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扉絵:番外編遊び要素その弐。かぐや姫に扮する戒と、帝に扮する蓮条。

挿絵(By みてみん)
chapter1:fanatic love
#∞ anniversary of the establishment-3
「ちょっ――マジでヤバくね? お前、放送コードギリギリだぞ?」
 戒が長い長い下準備を終え、舞台袖に戻ってきた時、皆が一様に腹を抱えて笑っていた。
 あの朴念仁を絵に描いたような蓮条ですらその衝動には抗えないようである。背中を向けて顔を隠してはいるものの、その表情は信じられないほどに緩やかになっているようだ。
「じゃかぁしゃぁぁ! 俺かて人前でこんなカッコするぐらいやったら、潔く昨日の不良に土下座でもした方がマシじゃっ!」
 くどいくらいにパステルカラーを散りばめた、華やかな天女の服を纏った荒汰は、およそそんな格好には似つかわしくない関西弁丸出しの罵声を撒き散らし、中指を立てて憤慨している。彼の顔が激しく紅潮しているのは、果たして羞恥からくるものなのか、怒りからくるものなのか。
「あらまあ、こんな事になるのでしたら、せめて月の使者は男性だという設定になされば良かったのに。これではあまりに篠崎様がお可哀想ですわ」
 戒の手を引きながら一緒に舞台袖へとやってきた蓮条家の使用人の桜澤も、やはり着物の裾で口元を隠しながら笑っていた。腹を抱えて床を転げまわっている早乙女とは違い、遠慮がちにではあるが。
 男やもめの男子校に何故桜澤が居るのかと言えば、それは簡単な事である。男だけでは出来そうもない着付けやメイクを担当して貰うため、戒に頼み込まれて仕方なく蓮条が連れて来ていたのであった。
「え……ちょっと待てよ、お前神代か?」
 早乙女の一声に、自分が皆の視線を急激に一点収束させてしまった事に気付く。しかし、当の本人に大したリアクションは無い。
 桜澤に手を引かれ、ふらふらとおぼつかない足取りで立っていた戒は、既に疲れ切っていた。疲れ切っていて、声を出すのも億劫だった。
 今日はまだ夜が明けきらない早朝に突然迎えに来た蓮条に叩き起こされ、信じられないくらい早い時間に学校へとやって来た。それだけでも戒にとっては重労働だというのに、学校に着いたと思ったら、何時間もかけて着付けやメイクを施された。その間戒はただ椅子に座っていただけだったのだが、それだけの事でここまでの疲労状態に追い込まれるとは、予想もつかない事だった。
 桜澤が、何て可愛いのかしら、それならこのメイクもきっと似合うはず……やっぱり可愛い、じゃあこれも! などと独りで盛り上がっている所に無理矢理付き合わされたというのもあるが、何よりもこの衣装――十二単というのは、驚くほど重量がある。着物一枚一枚に大した重さはないのだが、これでもかというくらい何枚も何枚も衣服を重ね合わせるのだ。おまけに衣服の裾も何故そこまでする必要があるのかというくらい異様に長く、走り回るどころか、まっすぐ歩くことすらろくに出来そうもない。昔の貴族階級の日本女性達は、当たり前のようにこんなものを着こなしていたというのだから、さぞかし皆が皆屈強な体だったのだろうと思えてならない。
「お前もいろんな意味でヤバい……リアクション出来ないくらい可愛い。とくにその流し目」
 戒にとってはただ目を動かす事すら億劫で、それを態度に表しただけのことだったのだが、早乙女――いや、彼を始めとする一同は、皆言葉も忘れ、憑かれたように口をぽかんと開けてこちらを見ていた。
「戒――やっぱりお前はメチャメチャ可愛い。な? 誠ちゃんもそう思うやろ?」
「え――あ、ああ」
