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扉絵:彩人さんに美麗イラを描いて頂きました!!しかも二枚も♪♪
一枚目→戒、荒汰、紅流
二枚目→戒、紅流
彩人さん、ありがとうございました!!

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)
chapter1:fanatic love
#5 confession-2
「こ――うた――?」
 突如として視界が変貌する。
 先程までの光景は、夢だったのだろうか。いや、夢を見ているのは今の自分ではないのだろうか。
「戒……良かった、やっと気が付いたんやな」
 彼が常人ならざる力を使うときにだけ、いつも手にしている独鈷杵。荒汰の手にはそれがしっかりと握り締められていた。
「俺、寝てたのか?」
「まあ、たいした時間やなかったけどな。ざっと十二時間ぐらいか?」
 疲れきった表情を見せまいと、荒汰が無理して笑っているのが分かる。よたついた足取りで立ち上がった荒汰は、ベッドのサイドテーブルに独鈷所を置き、しばらく台所の方に篭った後、再び戒のベッドサイドへと戻ってきた。
「最初は、あないな酷い光景見てしもて気分悪なった程度にしか思ってなかってんけど、途中からお前の様子がおかしいことに気が付いてなぁ」
 荒汰が戒の頬を濡らす水滴を拭ってくれたことで、戒は初めて自分が涙を流していたことに気付いた。
「だんだん呼吸は乱れてくし、声掛けても全く起きる気配も無い。そうしとるうちにだんだん脈も弱なってくし……ああ、これはたぶん夢の虜囚になってんねんなぁって」
「“夢の虜囚”?」
 初めて聞くフレーズに、戒は首を捻っていた。
「心に深い傷を持っとるような人間が強いフラッシュバックを引き起こしたことが引き金になって起こる、一種の精神崩壊の状態や。自分の負った深い傷の元になる記憶を夢に見続けて、その夢の中に囚われたまま、自力では抜け出せんようになる。放っといたら、当人はみるみるうちに衰弱してって、最終的には死ぬ」
 “死ぬ”という単調なフレーズに、戒はいつに無く激しい恐怖を覚えた。血溜まりの中に横たわる慧護のイメージを振り払うかのように首を振り、戒は自らを抱きかかえるようにして、身を(すく)ませる。
「俺は陰陽師やさかい、“夢見(ゆめみ)”っちゅうて、他人の夢を覗いたり干渉したりする力があるんや。だからその夢見の力を使って、お前を夢から引っ張り出してきたっちゅうわけやな」
「じゃあ、あの時の声はお前だったのか」
「ああ、俺は異変に気付いてからずっとお前に呼びかけとったんやけど。お前の夢は予想以上に構造が複雑で、なかなかよう見つけられんかった」
 優しく言ってにっこり笑うと、荒汰は手にしていた淹れたてのホットココアのマグカップを差し出した。
「ちょうど一息入れようと思とったとこやったんや。俺の飲みかけで悪いけど、まあ飲みい」
 差し出されたマグカップには、並々と温かいココアが注がれていて、手をつけた形跡は無い。それに戒は、普段荒汰がココアは飲まないことを知っていた。彼がいつも飲んでいるのは、ブラックコーヒーだ。
 疲れているのにわざわざ淹れてくれたのか、とは口にせず、戒はわざと何も気付かない振りをして、ココアをすすった。
「お前のこと、聞かされては()ったけど……ああやって実物に近いモンを見ると、想像以上に酷いな。深い傷になるのも理解できる」
「ああ、今の生活から考えると想像もつかない世界だからな」 
 そこまで言って、少々の取っ掛かりを感じ、戒はまじまじと荒汰の方を見た。
「お前、見たのか? 俺の夢、全部……」
「お……おう。見た」
 気まずそうに視線をそらした荒汰を見て、戒は愕然とした。
 先程まで自分が見ていた夢は、克明に覚えていた。夢というよりは、記憶の彼方に追いやっていた、自分自身の過去だ。
