※この章は残酷描写が多数あります。苦手な方はご注意ください。
※未成年の喫煙は法律で禁止されています。
chapter1:fanatic love
#7 guilty depend"a"nce-2
あまりの事に、戒は状況が飲み込めずにいた。
「なあ荒汰、さっきは一体何が起きたんだ?」
「んー?」
大気が塊となって二人の体に激しくぶつかっている。あまりの強さに、息苦しささえ感じられるほどだ。いくら世間が春の行楽シーズン真っ只中で、このところ急激に気温が高くなってきているとしても、こんな所に居たのではその恩恵を受ける事など到底出来はしないだろう。ここは荒汰のマンションの高さを遥かに凌ぐ空の上だ。
二人は全長三メートルはあろうかという、巨大な金色の鳥の上に居た。
「瑛時はどうなったんだ? 全然わかんないんだけど」
「まぁ、順を追って説明したるさかい、ちょっと待っとけ。おい、カルラ! もうちょっと急げ!」
“カルラ”と呼ばれたこの金色の鳥は、荒汰の呼び出した式神だ。本人の話によれば、先程戒を助けた折鶴の鳥と同じ存在らしく、荒汰の望む大きさを取る事が出来るらしい。暴風になびき、パタパタと頬を打つシャツの襟を鬱陶しそうに押さえ、荒汰はこちらを振り返った。
「戒、この札絶対無くさんように持っとけよ」
荒汰が差し出したのは、戒には全く読解不可の達筆な文字の書かれた一枚の札だった。
神社で売られているものに似ているような気がするが、たった一つ違うのは、その札から発せられている存在感だ。ただの紙切れであるにもかかわらず、手に取るだけで鳥肌の立つような、禍々しい波動を発している。
「これは?」
数分前の記憶を思い返す。
紅流と対峙した荒汰が何やら不可解な言葉を発したのと同時に、紅流の体は一瞬にしてまばゆい光に包まれた。仕掛けられた紅流はもちろんの事、目の前で起こる出来事を何一つ理解出来なかった戒までもがあっけに取られてその光景に魅入っていた。気が付いたときには再び自分の体は荒汰によって抱え上げられていて、どこかから飛び降りたような感覚の後、一瞬にして光の洪水は消え失せた。無重力感に包まれた戒が思わず身をすくめた瞬間、いつの間にか自分達の足元がこの鳥に変わっていたのだ。
「それがお探しの紅流や」
「この札が?」
「そう。持ち運びしやすいように、その札に一時的に封じたんや。便利やろ?」
「そんな事もできるのか……」
しげしげと札を見つめる戒。しかし、何か胸騒ぎがする。
「人間もこないにコンパクトに持ち運べたら便利やねんけど、残念ながらこの術が通じるのは“妖”のモンだけや」
「妖の者?」
激しい向かい風が荒汰の金色の髪を揺さぶっている。彼はいつに無く真剣な眼差しで前方を見据えていた。
「アイツは人間やない。蓮条に負わせたあの火傷、空間を操る能力、アイツから発せられとる霊気の性質、その全てから考えられるのは、アイツがこの国で太古から“鬼”と称されとるものに近いっちゅう事や。鬼を含め妖のモンっちゅうのは、俺達陰陽師が大昔からずっと対立を繰り返しとる、宿敵みたいな存在や。陰陽師は、そいつらを始末するために存在すると考えても間違いやない」
「鬼って御伽話に出てくる、あの角の生えた鬼か?」
荒汰の言葉に、心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。
自分は紅流と同じ存在のはずである。つまり荒汰は、自分の正体について語っているのも同然なのではないか。
戒は表面上平静を装ってはいたものの、早鐘のように高鳴っていく心音を荒汰に悟られはしないかと、内心動揺していた。
「そうやな。いろんな解釈があるけど、俺は強い怨念・欲望・嫉妬心なんかを持った人間が、その負の気にあてられて自分の魂を禍々しいものに変質させてしまった結果に生まれるのが、鬼なんやと解釈しとる。せやけど、あいつは何かが違う……人間の精神と、もっと別の禍々しい魂を、無理矢理同じ入れモンの中に突っ込んであるような――」
荒汰はおそらく、感覚的に理解している。紅流の中に秘められた、苦悩と狂気の二面性を。しかし、自分は? 荒汰の目に、自分はどのように写っているのだろう。紅流の様に、忌むべきものだとは写っていないのだろうか。
「じゃあ、俺は――」
荒汰には、自分の生み出された経緯など、生い立ちについての最も根底となるような部分については詳しく話していない。偶発的に夢の内容を覗かれた事はあったが、自分に特別な関係を持った人間がいるという事以外はほぼ全て話してある状態だった。荒汰が別段問い質して来たりしないというのもあるが、自分がどのように生成され、本質的には何であるかなどとは、恐ろしくて話す気にも、ましてや考える気にもなれなかったのだ。