 荒汰に至っては目に涙をためて、まるで神々しいものでも拝むかのようにうっとりと両手を合わせてこちらを見つめている。言葉少なげに俯いている蓮条も荒汰の馴れ馴れしい呼び名に反応しないところを見ると、それなりに何かを感じているのかもしれない。
 桜澤から荒汰に施されたメイクを最初に見たときは正直自分も今からあんな風にされてしまうのかと不安に思ったものだが、自分に施されたメイクはそういった類のものではないらしい。普段から友達として普通に接しているクラスメート達に異質の視線を向けられると言うのは、面倒臭い気持ちのする反面、心の奥をくすぐられるような奇妙な心地にもなっていた。
「本当にお綺麗ですわね、殿方にしておくのは勿体無いくらい」
 いたずらっぽい視線を投げ、桜澤はクスリと笑っていた。
 桜澤はもちろん、戒が女である事は知っている。事情を知っている上で着付けを頼めるのは彼女しか居ないと思ったから、戒は彼女に着付けを任せたのだ。
 蓮条の話によれば、桜澤は戒が自分の着付けの担当を任せたがっていると聞いたとき、大喜びしていたらしい。しかし、前から神代様には女性らしい着物を着せたりメイクを施して差し上げたいと思っておりましたの、などと、少しこの状況を面白がっているような節があったとの事で、蓮条自身は連れて来るのをためらっていたらしい。せっかく張り切ってくれているのに、そこまで嫌がらなくてもいいのではないかと思ったのだが、長時間彼女と一緒に居ると、何となく蓮条の気持ちが分かってくるような気がしていた。
 メイクをしている間中、彼女は、誠獅郎坊ちゃまの私服は私が見立てているんですの、お坊ちゃまはスタイルが良くていらっしゃるから、何でもお似合いになって……などと蓮条の自慢話ばかりしていた。最初はまるで蓮条の家族みたいな人だな、などと微笑ましく、それと同時に羨ましく思っていたのだが、小さい頃はあんなにガッチリした体型ではなかったため、よく女の子の服を着せて遊んでいたとか、寝顔を隠し撮りして、他の使用人に見せて遊んでいたとか、話が妙な方向にずれて行くとともに、何となく戒はその矛先が自分に向きはしないかと焦っていたのである。
 そしてその予想は、皮肉なまでに見事に的中していた。最早すっかり桜澤の“遊び道具”と化していた戒は、今のスタイルに至るまでに、ことごとく遠回りをさせられてきたのだ。明らかに和装に相応しいとは思えないメイクを施されたり、今のように長い髪のカツラを被れば見えなくなってしまうのをいい事に、散々ヘアスタイルを弄られたり。
「桜澤――お前、あまり調子に乗るなよ」
「あら、坊ちゃま。私も限度はしっかり心得ておりますわ」
 蓮条も、彼女が相手ではなかなか強く言えない節があるらしい。蓮条の着物の着崩れを直しながらあっけらかんと答えた桜澤に、彼はただ呆れ顔で嘆息を漏らす以外に策を講じる余裕はないようだった。
「俺、最初桜澤さんの事、蓮条のお姉さんなのかと思ってました!」
 キラキラと瞳を輝かせた早乙女が桜澤を見る視線には、憧れにも似た色が宿っている。
「早乙女様、私と坊ちゃまでは、姉弟と言うには少々過ぎるくらいの歳の差がありますのよ。かと言って親子というほどでも無いのですけれど」
 周りとは違い幾分落ち着きのある、簡素な“さぬきのみやつこ”の衣装に身を包んだ早乙女の襟を丁寧に直し、桜澤は静かに微笑んでいた。彼女の微笑みに倍掛けで比例して、早乙女の笑顔が締まりの無いものへと変わっていく。
「おい、和希。お前の今の顔、逮捕スレスレやぞ」
「何言ってんだ。大人の女性の良さも分からんガキは帰れ、このオカマ!」
「誰がオカマやねん!」
 キーキーと喚きながらもみ合っている二人の発する騒音をかき消すかのように、開幕のブザーが鳴り響いた。
 どうせ誰も真面目に観てはいないんだ。
