扉絵:蓮条誠獅郎 イメージ画
chapter1:fanatic love
#3 visitor-1
翌日放課後。戒と荒汰の通う神楽坂学園高校は、昨日の事件の噂で持ちきりになっていた。
放課後と言っても、今は午前九時を過ぎたところ。昨日の凄惨な事件の影響を受け、学園側がしばらくの“休校措置”を取ることになり、急遽放課となったのである。休校の期間は今の所未定。
神楽坂学園は、県内ではそこそこのレベルの進学校である。
カリキュラムの問題上、学園の運営側としては苦渋の決断なのであろうが、生徒側にとっては、知った事ではない。再び春休みが訪れたような高揚感で、放課後の学園は、さながらお祭り騒ぎの様相を呈していた。
「長話をするな! さっさと下校だ、下校!」
おかげで、戒の所属する三年七組では、蓮条の委員長稼業が大繁盛となっていた。
「おーっ! 今日も誠ちゃん、大繁盛やな!」
ガハハと豪快に笑いながら、クラスメートを恫喝する蓮条の肩をポンポン叩く荒汰。
「茶化してないで、手伝わんか篠崎!」
「いやー、俺には誠ちゃんの委員長の仕事は耳クソほども務まらんさかい。見守るだけにさしといてや」
「適当なことをぬかしおって……」
そんな二人のやりとりを見て、一人の生徒が不思議そうに首をかしげて近づいてきた。
「あれ? 篠崎、お前いつの間にそんな蓮条と仲良くなったんだ? てか、蓮条が普通に喋ってるの初めて見たぞ」
幼さの残る人懐っこい笑みを浮かべたこの生徒は、早乙女和希という。
荒汰の中学時代からの友人で、クラスでは戒のすぐ前の席に座っている。
「やかましい! 早乙女、貴様もさっさと帰れ!」
「まぁまぁ、そない怒らんでもええがな……」
荒汰はニコニコしているが、蓮条は心底イラついているような口調だ。眉間のシワも、いつもと変わらず深い。
「荒汰、あんまりからかうなよ」
近くの机の上に腰掛けていた戒が、眠気で半開きになった目を向けて溜め息をついた。
「神代も全然タイプ違うのに、何か大変だよなー。個性の強い奴ばっかとつるんでてさ」
「もう慣れてきたよ……」
頭痛が起こって来るのを感じ、こめかみの辺りをさすっている。
「てかさ! お前ん家のマンションなんだろ、例の事件。マジで気をつけろよ?」
早乙女は、持ち前の社交性で他クラスや他校にもたくさん友達がいるらしく、クラスでは情報通として重宝されているのだが――
昨日の事件に関しては、既に全国ネットでテレビ放送されているらしく、事件の概要くらいはおそらく早乙女でなくても誰もが知っている情報であろう。
「あぁ、通報したのが蓮条だからな。携帯持ってなかったらしくて、荒汰の携帯から通報してたし」
「え、そーなの? うわ……不謹慎だけど、何かテンション上がるわソレ!」
学級委員長の刺すような視線を何とかやりすごしながら、早乙女は苦笑いを浮かべた。
「ま、まぁ俺も気をつけて帰るわ。お前も気をつけろよ? 神代は女みたいに細っちいんだからさ。顔も可愛いし」
「な……」
早乙女の言葉がスイッチを押したのか、蓮条が昨日の出来事を思い描きながら赤面している。
しかし、荒汰がニヤつきながら見つめているのに気付き、そそくさと平然を装った。
執拗に笑いかける荒汰の頭を殴り飛ばし、恥ずかしさを払いのけるように、蓮条は再び早乙女に声をかけた。
「と……とにかく、寄り道せずに帰るんだぞ」
「はいはい」
お前は俺のオカンかよ、と笑いながら、早乙女は教室を後にした。
早乙女が去った直後。ほぼ入れ違いのような間隔で、見慣れない生徒が戒の前に現れた。
早乙女達の最後のやり取りをぼーっと聞き流していた戒は、少し驚いたような表情で彼を見上げる。
「こんにちは。三年七組って、ここで合ってるよね?」
透き通るような美声だった。
