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1−3
  

  遡ること午前6時前、藤尾邸。外は暗く、気温の低い冬特有の寒さで霜が凍っている。そんな中、立派な日本家屋の母屋のすぐ傍にある小さな稽古場で、若い男女が竹刀を持って打ち合っていた。
「ヤァァーーー」
「タァァーーー」
 互いを圧倒するような掛け声を上げ、二人は幾度となく竹刀をぶつけ合う。そのうち、男の方が女を押していたものの、女は素早く一歩足を踏み出したと同時に、力強く正面に向って打ち込こんできた。咄嗟のことで、男はそれをスローモーションで見ることしかできなかった。
「私の勝ちね。」
 前頭部すれすれの所で竹刀を止め、女は優雅に微笑むと身を翻した。後頭部高くに束ねられた黒いポニーテールがさらりと揺れる。男はそれを見ながら、床に座り崩れた。
「はぁ、最後も一本取られた。姉貴、また強くなったんじゃないか?」
 正面に礼をした後、姉千鶴はタオルで顔を拭きながら竹刀を壁にかけた。
「そんな事ないわ、今のはあんたに非がある。最後、一瞬迷ったんじゃない?」
 姉の指摘に、弟は図星だと言葉を詰まらせる。
「・・やっぱり。気剣体一致、技がいくら磨かれようが、それに心がついていけなければ何の意味もないのよ。」
「分かってるよ。」
  男は目を伏せながら立ち上がり、正面に礼をする。そして、憂鬱な顔のまま壁へと足を向けた。女は男の一同の動作を黙って眺め、稽古場の入り口で膝をついて丁寧に礼をすると、持っていたもう一枚のタオルを男にむかって投げた。
「行輝、庭で待ってなさい。」
 ヒラヒラと落ちてゆくタオルを、男は不思議そうに見つめた。

「なんだっていうんだ。」
  行輝は縁側の淵に座り、面倒くさそうにそう呟いた。段々熱が冷めてきて汗が冷たく、早くシャワーを浴びたかったのだ。すると、千鶴は水の張った盆を重たそうに抱えてきた。
「そこに立って。」
「えっ、なんで?」
 嫌な予感がする行輝は、後ずさった。しかし、千鶴は行輝の剣道着の端を掴み、庭の真ん中へと無理やり引っ張った。
「はい、はい。いいから、そこに立ちなさい。」
 言われるがまま、されるがまま棒立ちになる行輝。目線は千鶴の腕にある盆だ。
「まさか、こんな真冬に水浴びろとか言わないよな?」
 弟は姉を不安そうに見下ろすが、姉はにんまり笑って盆の中の水を弟に勢いよくかけた。
「うわっ!何するんだよ。」
 頭から水をかぶり、全身びしょびしょに濡れ。水が冷たいわ、剣道着は重たいわ、とにかくたまったものじゃない。朝の冷たい空気が、さっきよりも数倍冷たく感じる。行輝は顔を流れる水を手で拭きながら、姉を睨みつけた。
「何考えてるんだ、風邪でも引いたら・・・・」
 非難囂々で剣道着を絞り始める弟に、千鶴は横から口を挟んだ。
「でも、すっきりしたでしょう?」
 

 それに、行輝は「えっ?」と、聞き返す。
「何を悩んでいるのだか知らないけど、悩みすぎたってどうにもならないわよ。あんたの場合は特にそう。同じところぐるぐる廻ってばかりで、切りがないのよ。だから、そういう時は思い切ったことをしてみなさいよ。案外、自分の悩んでいることなんて、くだらないんだって気づくから。」
  盆を片手で持ち、腰に手を当てた千鶴は豪快な笑顔でそう言った。顔立ちがいいと、余計に見栄えのする笑顔だ。行輝もつい、姉のその綺麗な笑顔に騙され、危うく水をかけられた事まで忘れそうになった。
 しかし、何か言い返そうにも、何も思い浮かばない。姉の言うことは最もで、冷たい水が胸のモヤモヤをわずかに
流し落としたのは事実だった。
「やっぱり、敵わないな。」


  午前8時頃、行輝はホームの椅子に座り込んでいた。電車の中で妙に揺れるなと思っていたら、下車した途端に目の前が暗くなり、座り込んでしまったのだ。ガンガンと頭痛はひどく、顔が熱い気がする。けれど、行輝は温かい電車から寒い外に出て眩暈を感じただけなのだと、しばらく休憩すると立ち上がりホームを後にする。
「ちょっと遅くなったな。あいつ、もう学校来ているかな・・早く行かないと。」
 ふらつきながらも、行輝は通学路を進む。





次回、えっ、大丈夫なのか・・・・フジオ!?「寒中水泳の方がよかったんじゃなか!?」by.奥村


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