「ていうか、何でマンションから出たんだ? 俺を床に置いた時、完全に“ここは俺がやるからお前は休んでろ”みたいな空気だったじゃないか」
だいたい予想はついていたのだが、戒は敢えて答えの分かっている質問を投げかけた。
「ああいう感じに空気作っとかんと、紅流の隙を突く事なんか出来へんやろ」
「それ、不意打ちって事か……」
「はぁ? その言い方は無いで、ホンマ!」
荒汰の反応も予想通りであった。うまく会話に乗ってきてくれた事で、彼の紅流という鬼についての見解から話題を逸らす事に成功した戒は、ほっと胸を撫で下ろしていた。今ほど荒汰のノリの良さに助けられた事はないと思った。
「あのなぁ、お前。俺が刀振り回しとる相手と一対一であんな狭い場所で戦える思うんか? 近付かれたら、ズバズバッと斬られて仕舞いや」
「その独鈷杵って、殴るための武器じゃないのか? 一応両端が尖ってるみたいだけど」
「こんな短い棒切れで、日本刀に勝てるか!」
それはそうだろう。これは荒汰の霊的なコンセントレーションを高めるための道具だったような気がする。それも分かりきっていたが、戒の表情は一瞬にしてほころんでいた。
思えば、荒汰が何かと“戦っている”姿など今まで一度も見た事がない。裏を返せば、向こうも同じなのだろうが。
「じゃあ、今からどこに行くつもりなんだ?」
「話しとる間に、もう着いてもうたわ。ほれ、あそこや」
荒汰が指差したのは、高いフェンスで囲まれた広大なグラウンドだ。その横には巨大なコの字型の建造物がある。そこは紛れもなく、数日振りに見た神楽坂学園高校だった。
「あのグラウンドなら気兼ねなく走り回れるっちゅう事や」
金色の鳥がゆっくりとホバリングを始める。校庭に着地するまでの間に少しも土埃を舞い上げなかった事は、この鳥が霊的な存在である事を改めて強調しているかのようであった。式神の鳥は、先刻と同じく高く鳴き声をあげると、たちまちのうちに霞のように掻き消えてしまった。
「現実の空間の学校も、今はこんな感じに静まり返ってるのかな」
戒は目をこらして見慣れたグラウンドを一望してみた。やはりここにも人影は全く無いようだ。土の上に消石灰の粉で引かれたラインを足でぼやかしながら、戒はちらりと荒汰を見た。
「かもなぁ。まあ管理者の何人かは詰めてきとるかもしれんけど。戒、札を渡してくれ」
言われた通りにずっと強く握っていた札を荒汰に渡そうと差し出した時、戒は驚愕していた。
「何だこれ……」
先程まで真っ白だった札は、紙の真ん中の辺りから赤い液体が滲み出してきている。それはまさに流血のようで、紅流の燃え盛る怨念を表しているかのようであった。
「まずい、あんまり時間が無いな。たぶんこの札が完全に真っ赤になったら、封印の効力が消えてまう」
戒の手からその禍々しい様相の札を抜き取ると、荒汰はそれを地面に置き、数歩後退った。
「お前も離れとけ。いつ出てくるかわからんぞ」
深く頷いて戒がその後を追う。蓮条の薄緑を抜き放ち、戒は遠慮がちに鞘を地面に転がした。
薄緑を触ったのは初めてだったのだが、戒の手にはしっくり来るような気がしていた。その微かに漂う荘厳な空気は、何故だか懐かしいような気さえする。
「あ、そうや……戒。アイツが出てくる前に話しとかなあかん事がある。アイツの空間を操る能力の事やけど」
「何だ?」
体に込めた力を少しだけ緩め、戒は荒汰に視線を向けた。
「俺はここに来る時、陰陽術を使って空間を渡ってきたんや。入れ替わった空間には見えへん壁みたいなもんがあって、お互いの他の空間には絶対に侵入出来へんようになっとったから、俺はそれを無理矢理こじ開けてこっちにやって来た」
そう言って荒汰は足元に落ちていた木の枝を拾い上げ、地面を見つめながらその場にしゃがみ込んだ。何となく戒もそれに倣い、刀の重みを肩に預ける格好で、一緒に地面にしゃがみ込んでいた。これがもしコンビニの前だったら事だな、などと何故だかどうでもいい事が浮かんでくる。
「蓮条の話によればアイツの能力は“自分を中心とした任意のエリアを一部、現実そっくりやけど人が誰もおらん亜空間と入れ替える能力”やったはずや。“任意の人間を一緒に連れてくる事が出来る”とも言うとった」
「あいつ、俺には“どこまで逃げても誰も居ない世界が広がってる”とか言ってたぞ?」
