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続こんぺいとう
作:大平麻由理



54.このまま溶けてしまいたい


 このところ図書館は人も少なく、午前中は貸し出し業務もいたって楽になった。
 八月の終わりごろには小中学生があふれんばかりであんなに大変だったというのに。
 交代で取る昼休みに、休憩室でみんなに土産の野沢菜漬けを配った。
 高校時代の女友達と長野に行ったと言っても、江島さんは、うそ、彼氏と行ったんでしょ? と、完全に疑いのまなざし。同じ時期にバイトで入った学生の瀬田君までもが江島さんに同調する。
 まあ、ムキになって言い争うようなことでもないし、携帯で撮ったやなっぺとのツーショットを見せた時点でなんとか信じてもらえたようだから、それでよしとしよう。
 夕方になり学校帰りの学生たちも増え始め、館内が少し活気付く。
 友達同士で来ている女子高生もつい気が緩んでしまうのか、話し声が大きくなって時折甲高い笑い声までもが館内に響き渡る。
 そんな時江島さんが、申し訳ありません、お静かにお願い致します、と注意するのだが、素直にごめんなさいと誤る彼女達を見ると、今の若者も捨てたもんじゃないななどと微笑ましく思ったりもする。
 わたしだってまだ、彼女達とあまり歳が変わらない若者なんだけどね、えへへ。

 そんな時、子ども連れの三十代くらいの母親が、植物図鑑でいいものはないかと尋ねて来た。
 植物の書架の場所を教えたが、すでにそこに行ったけどいいのが見つからなかったと困った表情を浮かべている。
 道端の草花の名前がわからないので、わかりやすいイラストか写真のあるものがいいらしい。
 わたしはパソコンで館内の図鑑を照会し、あらゆる分野からニーズにそったものを選び出そうとリストアップしていく。
 子どもと一緒に調べたいという母親の願望を感じ取ったわたしは、児童書のコーナーにある図鑑をくまなく調べた。
 そして、そこに母親を誘導するため、貸し出しカウンターの席を立つ。
 植物の特徴をよく捉えた手描きイラスト入りの図鑑を探し出したわたしは、母親にそれを差し出した。それを手に取りページをめくった彼女はにっこりと笑う。

「これがいいわ。写真だと意外とわかりにくいのよね。あっ、このツルのようなの。ヘクソカズラ? おもしろい名前ね。どうもありがとう。ちょっと読んでから借りるかどうか決めるわね」
 
 そう言って、絵本のコーナーにいる子供を手招きしてこちらに呼び、そばのテーブルで図鑑を広げて親子で頭をつき合わせて調べ始めた。
 こうやって利用者に満足してもらえると、こっちまで満たされた気分になり、もっと役に立てるよういろいろ勉強しなくてはと思う。

 ひと仕事終えた気分でカウンターに戻ろうとした時だった。
 江島さんが大きく目を見開いて彼女の前にいる人物と何やら話している。
 どうしたのだろう。あきらかに彼女が動揺しているのが離れているわたしにもわかる。
 利用者からのクレームだろうか?
 わたしと目が合ったとたん江島さんが立ち上がり、大きく手を振って、こっちこっちと呼んでいる。場所柄大声を出せないのがもどかしいとでもいうように。
 そして、カウンター前に立っている人物もこちらに振り返った。

 ま、まさか……。

 はるか? 遥だ。いったいどうして?

 館内は走らないで下さい、という張り紙を横目に、いつの間にか小走りで、カウンターにたどり着く。
「蔵城さん! こ、こちら堂野さん。あ、あなたに用があるとか」
 江島さんの驚きは相当なもののようだ。わたしはまだ彼女には、遥との関係は何も話してなかったのだ。
「は、遥。どうしてこんなところに? 仕事は? 家には帰ったの?」
 わたしだって江島さんに負けないくらい動揺している。なんで、彼がここにいるの?
 矢継ぎ早の質問に、遥も戸惑いを隠せない様子だ。わたしの腕を掴み、怖いほどの視線をこちらに向ける。
「おい、落ち着けよ。時間がないんだ。今ちょっとだけいいか?」
 いいかって、わたしは仕事中だよ。困るよ、そんなの。
「落ち着けったって、ここは図書館よ。みんなだって見てるし……」
 そーっとあたりを見回すと、不思議そうにこっちを見てる人、何かこそこそと耳打ちしながら様子を窺っている人と、どことなくあちこちから奇異の視線が注がれるのがわかる。
 すると近くの机にいた女子高校生達が立ち上がり、その中の一人がボソッとつぶやいた。
「あれ、もしかして、堂野遥じゃない? ねえねえ、きっとそうだよ」
 それに釣られてみんなが口々に遥の名前を連呼し始めた。
「さあ、二人とも……。ここにいてはいけないわ。奥の小会議室にでも行って」
 江島さんが機転をきかせてその場を収めてくれた。危ないところだった。
 全国的にはまだマイナーな遥も、地元では相当知れ渡っている。
 雪見しぐれのあの一件から、興味本位で騒ぎ立てる人が後を立たない。どうやって調べたのか、家の方にもファンと名乗る女の子が現れるというのだから。

