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続こんぺいとう
作:大平麻由理



60.逢瀬


 久しぶりに遥と肩を並べて歩いた。まだ十月に入ったばかりだというのに、日が沈んだ後は薄手のジャケットだけでは寒く感じる。
 今年の冬は寒さが厳しくなるのかもしれない。
「なあ、柊。明日一緒に東京に帰ろうか……」
 冷たくなったわたしの手を握りながら突然遥がそんなことを言う。
「だめだよ。まだ戻れない」
「なんで? 大学だってもう始まってるぞ?」
「わかってる。……でも、おばあちゃんが退院して落ち着くまではこっちに居ようと思うの。もうすぐ稲刈りも始まるし、うちの方も大変だし……ね?」
「そうだな……。ごめん。俺だってもっと協力しないといけないのにな。じゃあ、今月いっぱいは帰るのは無理ってことだよな?」
「うん。遥もいろいろ大変なのにこうやって来てくれて、今日はホントに嬉しかった。おばあちゃんだって、あんなに喜んでたしね。予定では、来週の終わりくらいに退院できそうなんだって。頭の傷口も比較的小さくてすんだみたいだし、早く家に帰りたい一心で先生や看護師さんの言うことをしっかり守ってる優等生なんだよ、おばあちゃんったら」
 おばあちゃんはまだ六十八歳なんだけど、農作業や日頃からこまめに身体を動かす生活が功を奏したのか、他に具合の悪いところは見つからず、術後の経過も驚くほど良好で、医師からも患者さんのお手本のような人と太鼓判を押されていたのだ。
少し高めの血圧と、働きすぎに気をつけるようにと言われただけで、退院後はリハビリのために病院に通えば、以前と変らない生活に戻れると励まされている。

 最近では手術のあとも、出来るだけ早目に身体を起き上がらせるように指導される。多少痛みがあっても、ふらふらしても、容赦ない。
 ここ数日のおばあちゃんの回復ぶりには目を見張る物がある。
 今日遥に会ったことで、ますます快方に加速度が付きそうだ。
「俺の分も、ばあちゃんのこと頼むな。それとお袋なんだけど……。なんか、今までと違う感じなんだけどな? 俺の気のせい?」
「ふふふ。やっぱ、そう思う?」
「あっ……。何か隠してんな? 何があったんだ。どういうことなんだよ」
「へへへ、おばちゃんね、結婚前に駆け落ち寸前だったんだって」
 わたしは、この前病室で綾子おばさんから聞かされた話を思い出していた。
 あの日を境に、確かにおばさんの様子が変った。わたしと遥のことを、何もかも受け入れてくれたような気がするのだ。
「駆け落ち? なんだそりゃ……」
「ひ、み、つ! わたしとおばちゃんの秘密だよーん」
 そう言って、子どもの頃よくやったようにあかんべぇをすると、遥の手を振りほどいて、造成地の間の道を家に向って駆け上がった。
「こら、待てよ! くそーっ! よくも内緒にしやがって。今夜、はかせてやるからな」
「絶対に教えてやんないから。悔しかったらここまでおいで!」
 昔よくやった鬼ごっこのように追いかけ合って、息を切らせてようやく家に帰り着いた。

 今夜の夕食はいつになく賑やかだった。遥が帰ってきたのを綾子おばさんから聞いていた母が、彼の好物を食卓に揃えてくれていたのだ。
 希美香と卓も加わって、久しぶりに台所に笑い声が広がる。
 でも父は相変わらずで、遥には話しかけるどころか、視線すら合わせようとしない。
 遥も父の機嫌を取るでもなく、完全に無視を決め込んでいる。
 二人とも、いったい何なのよ。
 普通、彼女の父親には、もうちょっと気遣いをするのが彼氏たるものの勤めではないかと思うのだけれど、遥も遥なら、父も父だ。この二人には世間一般の常識は全く通用しない。
 わたしの方がはらはらして、意味もなく父と遥にビールを勧めたりする。
 すると遥が急にショルダーバックからB四サイズの茶封筒を取り出し、父の前に差し出す。
「なんだ? ……婚姻届のサインか? そんなもの、簡単にこの俺がすると思うなよ」
 と、あくまでも挑発的な態度を遵守する父。
「はぁ? んなもん、持ってねえよ。おじちゃん、欲しがってたろ? サイン……」
 サイン。……サイン? そうだ、前に言ってた伊藤小百合のサインだ。
 父もそれに気付いたのか、袋を手にしてごそごそと中身を出す。
 裏に金紙が散りばめられた、やや上等そうな色紙が現われ、ポカンと口を開けたままそこに書いてある文面を食い入るように見る父。
「蔵城亮一郎さん江……伊藤小百合……。は、遥、もらってきてくれたのか? なんてことだ……。昔から変ってないよ、このサイン。若い頃買ってた芸能雑誌に、サインプレゼントってのがあって、それに載ってたのとほぼ同じサインだ。これこれ、これだよ! 遥、ありがとう。ほんとうに、もらってもいいのか?」
「ああ。恥をしのんで先輩に頼んで、もらったものだからな。何枚でもやると言ってくれたけど、さすがにそれは辞退したよ。東京に来ることがあったら、いつでも寄ってくれって。社交辞令だろうけど、まあ、おじちゃんがその気なら一度くらい一緒に行ってもいいぜ。あっ、もちろんおばちゃんも同伴で」
 その時母の顔がパッと輝いたのは言うまでもない。
 こういうところ、遥がわたしの両親の心を捉えるのがうまいなあと思う。美辞麗句を並べ立てるのではなく、さりげなく大人を喜ばせるテクニック。
 どうやって身につけたのか知らないが、昔からいつの間にかこうやって大人を丸め込んでしまうのだ。
 なんだかんだ言っても、結局わたしも彼に丸め込まれた一人なんだけどね。
 父の膝の上でウインナーをほおばる卓が、色紙に手を伸ばした。
「こら! おまえはさわるな。これはおじちゃんの宝物だからな。おまえには今度、グローブを買ってやろう。おまえは兄ちゃんよりずっと筋がいいから、将来楽しみだ。はっはっはっ」
 野球好きの父が、卓に大いなる期待を寄せているのだ。
 遥もリトルリーグに入っていたけど、ついにレギュラーになることもなく、くすぶって埋もれたままだったのを思い出す。
 俊介おじさんとうちの父が必死になって星一徹になろうとしていたけど、大人にいろいろ口出しされるのが嫌いな遥は、すぐに裏山に逃げ出していたんだっけ。
 今度は卓が二人の餌食になるってわけだね。