 やや煩わしくなってくるほどに躍り始めた心臓を落ち着かせようと言い聞かせ、戒はゆっくり舞台へと歩み出た。

「私はあの輝く月に住まう者――夜空に浮かぶこの月が満月を迎えたら、私は故郷に帰らなければならないのです」
 なかなかどうして、それは自分には向いている気がしていた。
 普段の自分にあまり個性というものが無い事は重々理解している。
 その無個性な自分が他の個性的な誰かを演じるという事にここまで快感を覚えるとは、考えてもみない事であった。
 物語が佳境に入り、大方がら空きだろうと考えていた体育館が予想外に満員御礼と言っても過言ではない状態にまでなったのは、戒が舞台袖にやってくるまでの間、桜澤によってこれ見よがしに学校中を引き摺り回されたからではないのだろうか、などと考える。
 重い衣装を引き摺りながら、あの女の子は誰なんだ、と騒ぐ生徒達の脇を通り抜けてきたことを何となく思い返す。
 あの女の子、か――
 女らしくお洒落をする事になど今まで全く興味の無かった自分に、まさかこんな機会が巡ってくる事になろうとは。普段は男子校に通う男子高校生として振る舞っている事もあり、こんな日は将来的に絶対訪れる事などないと思っていたのに。
 そういえば、大切だったあの人は、命を落とす寸前に自分の着飾った姿を見てみたいと言っていた。
 今自分が最も大切だと思っている荒汰の前で、こんな特殊な格好では無く、普通の女の子のように着飾ってみたとしたら、彼は一体どんな反応をするのだろう。
「姫……私にとって貴女は、この闇夜を照らす月の光そのもの。貴女の居ない世界で生きる意味など、何処にありましょうか」
 着物の裾からほんの少しだけはみ出た戒の手をそっと握り、真剣な眼差しを向けて超至近距離で自分を見下ろしているのは、帝に扮した蓮条だ。手汗でびっしょりになった掌がやけに冷たい。観客席から観れば恐らく気付かれないのだろうが、彼の顔に滲み出た汗の量は半端なものではない。舞台上は強力な照明が焚かれているせいか蒸し暑い事は確かだが、彼の汗は確実に暑さによるものではなさそうだ。
 蓮条の性格を考えれば、その心情も容易く予想できるものではあったのだが、戒は今や、悲劇のヒロインである“かぐや姫”になりきってしまっている。戒の迫真の演技は留まる所を知らず、いつの間にか自然と蓮条との距離を詰めてしまっていた。
「陛下――お気持ちは嬉しゅうございます。しかし、定められた運命には、決して逆らう事など出来はしないのです」
 ぽろりと自然に涙が頬を伝い、それを見た蓮条の顔色が、貧血を起こしそうなくらい蒼ざめたものに変わる。
 しかし戒の心の中は、演じる事に対しての高揚感でいっぱいになってしまっている。その後に発生するであろう様々な弊害も気にする事無く、戒は蓮条の広い胸に体重を預けていた。
「く、く、く、神代――リハーサルと段取りが違いすぎるだろう?」
 蓮条が声を殺して何やらぶつぶつと言っているが、その声は彼の爆音のような心臓の鼓動に掻き消され、殆ど聞こえなかった。
 ふと、舞台袖からうっとりとこちらを眺める桜澤と目が合う。その横には、何故か天女の羽衣の裾をギリギリと悔しそうに噛み、煮えたぎる様な怒りの視線を送っている荒汰が居る。戒にとっては二人ともが何を考えているのかよく理解出来なかったのだが、我に返ったときには、全てが遅かったようだった。
 慌てて彼を引きとめようとする早乙女を押し退け、舞台袖から仁王のような表情の荒汰がズカズカと歩み寄ってくる。まるで本当の逢引きの現場を見られたかのように、反射的に身を寄せ合った蓮条と戒を見て、荒汰はより一層勢い付いて歩みを速めた。目を丸くして驚愕する蓮条を指差し、一喝する。
「おいコラァ! そこのビビり過ぎのヘタレ帝! イチャついとらんと、さっさと姫をこっちへよこさんかい!」