さぞかし指通りの良さそうな、サラサラの黒髪をふわりとなびかせ、すらりと伸びた長身を少し戒の背丈に合わせるようにして屈め、彼はニッコリと笑っていた。
「このクラスの学級委員長に会いに行くように言われてるんだけど、君じゃないよね?」
宝石のような鮮やかな碧眼が、少し細まった。カラーコンタクトだろうか。
奇抜な色を違和感なくものに出来るその容姿は、色恋にあまり興味のない戒ですら、しばし見とれてしまうほどに美しかった。
「学級委員長は私だ。お前は、例の?」
呆けてしまった戒の横から、蓮条の声がかかった。
「ああ、おはよう。僕、転校生の紅流瑛時です」
『転校生?』
信じられないものでも見るかのような目つきで、戒と荒汰は声をハモらせる。
「またタイミングの悪いこっちゃなぁ、こんな時期に」
「うーん、そうだね。転校早々、休校だもんね……参っちゃうよ」
荒汰の憐れむような視線に、困惑した表情で両眼を泳がせ、紅流は頭を掻いた。
「本来なら今日の登校は見合わせるべきだったのかもしれんが……一応お前達に紹介しておきたくて呼んだんだ」
「俺達に?」
戒がつぶやくように言うと、紅流は再びニッコリと微笑んで、戒の両手をガッチリと握った。
「あ、じゃあ君達が僕と同じマンションに住んでる生徒なんだね? 良かったぁ。こんな可愛い子が一緒だなんて、嬉しいなぁ」
三人の表情が凍り付いた。
普段着の戒なら、性別を疑われる事もよくあるが、学園内で指摘されたことは一度もない。
「ま……まさか、紅流、お前、そっちの……」
生唾を飲み込みながら、荒汰は恐る恐る尋ねていた。
「俺、男なんだけど」
比較的冷静な態度で戒が釘を刺すと、紅流は目をパチクリさせて戒を観察していた。
「あ、そっか。ここ男子校なんだっけ」
慌てて戒の手を離すと、気まずそうにポリポリと頬を掻いた。
「ごめんごめん。君があんまり可愛い顔だったから、顔しか見てなかったよ。ちゃんと学ラン着てるもんねぇ」
一同に安堵の空気が流れる。
「バイト先が女の子ばっかりだから、何かついクセで」
「どんな羨ましいバイトやねん!まったく、朝からびっくりさすなや……」
軽く羽織っただけの学ランの下のシャツの胸元を緩め、荒汰は何となく不機嫌そうに、両耳にジャラジャラとぶら下げたピアスのうちの一つを弄び始めた。
「何怒ってんだよ、荒汰」
「別に怒ってへん」
垂れ気味の両眼を細くし、への字に口を曲げた荒汰の表情は、明らかに怒っていた。
「とにかく!」
蓮条が、手にした刀袋で勢い良く机を叩いた。間延びしていた場の空気がピリッと引き締まるのを感じ、彼は満足げに鼻息を荒げた。
「紅流は独り暮らしなんだ。転校初日で街の事にも疎ければ、知り合いも居ない。近所のお前達が支えてやるのが筋だ。わかったら一緒に帰れ、いいな?」
「わ、わかったよ」
勢いに押され、戒が渋々首を縦に振る。
ゆっくりと机から立ち上がった戒に、紅流は宜しくね、と声を掛けた。
「ああ、それと篠崎。お前には少し話したい事がある。この後時間を空けてくれ」
蓮条の周りに漂う、神妙な空気。おそらく昨日の話なのだろう。
荒汰は、しばらく何かを訴えたそうに戒と紅流の二人を見比べていたが、あからさまに渋々といった感じで、それを承諾した。
チャイムが鳴っている。本来なら一時間目の授業の終了を告げるはずのチャイムである。
誰が提案したわけでもないが、戒達四人は何となく、チャイムを合図にするようにして、各々の目的地へと分散することにしたのだった――
「よし……ここなら構わんな」
静まり返った学園内の、最奥。人気のない校舎の裏に、二人は居た。
「何でイカつい男と二人っきりで、こんなとこでコソコソしとらなあかんねん」
「それはこちらの台詞だ」