「それは方便っちゅうもんやな。蓮条には楽々勝てる自信があったけど、お前には苦戦すると思ったから、逃げられんようにカマかけたっちゅうとこやろ。実際今みたいに相当デカい範囲を入れ替える事が出来るみたいやから、ほぼそれに近い事は出来ると思うんやけどな。まぁとにかく、実際俺が現実の世界とこの亜空間の境目の壁が出来とったのを見たさかい、アイツの能力は“人の移送”とは違う“空間の反転”の能力やっちゅう事は間違いない」
「それがどうかしたのか?」
荒汰の言葉を聞いても、戒にはまだピンと来ない。しかし、荒汰は怯む事無く講釈を続けた。
「この能力が“任意の対象を自分と一緒に強制的に亜空間に転送する”能力やったら、もっと使い勝手が良かったかもしれん。せやけど、これは“空間ごと入れ替える能力”なんや。問題はそこやねん」
手にしていた木の枝で、荒汰は地面に図形を描きながらゆっくりと話す。
「ピースの形は全く同じやけど、片方は全面白、もう片方は全面黒のジグソーパズルがあるとする。白は現実世界、黒は誰もおらん亜空間や。紅流は自分の立ち位置と連結した白のピースを、同じだけ黒のピースと入れ替える事が出来る。試しに一つ入れ替えてみるとするで? 白いこのピースの上に居る紅流が、足場を黒いピースと入れ替える」
言いながら荒汰は、上に“紅流”と書かれた白いピースと黒いピースの間に、反転を表わす矢印を書き記した。
「あ……そうか。“好きな対象を連れて来れる”って言うのは語弊があるな。実際は空間だけが入れ替わって、紅流と対象者だけがこっちに残る形になるのか。要するに、要らない人間は全部空間ごと向こうに押しやってる事になるんだな」
「そういう事や。でもそれを考えたら、もともと白いピースの上に乗っとった、関係ない人間はどうなる? 一瞬入れ替わっただけなら全く気付かんかもしれんけど、そのうち自分の空間がおかしくなっとる事に気付いて、騒ぎ始めるはずや。現実世界に戻されたとしても、変な体験をしたっちゅうて騒ぐかもしれん。それなら最初から別空間に押し込むなんちゅう事はせず、全員殺すっちゅう手もあるけど、そんな事しとったら、一人を殺す為だけにどれだけの人間を殺さなあかんと思う? すぐに大騒ぎや」
荒汰の説明はいつも分かりやすい例えを出してくれるせいか、理路整然としていて頭に入りやすい。
「だからこの能力は使いやすいようで、物凄く使い勝手が悪いんや」
洞察にも優れていて頭の回転も速いと思うのだが、如何せん学校の成績は中の中といった所でそれほど良くはないのは何故なのだろう。
半分程説明を聞いた所で荒汰の真意を既に汲み取ることが出来ていた戒は、説明の半分を全く関係のない考え事に費やしてしまっていた。
「ど、どうしたんや? わかりにくいか?」
瞬きもせずぼんやりとグラウンドに描かれた図形を見つめている戒の前に、荒汰はヒラヒラと手を泳がせていた。
「いや――荒汰って頭いいのに何で成績普通なんだろうと思って」
「今そんな事関係ないやろ、お前。学校の成績なんか赤点やなかったら何でもええんや。職業柄目立つのがイヤやさかい、調整しとるだけや。アホな奴に陰陽師は勤まらん」
「ふーん。でも俺、お前の言う事を聞いてれば何でもうまく行く気がして、何か安心できるんだよな」
そう言われてほんのり頬を赤く染めた荒汰は、まんざらでもないどころかかなり嬉しそうだ。仕切り直しとでも言いた気に、荒汰は短く咳払いをしていた。
「と、とにかくやな――この能力の一番有効な使い方は使用時間、空間反転させる範囲を最低限に済ませる事や。今までアイツはそうしてコソコソやって来たんやろうけど、今回アイツは後先考えずに馬鹿でかい面積を空間反転させとる。これはお前を狙う事がアイツの最終目的っちゅう事と、後一つは――わかるな?」
「早いとこ元に戻さないと、街がパニック状態になるって事か」
「そういう事や」
満足気にニッコリ微笑むと、荒汰は木の枝を後方に放り投げた。
刹那、渦巻きながら土埃が舞い上がり、やけに生暖かい熱を孕んだ風が二人の間を吹き抜けた。
生温い風の中心には、滴り落ちるほど真っ赤な血に染まったあの札が落ちている。
「来るか――」
独鈷所を取り出し、荒汰は低く腰を落としていた。
「荒汰、指示してくれ。俺はお前の言った通りに戦う」
輝く刀身を翻し、戒も目標を見据えていた。
「ホントはカッコ良く立ち回りたいねんけどなぁ。防御は俺に任せて、お前は全力でアイツをねじ伏せる事だけ考えろ」
「わかった、極力お前には近寄らせないようにする」
突如、札の落ちている辺りから火柱が上がる。火柱の中心にあった札は黒煙をあげて一瞬にして燃え尽き、やがてその炎は渦巻く風に飲まれ、まるで蛇のようにうねりながら上空へと昇っていった。