 喚き散らしたりして不安定だった自分や、殺人鬼と並び称されてもおかしくない、鬼畜のような自分。それよりも何よりも、慧護ただ一人にしか曝け出したことの無かった、欲望にまみれた自分の痴態を全て彼に見られてしまったことが、理由はよくわからないのだが、とにかく悔やまれて仕方がなかった。
「ほ……ほんなもん、しゃあないやろ! 俺かて、お前があんな――あんな夢、見とるなんて、想像も――」
 荒汰が指摘したがっているシーンは、その露骨な態度を見れば容易に想像が出来た。
「べ、別になあ! 俺はお前の裸なんか何回も見たことあんねん!」
「そういう問題じゃないだろっ!」
 ピシャリと強く一喝され、荒汰は返す言葉も無い様子で黙り込んでしまった。
 掛け布団を持つ手にぎゅっと力を込める。顔から耳の辺りまでが、強く火照っているのを感じた。この感情は何なのだろう。
 俯いたままチラリと視線だけを向けてみると、茹で蛸のように真っ赤な顔をして、呆けたようにこちらを見つめる荒汰の姿が見えた。
「め……」
「め?」
「めっちゃ、可愛い……」
 軽快な音が室内に響き渡る。
 我に返ったとき、荒汰の頬に自分の手形が付いているのを見て、戒は自分が荒汰に平手打ちを喰らわせてしまった事に気付いた。
「あのなぁ……俺、お前を助ける為にめちゃめちゃ頑張ってんけど。不可抗力やないか」
「ご、ごめん。何か反射的にイラッときて――」
「可愛いって言うただけで、何でいきなりビンタやねん!」
「ごめんって!」
 すっかり顔の火照る感覚もなくなった頃、沈黙に耐えられない気がして、戒は何か話題は無いものかと記憶を探っていた。ふと、一つの記憶に思い当たり、ぼそぼそと話し始める。
「お前に助けられたのは、もう二度目だな」
「え?」
 戒の方から口を開いたことが意外だったのか、荒汰は面食らったような顔で戒を見た。荒汰の方も、顔色はすっかり元に戻ってしまっている。
「完全には助けられてない気もするけどな。出来るならお前の夢に出てきた、大事な奴を助けてやりたかった。そうすれば、お前の傷も今より少しはマシになっとったはずやのに」
 いつも朗らかな荒汰が辛そうな顔をすると、自分まで悲痛な気持ちでいっぱいになる。
 自分が笑えば、荒汰は笑ってくれるのだろうか。いつも荒汰が自分にしてくれるのと同じように。ふと思い立ち、戒は出来る限りの笑顔を見せようと努力した。
「仕方ないよ。どんなに思い返したって、あいつはもう戻っては来ないんだ。頭ではちゃんとわかってるから」
 無理に作ろうとした笑顔は、簡単に引きつれて壊れてしまう。
 どうして人並みに笑うことすら出来ないんだ。
 不器用な自分に心底腹が立った。悔しさに、目頭が熱くなる。
「戒、すまん……こんなこと言うんやなかった」
 戒の思惑はうまくいかなかったようだ。ポロポロと涙をこぼす戒の姿を見て、荒汰は余計にオロオロと慌てふためいている。その表情は、先程よりもずっと哀しそうだ。
「ごめん、いいんだ。俺には今は、荒汰が居てくれるから」
 どうしたらいいのかわからなくなり、戒はただ、思いつくままの言葉を口にする以外に無かった。
「俺、今は荒汰のことが一番大事だよ」
「え――」
 荒汰は、凍りついたように動かなくなった。
 何か言いたそうなのだが、かすかにパクパクと口を動かしているだけで、全く言葉になっていない。
「そ、そ、そ、それって――」
 やっとのことで搾り出したような声だ。脂汗をかきながら顔面蒼白になった荒汰は、どこからどう見ても具合が悪そうだ。
「ど、どうしたんだ?」
「お、俺のこと、す、す、す、す――」
『おい! 入るぞ!』
 絶妙と言うべきなのか、最悪と言うべきなのか。
 得も言われぬタイミングでドカドカと部屋に入ってきたのは、蓮条だった。
