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続こんぺいとう
作:大平麻由理



57.許し


 おばあちゃんの手術は成功した。
 出血も思ったほど多くなく、予定通りの時間で手術室から集中治療室に移されたと、父から聞かされた。
 夕べ寝ていない父と俊介おじさんは、そのまま病院から仕事に行き、綾子おばさんはおばあちゃんが目覚めるまで付き添うと言って病室から動こうとしない。
 あと数時間で目覚める場合もあるけど、二、三日このままの状態が続くこともあるので、身内の方の疲労の方が心配だと、担当医も看護師も口を揃える。
 おばあちゃんの着替えも必要だから取りに帰るついでに少しでも寝たほうがいいと言って、ためらうおばさんを無理やり家に帰した。
 母は家で卓の面倒を見ている。わたしは希美香と一緒にベッドの脇で、いつ目覚めるともわからないおばあちゃんの寝顔をじっと見ていた。
 体中に管が付いていて、頭は包帯でぐるぐる巻きにされている。
 顔色も悪く、頭の傷のせいか顔が幾分むくんでいるのが痛々しい。
 時々苦しそうに、ううう……とうめくけれど、目を開ける気配は一向にない。
 希美香と交代で近くにあるレストランで昼食を取った。

 朝イチでこっちに来ると言った遥。なのに、まだ彼は姿を見せていない。
 いつもなら食べきれるはずの量のランチセットも、半分も食べないうちに箸が止まる。
 めっきり朝晩は涼しくなって、秋が忍び寄ってきているのを肌で感じるが、日中はまだ暑い。
 一口も飲んでいないグラスの水の中の氷もいつの間にか解けてなくなった。
 セットの最後に出てくるコーヒーも苦さしか感じない。
 そろそろ病院にもどろうかと立ち上がりかけた時、握り締めた携帯がメールの着信を知らせた。
 遥だ、となぜか直感でわかったわたしは、ボタンを押すのももどかしく、送られてきたメールをやや乱暴に素早く開いた。
 ──今日の仕事はキャンセルできない。終わり次第病院に向うのでみんなにそう伝えてくれ。ばあちゃん手術成功したそうだな。よかった。気になって今日の仕事は上の空で叱られてばかりだったよ。柊、すぐに行けなくてごめん。家族のことよろしく頼む。
 ……なんとなくそうなる気はしていた。
 俳優さんが舞台をやっている時、親の死に目にも会えないというようなことを、何かの番組で聞いたのを思い出す。
 祖母が倒れたと言っても、聞き入れてくれないのだろうか。
 いや、遥のことだ。回りの様子を窺いながら言い出すタイミングを待っているのかもしれない。なんとなくだが、今夜も遥は来ないような気がしていた。

