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扉絵:あまり絵にされることのなかった脇役をラフだけで終わらせるのはかわいそうだなと思い、イラストに起こして集結させてみました。(左から、久遠時慧護、早乙女和希、桜澤比奈子)

挿絵(By みてみん)
chapter1:fanatic love
#∞ redemption to him-2
「触らないでよ! どうせまた僕に変な事するつもりなんだろ! あっち行けよ!」
「だから……変な事って一体何なんや? 怪我の具合を診るだけやて言うとるやろ」
 少年が目を覚ましてから、かなりの時間がたっている。さっきからもう、小一時間はこのやり取りが続いている。
 小さな子供というのは、こうもヒステリックで不安定なものなんだろうか。
 親戚の中でも一番歳が小さかった荒汰は、元々あまり小さな子供と接した経験がなく、突然現れた小さな客人をどうもてなせばいいものか、完全に手詰まりの状態になってしまっていたのだった。
和希(あのボケ)――面倒な事は全部俺に押し付けよって」
 薄情な友人は、今し方“長丁場になりそうだから着替えを取りに行く”と言いながら、そそくさと部屋を出て行ってしまった。姿形は子供であるとはいえ、少年が得体の知れない存在である事は間違いない。そんな存在と、一般人である早乙女を接触させる機会を増やすのはなるべく避けたい所だったが、仮にも命を救おうとした自分達への、少年のこの態度は予想外である。彼をおとなしくさせる事が出来るならば、まさに早乙女どころか猫の手も借りたい状況だった。
 既に時刻は朝の六時。昨日から一睡もしていない。元々早乙女と徹夜するつもりではいたけれど、一晩遊び呆けて起きているのとは、使う体力の質が全く違う。何より、遊んでいたとすれば、今頃からきっと夢の中だったに違いない。
「ちゅうか、頼むから静かにしてくれ! 引っ越してきてすぐ追い出されたら、それこそかなわん!」
「嫌だ嫌だ嫌だっ! 僕はわかってるんだ、お前がオンミョウジとかいう変な奴だって事!」
「なに?」
 少年の言葉に、荒汰は全身が総毛立つのを感じていた。
 最早相手を“子供”と扱う余裕は無くなっていて、気が付けば荒汰は、無意識に少年に対する敵意を剥き出しにしてしまっていたのだった。
 反射的に少年との距離を詰めた荒汰は、半べそを掻いている少年の茶色い髪を何の躊躇もなく掴み、無理矢理に視線を合わせて少年を見据えた。
「お前は(あやかし)のモンか? 何で俺が陰陽師やと分かった?」
「ぼ、僕は――お前そっくりのオンミョウジに、散々酷い事をされたんだ」
「俺そっくりの――?」
 まさか、それは――
 思い当たる節なら、ある。
 この少年が普通の存在ではない事を考えれば、自分の見た目云々についてそのオンミョウジと“似ている”と言っているわけではなさそうだ。おそらくそれはもっと本質的なもの――例えば、この身に宿る霊気のような。
 霊気の性質は、同業者であれば似通ったものになるケースもごくまれにあるが、遺伝による要因に最も影響されやすく、直系である家族間ともなれば、瓜二つの性質を備えている事が多い。
「まさか、親父……?」
 狼狽した荒汰は、その言葉を心の中だけにとどめておくことが出来なかった。
 荒汰が表情を曇らせ、体の力を抜くのと同時に、少年はベッドの上に尻餅をついていた。
「そうか、やっぱり――」
 がくりとうなだれた荒汰を見た少年は、ただ不可解そうに顔をしかめて見つめてくるばかりで、それ以上の言葉を発しようとはしなかった。
「すまん。すまんかった――許してくれ」
 少年の側に膝をついた荒汰は、膝の上の拳を固く握り締め、深々と頭を下げた。
 先程の短いやり取りと、少年の発するこの奇妙な霊気。考えれば考えるほど、それは深くかかわり合い、一つの事実に向かって集約しているような気がした。
