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第80話

「シェ、シェリアスティーナ……本人、なのか」


 ミリファーレの後ろに控えていた反聖女派のメンバーが、細い声で呟いた。

 この暗がりと距離では彼らの表情までは窺うことはできなかったが、驚きに染まっているであろうことは想像に難くない。


 シェリアはもう一度ミリファーレに向き直った。

 すでに彼女の瞳に当惑の色は消え、代わりに燃えるような憎悪が浮かんでいた。――ああ、この瞳を以前にも見たことがある。アシュートと、沢で初めて出会った時の瞳だ。あの暗い森の中、彼は同じ瞳でシェリアを射抜いていた。


「ライナス殿! あなたがシェリアスティーナ様をお連れしたのですか!」

 アシュートはシェリアの後ろに控えていたライナスに向けて非難の声を上げた。

「このような場所に、一体なぜ!」

「もはや彼女の意思は止められないだろう」

 ライナスは動じず、静かに一言を返すのみだ。

「しかし」

 苦々しげな表情のまま、アシュートの視線がシェリアに戻った。


 あれから一年近い月日が流れた今、アシュートはこうして誰よりも自分の身を案じてくれている。少しずつ、ゆっくりと時間をかけて、彼とは分かりあうことができたけれど。

(ミリファーレさんを止めることは、できなかった)

 自分が特別な力を持っているわけではないことは知っている。全てが丸く収まるように立ち回れるなんて、自惚れてもいない。だが、ただ悲しかった。自分でなくても誰でもいいから、彼女たちを思いとどまらせる方法を見つけてほしかった。

(そんなことを今更願っても、仕方がないけど)

 シェリアは強く強く拳を握った。

(でも)

 止めることができなかったのならば。

 今すべきことを、しなければ。

(――まだ、諦めちゃいけないんだ)

 残された時間はほんのわずかだとしても、まだ自分は、シェリアスティーナとしてここに立つことを許されている。ならば、できることはきっとあるはずだ。


「お願い、どうか、剣を下ろして」

 シェリアはゆっくりと口を開いた。一言一言に全身全霊を込める。

「お願い」

「シェリア、いいからお前は下がれ!」

 状況を見かねたジークレストが動き、シェリアの肩に手を伸ばした。だが、シェリアは強い視線を投げかけその手を拒む。


「私がこの場に出てきて、どれだけ謝っても意味がないっていうことは分かってます。でも、安全な部屋でただ全てが終わるのを待っていたくなかった。ほんの少しでもなにかを変えられる可能性があるのなら、そのために動きたいと思ったの」

 それがどうしようもない綺麗事だとしても構わない。

「反聖女派の皆さん、お願いだから剣を捨ててください。私は聖女である限り、どんなに過去の過ちを後悔していても、あなた方に命を差し出すことはできない。命を以って償うことは許されないんです」

「そんなこと、とっくに承知してるのよ!」

 剣を握りしめたままのミリファーレが、悲痛な喚き声を上げた。

「聖女だろうが神の使いだろうが、関係ない。ただ私たちは、大切な人を絶望の果てに追いやった一人の女を許せないだけ。その女にどんな肩書がつくかなんて、どうでもいいの!」

「それでも!」

 シェリアも負けじと叫び返す。

「気持ちをどうか押し止めてほしいんです! だって、ミリファーレさんたちが承知してるのは、本当はもっと別のことでしょう? 感情のまま王宮を襲撃しても、聖女を手に掛けることはできないって分かってるはずだ。それでもいいって、復讐のために剣を掲げて死ねるなら、全てを終わりにできるなら構わないって考えてる!」

「だったらなんだって言うのよ!」


「そんなやり方、間違ってる!」


 シェリアの絶叫が通路中に響き渡った。ほとんど悲鳴に近い声だった。形容しがたい感情が身体中からほとばしり、全身が震え出しそうになる。

 ミリファーレは一瞬言葉を詰まらせたが、それでも引こうとはしなかった。

「……間違っていたって、構わないわ」

「ミリファーレさん、お願いだから、そんな風に考えないで。過去の過ちを赦してほしいわけじゃないの。私のこと、一生憎んだって構わない。でも、違う道があるはずだよ。こんな悲しい形じゃなくて、もっと違う戦い方があるって信じてほしいの」

「!」

 弾かれたように、ミリファーレが俯きかけた顔を上げる。

「……あなた……」


 その時だ。後方で様子を見ていた反聖女派の一人が、わずかに動いた。彼の懐から滑るように抜かれたナイフが、そのままの流れでシェリアの方へと投げられる。その一連の動きをシェリアは視界の端で捉えていたが、あまりに一瞬の出来事で、全く身体が動かなかった。


「危ない!」

 代わって動いたのは、すぐ側にいたアシュートである。

 金属同士のぶつかる甲高い音がシェリアの耳元をかすめた。アシュートの剣が、反聖女派のナイフを叩き落としたのだ。


「やりやがったっな! 反聖女派を全員捕らえろ!」

 ジークレストの怒号と共に、状況は一変した。

 反聖女派のメンバーと国の兵士たちが、狭く暗い通路の中でもみ合いになる。剣戟の響きが通路中を埋め尽くした。互いの手元にあったランプの灯りが激しく揺れ、光と影が入り乱れる。


「止めて!」

 シェリアの叫び声は、無情にもあっさりとかき消された。喧騒の中に飛び出そうとした腕をイーニアスに強く引かれ、彼とネイサンの間に挟まれるようにして守られる。

「離してっ、イーニアス!」

「離しません、どうかこのまま動かないでください!」

 こんなこと、絶対間違っているのに。

 どうして誰も分かってくれないの!!