 夕方には少し顔色の良くなった綾子おばさんが、着替えや洗面道具を抱えて病院に戻ってきた。
 おばさんに家にもどるように言われたけど、遥が来るかもしれないからともうしばらくとどまることにした。
 なんの根拠もないのだが。
 希美香もまだおばあちゃんの側に居たそうだったけど、明日は学校に行きなさいとおばさんに言われて、しぶしぶ家に帰った。
 相変わらずおばあちゃんは眠ったままだ。
 看護師さんが熱を測りに来て、カルテに書き込む。
 血圧も脈も異常はなく、何かあったらすぐ呼んでくださいとだけ言って部屋を出て行く。
 集中治療室には手術をしたばかりの人や、おばあちゃんよりもいっぱい管をつけている人が何人かいた。
 でもその隣には、特別集中治療室というのもあって、もっと危険な症状の人が入るところのようなのだ。
 そこに入らなかったということは、おばあちゃんの容態は思っているほど悪くないのかもしれない。
「柊ちゃん、いろいろとありがとう。あなたがいなかったら、おばあちゃん、あのままお風呂場で冷たくなってたかもしれなかったわ。救急隊の人もお医者さまも、あなたの行動を褒めて下さったのよ。あの時、無理やり動かさなかったことが出血を最小限にとどめたかもしれないって」
 おばあちゃんの手を握り締めている綾子おばさんが、聞こえるか聞こえないかくらいのとても小さな声でわたしに話しかける。
「おばちゃん。わたしあの時ね、おばあちゃんの声が聞こえたような気がしたの。確かに聞こえたのよ。それでお風呂場に向ったんだ。で、後はもう無我夢中で何をどうやったかなんて覚えてない。とにかくみんなに知らせなきゃって、気付いたら大声で叫んでた」
 あの時のことなんて、ほとんど何も覚えてないのだから。
 おばあちゃんの姿を見たその瞬間から病院に着くまでの数十分は、ところどころの記憶が抜け落ちていて、覚えている部分もまるで自分が遠くから自分自身を見ているような奇妙な感覚しかない。
「台所の窓を開けてたから、柊ちゃんの声よく聞こえたわ。でもすぐ隣に住んでいながら、何も気付かなかった私は、俊介さんの妻としては到底失格よね。あの時、柊ちゃんが来なかったらと思うと……。今でも体が震えるわ。柊ちゃん、あのね……」
 おばさんはおばあちゃんの手をそっとさすりながら話を続ける。
「私達が結婚する時、おばあちゃんはとても複雑な気持ちだったと思うの。一人息子なのに、養子に出すんだものね。私だって夫の姓を名乗るあこがれはあったのよ。蔵城家の一員になれることをどれだけ夢見たか……。でも、私の親がそれを許さなかった。ならば家を出て、俊介さんと駆け落ちしようとまで決心してたのに、おばあちゃん……いやお義母さんが、どうぞと言って養子になるのを承諾してくれたの。お義母さんも、当時としてはめずらしく恋愛結婚だったらしくて、いろいろ困難を乗り越えて今があるって聞かされて……」
 おばさんから直接こんな話を聞くのは初めてだ。
 遥や希美香、卓の母親としてのおばさんしか知らないわたしは、駆け落ちなんて言葉をさらりと言ってのけることに、少し驚いた。
「駆け落ちって、なんだかドラマみたいだね。でも、おじちゃんとおばちゃんがここで結婚してくれて良かった。だって、そうじゃなきゃ、遥と会えなかったかもしれないし……」
「おや、まあ。柊ちゃんったら……。遥も幸せ者だわね、こんなにあなたに想われて。わたしも幸せ者かもね。だってあなたがお嫁さんなら、何の苦労もないもの。大学卒業したら式挙げてきちんとしましょうね。今なら私もお義母さんの気持ちがよくわかるの。遥が蔵城姓になっても、もう何も言わない。親ならば誰だって、子どもの幸せを願うものよ。……ね?」
 おばあちゃんがこんな状態の時に不謹慎かもしれないけど、おばさんはわたし達のこと、許してくれたんだ。
 おばあちゃんも喜んでくれるだろうな。
 こうなったらなんとしてもおばあちゃんに元気になってもらわないと。わたしの花嫁姿を絶対にみてもらうんだ。
 そして、おばあちゃんの自慢の孫の立派な花婿姿も……。
 
 急におばあちゃんが左手を動かして、眉間に皺を寄せ苦しそうな表情になる。
 かすかに口を開いて何か言ってるようだ。
「んんんんん……。しゅん……す……け。いたい……。いたい……よ」
「お義母さん、お義母さん、大丈夫? しっかりして。柊ちゃんナースコール!」
 おばさんの大声にびっくりしながらも、あわててナースコールのボタンを押す。
 一度で充分なのに、何度も何度も押した。
 すぐに看護師さんが二人やってきて、おばあちゃんの手首を取り脈を確認している。
「蔵城さん、蔵城さん、わかりますか? 声が聞こえますか?」
 おばあちゃんは看護師さんの声に気付いたのか小さく頷いた。
 ようやく開いたまぶたから、焦点の定まらない瞳が宙をさまよう。
 そしてゆっくり口元が動いた。
「ひいあい……ひいあい?」
 確かに今、わたしの名前を呼んだ。
「お、おばあちゃん、おばあちゃん!」
 ああ……。おばあちゃん。目を開けてくれたんだ。そしてわたしの名前を呼んでくれた。
 嬉しさのあまり何度も大声でおばあちゃんと叫んだものだから、看護師さんにお静かにと注意を受け、わたしはあまりの恥ずかしさで、思わず赤面したのだった。


















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