「遥。おまえ今夜こっちに泊まるんだろ? じゃあ、卓を頼む。こいつのせいで、夜中何度も蹴られてここんところ寝不足だからな」
 と、父さん……。卓を頼むって……。
 わたしと遥は、母屋で留守番を頼まれてるんだし、卓の面倒までは見れないよ、ね?
 遥を見ると、冷静さを装いつつも幾分顔が引き攣っているのがわかる。
「あら、あなた。はる君に卓を押し付けてどうするの。すうくんは誰と一緒におねんねしたいの? おばちゃんと? それともおじちゃん?」
 母の助け舟が入り、少しほっとしたのも束の間、父が間髪いれずに割り込む。
「兄ちゃんに決まってるよな? 卓の兄ちゃんは、日本中のみんなの人気者だもんな」と。
 キョロキョロあたりの大人を見回していた卓がにっこり笑ってある方向に向ってとどめを刺した。
「おじちゃんがいい! おふとんのうえで、おじちゃんとたたかいごっこがしたいよ。ぼくがブルーになるから、おじちゃんは、てきのぼすになってね。このまえみたいに、ぼくがかつんだから、おじちゃんはいきをとめてしんだふりしてよね。わ〜いわ〜い。たたかいごっこ。たたかいごっこ!」
 膝の上ではしゃぐ卓に、もう何も言えない父。
「わかったわかった。おじちゃんがいいのか。そうかそうか。……遥。明日の朝、おばあちゃんの電動式介護用ベッドが来るんだ。母屋の模様替えを手伝って欲しい。午前中時間あるか?」
「大丈夫だよ。それより……おじちゃん。ごめん。卓のこと」
「まあいいさ。なんでか卓に好かれてるんだよな……俺。おまえも知ってるだろうけど、俊介は出張中だから向こうの母屋の戸締りと希美香のこと頼んだぞ。その……柊も、なんだな……。その、あれだ」
 あれとか言われても、何のことかさっぱりわからないんだけど。父にもだんだん老化現象が忍び寄ってきているのだろうか。
「遥と、その……積もる話しもあるんだろ? おまえたちも久しぶりなんだ。二人でゆっくりしろ」
 それだけ言うと父は、卓を抱きかかえて、台所を出て行った。
「えっと、あたしは一人で大丈夫だからさ。お兄ちゃん達は、母屋でごゆっくり〜。ってことでおじゃま虫はとっとと消えますよ。その代わり後片付けよろしく〜。じゃあねえ。おばちゃん、ご馳走さま!」
 き、希美ちゃんまで。もしかして、みんなして気を遣ってくれてる?
  ……ありがとう、父さん。それに希美ちゃんも。
 口は悪いけど全てわかってくれている父に、そして、さりげなく気遣ってくれる希美香に。わたしは心の中で感謝の言葉を繰り返すことしか出来なかった。

 片付け物を遥と二人で手伝ったあと、母に追い出されるようにして家を出たわたし達は、母屋の客間に入るや否や、電気を点けるのさえもどかしく、暗がりの中どちらからともなく抱き合い、唇を重ねた。時折漏れる遥の熱い吐息に身も心も溶かされそうになりながら。そしてもつれ込むようにして畳の上に倒れこむ。
 身体の隅々にまで遥の刻印を受けたわたしは、次々と押し寄せる深く激しい行為に、ひと時、身を任せるのだった。



















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