無風となったその場所には、怒り狂った形相の紅流が立っていた。
「随分手荒な真似をしてくれるじゃないか。陰陽師ってのはホント、小細工が大好きな連中ばっかりなんだねえ」
肩で息を切らし、苦痛に顔を歪めながらも尚、紅流は笑っていた。
「こいつが、蓮条の言うとった紅流の本当の姿か。まさに御伽話の鬼そのものやないか」
そこに居たのは、紅流であって紅流ではない生き物のように思えた。赤い色の肌、無造作に伸びた髪、異常なまでにギラギラした碧色の瞳。そして、額から生えた長い二本の角の様なもの。右手には未だ、奪われたままの戒の刀が握られている。
最も印象的なのは、その声質だ。元の紅流の艶のある甘い声とは違い、聞く者に畏怖の念を抱かせるような、淀んだ声音。この声は間違いなく、あの不気味な電話の主と同じものであった。
「こ、これが、鬼?」
先程まで紅流が発していた殺気も半端なものではなかったのだが、完全に元の姿を取り戻した紅流の発するそれは、もはや比較の対象に無いほど、別次元のものであるような気がしていた。
思わずたじろぎそうになっていた戒の肩に、そっと手を乗せたのは荒汰だった。
「戒、やれるな? 何があっても俺が全力で守ったるさかい、お前は全力で突っ込め。いくらでも策はある」
荒汰は、冷や汗一つ流す事無く不敵に笑っていた。その瞳は淀みの一つも無くまっすぐに目の前の敵を捉えている。彼の余裕の笑みが、戒に大きな勇気を与えている事は間違いなかった。
「よし――行くぞ」
「いつでもオッケーや」
踏みしめた大地の表面が、靴底と擦れてザラついた音を立てる。目標に向かって正面から斬り込んだ戒は、迷う事無く紅流の頚動脈辺りを狙い、袈裟懸けに一気に薙ぎ払っていた。
「おっと」
すんでの所でその初太刀を交わした紅流は、返す斬り上げも軽々と交わし、続いて大きな跳躍と共に振り下ろされた一閃を戒の刀で受け止めた。
「スピードと技のキレはいい線行ってるけど、君はやっぱり女の子だよね。腕力が足りないかなぁ」
鍔迫り合いをしながら、余裕の表情で笑う紅流。一方の戒は、地面にめり込んでしまうのではないかというくらい、懇親の力を込めて紅流を押し返そうとしている。ギリギリと奥歯の軋む音が頭に響き、全身の筋肉という筋肉が悲鳴をあげているのが分かる。
「戒! 横に飛び退け!」
後方からの怒鳴り声が戒の両耳の鼓膜を大きく震わせていた。言うが早いか、ありったけの力を込めて紅流を押し返した戒は、声の指示通りそのまま真横に転がり、すぐさま片膝をついて身を起こしていた。
激しく動き回る中で荒汰の姿を捉えるのは至難の業だったが、くるくるとせわしなく回転する視界の端に見えたのは、弓に矢をつがえるようなポーズで金色の霊気の塊を纏いつかせた荒汰だった。戒が身を起こした時には既に、その矢は勢い良く放たれた後で、完全にガラ空きになった紅流の真正面に、まさに接触しようとしている所だった。
「う……ああああああっ!」
霊気の塊が見事に命中し、その衝撃が紅流の体を大きく跳ね上げていた。地面を激しく転がりながらも体勢を立て直した紅流は、手にした刀を杖代わりによろめきながら立ち上がると、燃える様な瞳で荒汰を睨み付け、激昂していた。
「この……忌々しい陰陽師が! お前から殺してやる!」
「させるか!」
荒汰に敵を近付けてはいけない! 考えるより先に、戒は再び大地を蹴っていた。
視界にあるのは、刀を持つ紅流の右手のみ。目標目掛けて一気に駆け出した戒は、遠心力に任せてすくい上げるように下から上へと刀を振り切り、再び豪快に紅流の腕を跳ね飛ばしていた。激しく縦に回転しながら飛んでいった紅流の肘から上の前腕は、刀を握り締めたまま戒の遥か後方へと飛んで行き、やがてグラウンドのフェンスに激突したところでドサリと音を立てて転がった。
「ああもう……鬱陶しい奴らだなあ」
紅流の腕の切断面からドクドクと流れているのは、青紫色の液体だ。あれは人間で言うところの血液なのだろうか。
残った方の手を首元に当て、ゴキゴキと鳴らす。
「チョロチョロ動いて面倒だから、格闘は止めよっと」
「え――」
「戒、下がれ!」
声が聞こえたときにはもう遅かった。紅流のゴワついた長い髪がふわりと浮き上がったかと思うと、紅流の体から、高熱を帯びた爆風が溢れた。
耳をつんざくような轟音が鳴り響き、大地が震撼し、爆風の重みに耐え切れなくなった地面が一瞬にして陥没する。まさにその爆心地に立っていた戒は、受身を取ることも出来ずに、その熱波の洗礼を浴びせられていた。
