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片羽のエル・シエーロ 作者:時野 実

第五章

チエヒ攻略戦・5

 意外な展開だった。ゴットバルトが討ち取られたというのである。

「やれやれ、うまく捌くと思ったんデスがねえ」

 ギランバレーは、チエヒから出るべきだろう、と思った。屍兵がどの程度戦えるのかを調査する、という名目で取り付けた予算は、もう財布に入れてある。あとは役に立ちませんでしたと報告して、今回の仕事は終わりである。

 もともと、兵隊にしようと思って屍体の研究をしているわけではない。粗製濫造もいいところのゴーレムがいくらやられたところで、特に感想が湧くものでもなかった。

 それよりも、ゴットバルトが負けてしまったことのほうが、ギランバレーにはよほど驚きだった。ゴットバルトの指揮能力は、よくわからないが信用はしていた。屍体を毛嫌いしているのはなんとなく伝わってきたが、ゴーレムに違う命令を与えて役割を分担させるなど、感心するようなアイデアを出せる将軍だったのだ。

「あっという間の出来事でした。将軍もよく戦ってはいたのですが」

「こっちに来たのは八千人というではありませんか。こちらはお城の中に五千人、外には一万人もいたでシょう?」

「城内ではあまりまとまって動くことはできませんので、この際兵力差はないものと考えなければいけません。城外の兵は合流する前に戦闘に突入し、多くは遊兵になってしまっていましたし」

 この者は、名前をスティックスというのだが、ギランバレーが創った屍体である。血行のよくなさそうな顔色を除けば、普通の人間と変わるところは特にない。兵隊の中に混じって戦況を探らせていたのだが、危ないと見たのでこうして脱出の手引きをするために戻ってきたのだ。

 魔法で操っているわけではない。自分の判断で戻ってきたのである。この判断力といい、戦況の分析力といい、ゴーレムとは出来が違う屍体である。素材は本物の人間であるから、当然といえば当然なのだが。まだ再現できていないことはいろいろとあるが、屍体としては世界最高レベルだろう。

「さて、マスター、いかがいたしましょう。脱出といっても、すでに強行突破しかないような状況ですが」

「できますかねえ。自分で言うのもなんデスが、私は足腰が強くありませんよ? それに、最近寒くなってきたので、関節が痛いんデス」

「方法は、考えています。ただ、多少の無理は覚悟していただきたい、と伝えておきます」

 この場にはスティックスの他に、バリツ、イーグレット、ポプランという屍体がいた。能力的にはそれほど優劣はないが、個体差でほんの少しだけスティックスが優れていたのでリーダーをやらせている。この四人は、下手な護衛よりはるかに強い。なにせ死なない上に、筋肉などを戦闘用に調整して創ったのだ。まず百人くらいの兵士に守ってもらっていると考えても大丈夫だろう。

「これからやることは、針の穴に糸を通すようなものです。できないわけではありませんが、一度で通してしまうのは難しい」

 その例えは、ギランバレーにはよくわかった。

「マスター、時が経てば経つほど、針の穴は小さくなります。脱出するなら今すぐにでも」

「わかりまシた。行きまシょう」

「お父様、研究資料はどのように?」

 セザリーが、資料の山を抱えてやってきた。

 セザリーは、ギランバレーの娘である。しかし、娘というには、セザリーは若すぎた。ギランバレーのいかにも老人という外見に対して、セザリーはどうみても二十に届いているように見えない。しかし、この場の誰もそれを不審に思ってはいなかった。

