47.なつかしい声
結局、遥と直接連絡がとれたのはその日の真夜中。本田先輩の携帯番号でかかってきたその声の主は、まぎれもなく遥だった。
登録番号以外の電話は着信拒否に設定しているので、遥の新番号はわたしの電話では受け付けなかったのだ。
それに気付いて設定解除にしたのはついさっき。
遥の努力もむなしく、新しい番号はわたしに届かなかったというわけだ。
本田先輩の番号は登録してある。先輩の実家に遥が世話になっていた時、もしもの事があったらと無理やり登録させられていたのだ。
先輩に遥のことを尋ねてみようと思わなかったわけではない。でもそれこそ、最終手段の一番ラストに使う奥の奥の手としてとっておいた……というのは言い訳。だって、やっぱり苦手なんだもの。本田先輩と話すのは……。
必要ないと思っていた先輩の番号がこんな形で役に立つなんて。削除しなくて良かったとホッと胸を撫で下ろす。
『新しい番号はこのあとメールで送っておくからな。……それにしても参ったよ。まさか写真撮られてたなんてな。ちっとも気付かなかったよ。でも発売の数日前にしぐれさんの事務所に打診があって、もみ消しも可能だったらしいけどな。結局、ああいった形で世間にさらされることになってしまって、もう、今朝から俺の携帯も事務所も電話鳴りっぱなしでさ。おまえに連絡するの遅くなってごめん……。心配掛けたな』
取りあえずは声も聞けたし一安心なんだけど、話の真相はどうなのか。
デマであるとわかっていても、遥の口からちがうと言ってもらわないと落ち着かない。
「しぐれさんと付き合ってる、なんてこと、ないよね? あれは、うそだよね?」
『はあ? んなもん、うそに決まってるだろ? あの写真二人しか写ってねーけど、あの時彼女のマネージャーもいたんだぜ。電話がかかってきて、店の外に出た瞬間、まるでずっと二人でいたかのような場面を撮られたんだ。カメラマンも記者も全部わかっててやってるんだ。文のどこにも二人っきりって書いてねえだろ?』
わたしは手にしていた週刊誌をもう一度見てみる。確かにどこにも二人っきりとは書いていない。
にこやかに微笑んでリラックスした表情の二人──とある。
「ほんとだ。……でも安心した。これが事実だったらわたし、しぐれさんに殴りこみに行ったかも」
『おいおい、警察沙汰だけは勘弁してくれよ。しぐれさん、大河内のこと、やっぱ気になるんだと。会えるように段取りするなんて言ったけど、俺あいつの連絡先知らないし、バイト先におしかけてまでってのもな。おまえ、どう思う?』
「どうって……。大河内君もしぐれさんのファンみたいだから案外いい組み合わせかもしれないわね。しぐれさんが会いたがってるって言えば大河内君も嫌とは言わないと思うけど……」
『そうだな。ああ、なんか気がのらねえ。かと言って、おまえに大河内に連絡しろとは死んでも言いたくないしな。あいつ、榎木山ホールでバイトしてるんだったよな。しょうがねえな……今度、行ってみるわ』
「うん、頼むね。そういえば、うちにも、遥んちにもリポーターの人が来たらしいよ。明日のワイドショーに写るかも」
『そうなのか? ……いろいろ面倒かけるな。ばあちゃんやお袋達、何か言ってた?』
「まだ、直接話したわけじゃないからわかんないけど。遥、家に電話もしてないんだって? おばちゃん、怒ってるって母さんが言ってた。今からでもかけてみれば?」
『うーん……。そのうちな。あっ、それと、明日の午後記者会見があるらしいんだ。俺は関係ねーけど、しぐれさんサイドがなんらかの表明をするって。今のところ、全面否定の方向らしいけどな。じゃあ、また何かあったら連絡するわ』
自分の言いたいことだけ言って切られた感じもしないでもないけど、あの調子だと当分家に電話する気もなさそうだ。
まあ、わたしに中継ぎの役割をしろってことだよね。明日朝一番に隣に行って、今の話を知らせてあげよう。おじさんもおばさんも安心するだろうな。
次の日は図書館のあと塾の講師と、ダブルヘッダーで仕事が待っていた。当然ワイドショーも見れるはずもなく、昨日のインタビューも午後の記者会見も知らないまま。
図書館の仕事を終えた後、近くのカフェで簡単に夕食を済ませ、そのまま塾になだれ込んだ。
中学3年生の国語を担当しているわたしは、長文読解のプリントの宿題を答え合わせしながら、ひとつひとつ説明を加えていく。小さな塾なので少人数でとても教えやすい。アットホームなところが昔とちっとも変わっていない。