光に包まれる。何も聞こえない、何も見えない。しかし、これだけはわかる。
戒の両足は、確かに零す事無く自重を支え、しっかりと地面についている。あれだけの爆風を受けたにもかかわらず、である。
「へぇ、やるねぇ。咄嗟の判断にしちゃ上出来じゃない? まあ、明らかに助ける相手を間違えてるとは思うけど」
光の向こうに立っていたのは高笑いをあげる紅流だ。相変わらず血液のようなものが腕からボタボタと滴っているのだが、そんな事は気にした様子も無い。
「アレなーんだ。君の大事なモノでしょ?」
おどけた様子で言った紅流の指差した先を恐る恐る振り返る。
戒の双眸が捉えたのは、焼け焦げて廃墟と化した学園と、火傷を負って倒れた、親友の変わり果てた姿だった。
「こ、荒汰ぁっ!」
動揺した戒は、刀を放り出し、髪を振り乱しながら荒汰の元へと駆け寄った。
「おっと、そうはさせないよ」
目にも止まらぬスピードで戒を追い抜いた紅流は、虫の息の荒汰の胸倉を片腕で易々と掴みあげると、絶望に表情を歪ませた戒を嘲るように見つめていた。
「は、離せ……このボケ鬼が」
「あれ、まだ生きてたんだ? 陰陽師なんて体力は普通の人間並みなんだと思ってたけど、意外とタフなんだねえ」
激しく咳き込みながら呻いた荒汰の胸倉を掴む手に力を込める。もはや荒汰にはそれに抵抗する手立てなど、残されてはいないようだった。力なくうなだれた荒汰は、喘ぐ様に不規則な呼吸を繰り返し、ただ黙って紅流を睨んでいる。
「馬鹿だったねぇ。防御結界を張るなら、今のは絶対戒じゃなくて篠崎君自身の方が正解だったよ。離れてたから元々のダメージも少ないし、戒を見捨てたとしても、君なら何とか僕に勝てる可能性はあったかもしれないのに」
「え、瑛時……離してくれ、そいつを離してくれっ!」
「イヤだね」
凍るような笑みを浮かべ、懇願する戒に一瞥をくれた紅流は、短く言い放った。
「全くどいつもこいつも本当にムカつくなぁ。こんな奴のどこがいいわけ?」
聞かれた荒汰は喉をゼイゼイと鳴らし、激しく咳き込むばかりで、到底答えられそうも無い。
「ああ、熱で気道をやられちゃったのかな? 苦しいだろうねぇ。寝転がってれば多少はマシかな?」
面白く無さそうにため息をついた紅流は、荒汰の体を無造作に足元に投げ捨てた。
地面に転がった勢いで体を捻らせ仰向けになった荒汰が、今までの供給不足を補うように激しく息を切らせると、紅流は苛ついた様子で荒汰の肩を踏みつけていた。
「ねえ、答えてよ。こいつのどこがそんなにいいわけ?」
「ほんなもん、何でお前なんかに説明せなあかんねん……アイツの良さは、お前みたいな奴には死んでもわからん」
その瞬間、紅流の口元から笑みが消えた。荒汰を踏みつける足に力が込められ、荒汰はより一層息を詰まらせ、苦しそうに喘いだ。
「や、やめろっ! 瑛時、頼むからやめてくれ!」
頭を抱え、戒はがっくりと膝をついた。戒の精神を支配しているのは、果てしない絶望と底知れぬ恐怖。全身の震撼が止まらず、体に全く力が入らない。そんな戒を目の当たりにした紅流は、再び心の底から嬉しそうに笑った。
「あ、そうだ。ねえ篠崎君、戒が本当はどうやって生まれたか知ってる?」
紅流の言葉に、戒は弾かれたように顔を上げていた。
「な……何や、それ」
「あはは、知らないんだ? そりゃ教えられないよねえ。誰だって、信頼してる人に嫌われたら怖いもんね。じゃあ僕が教えてあげるよ」
「だ、駄目だ! やめてくれ!」
戒が振りかぶって喚くと、紅流は恍惚の表情で戒を見ながら、荒汰の首に手をかけた。驚愕した戒が喚くのを止めると、紅流は荒汰から手を離し、分かってるよね? とでも言いた気に首を傾げた。
「人間の生き血から生成した赤い土にクリスタルガラスの大きなフラスコ。そこに“ある生き物”の血液を注いで、待つ事半年。これ、何の作り方だと思う?」
「な……何の話や」
「君は知らないだろうねー、ちょっと日本の宗教観からは外れた思想から来てるものだし」
紅流の表情は、その場に漂う驚愕と絶望の感情に打ち震えているようにも見えた。
「正解は“ホムンクルス”だよ。分かりやすく言えば、人造人間かな」
荒汰は何も答えようとはしない。じっと空を見つめたまま、黙って紅流の話に耳を傾けている。
「戒が所属していたケルス製薬という会社は、表向きは一般的な製薬会社なんだけどね。その財力と科学力を使って、裏では強い“兵器”となるホムンクルスを製造し、商品としてそれを世界各地の戦場に送り出すという商売をやってるんだ。戒も僕もそのホムンクルスのうちの一人で、僕らは同じ材料で同じ時期に生み出された、言わば兄妹みたいな存在だったんだ」