「……お兄様は、やはりシェリアスティーナを守るのね。同じ苦しみを味わったはずなのに、私たちの道はこんなにも違ってしまった」

 ミリファーレは一人その場に立ちつくしていた。周りの状況が見えていないかのように、剣を持つ手をだらりと下ろす。

「どうして? どうして、お兄様は王宮に残ったの。シェリアスティーナの側にいるの」

「ミリファーレ」

 アシュートは再び彼女の名前を呼んだが、それ以上を口にすることはなかった。代わりにとでもいうように、ミリファーレがか細く言葉を繋げる。


「それが、お兄様の戦い方だから。――ねえ、そうなの?」


 アシュートがわずかに身体を揺らしたのが、シェリアには分かった。

 その言葉は――。


「そうなんでしょう、シェリアスティーナ」

 ミリファーレがすうっと視線をこちらに向けた。


「あなたの言葉だったはずだわ。私がその言葉を聞いた時、あなたは全く別の姿をしていたけれど」

「……」


「シェリアスティーナと呼びかけるのは間違っている? だって、あなたはシェリアスティーナじゃないんですものね。あの時私に名乗ったのを憶えているわ、……ユーナ、と」


 アシュート、そして彼女の言葉を聞いていたイーニアスやネイサンが、一斉にシェリアの方へ顔を向けた。シェリアは唇を噛みしめ、イーニアスの肩越しにミリファーレを見すえる。


「あの時は、現実とは思えない光景を見せつけられてもなお、あなたの言葉を信じきることはできなかった。でも今は、なぜかはっきりと分かったわ」

 ミリファーレはそこで言葉を切った。深く俯き、地面に視線を縫いとめる。

 ――駄目だ。

 唐突に、シェリアは思った。

 ざわりと背中を走るものがある。このままミリファーレを俯かせていてはいけない。彼女の顔を、上げさせなければ。


 その頃には、ジークレスト率いる兵士たちもようやく反聖女派を地に沈め始めていた。若干ではあるが、制圧に手こずっているのが見てとれる。それは恐らく兵士たちの装備のせいだ。通常装備の長剣を携えてきたのがあだになった。この狭く暗い通路の中では、長剣を振り回して戦うのは非常に難しいのだ。一方の反聖女派たちは、機動性を重視してか、全員が小型剣を手にしている。

 それに、シェリアの必死の声が兵士たちに躊躇を植え付けたのも間違いなかった。反聖女派を殺すことは、聖女の望むところではない。命までは奪ってはいけないと、彼らは考えずにはいられないのだろう。図らずも、シェリアの登場が彼らの足を引っ張る形になってしまった。


「シェリアスティーナ様、もはや我々にはどうしようもありません。ここを離れましょう」

 シェリアを庇う形のイーニアスが振り返った。しかしシェリアは頷けない。例え、この場に己がいること自体が仲間の足かせになっていると分かっていても。そして、無関係なイーニアスやネイサン達に、振りかかる火の粉を払わせていると分かっていても。

「イーニアス、ごめん」

 そんな陳腐な謝罪しかできない己が情けなかった。それでも、ここから逃げ出すわけにはいかない。


「ミリファーレさん、話を聞いて」

「……私、あの時あなたに会ってから、色んなことを考えたわ」

 ミリファーレは俯いたまま呟く。

「お兄様がなにを思って王宮に残ったのか。あの時のあなたの言葉を、何度も何度も頭の中で繰り返した」

「……」

 シェリア、そしてアシュートも動けない。喧騒の中でも、不思議なほどに彼女の声ははっきりと耳に届いた。

「お兄様の信じる道や、戦い方。確かにあなたの言う通り、私が簡単に切り捨てていいものじゃないのかもしれない。お兄様がその『道』を選ぶことは、身を切るような痛みを伴うものだったのかもしれないわ。――でも」

 ミリファーレの剣を握る右手に、強く力が入る。


「やっぱり、私は私の『道』を捨てられないのよ、今更」


「待って」

 気づけば、聖女派メンバーの中で、まだ戦える状態にあるのはミリファーレただ一人となっていた。自然と場の注目は全て彼女の動向へと向けられる。

 それすら意に介さぬ様子で彼女はゆっくりと顔を上げた。


(いけない)

 そう思った時には、シェリアはその場から駆け出していた。イーニアスの腕の下をかいくぐり、他の兵士たちの脇をすり抜け、一直線にミリファーレの元へ駆ける。


「だめっ!」

 ミリファーレが手にしていたランプを地面に落した。同時に右手の短剣を両手で握り直し――迷いなく己の喉元へと持っていく。


 やめて!!