 観客席に大きなどよめきが起こる。それもそのはず、今まで忠実に原作をなぞるように物語を展開させてきたのだから、当然の話ではないだろうか。荒汰の出番は、まだまだ先も先――物語のクライマックスのみのはずである。
「何だと?」
 ビビリ。ヘタレ。彼の心証を限りなく悪くするような暴言ばかりを吐いた荒汰に、蓮条は今までの緊張も忘れ、激昂していた。腰に差した刀――もちろん模造品(レプリカ)には間違いないのだが、恐らく反射的な行動なのだろう――に手を掛け、蓮条はそれを迷う事無く引き抜いていた。
「私のどこがビビリでヘタレだ! 地球外生命体の分際で、生意気な事を言うな! 姫は絶対に渡さんぞ、フザけた扮装をしおって!」
「好きでこんな格好しとるんとちゃうわ、この色ボケっ! 小心者っ!」
「き、貴様――言わせておけばっ!」
 それは、いきり立った蓮条が後先考えず私闘を始めるには充分な言葉だったようだ。
 躍るように駆け出した蓮条が、木刀を塗装しただけの模造刀を振り上げるのと同時、荒汰は近くにあった竹を模したセットの一部――材質は不明だが、妙に堅いもので出来ているようだ――を引き抜くと、蓮条の一閃を受け止めていた。
 竹のようなものは蓮条とのインパクトで発生した衝撃を余す事無く荒汰の全身に伝わらせたようで、それを投げ捨て、痛みを四散させるかのように痺れる両手をヒラヒラと振った荒汰は、更に大声を張り上げて蓮条を挑発していた。
「丸腰の相手に、本気で刀振り下ろすんか? 大した器の帝さんやなあ!」
 荒汰の胸元から白い光が漏れる。何だあれ、凄え特殊効果じゃねーか、などという観客席からの声を大人しく聞いている場合ではない。
 戒は思わず間に入ろうと飛び出したかったのだが、全身に重くのしかかる衣装が邪魔をして体が言う事を聞かない。それでも無理に走り出そうとした戒は、見事に着物の裾を踏みつけ、磨き上げられた舞台の床と、顔面から衝突する羽目になっていた。
 最早戒の動きを拘束する枷でしかなくなっていた十二単という布の塊の中でもがきながら、戒は何とか身を起こす。
 しかし、起きなければ良かったとすぐに思った。
 荒汰の放った歯車のような霊気の塊が、素早くそれをかわした蓮条のすぐ脇から、こちらに向かって疾走してきたのである。
「うわぁっ!」
 間一髪のところでそれを避ける戒。しかし、自身の体の一部ではないカツラの事までは計算に入れる余裕などなく、疾走する歯車は、戒の被っていた長い黒髪のカツラを巻き込みながら弧を描き、ブーメランのように旋回しながら、桜澤の足元に突き刺さっていた。
 それを見てもあまり怯んだ様子を見せなかった桜澤に、戒は必死に視線で助けを求めたのだが、桜澤はただひたすらに、一人の女性を巡って争う二人の殿方……絵になりますわぁ、などとブツブツ言いながら、攻防を繰り広げる荒汰と蓮条の二人に魅入られている。当然の事ながら、両目をしばたたかせて呆気に取られている早乙女も、こちらに気付く様子すらない。
「あんなゴロつきのような輩に何の抵抗も出来ないのは、日頃の鍛錬が足らんからだ!」
「ヤンキーやろが何やろが、相手が女っちゅうだけで小動物みたいに震えとるお前なんかに言われる筋合いないんじゃ、カス!」
 倒壊するセット、落下する照明、巻き起こる煙、埃。恐らくもう観客席からの視界はゼロに近いのだろう。しかし戒には、粉塵の中で相争う二人の姿が確実に見て取れる。
 せっかく心から気持ち良く演じていたのに、せっかく打ち込めそうな何かを見つけたというのに。
 何もかもをぶち壊しにされた気分になった戒は、怒りに任せ、高らかに叫び声を上げていた。
「お前ら――いい加減にしろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 驚愕する“殿方”二人に青白い電撃が襲い掛かるとともに、バチバチと耳鳴りのような轟音を上げ、全ての照明が暗転していた。