 この少年はおそらく、父のかかわる謎の組織の一員なのだろう。異形の中にも見たことの無い、この世の摂理を無視したような不自然な霊気は、おそらく彼が組織によって人工的に生み出された存在であるからと見て間違いはなさそうだ。
 彼は父と思しき人物に“酷い事をされた”と言った。それが真実なのだとすれば、父のしている事とは一体何なのだろう。
「お兄ちゃん、泣いてるの?」
 少年の言葉に我に返った荒汰は、頬を伝う涙の存在に全く気が付いていなかった。
 慌ててそれを拭っても、心配そうにこちらを見つめる少年の表情は変わらない。
「お兄ちゃんは、あのおじさんとは違うんだね。てっきり仲間なんだと思って、同じ事されるんじゃないかと思ったから……」
 俯いた少年は、今にも泣き出しそうに瞳を潤ませ、身をすくめていた。
 こんな事ではいけない。こんな小さな少年に心の内を悟られるようでは。
 荒汰は、気を抜けばこみ上げてきそうになる涙をグッと堪え、白い歯を見せて無理に微笑んだ。
「ええんや、しゃーない。お前はそれだけ怖い目に遭わされたんやから、しゃーないんや。それよりもう大丈夫や、兄ちゃんが絶対に護ったるさかい」
「ホント?」
 かつて兄がしてくれたように、荒汰は少年の柔らかい髪をふわりと撫でていた。
 猫のように目を細め、少年は嬉しそうに微笑んだ。
「ところで、俺の名前は篠崎荒汰や。さっきまでおったもう一人は、早乙女和希。お前は?」
「僕は“カイ”だよ。名字はわかんないけど――」
 すっかり素直になった“カイ”と名乗る少年が途端に愛おしくなり、荒汰はわざと力を込めてわしゃわしゃとカイの頭を引っ掻き回していた。
「カイか。よっしゃよっしゃ! カイ、お前は今日からここを自分のウチやと思て暮らしたらええからな。何か困った事があったらいつでも言えよ」
「うん!」
 ニコニコと幸せそうに微笑んだカイを高々と抱き上げた荒汰は、カイをベッドの淵に座り直させると、再びポンポンと頭を叩き、せわしなく瞬きを繰り返しながらこちらを見つめる少年ににっこりと笑いかけた。
「お前、腹減ってへんか? こう見えても俺、料理はめっちゃ得意やねんで」
「お腹空いた! 実はあの時僕の能力(ちから)でお兄ちゃん達を引き止めたの、お腹が空いて死にそうだったからなんだ」
「え?」
 彼の言う“あの時”とは、昨晩マンションの近くで道に迷っていた時の事だろうか。何らかの力が働いて、奇妙な空間に迷い込んだような気がしていたが、まさかそれが彼の空腹による救難信号だったとは――意外な所に彼のあどけなさを垣間見たようで、荒汰は何だか笑いが込み上げてくるような気がしていた。
「お前、怪我より空腹の方が気になるんか。どんだけ食い意地張ったガキやねん」
「ぼ、僕はガキじゃないもん」
 静かな部屋に、少年の腹の虫の騒ぐ音がこだましている。久しぶりに大笑いした荒汰は、恥ずかしそうに腹部を擦るカイに手を振ると、軽快な足取りでキッチンへと向かっていた。

「それにしても、すっかり元気になったもんだなあ」
 荒汰の膝の上にちょこんと座ったカイをまじまじと見つめつつ、早乙女は満足そうに何度も頷いていた。
 早乙女はカイの様子を見るためという口実もあり、ここのところほぼ毎日荒汰の家に居候している。自分の生業を隠し通さなければならないという立場上、荒汰は今まで特定の友人を作らないように意識してきたのだが、今まで自分を支えてくれた家族との離別に順応できていないためか、誰かが側に居てくれる事の安息に味を占めてしまった自分がいる。自らの決意が揺らいでしまっていることに危機感を感じつつも、生まれて初めての平和な毎日に充足感を覚えていたのだった。
「ていうか、すっかりお前に懐いてるし。何かこうして見ると兄弟みたいだよな。全然似てねーけど」
「そうか? まあ実際俺、兄貴とはこれくらい歳離れてんねんけどな」
 宝石のような蒼い瞳をぱちくりとさせ、カイは不思議そうに荒汰と早乙女の二人を見つめていた。
「あ、何? お前ついにピアスホール空けたのか? 子供の前でそういう事すんなよな。真似したらどーすんだよ」
