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雪解けぬ恋

作者:黒谷 乃亜
 「僕は神になりたかった」
 神様の持つ絶対的な力がほしかった。
 財力とか、名誉とか、権力とか、地位とか、そんなものじゃなくて。一人の少女を笑顔にできる、小さな願い事をかなえてあげれる力がほしかった。
 随分と自分勝手でわがまま願いだと思う。その小さな願いも、もう時効だ。だけど、今も思う。もし、もっと僕に力があったら、少女の言葉を直接聞けたのだろうかと。
 僕は少女の名前をもう覚えていない。
 だから、僕はその少女との関係を話すとき、少女を彼女と呼ぼう。

 彼女は、僕の知らない病気にかかっていた。出会った後から教えてもらっていたのだけれど、何やら難しいというものだということしか僕にはわからなかった。
 出会いは何でもないことで、僕がスケッチブックを待合室のソファーに置いてトイレに行ったその間に、彼女が何の違和感もなく僕が居たところで僕のスケッチブックを盗み見ていたのだ。
 まぁ、彼女との出会いは、正直驚いたの一言だ。だって、トイレから帰ってきたら、知らない女の子が自分の持ち物を無断で見ているんだ。普通の人なら驚くだろ。
 しかも、彼女は無礼を詫びるわけでもなく、スケッチブックの持ち主が僕であるのがわかった途端。
「ねえ、ここに描いてあるの全部君が描いたの?すごいねとても上手い。君はある?雪を見たことはある?」と聞いてきたのである。
「あるよ」僕は失礼な子だなと思いながらも、短く返事をした。
「本物の雪よ?」
「本物?」
 彼女の言う『本物の雪』は確かに僕の想像する雪とは違っていた。
 冷たくはないそうなんだけど、ただ、手で触れると溶けて。とても白くて、見ていると恐怖を覚えるほどに美しいのだという。
 そして、朝、夜明けより早く目覚めると、そこは一面、真っ白になっているらしい。タイヤの跡も足跡も何もなく、真っ白な、世界から切り離されてしまったような空間がそこにはあって、そこに自分の足跡を急いでつけに行くのが好きで、そうすると世界を征服したような錯覚になれるそうだ。
 たぶん、僕が大会に出す大きなキャンバスを目の前にしたときの興奮とかと、近い感じなのだろう。
 初対面の人にうれしそうに雪について説明する彼女は、きっと僕より年上なのに、すごく幼い子どものようで。そう思う以上に、彼女の中に大切な思い出として、特別な存在としてあるのだろうと思った。その時、彼女はゆっくりとその顔を曇らせていった。
「あたしね、もう、出れないの…きっと。……だから、雪を見てみたい、目に、記憶に、心に、しっかり残しておきたいの」
「ねえ、雪を描いてよ」と彼女が言うから。僕はスケッチブックをめくり、何もまだ書いていないところを開くと彼女にそれを見せ。これが僕の雪だといった。
 これが彼女と僕の出会いだ。

「マネッチアが見たいわ」
 そう彼女が言ったのは、僕が最初に出会った五日後、彼女と三回目の再会をした日だった。
「マネッチア?」
「花よ、花の名前なの。秋に咲く花でね。赤い色をしていて、ツルの先にね、たくさんの小さな花がつくのよ。誰か絵の上手い人でもいればなぁ」
 彼女は僕を見るとにこりと微笑んだ、これで何度目だろう、こうして彼女に頼まれると、僕はどうしてだか断れないのだ。
 彼女の小さな願い事を叶えるため、彼女と別れた僕は、病院に来た本来の目的である母の元へ行く。僕はマネッチアの花のことを入院中の母に尋ねてみた。
 すると、母との会話を聞いていた看護師が、その花ならこの病院の庭にも咲いていると、丁寧に細かい場所とともに教えてくれた。
 なるほど…。
 看護師に教えられた場所に行くと、確かに彼女の言うような、つるの先にたくさんの赤い花をつけたマネッチアがそこに生えていた。
 僕が普段、絵を描くために持ち歩いているのは、スケッチブックと鉛筆、シャーペン、水彩絵の具だ。たくさんの赤く小さな花を描くには絵の具のほうが向いているし、この花の赤を際立たせるにも絵の具のほうがいいな。
 しかし無いものは無いし、描かなければいけないものは描かなければいけない。
 どこに座って描こうかと視線をめぐらせていると、ある窓で目がとまった。
 彼女が1階の、ある窓からマネッチアを見ていたのである。僕の視線に気づくと彼女は軽く手を上げた。
 僕は彼女のいる窓際まで行くとため息を吐く。
「なんだ、描かなくても見えるじゃないか」
「今はね」
 彼女は花の方向に腕を伸ばし、花を掴むような仕草を見せると。私はもうすぐ、ベッドから起き上がれなくなるのだと告白した。
 その言葉が本当の言葉だと僕が知ったのは、マネッチアを描いてくれと頼まれた六日後で、マネッチアの絵を渡した二日後だった。