戒の両目から大粒の涙がこぼれる。
もう、終わりだ。自分がどこから来たのか、自分が一体何であるのか。全部知られてしまったら、きっと荒汰は自分を受け入れてくれなくなる。荒汰はさっきも言っていたのだ。妖の者は大昔から陰陽師の一族とは相容れぬ存在であると。陰陽師とは本来、それを滅するために存在しているのだと。
「ところが生成当時、存在が不安定だった僕は、“成功例”である彼女とは違い、人の形を取ることが出来なかった。助けを求めてすがった僕を、あろうことかコイツは切り捨てて生き残ったんだ。その後、残骸の中から赤い土がサルベージされ、僕はまた再生成された」
荒汰に動く気配はない。勢い付いた紅流は、狂気を宿した両眼を爛々と輝かせて話し続けた。
「しかし僕は、何の能力も持たない人格と、鬼の力を持つ人格との、二つの人格を持って生まれてきた。しかもそれはせわしなく入れ替わって、僕はまたとても不安定だった。結果、僕を使えない“失敗例”だと判断したケルス製薬は、力を保つために必要だった“人間の組織から抽出した薬”を僕に与える事を止めた。アイツらは僕がその力を失う時まで、僕を幽閉することにしたんだよ」
「それで? 幽閉されたお前が、何でここにおるんや」
荒汰の言葉は、感情が失せたように機械的なものだった。全てに頓着のなくなったような無機質な声音が、深く戒の心を絞めつけた。
「一年前に戒が研究所から逃げ出したよね? あの時に僕も便乗して脱出させてもらったんだ。長い事幽閉されて衰弱してたから、どこをどうやって逃げ出したのかは詳しく思い出せないんだけど。とにかく僕は生きるために、少しずつ人を喰らって力を取り戻した」
「それで、復讐のためにここを探し当てたっちゅう事か」
「そうそう、最終目的はあのフザけた組織の壊滅だけど。まずは手始めに、僕の半身から始末してやろうかと思ってさ。力が戻ってきて、君達の気配を徐々に感じ取れるようになってきたときには本当に嬉しかったよ。でも、この街に来た途端に気配がよくわからなくなって、ちょっとてこずったんだよねぇ。まさか陰陽師が邪魔してるなんて思わないでしょ?」
すっかり話を終えた紅流は、良い成績を取ったから褒めて欲しい、とねだる子供のように、期待感いっぱいの無邪気な表情で荒汰を見た。
「ね、だからコイツは僕と同じ生き物なんだよ。人間じゃないからいつか理性がなくなって、僕みたいに人を喰らわなければ生きていけない日が来ると思うんだ。どうかな、それでもまだコイツに執着するって言える?」
荒汰はすぐには何も答えなかった。面倒臭そうにため息をつき、胸ポケットのあたりをゴソゴソと探る。
「確かに、戒が人間やないって聞いて、驚かんはずは無い。コイツが俺にそれをずっと隠しとった事も腹立ってしゃーないし、幻滅や」
「こ、うた――」
嗚咽に飲み込まれ、戒は殆ど声を発することが出来なかった。
「おい、紅流。最後なんや、煙草の一本くらい吸わせんかい。イライラしてしゃーないわ」
気が付くと、荒汰はいつの間にか胸ポケットから煙草のケースを取り出していた。
考えるような間があり、紅流は肩をすくめて荒汰を踏みつける足を引っ込めていた。
「おお、悪いな」
おもむろに煙草を咥えた荒汰は両眼を細め、煙草の先を手で覆い隠しながら、ライターの火を近づけた。
しばしの逡巡の後、火のついた煙草を口から離し、荒汰は紫煙をくゆらせた。
「あー……紅流、もう一つ頼みたい事があるんやけど」
「何だよ、面倒臭いな」
煙草の煙が嫌いなのか、紅流はしかめっ面を隠そうともせずに、荒汰の方を振り返った。
「カルラ! 来い!」
聞き覚えのあるその名に反応した戒は、思わず息を止め、顔を上げていた。
荒汰の手にした煙草が一瞬にして金色の炎に包まれ、燃え上がった炎が鳥の姿へと変わる。炎を纏ったカルラは、鋭い鳴き声とともに紅流の顔面目掛けて急降下していた。
「ぎゃあぁぁぁぁっ!」
カルラが目標と衝突した瞬間、紅流の体はたちまち金色の炎に包まれていた。さすがの紅流もこの事態は予測できなかったようで、驚嘆の叫び声をあげ、地面をのた打ち回る以外に術は無かった。
「ツメが甘いんじゃ。紙ならどんなモンでも式神に変えれる陰陽師の能力、舐めんな」
しばらくその光景を吸い寄せられるように見つめていた戒だったが、荒汰が苦しそうに咳き込んでいることに気付き、戒は先程の絶望感も忘れ慌てて走り寄っていた。
「荒汰、大丈夫か!」