 何か後ろめたいことをしていた訳でもないのに、戒と荒汰は素早く体を仰け反らせ、距離を取る。
「神代! お前意識が戻ったの、か?」
 戒の頬を伝う涙に気付いたのか、蓮条は急に声量を落とし、語尾を和らげた。
「どうしたんだ? まさか篠崎、貴様……」
「えぇぇぇぇぇっ! 何でそうなるんや!」
 いつものオーバーリアクションで両手を挙げ、防御体制に入った荒汰を見て、戒は内心ホッとしていた。
「女を泣かすとは、人間の風上にも置けん奴め……恥を知れ!」
 金属が擦れるような音と共に、無造作に刀の鞘が投げ捨てられ、抜き身の刀身が月の明かりを翻していた。

 先入観の強い蓮条の荒ぶる心を抑えるには、日常から怒りの矛先を向けられることの少ない人物の説得が必要になる。しかもそれは根気良く、長い時間をかけて行うことが重要だ。
 そろそろ理解できては居たのだが、長い悪夢から覚めたばかりの戒にとっては、なかなか体力の要る作業だったようだ。
 ぐったりした様子でベッドに寝転がった戒は、落ち着きを取り戻したものの全く悪びれた様子の無い蓮条と、手形に加え細かい切り傷の増えた顔を覆い隠しながらおいおいと泣いている荒汰の様子とを交互に見ながら、ようやく訪れた静かな時間を徐々にかみしめていたのだった。
「それで、蓮条はなんでここに来たんだ? 何かあったのか?」
「気になることがあるから話がしたいと、わざわざ携帯電話を新調して事前に連絡を入れておいたんだ。突然現れたような言い方をされる筋合いはないな」
 ムッとした表情で眉をひそめ、蓮条は腕を組んだ。
「ああ、だから鍵が開いてたのか。無用心だと思ったんだ」
「俺はもう少しで戒を夢から助け出せそうやったから、集中したくて先に鍵開けといただけやのに……酷いわ」
「女々しいぞ、篠崎。いつまでも泣いてるんじゃない」
 コイツはたぶん、自分が原因だとかは全く考えてないんだろうな。
 蓮条の堂々たる立ち居振る舞いを見ていると、本当に悪いのは荒汰なんじゃないかなどと思えてきたりする。
「話したいことというのは、この薄緑のことなんだが」
 姿勢良く正座した状態で、まるでお茶でも勧めるかのように身をかがめ、蓮条は目の前に置かれた愛刀をずずいと前へ押し出した。
 もはや自分の満身創痍の姿は関心の対象にはなっていないのだと気付いたのか、荒汰は渋々ながら、その刀に目をやった。
「昨日の朝登校したあたりから気付いてはいたんだが、薄緑が全く光らなくなった」
 全員の注目が集まるのを確認すると、蓮条は刀を数センチだけ鞘から抜き、再び静かに床へ置いた。
「ほんとだ。確かこれ、俺達が近くに居ると常に少しだけ光ってるんだったよな?」
「ああ、そうだ。こんな事は今まで無かったんだが……どう思う?」
 易々と答えられるほど、その問題は簡単なものではなかった。
 物言わぬ刀とにらめっこをするのにも飽きた頃、戒は突然ものは試しだとばかりに目を閉じ、思考とは全くかけ離れたところへと意識を集中させた。
「神代?」
 戒の回りの空気の存在感が、不自然なほどに薄くなる。パチパチと音を立てて青白い発光体が現れたのと同時に、戒の金茶色の髪がふわりと逆立った。うっすらと目を開け、蓮条の刀に目をやってみる。しかし刀は、荘厳な空気を漂わせてはいるものの、何の反応も示してはいなかった。
 力を抜き、深く息を吐く。一瞬のうちに発光体は消え失せ、戒の髪は元の風体へと戻った。
「これだけ露骨に霊気を発してみても駄目か。探知能力が弱まっているだけかと思ったけど、どうやら完全に使えなくなってるみたいだな」
「今のは、何だ? お前にも篠崎のような能力があるのか?」
 そういえば、彼に力を使っているところを見られたのは初めてかもしれない。鋭い眼光を限りなく丸く見開き、蓮条は驚愕していた。
