44.俺達、結婚します
「遥! どうして電話に出てくれないのよ! 心配、したじゃ……ない……」
助手席に乗り込むやいなや、わたしの積もり積もった感情が爆発して、涙ながらに訴えることしかできない。
「心配してくれてた?……ごめん。でも、悪いのはおまえだぞ。それで、あいつとは、まだ会う気なのか?」
遥ったら、まだ本気でそんなこと言ってるの?
「そんなわけないでしょ! わかってて、そんな風に、言うんだから……ヒクッ。もう、遥なんて嫌いよ! 大っ嫌いっ!」
「ははは! 嫌いで結構だよ」
わたしがあれほど落ち込んでいたのに、どうしてこんなに陽気でいられるのだろう。普通彼女がこれだけ泣いてわめいたら、少しくらい労わってくれるよね。
なのに、なのに……。大笑いした挙句、嫌いで結構だよ? いくらなんでもひどすぎる。
なんでこんな憎たらしい奴を好きになっちゃったんだろう。一生の不覚。後悔先に立たず。後の祭り。自業自得……。
ああ……。それにしても腹が立つ!
「でも……」
でも? うわっ。久しぶりに間近で見る遥の顔は、やっぱりきれいで。いや、男性に向ってそう言っていいのかわからないけれど、とにかくどぎまぎするくらい、眩しくて……。
「俺はおまえのこと、好きだから。愛しているから。……迷惑か?」
「あ……」
いつも遥の告白は突然だ。なんでここでそれを言う?
わたしはまるであごがはずれたみたいにぽかんと口を開けたまま、次のことばが出てこない。
みるみる顔が熱くなって。きっと今、真っ赤になってるにちがいない。
黙りこんでしまったわたしを気遣うように左手を伸ばし、そっと髪を撫でてくれる。
「俺も悪かったよ。おまえと大河内が今更どうこうなるわけなんてないのにな。わかってるんだけど。あいつを見ると、どういうわけか平常心でいられなくなる」
遥の手のぬくもりがじんわり伝わってきて、ようやくわたしの心も落ち着きを取り戻してきたのがわかる。
ああ、やっぱりわたしも遥が好き。死んでしまいそうなくらい好き。このまま遥の体の一部分になってしまいたいくらい好き。
言ってしまおうか……。わたしも遥が好きって。
いつもだとすぐに言えるのに、こういう肝心な時、何も言えなくなってしまう。
どうしよう。言いたい。好きだよ、遥って。
「わたしも、す、す……」
「何? どうした? ……酢?」
遥が不思議そうに信号待ちの停止線のところで横にいるわたしを見つめる。
「す、す……すごい車だね」
わたしったら、何言ってるんだろう。すごい車とかじゃなくて、ちゃんと好きって言わなきゃ。
それにしてもこの軽自動車。遥の長い足が閊えているように見えるのは気のせい?
「はあ? この車のことか? あれ、言ってなかったっけ? 本田先輩の知り合いから安く譲ってもらったんだ。おまえのお袋さんのと同じだろ? これなら柊も運転できるだろうと思ってさ。前の持ち主が丁寧に乗ってるから、中古にしてはいい状態だと思うよ。エンジンの調子もいいし、まだ数年は問題なく乗れるんじゃないか?」
「そ、そうだったんだ。突然車で来るんだもの、びっくりしたよ。でも駐車場とか、どうするの?」
都内で駐車場を月極めで借りるととんでもなく高いと聞く。それに維持費だってかかるよね。
「今は本田邸のゴージャスな駐車場の片隅を使わせてもらってるから問題ないよ。で、今日の目的地だけど、今からマンションを見に行く。あと十分くらいで着くから」
マンション? どういうこと?