「やっぱり燃やしちゃうんですか?」

「大抵のことは頭に入っていますから、燃やしてもいいんデスけどね。カルテも混じってますし、利用されて困るようなものもないので、置いていきましょう」

「もったいないなあ」

「まあ、所詮はただのデータですから。それに、カルテを燃やされたら、困るのは私ではなく患者デスし」

「そうですね。何人かは難しい病気の人もいますもの」

 そうセザリーが言ったとき、城の中に、人が入り込んでくる気配があった。

「正門が開かれたようです! 城内に暴徒どもが雪崩込んできました!」

 そう大声で触れて回る兵のおかげで、遠くで大騒ぎが起きているのが伝わってきた。しかし、敵がやってきたのではないらしい。

「マスター、セザリー様、はぐれませんように。暴徒に紛れ込んで、この城を脱出いたします」

「けが人が増えるようなやり方は感心シませんねえ」

「もう手段を選んではいられませんので」

 スティックスが何をやったのかは、大体見当がついた。文句を言える立場ではないので、ちょっと注意するだけにとどめた。

 スティックスは、人の声がする方へ、ギランバレーを導いた。集まった群衆が大騒ぎをしていて、ちょっとぐらい人が増えたことなど分かりはしなかった。

 ひどい騒ぎである。人は次々に入り込んでくる。その騒ぎに紛れて、城を出た。

 流れに逆らうのは一苦労だったが、ギランバレーは、途中でいつの間にか担架のようなものに乗せられていた。人並みに押しつぶされた怪我人が同じようにして運ばれているので、城から出て行く流れが出来ている。堀に落ちてしまったものも合流してくるので、その流れも細いものではない。

 どこかの家の中へ、運び込まれた。体にかけられた血まみれの布を、スティックスが取り払った。

「私が死体の真似事をするなんて、複雑な気分ですわ」

 おなじくポプランに血まみれの布を取り払われたセザリーが、そんな感想を口にした。

「新鮮な体験と言えないこともありませんけど」

「何事も経験とはよくいったものデス。しかし、こんなものまで用意するとは、用心深いデスね」

「まだ終わりではありませんよ。城壁を越えませんと、召喚術も変化術も使えませんから」

「ああ、そうでシたそうでシた。城壁を越えたら、スタンダール君を召喚シてさっさと遠くに逃げてシまいまシょう」

 スタンダールは、ギランバレーが最も苦労して造り上げた屍体である。なにせ彼は、ドラゴンを素材にして創った屍体だからだ。

 ドラゴンの屍体の作成に成功したのは、おそらくギランバレーが世界初だろう。彼より前にドラゴンの屍体を創ったのは、神話の世界の住人たちだけである。

 二十年ほど前に、ギランバレーは薬草を探しまわる旅の途中で、大怪我をして沼地に不時着していた一頭の巨大なレッド・ドラゴンと出会った。それがスタンダールである。発見したときはもうかなり弱っていて、随分と頑張って治療したのだが、あえなく死亡してしまった。スタンダールは、このままでは治療の礼ができないので、せめて自分の体を屍体の実験にでも使ってくれと言い残していた。

 ドラゴンは誇りと高潔の生き物だ。それなのに、基本的に邪法である屍術の実験に使われてもいいというくらいだから、スタンダールはよほど義理堅いドラゴンだったのだろう。ドラゴンの死体など滅多に手に入るものではなく、ギランバレーは喜んでスタンダールを屍体にした。

 出来上がった屍体は技術的にはかなり未熟な代物で、ドラゴン族の高い知性も強大な魔力も失われてしまっていた。長大な寿命と合わさって人間を遥かに超える知性を持つはずのレッド・ドラゴンは、起き上がった時には犬猫と同等程度の知性しか持っていなかった。ただ、丁寧に治療してもらったのを覚えていたスタンダールは、ギランバレーによく懐き、召喚の契約を結んでくれたのである。彼の翼なら、チエヒから逃れるなど造作もない。

 スタンダールは、屍体にする際に色素がごっそり抜け落ちてしまったせいで、竜鱗は真珠よりも艶やかに白く、目はルビーよりも鮮やかに紅い。翼の皮膜は薄く、日除けに借りれば血管が透けて見える。その血は目と同じ色で、体中を炎が駆け巡っているかのようである。出会った時のスピネルのような鱗を再現できなかったことは心苦しいが、それでも血流から何からの循環系や、飛行に必要な各種の筋肉はほとんど完璧に再現できていた。