「俺のは荒汰みたいに万能じゃなくて、完全に戦闘特化型だけどな。俺には静電気を操る力があるんだ。帯電した電気を自由に放電する力なんだけど……その気になれば猛獣だって気絶させられる」
 帯電の証拠に髪が逆立っていただろう、と軽くジェスチャーをしてみせ、戒は薄く微笑んだ。
「しかし、これもあの蛇のような火傷の影響なんだろうか。篠崎の力のお陰で痛みはほとんどないが、昼間ここに来てからまた侵食が酷くなっているような気がする」
「また酷くなっとるんか」
 さすがにいつまでも私情でメソメソしているわけにはいかないと思ったのか、荒汰は真剣な眼差しで蓮条を見た。
 蓮条は表情こそ無いが、胸のあたりを何度もさする姿はいつもよりも不安気に見える。
「こいつの火傷、明らかに普通の火傷と違って、大蛇(おろち)がとぐろを巻いとるような傷でな。たぶん体を侵食される呪いみたいなもんやないかって思って、少し進行を遅らせるように細工を施してあんねんけど」
 昼間蓮条が荒汰を呼び出していたのは、やっぱりこの事だったのかと納得し、戒は頷いた。
「昨日の朝学校に来た辺りから反応しなくなったのか……昨日と一昨日で状況が変わったことって、何かなかったっけ?」
 何気なく呟いた一言に何か引っかかるものを感じ、戒は眼を閉じ、更に記憶の奥の糸を手繰り寄せようとする。
「そういえば、瑛時はどうしたんだ?」
 ぱっと顔を上げ、ベッドサイドに座る二人に目をやった。二人は驚いたように目を丸くし、しばし狼狽する。
「あいつは、酷く怯えていた。一応一通り事情は聞いておいたんだが」
 困ったようにため息をつき、蓮条は腕を組んだ。
「あいつはあの時暇を持て余していて、この部屋を訪ねる気でいたらしい。ところがたまたまエレベーターが点検中で使用できなかったから、階段で上がってきたのだそうだ。日頃運動不足だとかで、あいつは四階の踊り場で立ち止まって休んでいた。その時に、踊り場で電話をしながら廊下をウロウロしている第一発見者の女を見かけた。しばらくして電話が終わると女は話をしながら部屋の方に歩いていき、紅流が立ち去ろうとすると、悲鳴が聞こえたんだそうだ。悲鳴の聴こえた場所へ駆けつけて、女の話を聞いているとすぐに私達がやってきたと本人は言っていた」
 難しい顔をして説明する蓮条の口調には、いつもの威風堂々振りを差し引いたとしても、少し棘があるような気がしていた。それはすぐ側で黙って話を聞いていた荒汰も同じだったようで、呆れた顔で肩をすくめ、戒の方へコソコソと耳打ちをする。
「こいつ、紅流のことめちゃめちゃ疑っててんで。あんな酷いモン見せられて怯えきっとったのに、何度もあん時のこと聞き返したり、エレベーターがホンマに止まってたんか調べたり、あの部屋の姉ちゃんの行動がホンマに紅流の証言通りやったか聞き込みしたり」
「聞こえているぞ、篠崎! お前こそ、あいつの行動を全て見ていたわけではないだろう!」
 猛禽類のそれを思わせる鋭い眼光で荒汰を睨みつけ、蓮条は今にも食ってかかりそうな勢いで怒鳴り声をあげた。声の大きさはいつものことだが、常に冷静さだけは欠くことのなかった普段の蓮条の様子とは、全てが違っているようであった。
「だいたいお前がなかなか術者を見つけられないから、こういうことが起きるんだろう!」
「何やて? さっきから黙って聞いとったら、好きなことばっかり言いよって……」
 自分の仕事振りを否定されたのが気に食わなかったのか、さすがに温厚な荒汰もこれにはカチンときたようである。
 殆ど他人に向けたことのない冷気のような敵意を発しながら、蓮条の方へ詰め寄る。
挿絵(By みてみん)
「うるさい!」
 険悪な空気の漂う室内は、一瞬にして静まり返っていた。戒の怒声は、冷静さを欠く蓮条よりも、敵意むき出しの荒汰よりも、よほど印象深く目を引くものだったらしい。
 見たこともない生物に対峙したときのような驚嘆に満ちた表情で、蓮条と荒汰は戒を振り返っていた。
