43.思慕
何度電話をかけても、遥から応答はなかった。
電源が切られている可能性があります……と案内アナウンスが虚しく繰り返されるばかり。
まんじりともせず夜を明かしたわたしは、後は待ち伏せしかないなと遥の通う学部のあるキャンパスに朝早く向った。
今日は一限目から前期試験があるはずだ。
F棟のホールで今か今かと彼を待つ。文学部キャンパスと違って、どこを見ても男子学生ばかりが目に付く。
たまにすれ違う女子学生もパンツやジーンズ姿で、きらびやかな文学部のイメージとはほど遠い。
同じ大学の学生であってもなんだか自分が異邦人のような気がしてくる。
人の波のピークが過ぎ、一限目が始まってしまった。
とうとう遥は来なかった。携帯もまだ繋がらない。いったい、どこにいるのだろう……。
オープンテラスのある学内カフェに立ち寄り、アイスティーを飲みながら遥のことばかり考えていた。
あの後どこかでお酒でも飲んで、公園のベンチで夜を明かしたのではないか、とか、二十四時間営業のファミレスで、ひとりモーニングコーヒーを飲んでいる、とか。
それならまだいい。
道路にふらふらと飛び出して交通事故に巻き込まれたり、あるいは行きずりの女性と一夜を過ごしたり……。
どんどんとマイナス思考に陥り、このままもう二度と彼に会えなくなるのではないかと、最悪の結末を描くシナリオすら脳裏をよぎる。
少し前にも同じようなことがあったような気がする。なんだっけ。いつだった?
そうだ。遥の部屋に行った夜、里中先輩を連れて帰ってきた彼に嫉妬したわたしが、遥の電話を拒否したんだった。
もう、顔も見たくなければ、声も聞きたくないと思ったあの時。
もしかしたら遥は今、あの時のわたしと同じ気持ちなのかもしれない。
こんな風に彼も心配してくれたのだろうか……。あの時。
わたし達、もう大学生だというのに、ほんとうに何やってるんだろう。小学校の低学年の頃、顔を合わせればケンカばかりしてたのを思い出す。
泣かせたり泣かされたり。これじゃあ、あの頃と少しも変らない。でも昔はそれでも良かった。次の日にはケロッとしてあっという間に仲直りしてたから。
なのに今は……。
こんなことばかり繰り返してたら、お互いの気持ちが離れてしまう日も、そう遠くない気がする。
でもわたし達はたとえ別れたとしても、普通の恋人同士のようにスパッと離れられないのだ。
実家が隣同士な上に、親戚なんだもの。気まずい思いを抱えたまま、一生親戚付き合いを続けていかなくちゃならない。
わたしはずっと遥を思い続けて、ひとり寂しく一生を終えるのだ。
彼には新しい家族が出来て、幸せそうに暮らしているのを常に身近に感じながら……。
耐えられるのだろうか? 遥がわたしじゃない女の人と仲良く暮らしているところなんて、想像するだけでも吐き気がして、正気を保ってなんかいられなくなる。
お願い。電話に出て。メールでもいいから連絡して欲しい。
気付いたら、頬に涙が伝っていた。鼻の奥がツンとするわけでも、胸が締め付けられるわけでもない。朝顔の花から朝露がつうっと零れ落ちるように、それは何の前触れもなく静かに頬を濡らす。
周りの学生に怪しまれないように本を取り出し、顔を隠すようにしてこっそり涙をぬぐった。ぬぐってもぬぐっても、止まらない。
いつの間にかわたしは、誰はばかることなく、テーブルに突っ伏して声を上げて泣いていた。
どれくらい泣いていたのだろうか。
不審なわたしを避けるように学生達はあからさまに離れた席に座って、時々冷たい視線をこちらに寄こしながら、思い思いに過ごしている。
さっきまで左側から日が当たっていたのに、今は庇の陰に隠れてちょうど頭の真上くらいに太陽が昇っているのがわかる。
それは今がもうすでに昼であることをわたしに知らしめる。
わたしは意を決したようにすくっと立ち上がると、グラスの載ったトレーを持ち、それを返却口に運んだ。
もうこれ以上遥を待つのはあきらめよう、そして今すぐアパートに帰ろうと決心した。
今週から始まっている前期試験は、幸い今日は何も予定が入ってない。
今朝姿を現さなかった遥は、試験を受けられないほど心を痛めてるというのだろうか?
それはわたしのせい?
勉強も手に付かないまま、携帯を開いたり閉じたりしながら、虚しい時をやり過ごす。なんて情けないんだろう。
取りあえずバイトには行ってみたものの、注文を取り違えたり水をこぼしたりと気もそぞろなわたしの態度に、日頃温厚な店長も眉間に皺を寄せて、はあ、とため息をつき、蔵城さんしっかり頼むよときつい口調で窘められる。
バイトの帰り道、かすかな期待をこめて携帯をチェックするが、やはり彼からの連絡は皆無だった。
登録している家庭教師のバイト先からの派遣依頼とレンタル店のメルマガが、やけに張り切った文章に見えて、わたしの心を逆なでする。
結局その夜も彼からの連絡は何もなかった。
次の日、なんとか国文学史の試験を受けて、学校の門を出たところで目を疑うような光景に出くわす。
ここにいるのはわたしだけ。今前方で聞こえたクラクションは、どうもわたしに向けて送られた合図のようなのだ。
対向車線に停車している軽自動車は、実家で母親が乗っているのと同じ車種で、色違いのものだった。
運転席の窓から顔を出して確かにわたしを呼んでいる人物に目が釘付けになる。
それは、間違いなく……遥だった。
今日の天気に合わせたかのような陽気な笑顔で、こっちこっちと手招きをする。
いったいどういうこと?
連絡しても電話にも出てくれず、こちらにも何も言ってこないで。突然現れたかと思ったら、車でお出迎え?
わたしの思考回路はパンク寸前だった。
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