そういうわたしも中学3年の時の夏休みと冬休みの集中講座でここでお世話になった。
内申点が完璧に不足していたわたしをどうにかなだめすかし、合格ラインまで引き上げてくれたここの先生には今でも感謝している。
三年の一学期の内申点があそこまで低くて西山第一高に合格した子は、いまだかつてないとまで言わしめた恐るべし綱渡り的な受験生だったわたしを、塾長は今でもかわいがってくれるのだ。
そんな劣等生だったわたしが城川大に合格したと報告した時、まさしく天と地がひっくり返ったと塾長が涙を流して喜んでくれたのは、つい昨日のことのように鮮明に脳裏に焼きついている。
そのお返しが少しでもできればと、この仕事を引き受けたのだ。
生徒たちがキラキラした瞳で黒板を見てプリントに書き込みをしていく。静まり返った教室には、ペンを走らせる音しかしない。
なんだか胸の奥がきゅんとするような今まで感じたことのないような情感が満ちてくる。
是非ともここにいる生徒達全員の夢が叶うようにと心から応援したくなる瞬間だ。
五十分の授業が終わり一〇分間の休憩になる。
学校とちがいチャイムも鳴らないので、授業の延長のような休み時間。トイレに行く子、隣の友達とおしゃべりに花を咲かせる子。パンをかじる男子生徒もいる。その光景を眺めているのも、また楽しい。
「……見た見た! ……だよね……やっぱりね。あたし雪見しぐれ大好き。去年やってた連ドラですっかりファンになっちゃった」
「あたしは、堂野遥がいい。でも残念。応援しようと思ってたのに雪見しぐれと付き合ってるなんて……」
えっ? 今、慣れ親しんだ名前が教室にこだましたような気がしたんだけど。女子三人組が何やらうきうきと楽しそうに話しをしてるのだ。
どこかで聞いたような内容がとぎれとぎれに聞こえてくる。
当の本人達はひそひそ話のつもりなのだろうけど、若いエネルギーに満ち溢れた彼女達のパワーは大学生の比じゃない。
「ねえ、蔵城先生に聞いてみない? 先生なら知ってるよ。先生! ちょっといいですかあ?」
三人組のひとりが手を上げてこっちを見ている。いったい何だって言うのだろう。次の授業までまだ五分ある。わたしは、何かな? と言って、彼女たちのそばに近寄って行った。
「あのさあ。堂野遥って、この町の出身だよね。先生知ってる?」
そ、そのことですか。わたしは何やら怪しい雲行きを感じながらも一瞬小さくトクンと鳴った心臓を落ち着かせて、必要最小限の答えを用意した。
「知ってるわ。それがどうかした?」
「先生すごい! 知ってるんだ。なんで! なんで知ってるの?」
「えっ? あ、あのう。同級生だから……」
どうして、こんな風にしどろもどろになってしまうんだろう。相手は中学生だよ。もっと毅然としなくちゃ。
「うわあ。先生、やるじゃん! で、どんな人だった。堂野遥って。昔っからかっこよかった? きゃあっ! どうしよう。みんな、聞いた? 先生、堂野遥知ってるんだって! ひゃあ! あとで先生、写メさせて。ね、ね? 友達に自慢するんだ……」
先生、やるじゃんって……。それに遥の同級生ってだけで、わたしなんか写真に撮っても何も自慢にならないと思うんだけど。ああ、でもこうやってファンがいてくれるからこそ、モデルの仕事も成り立っていくのだろうなあ、とまるで悟りを開いた仙人にでもなった気持ちで生徒たちを見てるわたしがいた。
「それで、そ、その堂野君がどうかしたの?」
わたしはさっきのコソコソ話がどうも気になって、続きが聞きたくてたまらないのだ。
「ええっ、先生、知らないのぉ? 雪見しぐれと付き合ってんだよ、堂野遥。夕方の記者会見で言ってたしぃ。今後とも温かい目で見守ってくださいって。雪見しぐれ、ますますきれくなってた」
今なんて……? 雪見しぐれと付き合ってるって、誰が? 確かに夕べ記者会見があると遥が言ってた。でも週刊誌の内容を全面否定の予定だったはず。
なのに、なのに……。
体が少し震えている。喉もからからに渇いてきた。
そのあと、どうやって授業を進めたのか、何をしゃべったのか、全く記憶に残らないほど動揺し続けていたわたしは、終業時刻と同時に塾の入っている雑居ビルを飛び出した。
先生、写真撮らせて! という生徒達に心の中で手を合わせながら……。
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