 無我夢中で、シェリアは彼女に飛びついた。

 だがその瞬間、また別の衝撃がシェリアの身に強くぶつかるのを感じる。

 アシュートが、同じくミリファーレに飛びかかってきたのだ。

 彼の手が短剣の刀身をしっかりと握り込むのを見た。その手から鮮血が線を作って流れていく。目の前の光景に息を呑む暇もないままに、三人は揃って地面に崩れ落ちた。シェリアはすぐに身体を起こしたが、アシュートは動こうとはしなかった。顔をミリファーレの肩へ沈めたまま、絞り出すような声で呟く。


「頼むから……、自ら命を断つようなことはしないでくれ」

「お兄、様」

「今は、なにもかもを許せなくても。ただ、生きていてくれ。頼む」

「……どうしてよ。どうしてお兄様は私の戦い方を認めてくれないの。私は、お兄様には押しつけなかったじゃない。お兄様も、私に押しつけたりしないでよ」

 アシュートはゆるりと首を振った。

「戦い方とか、押しつけとか、そんなもの関係ない。お前は私のたった一人の妹なんだ。妹を死なせたくない、ただそれだけだ。決まっているだろう」

「……」


 ぽたり、ぽたり。薄汚れた地面に真っ赤な血が雫となって滴り落ちる。

 シェリアは、剣の柄を握ったままのミリファーレの手に己の手を重ねた。そっと彼女の手から剣を抜き取る。同じようにアシュートにも手を重ね、血にまみれた刀身を二人から遠ざけた。


「ミリファーレさん、見ていて」

 シェリアは強い眼差しでミリファーレを見すえた。呆然とくうを眺めていた彼女が、ゆっくりとシェリアに目を向ける。

「これからのシェリアスティーナのことを、見ていてほしいの。今度こそ、道を間違えることのないように。もしまた過ちを犯しそうになったら、その時はシェリアスティーナを止めてほしい」


 言いながら、目の前が奇妙に歪むのを感じた。

 白い光のようなものが、視界を走っては消えていく。


「反聖女派の皆さんも」

 シェリアは顔を上げ、周囲を見渡した。ジークレスト配下の兵士たちによって捕らえられた反聖女派のメンバーたち一人一人を確認する。

「勝手なことを言ってるのは分かってます。でも、シェリアスティーナの周りが、彼女を赦す人ばかりになっては駄目なんです。シェリアスティーナを厳しい目で見てくれる人たちがいないと」

 目の中で、光が弾けては消える。もうほとんど景色は見えていない。


「あなたたちが、必要なの」

「どうせ俺たちは、死刑だ」

 反聖女派の一人が吐き捨てた。

「死刑にはさせない。――させないで、ライナス。お願い、絶対に」

「分かっているよ」

 どこにライナスが立っているのかも、もはや判別できなくなっていた。身体が鉛のように重い。

 それでも、ライナスの返事が耳に届いたことに、シェリアはほっと息をつく。


「正門へ戻りましょう。あそこにいる反聖女派の人たちにも、伝えなくちゃ」

「あっちはもう止められないだろう」

 ジークレストの声だ。

「分からない、止められるかもしれません。まだ、向こうでは戦いは始まってないんです。もし万が一もう始まってしまっていたとしても、私が前に出ていけば、少なくともその間だけでも戦いは中断するはずです」

 立ち上がった拍子にふらついた。まるで、木でできた操り人形に乗り移っているみたいだ。


「早く行かなくちゃ」

「シェリアスティーナ様?」

 真っ先に異変を感じ取ったのは、すぐ側にいたアシュートだった。不安げな声で呼びかける彼に、シェリアは微笑んで顔を向ける。


「大丈夫だよ、アシュート」

 彼の顔さえもはやぼんやりとかすんでいるのが、少し悲しかった。

「大丈夫」

 それはあるいは、自分に言い聞かせる言葉だったのかもしれない。

 シェリアはもと来た道を戻ろうと、一歩を踏み出した。ちかちかと光線の走る視界のまま、蝋で固まりかけたかのような身体を動かし、隠し通路から王宮内へ戻る階段へ向かう。

 すぐ側で誰かの声がなにかを言っているのが聞こえた。

 しかしもはや、声の識別もできない。

 ただ、前へ。少しでも前へ。

 あともう少し、もう少しだけ――。


 ――もう、いいのよ。いいの、ユーナ。


 全ての感覚が遠のいていく中で、その一言がやけに鮮明に頭に響いた。


 ――ありがとう、ユーナ。もう大丈夫。私が為すべきこと、きちんとやり遂げてみせるから。


 凛とした、澄んだ声。

 優しく包み込むような、それでいて強い意思を感じさせる声だった。


(シェリアスティーナ?)


 胸の中でそう問いかける。

 返事は聞こえなかった。


 けれどその瞬間、身体中が光という光で満たされた気がした。

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