 マネッチアの絵を見ながら、ベッドから出ることのなくなった彼女は、窓の外にいる僕にお礼を言った。
「ありがとうね。おかげで、この花をいつでも見れるわ。」
「別に…、僕は好きで描いているだけだ」
「それでも、ありがとう。それにね、こうしてここに来てくれるのも貴方ぐらいなのよ」
 そういわれれば、僕と看護師や先生以外の誰かが彼女と会話しているのを見たことがなかった。
「ねえ、雪を描いてよ」
 彼女は、最初に合ったときと同じお願いをした。
 僕はスケッチブックに雪景色を描くと彼女に見せた。
「……ゆきが、みたいわ」
 彼女は絵を見ると、スケッチブックを脇に置き静かに泣いた。
 むりに涙をとめることなく、小さく嗚咽をこぼしながら、少しの間だけ泣いた。泣くことをやめた彼女は、涙にぬれた声で、明日はもうこなくて言いと告げた。
「明日の昼にね、もっと大きい病院に行くの。そこで手術をするのよ。だから、もう、ここへはこないでね」
「そっか」
「うん、最後なの。もう、これ以上しなくていい。最後の手術、私の命はそれで決まるわ」
「無理しなくていいんじゃない」
 今思えば、それはとても不謹慎な言葉で。彼女を怒らせるのに十分すぎるものだった。
「うるさい!!何がわかるのよ。もう来なくなった家族を毎日待ってる私の気持ちが。寂しくて寂しくて、手術がどれだけ痛くてもやるわ。今が、今が一番つらいの。これ以上につらいことなんてない!!」
 布団を頭までかぶり、彼女は怒りながら泣き出した。
「死にたくない、死にたくない。生きていたい。もっと、もっと沢山くだらない事を話したい。いろんなところへ遊びに行きたかった。もう一度…もう一度母の好きだった雪を二人で見に行きたかった」
 謝ることも、慰めることもできない僕は、日が暮れてもその場から動けなかった。

(明日…明日か、明日あたしは違う病院に行くのだ)
 夜の点滴を受けている最中、少女はもう会わないであろう少年に対して、申し訳ない気持ちになっていた。
 不安をあんなふうにぶつけてしまうなんて、しかも、あたしより年下の子に。彼はただ心配していただけなのに。
 難しい考え事をするときの癖で窓のほうを見ると、夜の暗闇の中にいくつもの小さな白い物体が、上から下へと流れていった。
「ゆき?」まるでそれは、冬の始まりの雪だった。
 少女の言葉に点滴をしていた看護師は、少女と同じように窓に視線を移すと首をかしげた。まだ雪の降るような季節ではない。不思議に思って当然だ。
 看護師は、窓から手を出し、ひとつだけ白いものを掴むと、少女に渡した。
「誰かが上でイタズラをしているみたいですね、注意してきます。」看護師はそういうと、病室を急いで出て行く。
 看護師と入れ違いになったのであろう、イタズラの犯人は、部屋に来ると、少女が窓の外に降っていたものに気づいていたことに安堵して、開いたドアの脇に座り込んだ。
「積もらなかった」
 上の階から、何十枚もの紙を破いて、下に落とすというイタズラをした彼は、それだを詫びた。
「それに、ちっとも溶けないわ」私は手の中にある紙切れを見せた。
「…ごめん」
「もったいないね、せっかく描いたのに」
「別に、全部君のための絵だ」
「とても、とても綺麗だったわ、ありがとう」

 僕は次の日に夕方に、彼女の病室を訪れた。知ってはいたけれど、彼女はそこにはいなかった。
 結局さようならは言えなかった、けれど、そのほうが良かったのだと僕は何年建っても思う。
 病室の隅には、いつか僕の描いたマネッチアの花の絵があった。
 その絵を抱え、初めてその絵の裏に文字が加えられているのに気づいた。
 〝花言葉:たくさん話しましょう〟

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