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想い出にタイムスリップ
作:ウツキ


 レースのカーテンが風に爽やかにひるがえっている。マンションの三階のベランダに並べられた鉢植えの花々の向こうに、9月の澄み切った空が見える。
 穏やかな昼下がり。もうすぐ2歳になる娘のモモは傍らで静かな寝息を立てていた。私は微笑みながら娘の寝顔を見つめる。
 ころころした手足、ぷにぷにのピンクのほっぺが愛らしい。私の頬には目立つほくろがあって、それがコンプレックスだったけど、この子は私に似なくてよかったと思う。起きてる時は小鬼のごとく、きゃわきゃわと騒がしい娘だが、寝顔は天使のようだ。
 私も小さい頃はこんなだったのだろうか。子供を育てていると自分がこれくらいの時はどうだったかなんて、ふと思い出してみたりする。2歳の頃の私はどんなだっけ……なんて思い出に浸りかけ、私は慌てて自分にストップをかけた。何故なら私には、思い出に浸り始めると周りが何も見えなくなってしまうという悪癖があるのだ。
 そのため学生の頃はみんなに、またトリップしてるの?とよく冷やかされたものだ。そう、まるでその場所にトリップしてしまったように私は過去の思い出が驚くほど鮮やかに思い出せる。たとえばそのとき読んでいた本のページに書いていた文字まで映画の画面を見るようにはっきりと脳裏に描くことができる。
 そんなに映像記憶が凄いのなら、過去に読んだ本のページを思い出してテストでいつもいい成績を取れるんじゃないかと思われそうだが、残念ながらいつもそういうわけにはいかない。なぜなら思い出は、その当時の時間と同じ速さで私の頭の中を流れていくので、その次のページに書いてることが今試験問題に乗っているという時でも、過去の映像の中の私に向かって、早くページをめくれと念じている私の心の焦りをあざ笑うかのように、母が夜食を持ってきて過去の映像の中の私はページをめくらずのんびり食べ始めたりして私を焦らせ、そのうち試験時間が終わってしまったりするのだ。
 従ってテスト中にトリップするのは百害あって一利なし。ビデオのように映像を早送りも巻き戻しも出来ない、言ってみれば私の過去の記憶はライブ中継みたいなものだから。
 そのかわりいいこともある。自分でも全く覚えていない場面を思い出の中に見い出して、友達が失くし物をして捜してるときなど、あなたあの時あそこにおいてたわよ、なんていって教えてあげられるのだ。全く覚えてなかったけど私ってこんなところまで見てたのね、なんて、過去の映像を見ながら自分でもびっくりしたりする。まあこれも、テストの時と同じように、いつも出来るとは限らないんだけど。
 しかし何かの最中にひょっとトリップして目の前のものに目が入らなくなってしまうのは、たとえば道を歩いている最中など凄く危険なので、思い出を思い浮かべそうになると、いつも自分にストップをかけていた。でも今は誰もいない我が家。娘も静かに眠っているし。だから私は安心して誰はばかることなく思い出に身をゆだねた。

