をしていた事や、そのときの細かい様子まで知っているとなると、貴様は当てずっぽうを言っているわけでもなさそうだ。貴様が証言通り西側の階段から上がってきたのだとすれば、何らかの目的があって女性の居る方を見ていたとしか考えられない。東側に居たとすれば偶然女性を見かけたとしても不思議ではないが、それならそもそも何故エレベーターを使わなかったのかという疑問が残る。あの階に居たこと自体が不自然だ」
耐えかねたのか、女性が震えながら蓮条の脇へ隠れていた。その瞳に映る紅流の姿は、もはや恐怖の対象でしかないようだった。
「女性が悲鳴をあげて初めて気付いたとだけ証言すれば、まだ私は貴様を疑ってはいなかったかもしれない。信憑性を持たせるつもりだったのか、無駄な証言をしたのが間違いだったな。貴様は確実に嘘をついている」
先程までは焦燥感を漂わせていた紅流の様子が、ある瞬間に豹変するのが分かった。
そこにあるのは、人形のように冷酷な無表情だけ。口元をうっすら引きつらせてはいるものの、笑っているようには到底思えなかった。感情の失せたその顔は、自然物では有り得ない、まさに造り物のようであった。
「僕だって、あの時のことは凄く怖かったんだよ。ちょっとぐらいおかしなことを言ってたって、仕方ないだろう?」
造形物のような無表情はそのままに、紅流は胸に手を当ててフウと息を吐いていた。
「だから……仮に僕が女の人のことについて多少辻褄の合わないことを言ってたとしても、そもそもそんなに短時間のうちに手際良く死体を解体できるわけ無いって言ってるじゃないか。何だよ、せっかく君の火傷の事心配して見に来てあげたのに」
ぴくりと眉を跳ね上げ、蓮条は刀袋を鞘ごと抜き取り、脇へと放り投げた。
輝く刀身が露わになり、後ろの女性の悲鳴と共に、腰を抜かしてドサリと倒れ込む音が聴こえる。
「貴様、何故この包帯の下の傷が火傷だと知っている? やはり貴様がこの呪いの元凶だな!」
顔のすぐ横に刀を構え、蓮条は目の前の紅流に激しい敵意を向けていた。
「くくく……あははははっ!」
冷たい表情が不自然に歪み、紅流は声高らかに笑い声をあげていた。
刹那、蓮条を取り巻く空間が一瞬砂嵐のように掻き消え、そのまた一瞬のうちに、元の形を取り戻したように見えた。
「な……何をしたんだ!」
周りの様子は視覚的には何一つ変わっていないように見える。しかし、その場の空気感のようなものが、先程までとは全く異質のものであるように思えたのだ。ここは明らかに、先程まで居た場所とは違う。
「これなんだよねー、トリック。君は分かるんだね、この空間がさっきとは違う空間だって事。さすがだなぁ」
拍手をしながら呑気な声で言い、紅流は感心したように何度も頷いていた。
「僕は自分を中心にした空間を、別の空間とそっくりそのまま入れ替えることが出来るんだ。それから、好きなものを一緒にここに連れてくることも出来る。ここはね、僕がこうやって獲物を捕らえるためだけに作った亜空間なんだ。どうかな、本物そっくりでしょ? でも、ここには誰も居ないんだ。僕と蓮条君と、そこの女の人以外はね」
恐怖に顔を引きつらせた女性が、何事かを呟きながら後退った。何かをひっくり返したらしく、ガラスの割れるような音がやけに大きな音で響いたのだが、蓮条は視線すら動かすことなく、決して構えを解こうとはしなかった。
「確かに君にその火傷を負わせたのは僕だよ。君があの時あんまり敵意を剥き出しにするから、ついイラッとしちゃってさ。でも――」
紅流の周りに漂う空気が、ピリピリと音を立てながら震撼しているのがわかった。それはさながら、紅流の重い存在感に耐え切れなくなった空気が、助けを求めて悲鳴を上げているようだった。蓮条の全身が、針の筵を転げまわっているかのようにズキズキと痛んでいる。空気の全てが、塊となって先を争うように紅流の側から離れ、自分の全身に衝突しているのが分かった。
「分かったからって何なの? 君にはどうすることも出来ないんだよ」
紅流の声音が、別人のように野太くドスの効いたものへと変貌する。瞬時に爆風は強くなり、それは遂に普通には立っていられないほどの強さになった。バランスを崩し、爆風に立ち向かおうと前屈みになった蓮条は、一瞬後ろの女性が壁に叩きつけられた音に気を取られたが、女性がすぐに動き出したことを確認し、再び紅流の方へと向き直った。
