66.叫び
「しぐれさんと付き合ってたんだ。そんなのちっとも知らなかった……」
「もちろん、誰にも知られないようにこっそりって感じだったからね。でも、結局うまくいかなかったんだ。しぐれはあのとおり一途で、素敵な人だよ。彼女にはなんの落ち度もなかったんだけど、僕が自分の気持ちに嘘はつけなかったってことかな」
それは、わたしを忘れられなかったってこと?
人から好かれるのは心地いい。ただしストーカーみたいなのは困るけれど、大河内みたいに常識ある良く知った人物にここまで思われて悪い気はしない。
中学時代はとにかく学校イチの人気者で、ファンクラブまであったくらいだ。勉強も学年トップで、すべてにおいて遥を上回っていた大河内。
私立の難関中高一貫校に、より一層合格が難しい高校からの入学で、周りを驚かせたりもした。
ところがその後、ばったりと彼の活躍を聞かなくなり大学は一浪。彼に限って勉強で落ちこぼれるなんてことは絶対あり得ない。
何故だろうと前から思っていた謎が、さっきの彼の告白であっさりと解けた。
まあどうであれ、これからますます本領を発揮して、仕事をバリバリやってくれれば、将来の夫としては申し分ないと思う。
さっき、秘密はなしだって言ったよね。これから時間をかけて、ゆっくりと過去の隙間をうめていけばいい。なんでも聞いて、少しずつ愛を育てていけばいいんだから。
まるでお見合い結婚みたいだ。今になって考えてみると、わたしは大河内のことを何も知らない。知らないことだらけなのだから。
昔の人は、結婚式のその日まで相手の顔も知らずに嫁ぐことも多かったと聞く。それに比べれば、まだましな方かも。
少なくとも彼はわたしを愛してくれているし、中学の時からずっと好きだったと言ってくれた。だから大丈夫。きっと幸せになれる。
でもどうしてしぐれさんと付き合うようになったのだろう。しぐれさんだって遥と同様、別の人と付き合うのはまずいんじゃないだろうか?
それとも彼女の場合、若いけれどキャリアは遥よりずっと長い。事務所も力のある大きなところだと聞いているので、比較的自由に振舞えるのかもしれない。
しぐれさんが大河内に興味があったのはそれとなくわかっていたけれど……。彼女が行動を起こしたってことなのかな?
そして遥が本当に二人のキューピット役を担ったとしか考えられない。
「ねえ、大河内君。しぐれさんとは、その……どうやって付き合うようになったの?」
そうだ。その調子。なんでも聞いて、お互い分かり合うのが一番。これくらい聞いたってバチは当たらないでしょ?
「ああ、そのこと? 皮肉なもんだね。僕と君を引き離す必要がある人物と言えばヤツしかいないでしょ。……ごめん。ヤツだなんて。いくら君たちが別れたといっても、柊にとって堂野は永久に身内だもんな」
別にかまわないよ。それくらい。だって、遥だってずっと大河内のことを奴とかあいつとか、言いたい放題だったんだから……。
わたしが気にしていないというのがわかったのか、そのまま続けて大河内が答えてくれる。
「おまけに堂野は、建前上はしぐれと付き合っているわけだから、自分の彼女を僕に紹介するなんて非人道的なことを堂々とやってくれたんだ。もちろん僕だってあんな嘘っぱちな報道は信じてなかったから別に驚きもしなかったけどね。君のことはほぼあきらめ状態だったのもあって、彼女の望みだと聞いて、正直舞い上がってしまった。君も知ってる通り、雪見しぐれは唯一僕が興味を持っていた芸能人だったから……」
中学時代、わたしが雪見しぐれのファンだと言ったら大河内もそうだと言って、急激にわたし達が仲良くなったのを思い出す。
その頃まだ遥への想いに気付いていなかったわたしは、大河内と本や映画のことを話すのがとても楽しかったのだ。
でも彼に対しては、尊敬と信頼以上の感情は育つことはなく、程なくして遥へ特別な気持ちに目覚めてしまい、おまけに遥の嫉妬から、大河内を遠ざけられてしまうのだから進展のしようがなかった。
「ふふふ……。なつかしいな。そういえば、しぐれさんのファンだって話もよくしたよね」
「そうだな。あの頃が一番よかったのかもしれない……。でも彼女を紹介してくれた時、堂野は僕に嘘をついたんだ。君がアメリカに渡ったことを一切教えなかった。一年以上知らなかったんだ。もちろん彼女もそんなことは言わない。僕が柊のことを思っていると知っていたからね。見事に偽恋人同士の二人に嵌められたってわけだよ」
「嵌められただって……。それは違うと思う。遥は……。遥は、わたしが一方的に別れようと言ってアメリカに来たから、その……まだ気持ちにふんぎりがついていなかったのかもしれない。というか、わたしのことを話題にしたくなかっただけなのかも。遥に悪気はないはずよ。多分……」
そうだよ。悪気はないはず。軽い気持ちでそんなことを口にしたわたしは大河内の顔つきが一瞬のうちに変ったのを見逃さなかった。
「かばうのか? おまえは。堂野をかばうんだな。遥? 奴の名前をそれ以上言うな! 僕の前で奴の名前を二度と呼ばないでくれ! 頼む、柊……。おまえは誰にも渡さない。もちろん、あいつにも! 堂野はもうおまえのことなんてなんとも思ってないんだ。だから、だから……。もう、あいつのことは忘れてくれ、頼むから……」
あまりにもきつく、力の限り抱きしめられたわたしは、呼吸もままならず、彼の激しい嫉妬に恐怖すら感じる。
なんてバカなことをしたのだろう。取り返しのつかないことを言ってしまったんじゃないだろうか。
そうだよ。大河内は、わたしの大事な人なんだ。
その人の目の前で、過去の男性の名前を連呼した上にかばうだなんて、これ以上ひどい仕打ちは見たことも聞いたこともない。
たとえ互いに良く知った人物であったにしても、それは言ってはならないことだったのだ。
それにわたしったら、常に遥のことばかり考えている。遥はこうだったとか、遥だったらこうしたとか……。
なにやってるんだろう。こんな調子で、本当にこの先大河内を愛せるんだろうか。
「大河内君、ごめん……。わたし、あなたを傷つけるつもりはなかったの。もう二度と言わない。昔の過ぎ去ったことは全て忘れる。だから、許して? お願い……」
大河内の胸に頭を預け、許すと言ってくれるのを待つ。
するとよりいっそう抱きしめる腕の力が強くなり、その瞬間、耳元で告げられた彼の声が、鋭くわたしの胸に突き刺さったのだ。
「今夜、おまえの心からヤツのすべてを消し去ってやる。許すのはそれからだ……」
わたしの早鐘のように打つ心臓の音と、時を刻む秒針の音だけが、静まり返ったリビングに鳴り響いていた。
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