 二歳くらいの幼い少女が庭で子犬と戯れている光景が鮮やかに目の前に飛び込んでくる。
 幼い頃の私と子犬のシロだ。小春日和の日差しが温かい。縁側に座ってマフラーを編んでいるのは、まだ学生だった父の妹のミドリおばさん。時々幼い私の相手をしながら彼氏へのプレゼントを編んでいる。幼い私は無邪気に楽しそうに遊んでいた。私は眼を細めて思い出を見つめる。すると幼い私はふと思い出を見つめている私の方を向いた。そして不思議そうにこちらをじっと見つめている。まるで思い出を覗いている私を見つめているみたい。そう思いながら幼い私を見ていると幼い私は私を指差してミドリおばさんに言った。
「ねえ、あそこにいるヒマワリ柄のワンピース着たおばちゃん誰?」
 ヒマワリ柄のワンピース?私が今着てる服だ。
「ええっ?どこ?どこに人が?」
 ミドリおばさんは不思議そうに気持ち悪そうに少女の私に言った。
「あんた何言ってるの?誰もいないでしょう」
「いるよ。あたしと同じほっぺにほくろのある人が」
と少女の私は私を指差して言う。
 何?何なのこの思い出は?私は思い出に介入してるの、ううん、きっとこれは夢ね。思い出じゃなくて夢なんだわ。
 はっと正気に帰ると、りんりんと電話が鳴っているのに気づいた。娘のモモが目を覚ましてぐずり始める。私はモモを抱き上げて電話を取った。
「こんちは〜、アイちゃん。モモちゃんは元気?」
 ミドリおばさんだ。うちの近所に住んでいる。旦那ともう大きな息子との三人暮らしだ。育児になれない私を何かと助けてくれている。
「今の今まで静かに寝てたんですけど」
「あらあらごめんなさい、起こしちゃった?あんたも一緒に寝てたの?出るの随分遅かったね」
 このくらいの年齢が一番可愛いけど大変なのね。あたしもあんたのお守りをしてあげたっけ。とミドリおばさんは懐かしそうに昔のことをいくらでも話し始める。おしゃべりで陽気な人なのだ。おばさんは言った。
「そういえばあんたって変わった子で、よく幽霊が見えるって騒いだわね。それも、セーラー服からおばあさんまで、どれもあんたと同じ、ほっぺにほくろのある女の人だって言って……。私達は不思議ねえ、うちのご先祖様達の幽霊かしらねって言い合ってたのよ」
「えっ……」
 私は絶句する。叔母は気軽な調子で続ける。
「実はねお友達からたくさんケーキを貰ったんだけど、うちは男所帯でしょ。ダンナもムスコも食べないし、あたしもダイエットしてるものだから余っちゃって、少しおすそ分けに行こうと思って留守かどうか電話してみたの」
 そして、今から行くから待っててねと言って電話は切れた。私はぐずるモモをベランダに連れ出す。
「モモちゃん、ミドリおばさんがケーキ持ってきてくれるよ。いいこにして待っていようね。あ、ほら、見て!ちょうちょう!」
 私はモモをあやしながらベランダの花の周りをひらひらと飛ぶ蝶を指差す。
「ちょうちょう」
 モモも嬉しそうに指差す。そして今度は違うところを指差し
「おばあさん」
 え?私はびっくりした。そこは空中の一角。そんなところには誰も居ない。第一いられるわけがない。しかしモモは
「ほくろ、ほっぺ。ままとおなじ」
とにこにこしながらたどたどしく続ける。
 え?私?もしかしてあそこにいるのはおばあさんの私?
 そう思った途端、すべて合点がいくような気がした。もしかしたら私は『過去を思い出していた』のではなく『過去を覗ける』のではないのか?私は頭の中に覚えている記憶を思い出していたんじゃなく、私の魂だけが過去にタイムスリップしていたのでは?あの鮮明な記憶は記憶ではなくて実際に過去で起きている情景。私は過去に戻ってそれを見つめていたのではないだろうか。
 私の見る想い出は頭の中に浮かんだ記憶じゃなく、本物のその時その場所。
 魂だけがその時代にタイムスリップして実際にその光景を見ている。
 だからあれ程鮮やかに思い出すことが出来るのだ。
 だって記憶じゃなく目の前に見ている光景なのだから。
 幼い子供は幽霊や妖精など、見えざるものを見ることが出来る。大きくなるにつれてその能力は消えてしまうと聞いたことがある。幼い私や娘のモモは、過去にタイムスリップしている私の魂を見ることが出来たのではないだろうか。
「モモ……」
 私はそのおばあさんが笑っていたのか、それとも悲しそうだったのか聞こうと思った。でも、やめた。
 未来の私が思い出をどういう風に振り返ってるのかなんて、きっと知らないほうがいい。ただ今、今のこの時を普通に生きていればそれでいいのだと思った。
 ピンポンピンポンと玄関チャイムが鳴った。
「モモちゃ〜ん、アイちゃ〜ん」
 ミドリおばさんの陽気な声。
「おばちゃ〜ん」
 モモがとてとてと嬉しそうに駆けていく。
 私も微笑みながら楽しそうな娘の背中を追いかけた。

(END)














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