「なんだ、その顔は。そんなに驚いたか? 事務所がマンションを借りてくれることになったんだ。しいていえば社宅なんだけど、これから仕事も増えるしいつまでも先輩の世話になるわけにもいかねえだろ? オートロックの駐車場付きを見つけてくれた。ただし1DKでちょっと狭いけど、最小限の荷物で住めばなんとかなるさ。給料も結構もらえるしおまえを養えるメドもたった。また、一緒に暮らそう、な?」
そうだったんだ。自分の稼いだお金で生活していくメドが立ったってわけだね。
でもね、わたしは遥に養ってもらおうなんてこれっぽっちも思ってない。
バイトは続けるし、大学卒業したらバリバリ働くつもりなんだもの。
「夏休みにもう一度おまえのおやじさんと直談判する。それで帰省したついでに籍も入れちまおう。うちの親は俺が何とか丸め込む。おまえは何も心配しなくていいからな。もう、ほんとにキツイんだよ。これ以上おまえと離れてたら、俺、おかしくなっちまう。……わかるだろ?」
わかるだろう? って、言われても……。もちろんずっと一緒にいたいのはわたしも同じ。
ただ、遥のキツイって気持ちは、別の意味もあるんだってことを、この数ヶ月でたっぷり学習させてもらったから素直に頷くのは悔しいのだ。
彼の笑顔に毎日包まれて、そっと抱きしめられて……。
それだけで身も心も充分に幸せでいられるのに、そんなもの何の足しにもならんなどと言って、ロマンスのかけらも持ち合わせない遥には、いつもいい加減うんざりさせられている。
まさか彼がこんなに節操がないなどと想像だにしてなかったので、最初はかなりショックだったんだけどね。
やなっぺに言わせれば男は皆同じだと鼻で笑うが、わたしはまだあきらめていない。
いつの日か、遥が物語の中の王子様のように、優雅に優しくふるまってくれることを。
「……わかってるって。遥の気持ちはよくわかってるから」
「なぁーんか煮え切らねえな。まあいい。で、今日これからそのマンションで牧田さんと落ち合う予定になってる。そのまま契約するつもりだからな」
自信満々な遥。今度はきちんと親に知らせて、籍も入れると言う。いよいよわたし達、結婚するんだ。
ということは、この前父に言ってたように養子縁組ってことだから、遥も蔵城になるんだよね?
大丈夫なんだろうか? それこそ仕事に差し支えないといいけど。
遥にまかせておけばすべてうまくいくような不思議な感覚に包まれていた。のだが……。
マンションのロビーで担当の牧田さんと会った。牧田さんは出版社から出向という形で遥のマネージャーも兼ねている。
「まあ、久しぶり。柊さん、だったわね。今日は彼の住むところのチェックかしら? それはそれはオアツイことで」
遥はわたし達のことをそれとなく事務所や彼女に伝えてあると言っていた。多少のことは多めに見てくれるらしく、恋愛にも寛容だ。
「じゃあ、部屋へいきましょう。不動産屋さんも来てるので契約してしまいましょうね」
エレベーターに乗って七階で降りる。
南向きの明るい部屋だった。十畳くらいの洋室と三畳くらいのキッチン。
あとユニットバスとウォークインクローゼットが付いている。
「な、いいところだろ? 洋間が広いからダブルベッドが置けるぞ」
満足そうに遥が部屋を眺めている。その時牧田さんの顔色が少し変わったような気がした。
「堂野……君? まさかと思うけど、ここに柊さんも一緒に住むつもりなんじゃないでしょうね?」
遥は、はっとしたように牧田さんを見た。
「そのつもりですけど……。ダメですか?」
「ダメですかって、冗談はよしてよ。これからデビューしようって人がいきなり同棲中ってのはいくらなんでも虫が良すぎる話だと思わない?」
「もちろん、そう思います。だから俺達、この夏に結婚するつもりなんで……」
牧田さんの眉がピクッとつり上る。
「何言ってるの? 馬鹿なこと言わないで。あなたたちまだ学生じゃない。ご両親だって反対されるに決まってるでしょ?」
「ああ、そのことなら、もう報告済みなんで。結婚の許可は一応もらってます。時期が早まったってだけで……」
まるで、牧田さんに宣戦布告をするような、遥の物怖じしない態度に、どこか違和感を覚える。
「どういうこと? それは困るわ。契約もあなたが独身であることが前提になってるはずよ。せめてあと一年。いや半年でもいいわ。その結婚、延ばせないかしら? それにご両親の許可があるって、それ本当なの? とても信じられないわ」