本当なら大声で怒鳴りたいところなのだろうが、矢のように鋭い視線を向けながら、蓮条は声を殺した。
「昨日は途中からまともに話が出来ていなかったから、改めたまでだ」
誰のおかげだ、と毒付きたくなるのを堪え、荒汰は金魚のように口をパクパクとさせた。
まぁ、自分に全く責任がないとも言えないのだが。
「とにかく、これを見ろ」
迷いのない手つきで学ランとカッターシャツを脱ぐと、無駄のない引き締まった筋肉が露わになる。
たった今気付いたのだが、蓮条の腕には包帯が巻かれている。続けてくるくるとほどいていくのだが、それは手の平を覆うには明らかに過ぎた長さであった。
「お前、それ……」
左腕の包帯を全て取り終わったとき、荒汰は絶句していた。
昨日見たとき、火傷は手の平だけにとどまっていたはずだった。しかし、露わになった彼の左腕は、手の平から始まって、肩のあたりまでほぼ全域が、酷い火傷に覆われていたのだった。
ところが、荒汰が目を奪われた理由はそれだけではない。
「これは、蛇?」
肩の辺りにある傷が、ちょうど蛇の頭のように見えるのである。
更に少し離れたところから左腕全体を眺めてみると、一匹の蛇が、手首から肩に向かって絡みついているように見えた。
「無論、右腕も同じだ。正直に言えば、ろくに眠れないほど痛みも酷い」
本人の表情からはとてもそんな様子は窺えなかったのだが、弱音を吐くようなタイプではない蓮条がそう言うのだから、それは紛れもない真実なのだろう。荒汰はしばし息を飲んだ。
「その火傷……初めは俺、あの事件の犯人の霊気の強さにビビったお前の刀が、とっさに必要以上の力を出してもうた結果やと思ててんけど」
遠慮がちに左手首を引き寄せ、まじまじと傷を見ようとする。
蓮条の手首を掴んだ瞬間、荒汰の全ての感覚を、禍々しい何かが支配していた。
「違うな。たぶん奴はお前の刀を媒介として、電流を流すみたいにして自分の力を送り込んで来よったんや」
虚ろな目でぼんやりとしながら、荒汰は言った。
その双眸は目の前の現実ではなく、蓮条の背後に広がる大きな闇を捉えていた。
「その力は普通の霊気なんかとは全く違うもんや。恐らく“呪い”のような……」
「“呪い”だと?」
聞き慣れない言葉に、蓮条は目を見張った。
「いやいや、飽くまで例えやけどな。その力を系統立てしようとすると、呪いのメカニズムに一番近いっちゅうだけの話で……」
困惑する蓮条をなだめ、胸ポケットから短い鉄の棒のようなものを取り出す荒汰。
この棒は、鉄アレイのように棒の真ん中を持って使用するもので、持ち手の両側には、美術品と言っても遜色ないほどの緻密なレリーフが施されている。
「それは?」
「これは“独鈷杵”や」
「独鈷杵?仏像が手にしている、あの独鈷杵か?」
信じられないといった面持ちで、蓮条は訝った。
「そ。最近の陰陽師は真言密教にも精通してんねん」
「神仏習合のようなものか? 陰陽道というものは、案外何でも有りなんだな」
「まぁ、とりあえず見とき」
何か言いた気な蓮条を手で制し、荒汰が何やらブツブツと呪文のような言葉を呟き始めた。
俄かに、荒汰の手の平が淡い光を放ち始める。包み込むような柔らかい光に、蓮条はしばし目を奪われた。
手の平からこぼれだした光の収束体は、まるで蓮条の凄惨な傷跡を労るかのように、ゆっくりと彼の両腕を包んでいく。
光が止むと、蓮条の腕を蝕んでいた痛みは、驚くほどに軽くなっていた。
「どや? 少しは楽んなったか?」
小さく溜息をつき、呼吸を整える。
驚きを隠せない様子で腕の傷をあちこち確認する蓮条を見て、荒汰はクスリと微笑んでいた。
「こいつはちっと厄介な術や。放っといたら、お前はたぶんこの蛇に喰われてまうとこやった」
「喰われる?」
「言葉通りの意味や」
