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2−2






「ヤクザ」
 そう聞けば、誰もが内心冷やっとして目を反らす。
目をつけられないように、関わらないように怖々と縮こっている。
 小さい頃は、それがなぜなのか分りもしなかった。なぜなら、親父たちも舎弟たちも、怖くなんてなかかったから。
さすがに怒るときは般若のごとく怒るが、普段はいたってどこにでもいるおっさんとそう変りはしない。
それどころか、とても親身になってくれる、いい親父たちだ。

ブルドックみたいな皺くちゃ顔の津幡の親父も、イチゴののったショートケーキを食べる。
小指のない親父も、生クリームたっぷりのプリンを頬張る。
どこが怖いというのだろうと、ずっと不思議だった・・・





 欠伸をかみ殺して、広すぎる大理石の玄関で履きなれた黒い靴を履いていると、
すぐ隣から不自然な視線を感じて、鳴滝は思わず振り返った。
 すると、柔らかいカーゼのようなタオルを口に含んで、涎を垂らす三歳のガキが、
こっちをみてニタニタと笑っている。
 そして、何を血迷ったか、制服姿の鳴滝に奇声をあげながら抱きついてきた。
涎がびっしょりと紺色のジャケットに垂れ落ちる。

 ――本当のことをいえば、今すぐにでも蹴り払いたいところだ。
だが、子供を蹴るのはなんだかバツが悪い、まして、このガキは津幡の親父の、何番目かの子供だ。
変な因縁をつけられて、組長集会に連れ出されるのは御免だ。
 鳴滝はおろおろしながら、「どうした?」と優しく声をかけた。
忘れているだろうが、鳴滝は色男だ。ムンムンとした空気を漂わせながら囁く声はホスト級。
面食いの子供は声を高くして、さらにぎゅっと鳴滝に抱きついた。


――これには、溜息しかでない。
 一人っ子として育った鳴滝は、こういう幼い子供の相手などしたこともなく、
どうしていいのか分らないものだから、取りあえずガキの服を引っ張って、無理やりにでも離そうとした。




「あっいた、いた。苺ちゃん、やっぱり巽さんの所にきてたんだね」

 従兄弟の石田肇が微笑ましくそう言って、遠い廊下の奥からこっちに向かって歩いてくる。
自分の子供ではないはずなのに、「苺ちゃん」と心底親しみを込めてガキの名を呼ぶ。
フレームのない眼鏡をかけたインテリ。――あながち嘘でもないが、肇はインテリだけに押し込めるのは危険だ。
なんせ、肇は津幡組でも最も過激派だといわれる派閥に属する、組きっての鬼畜生だ。
指切りからモザイク物までなんでも、涼しげな顔でさらりとこなしてしまうとか。
 どうして、そんな危険な男が津幡の親父の、子供の面倒を看ているのか、鳴滝には理解できなかった。
 ――いや、本当のところなど、どうでもよかったのかも知れない。


「肇、こいつ離してくれ」
 うっとうしく鳴滝がそう言うと、肇は頷いて、
「ダメだよぉ、苺ちゃん。巽さんは学校に行かないといけないんだから、いい子だから離そうね」
 苺という鳴滝にとってはただのガキを、抱き上げようとした。
けれど、苺はジャケットから小さな手を離そうとはしない。目を力一杯閉じて、
「いやぁ、いやぁ」と心底嫌そうにして叫ぶ。
 しかし、肇は穏やかな表情を浮かべるだけ。

「困った子だねぇ」
 組きっての鬼畜が聞いて呆れるほど、肇は苺に甘い。
どうやったって、叱る気も力づくで引き離す気もないのだろう。とろんとした目で、苺に微笑む。
いい加減腹が立った鳴滝は、ジャケットをその場で脱ぎ捨て、よろめいた苺はジャケットを掴んだまま後ろに倒れた。
頭を打ったのか、「ぎゃああああ」と大声を出して泣き始めた。



 ――苛々とする声だ。勝手に人の気を逆撫でしといて、勝手に転げて、勝手に泣いて、
嫌な記憶と重なり合うような気味の悪い悲鳴だ。



「なに、するんだ!」
 急に真顔になった肇が苺を抱きかかえ、背を優しく撫でながら鳴滝を見て凄んだ。
「傷つけたくなかったら、俺に近づかないようにしろ」
 迷惑だと捨て台詞を吐いて、鳴滝は玄関を飛び出た。
 いつの間にか準備していた舎弟達が、両脇に立って「腰を折り曲げ、おはようございます」と声を合わせていう、
 ――恒例の儀式だ。
 だが、鳴滝は「うるさい」と振り払うかのように一喝して、道の先にあるベンツにただ飛び乗った。


 学校への登校途中、岸辺が「若、今朝は何かあったんですか?」と心配そうに声をかけるが、
鳴滝はうんともすんとも言わずに、ただ無言で窓の外を眺めているだけだった。  












「おい、鳴滝!貴様、また部活をサボったな!」

 横に並んだ青いボーダーシャツに黒い短パン、――葛岡高校ラグビー部の正式なユニホームだ。
部活中でもないのにそれを悠長に着て、鳴滝の目前で両腕を腰についているのは和久井トド。
もちろん、トドなんて本名じゃあないが、皆奴のファーストネームを知らない、
つまりは誰かが勝手につけたあだ名だ。