 白の竜鱗に緋色の目というと、動物学で言うアルビノである。しかし、後天的かつ人工的なアルビノであるから、視覚的な障害はないし、日光による皮膚の損傷リスクもない。アルビノにありがちな虚弱体質もないから、飛行時に気を使うようなことは一切ない。だから、一旦飛び上がってしまえば、王都まで一直線である。

 しかし、問題は飛ぶ前にあった。少々のことでは隠しきれないくらい、スタンダールは巨大なのだ。ただでさえ目立つ色をしているので、半端なところで召喚しては目立ってしょうがないのである。

 体が大きいので、乗るのも結構苦労する。そういう時に矢の一本、弾の一発も飛んでくれば、余裕であの世行きだ。そういう目には、できる限り会いたくない。

 だから、城の外といっても結構遠くにまで行かなければならないだろう。考えただけでうんざりするが、じゃあ死ぬかと言われれば、そのほうがはるかに嫌である。ギランバレーの顔には、いかにも焼け出されて途方にくれたような表情がありありと浮かんでいた。

 外へ出た。煙が目にしみたが、我慢してスティックスについていった。

 火事がそこここで起きているので、焼け出されて城外に逃げていく人々は少なくない。城を出た時と同じようにそこに紛れ込み、城壁を越えた。

 特に危機的な状況になることはなかったが、それは自分が感じなかっただけで、スティックスには緊張の連続だったのかもしれない。やっていることは、無計画な行き当たりばったりと言えなくもなかったのだ。うろついている敵に見咎められれば、ハインツと同じように首を落とされていただろう。きつくて今にも死にそう、という顔が演技ではなかったのがよかったのかもしれない。

 三十分ほど歩き、もう大丈夫とスティックスが言うので、ギランバレーはしかじかの呪文を唱えて召喚術を発動した。

「漆黒の闇の中より這い入でよ。悪鬼召喚! サモン・ダークネス!」

 この呪文が、ギランバレーは気に入らない。屍体は別に闇の中に潜んでいるわけではないし、悪鬼などでは断じてない。日の下を堂々と歩く一つの命であり、善悪の比率は生者と何ら変わるところはないからだ。

 しかし、呪文に文句をつけたところで何ら建設的なことはできないので、我慢して使っているのである。

 呪文が呪文だから、演出もおどろおどろしい紫の煙が出てくる悪趣味なものだったが、現れた純白のドラゴンは、ただただ美しかった。

「グゥゥゥゥ……」

「やあ、スタンダール君。急に呼んだりシてすみません。緊急事態というやつでシてね。六人ほど背中に乗せて、ディンズマルクまで飛んでくれませんか?」

「ムフッ」

 ドラゴンの瞳は、人間の善悪を見抜くという。怪しい奴が混じっていないかひとりひとり確かめたスタンダールは、全員問題なしと判断して翼をたたみ、地に伏せた。

「よいシょ、よいシょ……ふう、スティックス君、セザリーの世話ばかりシていないで、私も手伝ってくださいよ」

「申し訳ありません、マスター」

「歳をとるって嫌デスねえ。五年前までは苦もなく登れたんデスが」

 スティックスの手を借りて、ギランバレーはやっとこさスタンダールの背に乗った。

「さあ、スタンダール君、準備は出来まシたよ」

 スタンダールは、とにかく体が大きい。特別な装備がなくても、スタンダールがバク転でもしない限り振り落とされることはない。スタンダールはふわりと浮き上がり、ディンズマルクへ向かって飛び立った。

 スタンダールの背の上で、スティックスは暇つぶしも兼ねて今後の予測を披露した。

「これからは、ドルグレイアが反攻に出て、しばらくはローウィンが守勢に回るでしょうね。ディンズマルクを維持できるかどうか。そのあたりが争点となるでしょう。カーマイン上級大将ならよもやということもないでしょうが、勝敗は微妙なところです」