 小会議室でなんとか事なきを得て、遥と向き合うことができた。
 何日ぶりだろう。顔を見るのはもちろん、声を聞くのも。
「突然で悪かったな……」
「ホントにびっくりした。心臓に悪いよ」
 じっとわたしを見つめる遥の瞳が眩しくて、つい目をそらしてしまう。
「藤村から聞いた。おまえ、事務所から何か言われたのか?」
 藤村? どうしてここで藤村の名前が出てくるのだろう。事務所から何か言われたって?
 やなっぺだ。やなっぺが藤村にわたしの話したことをしゃべったんだ。
 信じてたのに。誰にも言わないって……。
 やなっぺが約束破るなんて、今まで一度だってなかった。なのにどうして?
「前からおかしいなとは思ってたんだ。夕べ、牧田さんに問いただしたけど、彼女、さすがだよ。とぼけるばかりで、絶対口を割らない。どうせ、俺と会うなとか言われたんだろ?」
「そ、そんなことない。ただわたしの方が、遥の邪魔になったらいけないと思って……」
「邪魔に? そんなもん、なるわけないだろ。なんで俺から逃げるんだよ。怒ってる? 前の雪見しぐれのこと怒ってるのか? あれはちがうと言っただろ。あれから一度だって彼女と会ってないぜ。本田先輩のところへももう行ってないしな。あのマンションに先週移ったんだ。だから、早く東京に戻って来いよ。な? 今から一緒に東京に帰ろう」
 わたしの手をとりながら、いとも簡単にそんなことを言う。それが出来るのなら、とっくの昔にそうしてる。
 出来ないからここにいるのに……。この前、牧田さんが言ったことを思い出す。
「遥はもう、前の遥じゃないのよ。記者も張り付いているっていうじゃない。ここに来てるのだってバレてるかも。また写真撮られて大ごとになったらどうするの? しぐれさんにだって迷惑がかかるわ。遥だって仕事続けられなくなるかもしれないのよ」
「ならそれでもいいよ。こんな仕事、こっちから辞めてやろうじゃないの。おまえは俺と離れてても何も感じないのか? 平気なのか?」
 そんなわけない。寂しい。
 寂しくて、辛くて、何度心が消えて無くなってしまいそうになったかしれない。
 抜け殻の自分がただ生きるためだけに呼吸をしている毎日。
 何も考えずにこのまま遥にどこかに連れて行ってもらえるなら、今すぐにでも二人でここから立ち去りたい。
 でも、もう……。遥とわたしの二人だけの問題ではないのだ。
「遥、聞いて。あなたがもし仕事を辞めたらどうなる? 牧田さんは? 事務所は? しぐれさんは? しぐれさんの事務所は?」
 髪の毛を掻きむしり、クソッ! と悪態をつく。遥だってわかっているのだ。
 全てわかっていて、どうしようもなくてここに来ているのだから。胸が苦しくなって涙があふれそうになる。でも泣いたらだめだ。
 今泣いたら、遥もますます自分を抑えられなくなって この泥沼から抜け出せなくなる。
 下を向いたまま必死で涙をこらえて口元に力を入れた。
 わたしの手を強く握っていた遥の手がすっと離れた。
 そして彼の体が目の前に迫ってきたかと思うとそのまま抱きしめられていた。
 ジャケット越しに感じる遥のぬくもりは、東京の香りをそのまま運んできたようだ。
 サングラスも帽子も着けずに無防備なその姿は、慌ててここまでやって来た証拠なのだろう。
「わかった。おまえの気持ちも、俺のすべき事も……。今日はこれで帰る。十月には大学に戻るんだろ? 帰る時は連絡しろよ。俺もなるべく電話するようにするから」
 遥の腕により一層力が入る。
「うん。そうする。……ねえ、遥? もうこっちには帰れないの? おばあちゃんにも会ってないんでしょ?」
「ああ。今日だって牧田さんの目をぬすんで新幹線に飛び乗ったんだ。帰ったら大目玉食うだろうな。この先休みもないし、後期の講義も単位がとれるギリギリしか出席できそうにないんだ」
「……身体にだけは気をつけてよ。ちゃんと食べて、ちゃんと寝て……」
「おまえこそ、いまの言葉そのまま返すよ。抱きごこち悪いぞ。痩せただろ?」
 遥の手がわたしの前髪に触れ、そのまま頬を撫でて下に降りてゆき、指先が唇にたどりつく。
 はっとした次の瞬間、そこに彼の唇が重ねられ、再び体が(きし)むほど強く抱きしめられた。
 ああ、このまま溶けてしまいたい。何も考えず、すべてを忘れ去って、今ここで息絶えてもいいと思った。

 その時、低く唸る振動が、突如あたりの空気を揺らす。まるでタイムリミットだとでも言うように。
「フッ。ここまでか……」
 わたしから顔を離した遥が携帯を取り出し、電話に出る。
「もしもし……。はい。……わかりました。すぐにもどります」
 相手は牧田さんだろうか。パタンと乱暴に携帯を閉じるとそれを手に握り締めたまま、また抱きしめられる。
「俺な、ほんとにおまえのこと好きだわ……。もうどうしようもないくらい。だから、だから、早く戻って来て。待ってるから……」
 わたしの首筋に顔を埋めたまま、くぐもった声でとんでもない告白をする男。
 さっきのキスと首筋にかかる甘い吐息のせいで、立つことすらままならないわたしは、返事も出来ずにただ呆然としていた。
「そろそろ……行くよ」
 ようやくわたしから離れた遥は、またみんなが騒ぐといけないからと、外まで見送ろうとするのを制止する。
 去っていく遥の後ろ姿を見ることしかできないわたしは、頬を伝う涙に、しばらくの間、気付かなかった。






  







尚、タイトルの『このまま溶けてしまいたい』の溶けるですが、融けるとどっちにしようかとすっごく悩みましたね。
調べてみると溶けるはある物質が他の物質に混ざり込む現象を言うのだそうです。
ここはやはり、柊は遥と混ざりこみたいに違いないと、こちらを選択しました。
言葉って難しい〜〜。







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