牧田さんの声が上ずってかなり動揺しているのがわかる。
遥はこの上なく落ち着いているように見えるけど、牧田さんの出かたを伺うような、ためしているような様子にも見える。
「牧田さん。俺と柊は親戚同士だし、おまけに俺はこいつの両親に育てられたようなものなんで、何も不都合はないんです。先月、両家を交えて家族会議をして、結婚の許諾を取り付けました。それでもだめですか?」
「親戚? そうだったの。それじゃあご両親は全て納得されてるのね。でも、何も急いで今すぐ結婚する必要はないでしょ? まさか、子どもが出来たとか」
「それはないです」
牧田さんにそう答えた後、遥がためらいがちにわたしを見る。そ、それって。わたしに再確認ってこと? もちろん、そんなこと、ありえない。大丈夫。
わたしは、先週お世話になった鎮痛剤を思い出しながら、確信する。
「あっ、ないです。絶対にそれはないです!」
とにかく潔白を証明しなくてはと、必要以上に大きな声で返事をする。
「ふふふ。柊さんごめんなさいね。疑うようなこと言っちゃって。ならばやっぱり結婚は認められないわ。もちろん同棲も。いきなりスキャンダルまみれは勘弁してよね。でもね、柊さんの顔が割れてない間は、ここにたまに通うのは大目に見るわ。それじゃあだめかしら?」
遥はそのまま黙り込んでしまった。わたしもどんなリアクションをとっていいのかわからない。
遥の隣でじっと俯いていることしか出来ないのだ。でもよく考えてみればわかること。
これからモデルデビューしようとしている人物が、事務所の斡旋した社宅で新婚生活なんてどう考えてもありえない話。
いくら世間知らずなわたしだってそれくらい理解できる。遥がそこに気付かないはずがない。もしかして、確信犯なの?
「そんなもんですか。やっぱり無理ですよね。わかりました。俺もこんなことくらいでごねたりしませんよ。ここは俺一人で住みます。事務所に迷惑はかけません。ただし前にも言ってますが、こいつとの関係は切れませんから。その条件あっての仕事の契約だと認識してていいですよね?」
「それはわかってるわ。あなたは男性だし、柊さんは一般人。そこまでマスコミも突っ込んでこないでしょう。デビューが女性モデルだといろいろ難しいんだけど、男性の場合彼女がいる方が人気が上がったりすることもあるから、その辺は臨機応変に対処するつもりよ。言っておくけど、わたしはあなた達の味方だから、ね?」
牧田さんはウィンクをして、契約の手続きに移った。
結局、結婚の話は一瞬にして立ち消えとなった。あんなにあっさりと遥が折れたのにもびっくりしたが。
この日の夜、わたしの部屋のベッドの中で、今日の牧田さんとの駆け引きは一種の賭けだったと遥が心中を語った。却下されるのは百も承知で、一か八か本心をぶつけてみたとも言う。
でもこれで、少なくともわたしとの今の関係は維持できる確約を得たと、薄明かりの下でニヤリと笑う。なんという策士家なのだろう。
わたしが遥に会えないというだけで涙に暮れている間に、この新人モデルは今後の身のフリ方をあれこれシュミレーションしていたというわけだ。
人生経験豊かな、あの牧田さんですら翻弄させるほどのこの男。やはりただ者ではない。
「遥……。あなたってやっぱりすごいよ」
「あははっ! 言っておくけど、俺をそうさせるのはおまえなんだからな。ああ、マジで命がいくつあっても足りねえ」
首の下にある遥の右腕が、突如わたしをぎゅっと引き寄せる。 そうだ! 車の中で言いそびれたあの一言を今なら言えるかも。
わたしは遥の方に身体の向きを変えると、耳元に口を寄せた。
「ねえねえ、今日、車の中で言おうと思ったことがあるんだけど、聞きたい?」
たっぷりと極上の甘さを込めて、遥が好きって言ってやろう。それはもう、聞いてる方が恥ずかしくなるくらいに。
「ええ? んなもん、別にどうでもいいよ。それより、なあ……」
「は、遥……ま、待ってよ」
どうでもいいって、いくらなんでもそれはないよ。どうして、コイツはいつもこうなのか……。
やなっぺ、教えてよ。本当に世の中の男ってみんな同じなの? やっぱ、遥だけが特別に変なんじゃないの?
と次の瞬間、わたしの唇は瞬く間に彼に乗っ取られ、いつものように心も体も全て彼に持っていかれてしまったのだった。
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