「そんなもん個人の自由やろ。コイツが空けたいって言うなら、俺は口出しするつもりはないぞ。なー、カイ?」
 オクターブ上の上げ調子で、荒汰はニコニコとカイに笑いかけた。話が通じていないのか、カイはただ瞬きを繰り返し、首を傾げるばかりだった。
「うわ……気持ち悪ぃなぁ、お前。何か兄弟ってよりは凄ぇ親馬鹿の父親みたいだぞ。お前もしかして子供が出来たらこんなふうになるんじゃ……」
「やかましわ、誰が親馬鹿やねん」
 両目を据わらせ、苦笑いする友人を睨む事に気を取られた荒汰は、カイの小さな手が耳元に伸ばされた事に気付くのが遅れていた。
「痛たたたたたっ! こらカイ、引っ張るな!」
「だって痛そうなんだもん、これ」
 薄っすらと涙を浮かべた荒汰が思わずカイにゲンコツをお見舞いしようとしたときには既に、悪戯っぽく微笑んだカイは、素早く正面の早乙女の膝の上に移動した後だった。
「なあ荒汰、穴空けんのってどうだった? あんま痛くねーんなら俺も空けよっかなあ」
「痛いわけあるか、こんなもん。どーっちゅう事ないわ」
 ふんぞり返って腕を組んだ荒汰は、ニヤリと不敵に微笑んだ。その数段意地悪そうな笑みを浮かべた早乙女は、膝の上のカイを後ろから抱きすくめ、ちらりとあどけない横顔を覗き見た。
「だってさ、カイ。実際はどうだったんだ? アイツ、痛がってなかったか?」
「すごく痛そうだったよ。顔全部が痛い気がするって泣いてたもん。“三つも空けるんやなかった~”って」
「カイ! 黙っとけ言うたやろ、アホ!」
 恥ずかしさで顔を真っ赤にした荒汰は、腹を抱えて笑い転げる早乙女を直視することが出来なくなっていた。代わりに馬鹿正直な同居人を睨んでみるが、彼は目の前のスナック菓子の袋の中身を貪る事に夢中になっていて、こちらを気にする様子もない。
「だけど、こんな小さな子供を虐待するなんて、一体どんな親だよ――俺ん家みたいな放ったらかしもどうかと思うけど、ホントに酷ぇ話だよな」
 カイと一緒になって袋を物色しながら、早乙女は溜め息をついていた。その表情には薄っすらとではあるが、沸々と湧き起こる怒りの色が見える。
「え? あ、ああ――」
 早乙女の話を聞いた荒汰は、我に返っていた。長く一緒にいるせいか、時々忘れそうになってしまうが、早乙女は飽くまで一般人だ。きっと彼だけではなく、一般人の常識の範疇で照らし合わせれば、カイは親に見離され、虐待される毎日から逃げ出してきた子供だという認識が最もしっくり来るのだろう。間違っても、カイの本当の素性や生い立ちを話すわけにはいかない。
 しかし、このまま彼の正体を隠し通す事などできるのだろうか?
 いや――やらなければならない、絶対に。それが誰のためでなくとも、絶対に。
 昨日突き刺したばかりのピアスを弄びながら、無邪気にスナック菓子を頬張るカイを見つめる。まだ傷口でしかないそこがズキズキと鈍い痛みを放つ度に、荒汰は自分の背負うものの大きさを再認識出来るような気がしていた。
「にしても、コイツほんとによく食うよなあ。意識戻ってから、殆ど何か食ってるとこしか見たことねーぞ? 育ち盛りだから、こんなもんか?」
「やっぱ、お前もそう思うか?」
 それは荒汰も気になっているところだった。カイはとにかく、暇さえあれば“お腹空いた”の連発で、荒汰の作る食事をどれだけたくさんたいらげても、すぐにまた空腹感を訴えてくる。荒汰の何倍も小さなこの体のどこにその食べ物を閉まっておく場所があるのかと、いい加減本気で不安になってきているところであった。
「お前、前からこんなに食う奴なんか? そのわりには随分細っちい体しとるけど」
「そんなことないよ。前は食べる代わりに薬を飲んでたから」
「薬? 薬って、お前持病でもあんのかよ?」
 早乙女の言葉に、荒汰は迂闊な事を口にしてしまったと思った。カイには一応の口止めはしてあるものの、精神的には幼い子供そのものであるせいか、“荒汰は特殊な立場の人間だが、早乙女はそうではない”ということが何を意味するのか、あまりはっきりと理解していないように思える。放っておけば、例の“組織”での常人には理解し難い実体験について、うっかり口を滑らせてしまうかもしれない。