傷に障らない様にと慎重に抱き起こす。何とか上半身を起こした荒汰は、肩を激しく起伏させ苦悶の表情を浮かべている。
次の瞬間、がら空きだった戒の後頭部に鈍い痛みが走っていた。驚いて振り返ると、そこにあったのは荒汰の力なく握られた拳だった。
「い、痛い……」
「アホかお前は、そんなに泣くな」
「だって……」
火傷を負っているせいか、荒汰の拳にこめられた力は、先程とは打って変わって弱々しかった。
それでもニッコリと苦笑いを浮かべた荒汰は、再び泣き出した戒の髪型をクシャクシャと乱していた。
「何があっても守るって言うたし、いくらでも策はあるって言うたやろ」
「荒汰……」
戒の頭から手を離した荒汰は、未だ燃え盛る炎と格闘している紅流を振り返った。
「せやけど、こっからはヤバい。ホンマにヤバい」
荒汰の顔から笑顔が消えたのを見て、戒も涙を拭いてそれに倣った。
「もう時間稼ぎは終わりや。あいつを殺すには、俺の術で完璧に封印するか、お前があの刀で首をはねるか、どっちかしか手がない」
荒汰が指差したのは、自分達から最も近い位置にある戒の刀だ。未だそれは紅流の切断された右手に握られたままである。
「ええか、俺は自分で何とかするさかい、お前は早くあれを取りに行け」
「そ、そんな!」
戒は激しくかぶりを振っていた。今の荒汰にそんな余力があるとは到底思えない。もしまだ煙草を持っていたとしても、同じ手が二度も通用するとは思えない。それどころか、あの炎が消えた瞬間、真っ先に怒りの矛先を向けられるのは荒汰だ。おそらく荒汰は、自分が注意を引き付けている間に、刀を拾いに行かせようとしているのだ。
「ええから、早よ行け! もう時間がないんやぞ!」
「それだけは絶対イヤだ!」
「あのさ、もう痴話喧嘩やめてもらっていい?」
予想より数段早く、くすぶる煙を纏い、体のあちこちが黒っぽくすすけた紅流が戻ってきていた。まだもう少し時間があると思い込んでいた二人は、驚愕に表情を歪ませ、紅流を見た。荒汰の上を行く酷い火傷を負った紅流の皮膚は、元々の肌の赤さに拍車がかかったような色をしていて、所々が熱で剥がれ落ち、筋組織が露出している。
「ムカつくんだよね、そういう馴れ合いみたいなの見てるとさ」
表情こそ無いが、紅流の殺気が倍増している事は一目瞭然だ。地獄から呼び出した死霊を侍らせているかのような禍々しい霊気は、ただ恐ろしいというだけでは片付けられないほど、如何とも形容し難いものだった。目を逸らせば一瞬にして命を奪われるイメージを思い描いてしまった戒は、言葉を発することすら出来ず、ただただ紅流が近付いてくる様子を固唾を呑んで見守る以外になかった。
「戒、君は本当にそれで幸せなの? いつか自分が僕のように血を求めて彷徨う鬼と化す日が来るかもしれないって、怯えながら生きているのがそんなに楽しいのかい? 昔の自分が犯してきた罪を、本当に全部忘れて生きていく事が出来るのかい? 自分に生きる意味があるって、本気で思ってるのかい?」
戒は答えに詰まっていた。禍々しい霊気に押さえ込まれてはいたが、紅流の言っている事は充分に理解が出来た。その上で、戒は答えを出す事が出来ずに迷っていたのだ。
「何を迷っとるんや。言い返したれ、戒!」
「荒汰?」
答えを返したのは荒汰だった。何か言いたい気持ちはある。しかし戒には、この場に相応しい言葉が浮かんでこないのであった。
「戒はお前みたいに自分の人生全部を悲観して、卑屈になったりせえへんのや。過去に過ちを犯したとしても、戒はそれを乗り越えて生きようとしとる。戒が自分に生きる意味があるとか無いとか考えようが、そんなもん俺には関係あらへん。戒が今ここに生きとるっちゅう事自体が、俺にとっての生きる意味なんや」
苦しそうに息を詰まらせながら、荒汰は紅流を見据えていた。
「くだらない――所詮君達のやっている事はただの馴れ合いだよ。現実を見る事もせず、何の解決も生み出さない。議論するだけ無駄だね」
「馴れ合いなんかじゃない!」
不思議と紅流の霊気など気にならなくなっている自分が居た。気が付くと、戒は立ち上がって紅流に詰め寄っていたのだった。形にならなかった言葉の一つ一つが、突如として一つに繋がっていくのが分かる。
「俺はあの研究所に居た時は、毎日がイヤでイヤで、死ぬ事ばっかり考えてた。でも今まで出逢った人達はみんな俺に、人と触れ合う事の喜びを教えてくれた! 過去の自分を思い返す事があっても、そこで俺がどんな過ちを犯してきたとしても、それでも生きたいって思わせてくれた! だから俺は生きたいんだ、絶対死にたくなんかない!」
