55.おばあちゃんの声
「まさか蔵城さんが堂野遥と親戚だったなんて、びっくりだわ」
閉館後の雑務を終えて帰り支度をしていた江島さんが、首をすぼめて両手を広げ、まるでハリウッドスターのようなオーバーリアクションで応戦する。
なんで今まで黙ってたのよーと。
まさか恋人だとも言えないし、はたまた親戚だと自ら教える必要もないし……ね。
「それにしても堂野遥……おっと、ごめんなさい。呼び捨てにしちゃった」
「いや、別にかまいませんよ」
「その……堂野さんだけど、かなり慌ててたみたいね。こんなこと聞いちゃ悪いけど、お身内に何かあったんじゃないかと思って。あなたもあの後、落ち込んでたみたいだから……。一緒に帰らなくて良かったのかしら?」
何か不幸でもあったのかと、気を回してくれているのだろうか。
親戚が仕事中に駆け込むといえば、そういう理由が一番多いのだろうけど、残念ながらその予想は全くはずれている。
でも、どう言い訳すればいいのか、さっき抱きしめられていた時の余韻があまりにも鮮明に残りすぎて、気の利いた言葉がすぐに出てこない。
「な、何もないんです。ただ、たまたまこっちに仕事で来てたらしくて、その……実家の家族の様子なんかを、知りたかっただけっていうか……。彼の両親は彼の仕事のことをあまり良く思ってなくて」
「そうなの? なら良かった。そうよね。ああいう仕事してたらご両親も心配でしょうね。でも驚きだわね。あなたも彼のこと、もっと自慢して言いふらしていてくれてたら良かったのに。でもあたしも鈍いわよね。あなたと彼が同じ大学だっていうのに何もピンとこなくてさ。おまけにさっき携帯でファンサイト見てみたら、彼も西山第一高出身なのよね。ほんっと、あたしってこういう芸能ネタには疎いんだわ。ここの職員としてすべての情報にくまなく精通してなくちゃならないのに……ね?」
別に図書館の職員が芸能ネタに精通している必要性はどこにもないんだけど、完ぺき主義の江島さんなら、今すぐにでも実践しかねない。
江島さんも西山第一高出身だったりする。
わたしが後輩だとわかってから、ますます親しみを感じたのか、仕事で困った時も懇切丁寧に指導してくれていた。
まあこの街では、高校の数もしれてるので、道行く人に五人も尋ねれば必ず一人は同窓生なんてこともあって、珍しくもなんともないのだけど。
「ああ、なんか今日はいいことありそうだわ。だって実物の堂野遥に会えたんだもの。とてもかっこよかったわね。惚れ惚れしちゃった。どことなく蔵城さんと似てるわね。さすが血は争えないわ」
また言われた。似てるって。高校の時もやなっぺの第一声がこれだった。
親戚だというと、やっぱりね、という言葉も漏れなく付いてくる。
血のつながりはないんだけど、わたしの父と遥のお父さんがよく似ているので自然とわたし達も似てしまったのだろう。
あまりいろいろ言いたくなかったので、そうですね、と曖昧に返事をし、その場をうまくごまかした。
「ほんとうに蔵城さんと同い年なの? 彼、とっても大人っぽく見えるわね。雪見なんとかって人と付き合ってるんだっけ? ふふふ。これだけは前に雑誌を見たし、テレビでも言ってたから、あたしだって知ってるもの。もし二人が結婚なんてことになったらあなたも式にでるのでしょ? 雪見なんとかさんとも親戚になるのよね? でも、なんかあの人好きじゃないわ。ツンと澄ましていてプライド高そう」
そんな風に見えないこともない。
特にあの時のテレビ映りはそのように受け止められても仕方ないくらい、無表情だったから。
でも、本当の姿は違うのだ。もっと自然体で、やさしくて……。
次の瞬間、もうこの話は終わらせようという自分の意志とは反対に、ついついしぐれさんをかばう発言をしてしまったのだ。
「そ、そんなことないです。しぐれさんはとってもいい人で……」
「しぐれさん? しぐれさんって言うんだ、あの人。で、蔵城さん知ってるの?」
江島さんの言葉に載せられて、わたしってば、余計なことまでしゃべってしまったみたいだ。