 いざとなれば子供の妄想の一点張りで片付けようと心に決めていたものの、荒汰はとにかく話題の転換のため、脳をフル稼動させて作戦を練ることにしていた。
「おいおい和希、飲んだら食べんでも済む薬って、相当ヤバい薬やぞ? ガキの話をそんな真面目に受け取んなって」
「ホントだもん!」
 しかし、すぐに自分の考えは浅はかであったと思い知らされる。やはり子供の行動は予測がつかない。荒汰の言い回しが気に食わなかったのか、カイは大きくかぶりを振って立ち上がっていた。
「僕、前はちゃんと毎日薬を飲んでたんだもん! それを飲んでればお腹も空かないし、イライラだって――あれ?」
 カイの表情が一気に無機質なものへと変化する。彼の目の前には自分が座っているはずなのに、その瞳には何も映っていないように見える。
 だとすればカイには今、何が見えているのか。それを想像するだけで、背筋の凍るような悪寒が走るのは何故なのだろう。
「わかったわかった。それで、お前は何の薬を飲んでたんだよ?」
 一人その戦慄を感じ取っていない者が居る。“一般人”の早乙女である。
 その質問は最悪だ。
 荒汰がそう気づいた時にはもう、全てが終わりを告げた後だった。
「え――?」
 声を発したのが自分だったのか、早乙女だったのかはもうわからなかった。
 肉が潰れ、骨の折れる耳障りな音が響く。それは、全てを否定したくなるような、鮮やかで残酷な音だった。
「う、ウソだろ――?」
 向かいに居た早乙女はすっかりへたり込んでいた。床には先程カイが一心不乱に貪っていたスナック菓子の袋が、だらしなく中身を撒き散らしながら転がっている。
 彼の見開かれた双眸が捉えていたのは、荒汰の懐に飛び込んだカイの姿。突き出された左腕は、荒汰の右鎖骨のすぐ下に埋もれてしまっている。カイは手遊びでもするかのように呑気にブラブラと手を動かしているらしい。荒汰の体を貫いているカイの腕の筋肉の細かい動きは振動となり、傷口から全身へ、じわじわと波紋のように伝わっていく。
「カイ、お前は……」
 数瞬遅れて、荒汰の全身を激しい痛みが貫いていた。喉の奥から湧き上がってくる血の塊が、口元を伝って出て行くのがわかる。
「思い出しちゃった、僕が飲んでた薬のこと。あれはね、僕が毎日食べないと生きていけない、ある生き物から作った薬なんだよ」
 カイの纏う霊気の質が明らかに変質し、著しく一定の方向に傾倒してしまっている。先程まで彼の体に同居していた清浄な霊気は跡形もなく消え去り、そこに残っているのはドス黒く禍々しい霊気のみであった。
 腕が引き抜かれるのと同時に前のめりに倒れそうになった荒汰は、激しい痛みに耐えながら体を起こし、無邪気に笑う少年の顔を鋭く見据えていた。
「その生き物が何だか、教えてほしい? 僕が毎日食べなきゃいけないものが何だったか、教えてほしい?」
 カイの蒼い瞳には、闇が宿っている。返り血を浴びながらも天使のように穏やかに微笑むカイは、真っ赤に染まった腕に舌を這わせ、後ろを振り返った。
「答えは、“ニンゲン”だよ」
 カイの振り返った先にうずくまっているのは早乙女だ。おそらく次のカイの目標は、彼に違いない。
 早乙女は、驚きとも、恐れともつかないような表情を浮かべてこちらを見つめているばかり。彼には目の前の光景の意味するものが何なのか、全く理解出来ていないのだろう。
 追い込まれた荒汰の脳内の情報処理速度は、常人の何倍もの速さに活性化していた。
 怪我の度合いを考えれば、あの二人の間に割って入って盾になるには到底間に合わない。
 これ以上のダメージを受けたとすれば、そもそも巻き返せる自信がない。
 それならば、今自分が一歩も動かずに出来る事を考えなくてはならない。
 アイツの精神を無理矢理支配して、コントロールする?
 それは果たして、通用するのか?
 アイツの精神が、容易く入り込めないほど複雑な構造をしていたら?