 それは数々の不運に導かれた幸運と捉えるべきなのか、それとも――

「痛い、痛い、痛いっ!」
「うるさいなぁ、自業自得なんだからおとなしくしてろよ」
 今思えば、もう少しくらいは優しくしてやれたような気もする。最後の包帯を締める手に少し力がこもったのは、やりすぎた彼に与えた罰のつもりだったのかもしれない。
 寝室のベッドに腰掛けた満身創痍の荒汰の様子を見れば、残りのゴールデンウィークが彼の怪我を治すためだけに費やされるのは、火を見るよりも明らかだった。元々アウトドアが嫌いな戒にとっては、願ってもない幸運であったのだが。
 学園の体育館を著しく崩壊させたあの事件の後、創立祭の二日目は強制的に幕引きせざるを得なくなった。大成功に終わった一日目に対し、二日目はこれ以上ないくらいの大失敗だ。
 結局、体育館を破壊したのは荒汰の放った霊気だという事実が根拠として認められるはずもなく、根本的な原因は体育館の老朽化であるという事で片がつけられた。体育館内は崩壊によって起こった粉塵による分厚い霧のような煙が発生していたせいで、観客席からは殆ど何も見えなかったらしい。これは紛れも無く不幸中の幸いだった。唯一荒汰が霊気を放つ瞬間を目撃してしまった早乙女には、戒が持てる知識を駆使し、こじつけのように難しい言葉を並べ立て、どのようなトリックを使ってそれを行ったのかを論じてみせたところ、彼は初めて目にする珍しい玩具を買い与えられた幼い子供のように純粋にはしゃぎながら、戒に向かって賞賛の言葉を口にしていた。
「お前、早乙女が馬鹿じゃなかったら今頃ヤバかったぞ」
「そ、そうや。アイツが馬鹿な事でこないに助けられる事があるとは」
 事の発端となったのが荒汰であることには間違いないが、戒自身も怒りに任せて冷静さを忘れ、危ない橋の上に喜び勇んで飛び出していった事実は否定できない。二人は昼間の出来事を思い返し、安堵に打ち震えていた。
「だけど、何であんな事したんだ? いつも冷静なお前が、いきなりあんな事するなんて――」
「あんな事って!」
 荒汰の放った大声に驚いた戒は、手にしていた残り物の包帯を思わず落としてしまっていた。
「な、何だよ」
 過ぎた事を蒸し返すような発言をした事は分かっていたが、戒は荒汰を怒らせるつもりで言ったのではなかった。それなのに、荒汰は眉をひそめ、声を荒げて自分の言葉を遮った。戒が不可解さを宿した表情で見つめると、荒汰は気まずそうに目を逸らし、頬を掻いた。
「お前と蓮条がホンマの恋人同士みたいに見えて、ムカついたんや」
「はぁ?」
 相手の発言に間髪を入れず、戒はさらに不可解さを強めて荒汰を見た。湧き起こる疑問に、眉間に刻まれた皺の数が飛躍的に増え、その表情はもはや睨んでいると言っても過言ではない。
「何言ってるんだ、お前」
「あのな……普通、聞くか? そこ聞くとこなんか?」
「だから、全然意味が――」
 言葉が途切れたのは、戒の顔が強制的に荒汰の胸に押し付けられたからだった。
 酸欠の苦しさに耐え兼ねた戒が、うなり声をあげながら荒汰の背中を叩いて救援信号を送ると、その力は僅かにほころびを見せた。その隙をついて体を捻らせ、ようやく酸素にありつけた戒だったが、荒汰の顔がすぐ側まで迫っていることに気が付くと、そこにありありと存在するはずの酸素が、途端に供給出来なくなってしまっていた。
「蓮条は、あいつはきっと、お前が――」
 単純にその言葉の先が気になった戒は、ただ黙って、視界一杯に広がった荒汰の顔をじっと見つめていた。
 しかし、荒汰の方はそういうわけにはいかなかったようで、我に返ってハッと目を見張ったのと同時に、顔中を耳の先まで真っ赤に染め、抱き寄せた戒から突然手を離し、布団に潜り込んでしまった。