手にしていた独鈷杵をゴソゴソと胸にしまうと、荒汰は人差し指を立て、諭すように語り始めた。
「ええか? 呪術っちゅうのはな、一般的なイメージ通り、恨みとか妬みとか、負のエネルギーを利用して相手に何らかの影響を与える術なんや」
すらすらと知識を披露していく荒汰を見つめる蓮条の眼差しは、いつになく真剣だ。いつもの剣幕はどこへやら、口を挟むこともなく、まるで授業中のようにおとなしい。
これまで彼に嫌悪以外の感情を向けられた事のなかった荒汰は、何だか体のあちこちをくすぐられている様な、妙な気持ちになった。
自分の特殊な立場を隠すため、荒汰は今まで“出来る限り普通の高校生に見えるように”振舞うよう努めてきた。おそらく今の自分の様子は、普段蓮条が目にしていた学園での様子とは、まるで真逆なのだろう。
金髪。毎日相当な時間をかけてセットしているヘアスタイル。ジャラジャラと何個もぶら下がったピアス。着崩した制服。普通の高校生らしい格好を常に考えていくうちに、考えてみれば別の意味で目立つ高校生に行き着いてしまっていることは、自分でも何となく自覚していたのだが。
おそらく蓮条は、荒汰の思惑にまんまとはまり、その派手な外見のみで自分の内面を判断していたのだろう。自ら望んでいたことではあるが、実際にそれを強く自覚すると、何だか切ない気持ちになってくる。
「その影響っちゅうのは術によってホンマにいろいろ差があるねんけど…たぶんお前が受けたその術は、いっちゃん最悪なヤツや」
思わず、それ以上の言葉を躊躇してしまう。
「放っておけば、死ぬということか?」
しかし当の蓮条に臆した様子は無い。普段と変わらない様子で真っ直ぐに荒汰を見据える黒い瞳。
たった一日で両腕全体を浸食したその速度から考えれば、蓮条に残された時間はさほど多くない。それくらいは、呪術に精通していない彼でも容易に推測ができただろう。
だが、どうやら彼の意志というのは、死という言葉を認識し、それを口にしたところで簡単に揺らぐような、脆いものではないらしかった。安堵の笑みを浮かべ、荒汰は続けた。
「そういうことやな。恐らくその“蛇”は、まるで生きとるみたいにお前の体中を這い擦り回っていく。蛇に全身を浸食された時、たぶんお前は死ぬ」
今にも鎌首をもたげて襲いかかって来そうなほど、リアルに浮き彫られた蛇を見つめる。
「今の俺には、浸食を遅らせることと、痛みを和らげてやることくらいしか出来ん。根本からその蛇を祓うには、術者を見つける以外にあらへん」
「それならば、お前に依頼することにしよう。その術者とやらの捜索をな」
痛みの和らいだ両腕をブンブンと振り回し、蓮条は言った。
「ええけど、俺は高いでー? 実力は本家以上やさかいな」
わかりきった愚問を投じ、荒汰はニヤリと白い歯を見せた。
もともと荒汰は困っている同級生から金を取るような、下世話な真似はしない主義なのだが、頭の堅い蓮条のこと、借りを作ったりはしたくないだろうと、気を回した結果がこれなのであった。何せ相手は、世界的に有名な大富豪の嫡男である。
「金の心配など要らん。後から無記入の小切手を渡してやるから、好きな金額を書け」
そんな荒汰の気遣いが功を奏したのだろうか。
サラリと言ってのけた姿は、やはりいつも通りの沈着冷静な蓮条であった。
「おお! それでこそ誠ちゃんや」
「その呼び方はやめろ」
眉間のシワもいつも通りである。
「よっしゃあ! 運良く明日から学校も休みやし、いっちょやったるか!」
空に向かって意気揚々と叫び、荒汰は大きく伸びをした。
晴れ渡った春の空が、落ちてきそうなほど真っ青に広がっていた。
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