 最も単純で確実な方法はもう、一つしかない。
 今すぐアイツを殺すしかない。
 アイツを殺すしかない。
 殺すしか――
「うあああああああぁぁぁっ!」
 雄叫びとともに、荒汰は自らに潜んだ全てのエネルギーを叩き起こし、具現化させていた。
 無数の(つぶて)となった霊気は、逆巻く怒涛のごとく急進し、目標である少年の体を包み込んでいた。真っ白い光に包まれたカイは、声をあげる余裕すら与えられる事なく、人を模した赤い土の塊のようなものに姿を変えていた。
 部屋を覆い隠していた光の洪水が鎮まり、平穏が戻る。荒汰の目の前には、ドロドロした粘土質の塊と、衝撃に吹き飛ばされ、壁に寄りかかった状態で意識を失った早乙女が居た。
 力任せに放出した霊気の影響なのか、先程カイに貫かれた傷口はすっかり塞がっていたが、激しい倦怠感で全身が鉛のように重くなってしまっている。
「和希!」
 しかし、今そんなことを気に掛けている場合ではない。ぐったりした友人の下へ一目散に駆け寄ると、荒汰は恐る恐る早乙女の胸に耳を当てていた。
 早乙女の心臓は、規則正しいリズムを刻んでいる。荒汰の双肩に圧し掛かっていた見えない重圧が、一気にどこかへ吹き飛んでいくのを感じていた。
「和希、すまん――俺とかかわったせいや。俺の力で全部綺麗さっぱり忘れさしたるさかい……俺と一緒やった、ここ数日の記憶も全部や。金輪際、お前は俺と深くかかわるな」
 眠るように目を閉じたままの早乙女の肩に軽く額を乗せ、荒汰は唇を噛み締めた。
 陰陽師として生きる自分の人生には、様々な危険が付き纏う。巻き込みたくないからこそ、荒汰は以前の早乙女のように、距離を置いた付き合いの出来る友人しか作った事がなかった。深くかかわれば、自分自身の運命が相手を不幸にしてしまうと、頭ではわかっていたはずなのに。
 静かに目を閉じ、荒汰は早乙女の無意識に語りかけていた。荒汰の体から次々と淡い光が生まれては、早乙女の体に吸い込まれていき、それまで苦悶を描いていた早乙女の表情が徐々に柔らかみを帯びていく。
 全てが終わった時、後悔で胸いっぱいになった荒汰とは裏腹に、彼の表情は穏やかな夢に包まれているかのように安らかであった。
 イヤ、ダ――タスケテ――
 呆けていた荒汰の意識に、直接語りかける声がある。
 ハッとして振り返った荒汰の後ろに落ちていた泥の塊のようなものが、命を吹き込まれたようにもぞもぞと蠢いている。早乙女を庇うように身構えた荒汰は、その異様な光景に息を呑んだ。
 眼前の赤い泥の塊から細長い何かが飛び出し、こちらに向かって伸びてくる。
 オニイチャン――
 人の姿をしていなくとも、それが何であるのかはすぐに予想が出来た。
 カイが助けを求めてこちらに手を伸ばしている。そして、頭に響いているのは、今にも消え行かんとするカイの魂の叫びだ。
 ドウシテ――?
 脳裏を支配していたカイの微笑む姿が、光に包まれて消える。
 刹那、カイの腕が石のように固まったかと思うと、一気にひび割れ、崩れ去っていく。瞬く間にそれは再び物言わぬただの土へと姿を変えていた。
 溢れ出す涙の存在に気が付いたとき、荒汰は全てを理解していた。
 ああ、俺はまた、護る事ができなかったのだ、と。
「くそ、何が陰陽師や、何が次期当主や――くそっ! くそぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 静寂を支配していたのは、止め処なく撒き散らされた、彼の慟哭のみであった。

 あれから一年の月日が流れた今。
 護れなかった小さな命と、一時の充足感を求めた事で傷つけてしまった友人の心。自らに打ち込んだ楔は五つに増えていた。
 雨が近いのだろうか。湿った強風が、擦れ合うような甲高い悲鳴をあげながら、荒汰の衣服を激しくはためかせている。真っ白なマンションの屋上に佇んだ荒汰は、足元に広がった赤い水溜りを見下ろし、ぼんやりと呟いていた。
「今日はもう一個、増やさなあかんなぁ――ピアスホール」
 それは、誰かを護れなかったからではない。
 同じ過ちを二度と繰り返さないと、誓いを立てるための楔だ。
 奇しくも季節はあの時と同じ、春。春の夜というのは、やはり例年通り少々肌寒い。
「何や、あの時より随分でかくなっとるみたいやないか」
 片膝を立ててしゃがみ込み、血溜まりの中に横たわる見慣れた人影を見つめ、荒汰は苦笑していた。
「おかえり、カイ。腹減ってへんか?」
 





《ギルティ・ディペンダンス第一部番外編 redemption to him・完》
以上で、第一部のエピソードが全て揃い、本当の意味で“ギルティ・ディペンダンス第一部”は完結致しました!

ここまでご愛読くださった読者の皆様、本当にありがとうございました。
本編とは違った雰囲気(で書いたつもり)の番外編はいかがでしたでしょうか?
番外編には続編への布石をたくさん散りばめて書いたつもりなので、あれこれと続きを想像しながら読んでいただけていたら嬉しいです!

これからしばらくは、挿絵を増やしたり、他の作品を執筆する事(まずは加筆からですかねー;)に力を入れますが、来月か再来月くらいにはまた、戒たちの物語をお届けできたらいいなと思っています。
是非是非またお会いしましょう!
そして、出来ましたら他の作品でもお会い出来たら幸せです♪
これからも拙作をよろしくお願い致します!!


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