「なっ――」
言葉を失っていた。顔の造りそのものは紅流の面影を遺していたものの、それはおそらく世界中のどこを探しても見ることなど出来はしない、異様なものへと変貌を遂げていたのである。
姿形は人に近い。しかしその肌の色は全身が赤く、髪も床に届こうかという長さで、色味は同じでも先程までの艶髪とは全く違い、ゴワついた質感であった。何よりも目を引くのは、額の辺りからまっすぐに伸びた、二本の角らしき突起物だ。
「お、鬼……?」
そう、まさに鬼。幼い頃に絵本で見た赤鬼というのが、それを形容するにあたっては一番適した言葉のような気がしていた。
「正解だよ、さすが頭のいい蓮条君だね。僕は半分人間で、半分が鬼なんだよ。何で僕みたいな生き物が存在するのかは、まぁ説明すると長くなっちゃうんだけど」
一瞬にして蓮条の鼻先数センチの間合いに踏み込んだ紅流は、蓮条の双眸からは視線を外さないまま、微笑みを崩さないままの状態で、蓮条の下腹を拳で殴打していた。
全く受身を取る余裕の無かった蓮条は、声をあげる間もなくそのまま後方の壁に激突しそうになったものの、すぐに体勢を立て直そうと床に刀を突き立て、それにしがみついた。
「すごいね、素人にしちゃ上出来の反応だ。さすが本物の刀をぶら下げてるだけのことはあるなあ」
激しく呼吸を乱している蓮条に対して、紅流は全く涼し気な表情だ。ストレッチをするように手足を曲げ伸ばししながら、尚もニコニコと笑顔を浮かべている。
「そうだなぁ、何を思ったのかはわからないけど、単独行動に走ったのがいけなかったかな。僕みたいな異形の生き物と戦うための専門の知識や能力を身につけた戒や篠崎君なら、もう少しまともにやり合えたかもしれないのにね」
言葉が出なかった。確かに甘く見すぎていたのかもしれない。この霊力のこもった刀さえあれば、恐れることはないなどと、驕っていたのかもしれない。先程まで落ち着いていた火傷が、焼けるように熱い。どす黒い何かが体を駆け巡る感覚が止まらない。
おそらく自分は、この鬼に殺されるだろう。今まで目にしてきたあの無残な死体達と同じように、惨たらしく死ぬのだろうか。この呪いの話を聞いたときには、死ぬ事など畏れてはいなかったはずなのに。
「いや、そうじゃない――」
そうではない、理解していなかったのだ。
死ぬということが、与えられた生を全うすることなく志半ばで倒れるということが、いかに残酷で受け入れ難いものなのかということが、恥ずべき事に自分は理解していなかったのだ。
蓮条は自らを嘲るようにうっすらと笑みを浮かべた。
「あれ、ちょっとおかしくなっちゃった? 怖いもんねぇ、あんな風に殺されるかと思ったらさ」
すたすたと蓮条の元に歩み寄った紅流の瞳が、数瞬だけ妖しく輝いたのが分かった。途端に蓮条の体は石のように重くなり、自重を支えきれなくなった蓮条は、あっさりと床に倒れ伏してしまっていた。訳が分からずもがき苦しもうとしても、蓮条の体は床にぴったりと吸い付いてしまったかのような強い力が作用していて、指先一つ動かすことが出来なかった。
「ごめんね、君に施した呪いの力を少し強めさせてもらったよ。ここに来た目的は本当は君じゃなかったんだよね。今日の分の狩りをするために、僕はここに来てるんだよ」
流暢に話しながら、紅流は蓮条の側を通り過ぎ、その後方へ向かった。
「い、いや――た、助けて! お願い、殺さないで――」
恐らく酷く震えているのだろう、呂律の回らない口調で女性が命乞いをするのが聴こえる。それがわかっていても、蓮条には声一つ発することも出来なかった。それどころか、次第に意識が遠のいていくのを感じていた。
「やめて、たすけ――いやあああああああっ!」
意識の狭間に女性の断末魔の叫びが響いていた。生まれて初めて味わった自分の無力感と敗北感に激しい絶望を覚えながら、蓮条は薄れ行く意識に終焉という名の緞帳を下ろしていた。
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