「荒汰、お前は蓮条が今置かれてる不安な状況を理解してるはずだろ? その状況を自分で何とかしようと焦ってる気持ちくらい理解してやれよ!」
「す、すまん……」
「蓮条も蓮条だ。不安なのはわかるけど、だからって仲間内で疑心暗鬼になるような事ばっか言って何になるんだよ!」
「――わ、悪かった」
 二人とも、母親に叱り付けられた後の子供のようにしょんぼりとうなだれている。どうやらこの二人の精神年齢は、戒が想像していたよりもよほど歳相応らしかった。
「別に、わかればいいけど」
 普段穏やかで聞き分けのいい荒汰はともかくとして、蓮条までがこの場で自分に謝罪の言葉を口にするなどとは思っても見なかったので、戒は想像以上の手ごたえに少し戸惑いを見せていた。怒鳴ってはみたものの、この後のケアをどうすればいいのか分からず、結局たじろいでしまう。だから怒るのは苦手なのだ。
「俺だって、何もわからないけど……探知能力は荒汰の方が優れてるし、情報収集能力と行動力は蓮条の方が上だ。だけど、個人プレーじゃ何もできない。とにかく今は状況をまとめないと」
 いつの間にか自分が、ベッドに寝転がった状態から起き上がって身を乗り出し、必死に何かを伝えようとしていることに気が付いた。
 この気持ちは何なのだろう――
 荒汰と出逢い、ここで生活するようになってからは、以前とは全くかけ離れた平和な日々を送っていたはずで、自分もそれに満足していたような気がしていた。しかし、他人によって用意されたいつ終わるとも知れない安息に甘んじていることに、本当は心の中では不安を覚えていたのかもしれない。それが自ら動くことによって、何かが良い方向に向かうかもしれないと思ったのかもしれない。
 戒は突然くすぶり始めた自分の中の熱い感情の火種に戸惑いを覚えながらも、それを受け入れようとしていたのだった。
「荒汰、あの時お前は何か霊的なものの存在を感じ取ったりはしなかったか?」
「いや――探知しようとはしてたけど、何も感じてないな」
「蓮条、瑛時はその後どうなったんだ?」
「酷く怯えきっていて、知り合いも居ない中で一階に独りで居るのは不安だと言っていた。だからこのマンションの管理人と掛け合って、急遽このすぐ下にあった空き部屋二つを借りられるように手配しておいた。片方の部屋に誰かが泊まるようにしてやればいいと思ったんだが」
「えぇぇ! 管理人はん、ようそんな簡単に貸してくれはったな」
 確か荒汰の話によれば、戒が眠っていたのは半日ほどのはずである。まさかその半日の間にそこまで話が進んでいようとは――
 先程戒は蓮条の行動力を認める発言をしたが、これは想像以上の行動と言えるような気がした。
「まあ、そのあたりは金に糸目を付けなければどうということはない」
 一同の驚きを、蓮条は実に大富豪のお坊ちゃんらしい冷静さで切り返した。
「てか、それってここにしばらく泊まり込むってことだろ? 家からは何も言われないのか?」
「別に……両親は仕事で家を空けていることが多いし、使用人に一言言えば済むことだ。一応、篠崎の名前も出してある」
 何か複雑な理由でもあるのか、一瞬蓮条の表情に陰りが見えたのを、戒は見逃さなかった。
 しかし自分がその典型であるように、誰でも他人に踏み入れられたくない領域というものはあるはずだ。戒は敢えて、それ以上の詮索をするつもりはなかった。もう少し時間がたてば、自分のことも含めお互いが理解し合える機会があるような気がしていたのだ。
「ならいいけど。結局たいした収穫も無しか……こうなったら、相手が動くのを待つしかないか」
 戒が口元に手を当てて考え込んでいると、刀を拾い上げ、おもむろに蓮条が立ち上がった。一同の視線がそこに集まる。
「取りあえず、私は下の空き部屋へ行く。紅流は恐らくもう部屋で寝ていると思うが、あまり長く側を離れるのも気になる。あとの事はお前達に任せる」