周囲を覆っていた空気が、一気に軽くなるのを感じていた。
その重量感の変わり様と言ったら、ただ立っているだけでもバランスを崩しそうになるほどだ。
何が起きたのかと辺りを見回すが、何も分からない。動揺しながら紅流に視線を戻した時、そこには鬼の姿などではない、昨日までと同じ人の姿をした紅流が立っていたのだった。
「か、戒――」
昨夜と同じように頭を抱え、苦悶の表情を浮かべた紅流は、必死に何かを訴えようとしている。
間違いない、この気配は人間の人格の紅流だ。
「まさか、人間に戻ったんか?」
荒汰も驚きを隠せないでいる。
「戒、ポケットを……」
震える手で紅流が戒の履くカーゴパンツのポケットを指差している。慌てて探ると、そこには細長い鉄のケースが入っていた。こんなケースなど入れた覚えがない。しかし、どこかで見た事があるような――
手にとってそれをまじまじと見た戒は、見覚えのあるケースの刻印に驚愕していた。
「薔薇十字――」
ケースに刻まれていたのは、薔薇の花の絡みついた十字架のエンブレムだ。これは、ケルス製薬のホムンクルス開発研究チームのシンボルマークである。
過剰なまでに厳重包装された中身を夢中で取り出すと、それは真っ赤な液体の入った透明の入れ物と、密閉された注射器であった。
「何の薬品や? 何か血みたいな色やけど」
「瑛時、まさかこれは……」
冷や汗を滴らせ、紅流は苦笑していた。
「今朝目が覚める直前に、全部わかっちゃったんだ。夢の中に出てきたアイツが、もう苦しまなくていいからって、僕の人格を完全に支配しようとしてた。僕はわけがわからなくなって抵抗した。そしたらアイツの記憶が一気に流れ込んできて、起きた時に分かったんだ。アイツは君の事を殺そうとしてる。だから僕はそうなった時のためにって、これをリビングから持ち出そうとしたんだ。アイツを押さえ込みながらだったから自由が利かなくて、リビングで見つけた電話で君を呼ぼうとしたんだけど、アイツに邪魔されてうまくいかなくて。だからアイツと入れ替わる直前に、そのポケットがいっぱいついた服に入れさせてもらったんだよ」
紅流は突然膝から崩れ落ちて苦しみ始めた。今の紅流は片腕を落とされている上、全身に火傷を負った満身創痍の状態だ。普通の人間ならば、既に事切れていたとしてもおかしくはない。おそらく紅流が生きていられるのは、彼の体を支配している主人格が鬼の紅流であるからなのだろう。死の更に上を行く地獄のような苦しみに耐えながら、紅流は必死に戒に向かって呼びかけているのだ。
「たぶんこれを使わなきゃ、君はアイツには勝てない――時間が無い、僕が何とかアイツを抑えてる間に、早く!」
深く考える時間など、どう考えても無い。荒汰を救う方法は、これ以外に思いつかない。
意を決した戒は慣れた手つきで注射器を取り出し、真っ赤な液体で中を満たしていく。
「お、おい。その薬品大丈夫なんか?」
「ああ、大丈夫だ」
そして躊躇無くその針先を腕に刺し、ゆっくりと液体を注入する。
「この薬品は何度も使った事がある――戦地で、な」
「え?」
薬品を注入し終えると、戒は無造作に注射器を地面へと投げ捨てた。
体の奥が徐々に熱くなってくるのを感じる。自分が昔使っていたものと全く同じ薬品であるなら、即効性があるはずだ。
「こいつは“PS”って呼ばれてる薬品だ。効能は筋力、体力、集中力、知覚力の増強。それと恐怖心の喪失、闘争心の増強とか、個人差があっていろいろだ。もちろん副作用もあって、最悪の場合精神崩壊を起こしたりする。俺はまだ一度も無いけど」
細胞の一つ一つが変容を遂げていくような、とてもいい気分だ。
今まで聞こえなかった音、見えなかった遠くのものが、今は手に取るように分かる。
何か恐ろしいものを見るような目で荒汰が自分に視線を送っていたのが少々気にかかったが、そんなものは時が経つにつれ、気にならなくなっていた。
「荒汰。悪いけど、もし暴走するような事があったら俺を止めてくれ。たぶん荒汰の声なら届くはずだから」
全ての組織が変容を終えた感覚があった。ああ、懐かしい感覚だ。
誰にも負けない無敵の力を得た快感。しかしそれと同時に、何か大切なものを失ったかのような虚無感。空虚と化した心の穴を、見せかけの達成感と爽快感で埋めるには、斬って斬って斬りまくるしかない。
「さあ、いい加減ボコボコにされるのにも飽きた。そろそろ反撃と行こうか」
気が付けば戒は不敵に笑っていた。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。