 銀狼国上級大将、メラニー・ヒュー・カーマインは、実力的にはパットン将軍と並ぶローウィンの双璧である。しかし、政略や謀略もこなす分だけカーマインの方が総合的には上だとされている。ギランバレーにとってはどちらもすごい将軍としか言えないが、人格的にはパットンの圧勝だろうということだけは自信を持って言えた。

 彼女はあらゆる物事に才を発揮する万能人で、軍事・政治のみならず、文学・武芸・音楽・建築・調理・医学など幅広い分野で卓越した能力をもつが、人格が致命的にイカれていた。なんらかの精神病ではなかろうかと、それとなく診察してみたこともあるほどだ。

 彼女の人生を思えば、精神病にくらいかかりもしようとギランバレーは本気で思っていた。しかし、結果は白であった。何らかの影響はあるだろうが、ギランバレーにとっては安心半分、呆れ半分といったところだった。

「カーマインさんデスか。私、あの人って苦手なんデスよねぇ。何を考えているのかわからなくて」

「あの御方のキャラクターのせいでしょう。マキャベリストを猫の皮で包んだのがカーマイン将軍です。奔放に見えて、終わってみればすべてが理にかなっているようなことしかしない人です」

「ああ、たシかに。そういえばあの人は猫っぽいところがありますね」

「まあ、先の読めない人というのは私も同感です。少々の大軍なら軽く打ち払ってみせる人ですが、益無しと見ればあっさり王都を放棄するかもしれません。王都をめぐる攻防は、ひとつの節目にはなるでしょうが、それで戦争の終結がもたらされるような戦いではないのですから。せいぜい戦場が北へ移るか南へ移るかの違いしかないでしょう。そのあたりの見極めは、あの人が何よりも得意とするところです」

「君が言うならそうなんでシょうが……やれやれ、どうシて人はこう、殺シ合いが好きなんでシょうかねえ。そのくせ屍術は神を冒涜する悪魔の業だなんて言いますシ……私がやっていることなんか、人殺シの何倍もいいことだと思うんデスけど」

「我らほど死神に嫌われている者もいません。その意味では、立派な神の冒涜者ですよ」

「なんてことを言うんデスか。確かにフィラメント様には嫌われているでシょうが、私はいつでも、サーシャ様とユリシカ様のシもべデスよ。もちろん大前提として、女神レーレも敬っています。こんな敬虔な人物を指シて神の冒涜者だなんて、ちょっと酷すぎるんじゃありませんか?」

 女神レーレは、神々の中でもっとも位階の高い三柱の神のなかの一柱で、動物の命を司る女神サキアルメイ、植物の命を司る女神シャラノワールの母である。娘たちの創る命に魂を与える存在であるから、屍術師という職業柄、ギランバレーのレーレに対する信仰は特に篤かった。

 そして、レーレよりも下位の存在であるフィラメント、サーシャ、ユリシカは、それぞれ死の神、知恵の女神、文明の女神である。フィラメントは生命の維持管理、サーシャは物質秩序、つまりは自然法則の管理、ユリシカは人類進化の促進と啓示を司っているとされている。

 屍術師は、フィラメントに真っ向から敵対するような存在である。死神の餌食になった人間を、喉に手を突っ込んででも取り返す。難しい理屈を抜きにすれば、屍術とはそういう術だ。屍術にちょっとでも関わりのあるものがフィラメントにどのくらい嫌われているかは、容易に想像できることだった。

「どの神様を立てても角は立つ、ということですわね」

 セザリーが笑った。

「もっとも、ソレイル様に嫌われては空の旅路はままなりません。どうせ飛ぶなら、良いお天気の下で飛びたいものですわ」

 ソレイルは、空と風の神である。その役割は天候の管理だ。

 少々の嵐に巻き込まれたくらいでは、スタンダールはビクともしないが、上に乗っているものはそうもいかない。天気がいいに越したことはないのである。

 ソレイルの機嫌を損ねるようなことをしなければ、この時期の天候はそう悪くない。あまり速く飛ぶと寒くて関節が痛くなるのもあって、一行はゆっくりと北へ飛んでいった。
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