「ちょっと待てよ、蓮条。お前あそこに一晩独りで居るっていうのか?」
「そうだが……調子の悪いお前も居ることだし、まさか全員でここに押しかけるわけにも行かないだろう」
 さっさと出て行こうとする蓮条を見て、戒は思わず立ち上がっていた。
「調子が悪いのはお前だって同じだろ。ここはお前じゃなくて荒汰に頼んだ方が――」
『な、何でやねん!』
『こ、断る!』
 荒汰と蓮条の声がものの見事にハモっていた。
 自分は正論を言ったつもりで、否定される要素はどこにもないと思っていた戒は、思わず体をビクリと硬直させる。
「え、何でだよ」
 大きな瞳をぱちくりとさせ、戒は不可解な表情を浮かべた。
 荒汰は言いにくそうにモジモジとするだけで何も答えないが、蓮条は珍しく顔を真っ赤にして慌てふためいている。
「な、何でも糞もあるか! 女と同じ部屋になんか――と、泊まれるかっ!」
 何を怒っているんだろう。せっかく距離感が縮まったと思ったのに。しかも女だからとかいうのは、物凄く理不尽な理由だ。
 腹が立ってきた戒は、少し睨みをきかせながら、距離を詰めようと歩み寄った。
「何だよ、訳のわかんない理由並べてる場合じゃないだろ! 女だからとか言われたら、俺にはもうどうしようもないじゃないか!」
「そ、そんな事を言われても――」
 いきり立っていた戒の両肩に、ポンと荒汰が手を乗せる。振り向いた戒がムッとした顔で見上げるが、荒汰は目に涙を浮かべて笑いを堪えているだけで、なかなか言葉を発しようとはしない。
「何だよ、荒汰」
「戒、そこはわかってあげようや。誠獅郎坊ちゃんは、多感な青春時代を生きてんねんから」
「貴様――」
 いつもならここで蓮条対荒汰の鬼ごっこが始まりそうな雰囲気だったのだが、一連の出来事が影響を与えているのか、蓮条は刀に手をかけることなく咳払い一つで事を収めようとしているらしかった。
「と、とにかく。私は単に武器の探知能力を封じられているだけで、体はまともに動くんだ。病み上がりのお前とは一緒にしないでくれ」
 偉そうな物言いはいつも通りだったが、蓮条の言葉の端々には、いつもとは違う穏やかさが垣間見られた。
「しかし――学校ではほとんど寝てばかりで目立つことのなかったお前に、ここまでいろいろ言われることがあろうとは、思ってもみなかった。流されるばかりで自分というものが無い奴だと思っていたのに、本当に意外だ」
 (きびす)を返し、そそくさと歩き出した蓮条の表情が、笑顔だったように見えたのは気のせいだろうか。
「じゃあな、何かあったときはすぐに呼べ」
 振り向かないまま、軽く手を上げた蓮条は部屋を後にした。ほどなくして玄関の扉の閉まる音が聞こえ、七〇一号室に再び静寂が戻る。
「誠ちゃん、何か予想以上にエエ奴ちゃうかった?」
「ああ、そうだな」
 仰向けでゴロリとベッドに体を預け、戒は静かに微笑んだ。
「早く何とかしてやりたいのは山々やねんけどなあ」
「まぁ、焦っても仕方ないよ」
 頭の後ろで両手を組んで、先程目撃してしまった蓮条の柔らかな笑顔に思いを馳せる。
「あいつ、あんな風に笑うんだなあ」
 誰かの笑顔というのは、こんなにも自分の気持ちを晴れやかにさせてくれるものなんだな。
 満ち足りた気分になった戒を、急激な睡魔が襲っていた。確信になり得る理由などなかったのだが、先程のような悪夢に囚われてしまうことは恐らくないだろうと思った。
「何か見たらアカンもんを見てもうた気分や。こりゃ明日の天気は――」
 そんな自分の様子については知る由もないのか、荒汰は何やら楽しそうに喋り続けている。
 次第に意識と肉体を寸断していった戒の耳に、親友のそれ以上の声が届くことはなかった。


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