「はい……。東京では仲良くしてもらってて。今でも時々メールしたりするんですが、ほんとに普通の人なんです。テレビでは冷たい感じに映ってるけど、すごく表情豊かで優しい人。料理も上手なんですよ」
世間一般でささやかれているツンとしてプライド高いお姫様という像は、あくまでもテレビ画面の一部を切り取られて捏造された彼女のイメージだ。
素の彼女を知ってしまえば誰もが彼女の虜になってしまうというのに。
江島さんに罪はないのだけど、世の中の人はみんな、前の報道を真に受けてるんだろうなと、改めて痛感させられた。
真実を知らない彼女は、何のためらいもなく遥としぐれさんが結婚したら、なんてさらりと言ってのけるのだから。
さすがにこの部分は否定するわけにもいかず、苦笑いをしてその場をやり過ごすしかない。
遥に記者が張り付いていないことを祈りつつわたしは帰路についた。
図書館のアルバイトも明日一日で終わりという九月の最終週を迎えていた。
来週からは大学も普通どおりに講義が再開されるので、あさってには東京に戻る予定だ。
夕食を早目にすませると、まだほんのり薄明るい夕暮れ時、わたしはおばあちゃんの家に向っていた。
夏休みの間もバイトが忙しく、おばあちゃんとゆっくりしゃべることもできなかった。
今夜はおばあちゃんの家に泊まるつもりで、蔵城と墨字の表札がかかった大きな門をくぐり、おばあちゃんのいる奥の居間をめざす。
おばあちゃんの住んでいる母屋は、わたしの家とほぼ同じ作りになっている。
ちがうのは玄関がまだすべて土間のままなところ。
うちは土間を半分つぶして板の間に改造し、やたら広い玄関ロビーが出来上がった。
友達に旅館みたいと言われて、恥ずかしかった思い出がある。
でも土間はとても便利だ。ぬれたくつや傘も気兼ねなく置けるし、雨の日の洗濯干しにも都合がいい。
子供の頃、ここでままごとをしたりして遊んだのをふと思い出した。棒やスコップで穴を掘って、叱られたこともあったっけ。
これはほとんど遥の仕業だったけどね。夏でもここだけは少し冷んやりしていて涼しく感じる。土間に立っておばあちゃんを呼んでみた。
「おばあちゃん、来たよー! ひいらぎだよ!」
いつもなら、すぐにここまで駆けつけてくるのに、どうしたのだろう。
「おばあちゃん? おばーあーちゃーーん!」
何度呼んでもダメだ。返事がない。来る途中、通り過ぎた畑にもいなかった。きっと家のどこかにいるはずだ。
サンダルをぬぎ、廊下を素足のまま歩いて奥の居間に向う。
電気はついているけどおばあちゃんの姿はそこにはなかった。
今夜行くからねと言っておいたのに、どうしたんだろう。
台所の裏手にある風呂場にいるのかもしれないと、そっちに足を向ける。
なんか、気配がおかしい。
暑さのせい?少し耳鳴りがするような気がして落ち着かない。
何かが聞こえる。低い音。扇風機のモーター音? それとも車の音? 虫の鳴き声?
な、なんだろう。……おばあちゃん?
台所には電気がついていない。風呂場にも。天上のしずくが湯船に落ちる音が響く。
ひとつ、ふたつ……。胸騒ぎがする。誰かいる。風呂場に。
脱衣所のカゴをまたぎ、風呂場をのぞいた。風呂桶に人の気配がする。
おばあちゃん……?
扉の横にある風呂場の電気をつけて中を見ると、湯船につかったまま檜の風呂桶の淵を両手で掴み、そこに頭を載せて低くうめいているおばあちゃんがいた。
「おばあちゃん!」
わたしは咄嗟に、風呂桶の中の栓をはずして水を抜き、おばあちゃんの肩にバスタオルを掛けた。これで、おぼれる心配はない。
むやみに病人やけが人を動かしてはいけないと、どこかで聞いたのを思い出し、おばあちゃんをそのままにしてすぐに携帯で母に知らせ、風呂場の窓から大声を出して、隣の離れにいる堂野家の人を呼んだ。
数分後には救急車も来て、おばあちゃんは救急隊員の手によって担架に乗せられ、隣町の総合病院に運び込まれたのだった。
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