それはいつも突然始まる
「何か引っ掛かるんですね? 呉さん」
後ろから声を掛けた後輩を肩越しに見て、呉秀は苦笑した。キィ、と椅子が回転しながら軋む音と重なる。
「まあね」
その表情を確認してから後輩、柴田耕平は呉の横へ立った。
「呉さん…」
柴田は一度視線を資料を持つ手に落とした。言わない方がいいのかもしれない。自分の思い過ごしかもしれない。しかし呉の意見が聞きたかった。
柴田は手に少し力を入れ、何かを決心したように顔を上げた。視線が合って、呉は微笑み、ゆっくりと次の言葉を待った。柴田は戸惑いの含む声で、しかしはっきりと言った。
「この事件は単純なものなんでしょうか」
パトカーのサイレンが響く中、喪服のような格好をした、今年二十八歳になるがどう見ても二十代前半にしか見えない男が焦点の定まっていない瞳で立っていた。
現在午前四時。全身真っ黒に統一された男は騒ぎの中心、一軒の住宅へと入って行った。
「呉さん!」
前方から走ってくる元気溢れる若い刑事の声で目が覚めた呉は、無表情のまま刑事の方へと歩み寄った。今時珍しい年期の入った木造の家で、歩くごとに少し軋む音がする。
「呉さん遅いですよ。…ちゃんと起きてます?」
若い刑事、柴田は眉間に皺を寄せて呉の顔を覗き込んだ。呉の方が背が高いので自然と上目遣いになってしまう。そんな柴田を見て、ふと疑問に思った。子犬を思わせる若い刑事は呉が口を開こうとしたのを見て、身構えた。
「耕…君、何歳だ?」
「今年で二十五です。はいっ呉さん、起きてください!」
唐突な質問に答え、柴田は呉の目の前で手を叩いた。起きてるよ…という呉の呟きは叩かれた手の音で消されてしまった。
「まあいいですけど。事件の内容は聞いていますか?」
「確か夫が死んでいるのを妻が見付けた、と」
「そうですよ。まあ百聞は一見にしかず、ここです」
一階の突き当たり。奥の部屋の襖の前で呉と柴田は並んだ。呉はズボンのポケットから手袋を出し、ゆっくりと着けてから襖を開けた。
「これは…」
開けた途端に呉は顔を顰めた。十畳ほどの部屋の中には一角だけ異様な光景が広がっていた。簡素な和風部屋には血まみれの蒲団。そして眠る男。蒲団は首を中心に血で染まっていた。一面紅の中に蒲団から飛び散った羽毛。蒲団のすぐ横には空のガラスコップが倒れていた。空のピルケース。真っ赤な林檎。まるでコップから血が零れて林檎が血を吸ったような、そんな光景だった。
「殺人…か?」
「ええ、そうでしょうね。直接の死因は出血多量みたいですよ。鑑識待ちです」 |