「俺はラグビー部じゃない」 
 パシリに出だした狩野を待ちながら、校庭脇のベンチに座っていた鳴滝は淡々と言った。
「嘘をつけ!このラグビー部正式部員名簿に、ちゃんとお前の名前が書いているだろう!」
 どこから持ってきたのか、トドはA4の学習ノートを広げ、鳴滝に見ろと叫んだ。
また・・・誰が書いたのか、横歪んだ乱暴な字で『鳴滝かつみ』と書いてある。

「ほろみろ!」
「俺の字じゃない」
 ――第一、俺の名前はたつみだ。自分の名前を間違えるか!
 馬鹿らしいと、鳴滝は欠伸をする。だが、それでもトドはノートを見て熱弁する。

「何をぉ?どうみても、お前の字だ!他の誰が書くっていうんだ!」
 名前を指差してホラホラと言う。まったく、この学校でこんなにうるさく付きまとってくるのはトドぐらいだろう。
ラグビー部副部長のくせに、部長面なんていつものこと。鳴滝を見つけては、追いかけてくる。
溜息まじりに鳴滝は答える。

「知らん」
「――知らんだと?ちょっと顔がいいからって、誤魔化そうたってそうはいかない!」
 何癖つけて説教でもする気なのか、トドは唾を飛ばしながら鳴滝に顔を近づけてきた。
あまりの不愉快さに、鳴滝は蹴り飛ばそうか迷うが、先に予鈴がトドを危険から守るように鳴った。


「・・・とにかくだ、今日はサボらせないからな!放課後迎えに行くから、逃げるなよ!なっ!」
 気味の悪いウインクを鳴滝に投げ、トドは跳ねるように走り去って行った。
 ――よく掴めない男だ、接しにくいにもほどがある。明雲高校の周防そっくりだ。








「お待たせしました。・・・また、トドですか?」
 戻ってきた狩野の手には、二つのテイクアウトしたブラックコーヒー。
食後に飲みたいと言った鳴滝のために隣町まで行って買ってきたのだ。

「あぁ。放課後帰るなと釘をさされた」
 鳴滝は頷きながらコーヒーの入った紙カップを受け取り、蓋を取ってカップに口付けた。
それに狩野は「あいつ、何様のつもりなんだ」と、悪態をつきながら鳴滝の隣に腰掛け、猫舌なのだろう、
紙カップから蓋を取って冷ましはじめる。

黒い長髪を後ろで一つに束ね、髭を生やした狩野はひどい老け顔だった。
鳴滝でさえ高校生には見えないのだが、二人が並ぶと一回り以上の年の差を感じさせられる。
 だが、別に見た目なんてどうだっていい、大事なのには狩野ほど気を楽して付き合える友達は
いないということなのだから・・・



 鳴滝の容姿と古臭い性格に陶酔し、度が過ぎるほど過激で忠実な舎弟は、子供から老人までごまんといる。
家でも、学校でも、出かけ先でも鳴滝に取り入ろうと媚びを売りにきては、
傍においてほしいという一種の狂気を感じさせられるばかり。幼い頃からまともな友達もできた試しがなかった。

――大体、鳴滝は初めから、ヤクザになることなど端っから頭にないのに、
彼らはそんなことはおかまいなしに、「将来は立派な組長になりますね」と平然と言ってのけては、
手を揉んでハァハァと舌を出して、鳴滝の指示を待っている――無情な馬鹿犬ばかり。
さすがに、トド曰く、しつこい奴は滅多にいないが、「尊敬してます」とねちっこい熱い視線を見るだけでも、
鳴滝はうんざりしていた。


 しかし、狩野は見た目通り大人というのか、べらべらと無意味な褒め言葉をまくしたてることもなく、
高校の入学式で知り合った時から、何ら変らない態度だった。
――確かに、犬ではあるが、静かで温厚な犬なのだ。何気ない会話のやり取りも苦にはならない、
ようやくできた友達らしい友達だといってもいいだろう。



「帰りますか?」
 黙り込んでいた鳴滝に、狩野が言った、――トドは、あいつからは早く非難されたほうがいいと。
しかし、鳴滝は首を横に振る。
「・・・いや。師匠がいない間は、保健医と将棋を打つことになっている」
 ――師匠とは、鳴滝が尊敬している稲田氏のことだ。
狩野もよくは知らないが、鳴滝は稲田氏と出会ってから、
性格が百五十度ぐらい変ったという噂を耳にしたことがある。
以前はもっと咽帰るような殺気と色気があり、喧嘩が耐えなかったらしいが、
今では鳴滝は医院に通っては将棋をしたり、診察の手伝いをしたりしているらしい。
何があったかは分らないが、鳴滝の信頼はすべて七十歳の老人に向けられているのは間違いなかった。


「――保険医といえば、女?」
 狩野は入学式の時に見た、威勢のいい四十を超えた中年の女を思い出す。
「そうらしいな」
 初めから知っていたのか、鳴滝は頷いた。
「巽さんの相手になるんですか?」
 役不足ではないかと言う狩野。
負け知らずの鳴滝にとっては弱すぎて、相手をする時間ももったいないといっているのだ。
「――女流棋士だ。強くなくては困る」
 どこで仕入れた情報なのか、楽しそうに鳴滝はそう言って欠伸を漏らした。









*次回、周防「あれ?稲田のじいちゃん、ドコ行ったんだ?」
杏里「旅行よ」
周防「えっ!?旅行かよ、いいなぁー。そんで、ドコに旅行行くって?」
杏里「中国の・・・・なんとかって所よ」
周防「ドコだよ!?」

ラグビー部副部長トド、じゃあ部長は誰!?




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