「え? 何なんだ? お前本当に何が言いたかったんだ?」
 一人取り残された気分になった戒は、いくら揺さぶっても布団の中から出ようとしない荒汰に痺れを切らし、その障壁を無理に引っ剥がそうとする。しかし、布の裂けるような音が聞こえた事で、手に込めた力を仕方なく緩めていた。
 正攻法ではおそらく彼という砦を陥落させるのは難しいのだろう。あっさりと諦めた戒は何となく、昼間考えていた事を荒汰に話してみる気になっていた。面と向かって言うのは躊躇われる気がしたので、荒汰の表情が布団で隠れて見えない今なら、さらりと言える気がしたのである。
「あのさ、荒汰。俺が普通の女の子みたいなカッコしたら、似合うと思うか? ああいう着物とか変わったのじゃなくて、もっとこう、普通の」
 それまで完全に難攻不落の城塞と化していた布団がいとも容易く剥がされ、荒汰は物凄い勢いで起き上がっていた。
「それ、本気で言うとるんか?」
 未だにその顔色にいつもより少し紅い色味を残したまま、荒汰はいつに無く真剣な眼差しで戒を見つめていた。
「本気で、っていうか――何となく気になっただけだ」
 軽い気持ちで言ってみただけだというのに、ここまで期待感のこもった視線をぶつけられると、どうしたらいいのかわからない。
「ちゅうか、俺は本気であってほしいと思ってんねんけど」
 いつもならとっくに、荒汰の方から根をあげて目を逸らしている頃だ。しかし今日はどうも違うようだった。
 俺は、何でこんな事を――?
 我に返ると、急に荒汰と視線を合わせていることに耐えられなくなり、戒は思わず俯いた。
「じゃあ、約束な。このゴールデンウィークは、可愛いワンピース着て、俺とデートや」
 途端に荒汰の表情が優しくなり、いつも通りの余裕の笑みが戻る。
 この明らかな形勢逆転劇はきっと、自分が視線を逸らしてしまったから起きたに違いない。言葉を交わさなくてもその勝敗が明確に決した時点で、イニシアチブを取られてしまったのだ。
 悔しくなった戒は、極力平静を装いながら、目を据わらせて荒汰を見返した。
「休みが明けきるまでに、その怪我が治ったらな。たぶん蓮条みたいな能力でもなけりゃ、無理だと思うけど」
「何言うてんねん、こんなかすり傷、痛くも痒くもな――」
 満面の笑みを浮かべて息巻く荒汰の背中に、無表情の戒が少し強めの平手をお見舞いする。
 すると途端に笑顔の仮面はひび割れ、痛みに耐え兼ね大粒の涙を流す荒汰の素顔が露わになっていた。
「お、お前――俺は怪我人やぞ。もっと労わらんかい!」
「ほら、やっぱり無理だ」
 着飾った戒の姿はきっと、荒汰にとってはとても新鮮なものだと写るのだろう。しかし、いくら外見を着飾ったとしても、それで自分の内面がすっかり変わってしまうような事は決してない。そもそも、荒汰にとっての自分の価値は、そんな事で揺らぐものではないだろう。
 だとしたら、たぶんこのままがいい。このままでいい。
 たとえどんな姿をしていようとも、彼はきっと自分の内面だけを見つめ続けてくれるから。
 堪えきれなくなったものが一気にこみ上げ、戒は白い歯を見せて大きく笑った。

 その後、二人のゴールデンウィークがどんな軌跡を辿ったのか。
 それを知り得る事が出来たのは、まさにこの二人を除いては居なかったのである。






《ギルティ・ディペンダンス第一部番外編 anniversary of the establishment・完》
遊び感覚で描いてみた四コマ漫画。
ありきたりなネタすみません(汗)

挿絵(By みてみん)


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