33.祭り寿司
岡山出身だという本田先輩のおかあさん、すなわち伊藤小百合は、大きな寿司桶にちらし寿司を作ってくれていた。
「これはね、祭り寿司っていうの。岡山県人はみんな知ってるわ。ままかりっていう酢でしめた魚をのせるんだけど、いいのが手に入らなかったのよね。さわらで代用したわ。あとえびと鯛もたっぷりね。お吸い物と、天ぷらも作ったから……。さあ、みんなで頂きましょう。しぐれちゃん、あなたも早くいらっしゃいな!」
隣の調理場に向って誰かを呼んでいる。もしかして先輩の妹かお姉さん?
「は〜い! すぐ行くわ」
それは、どう考えても若い女性の声だった。でもどこかで聞いたことのあるような……。
「堂野君、柊さん。今日はもう一人、紹介したい人がいるのよ。前から堂野君に会いたいって言ってたんだけど、仕事の都合でなかなかここに来ることができなくて……。ようやく一区切りついたみたいで今朝から駆けつけてくれてるの。いろいろ手伝ってもらったのよお〜」
「お待たせ。……始めまして、本田しぐれです。あっ、世間では雪見しぐれで通ってますけど……ふふ」
なななななんで? ど、ど、どうして雪見しぐれが、こんなところに??
明るめのブラウンのロングヘアを無造作に束ねて大きなクリップで止めているだけなのに、真っ白な首筋にまとわりつく数本の後れ毛が妙に色っぽい。
ブルーのカットソーにオフホワイトのチノパンツ姿の彼女は、ありえないほどの長い足をおしげもなくわたし達の面前にさらしながら席に着いた。
目の前でにこやかに笑う伊藤小百合と雪見しぐれ。
これは、夢? きっとそうだよ。そんなことあるわけないじゃん!
今までいろんなことがありすぎて、意識が混乱してるだけ……。
「……ぎ、……らぎ。おいっ、柊! しっかりしろよ」
遥に肩を揺すられてようやく我に返ったわたしは、座って目を開けたまま意識が飛んでいたことにやっと気付いた。
その間、わたしは、いったいどんな顔をしていたのか……。
みんなにそんな情けない姿を見られたのかと思うと、想像しただけでも恥ずかしくて、顔から火が出そうになった。
もう一度目の前の現実を受け入れようと、本田しぐれと名乗る女性を見る。
「ふふふ……。柊さんっておっしゃるのね。堂野君の彼女かしら? とてもきれいな方。学生さん……よね? 高校生?」
顔中目かと思われるくらい、大きくて澄んだ瞳の彼女がわたしに向って何か尋ねている。
高校生って……。完全に年下に見られてる。……ここはちゃんと返事しなきゃ。
「あ、あの……。だ、大学生です。本田先輩の後輩になります」
「そうなの? ごめんなさい。だって、あまりにも純粋そうで、かわいらしい様子だからお若いのかと思っちゃった。そして、こちらが堂野君よね。スタッフの間でもあなたのことでもちきりなのよ。きっといつかはメジャーになるって騒いでる人もいるわ。あたしも現場でたまたま休憩の時に見てたワイドショーであなたのこと知って、気になってたの」
「あっ、光栄です。そして、はじめまして、本田しぐれさん」
少し照れながらも立ち上がってすっと手を出し、雪見しぐれに握手を求める遥。
「先輩には大学に入学以来ずっとお世話になってます。モデルの件ですが、僕はまだメディアに対してもズブの素人なもんで正直とまどってしまって……」
目の前に現れた今もっとも輝いている新鋭女優のひとりである雪見しぐれを前にして、さすがに遥も緊張の色を隠せないでいる。僕なんて言っちゃって。
「来月発売のファッション・ユー十月号にのるって聞いてるけど……。本格的にモデルデビューなのかしら?」
「いや……。読者モデルとして少しだけのる予定です。でも、今年度末に出る新刊雑誌の専属モデルとして採用が決まったんで、またお目にかかることがあるかも……です」
「まあ、おめでとう。あそこの出版社なら大手だからデビューにはもってこいだわ。年間購読の申し込みしなきゃ」
おどけるようにして唇をとがらせ、首をかしげる雪見しぐれ。
ほとんど化粧もしていないのに、なんて透き通るような肌をしているんだろうと、見とれることしかできない。
「ところで、さっき雄太郎の後輩だっておっしゃってたけど、二人とも城川大学の学生さんってこと?」
大きな目をよりいっそう大きくしてわたしと遥を見た後、先輩に不思議そうに尋ねる。
「そうだ。……二人とも大学からの入学だ。俺と違って出来がいいんだぞ、この二人」
本田先輩が少しふざけたようにそんなことをいう。
わたし達の通う城川大は幼稚園から大学院まであって、学生の数割は高校からエスカレーター式に大学に上がってくる。
幼稚園や小学部で入学した人の中には、運で入ったなどと謙遜して言う人もいるにはいるのだが。
「す、すごいっ! 尊敬しちゃうわ。あたしは、高等部で挫折した口だから……。まあ、あの厳しい中高部で仕事しながら全うするなんてことは神業に近いものがあるわね。……あたしもちゃんと高校卒業して、大学行きたかったなあ……」
「あらあら、しぐれちゃんったら。あなたは仕事を選んだんでしょ。学校では学べないいろいろなことを経験したはずよ。もし、本気でそう言ってるなら、今から学生をやり直すって手もあるわね」
「おばさまったら。本気にしないで。ただ、ちょっとそう思っただけ」
一瞬、寂しげな表情を浮かべたように見えたのだけど。気のせいかな。
この人、仕事のために高校も辞めたんだ。
わたしには到底考えられないことだけど、芸能の世界ではよくあることなのかもしれない。
「この子ったら……。さあさあみなさん、召し上がれ。お腹すいたでしょ? 天ぷらも山盛りあるわよ。ダイエットは明日からでいいわよね。今夜は気にせずモリモリ食べましょう」
取り分けてもらった祭り寿司というのを食べてみた。
おいしい。しいたけの煮たのや、卵焼きもどっさりのっている。
普段食べるちらし寿司よりずっとダイナミックで食べ応えがある。
天ぷらもさくさくして文句なしの出来だった。
これだけの料理を手作りしてにこやかに座っている本田先輩のおかあさんは、本当にあの伊藤小百合と同一人物なのだろうか。
化粧っけのない素顔は、確かに他の同年齢の女性に比べると若々しくはある。
でも、女優のオーラなんてものはいっさい感じないし、気取ってる様子もこれっぽっちもない。
普通のどこにでもいる、おかあさんそのものなんだけど……。
いや、肝っ玉母さんといった方が近いかもしれない。
こうやって間近で顔を見ると、口元がなんとなく本田先輩に似ているのがわかる。
やっぱり親子なんだ。
食事も終わり片づけを手伝おうとすると、いいからいいからと調理場に入れてもらえなかった。
ここでもお手伝いの人がいるわけでもなく、伊藤小百合自らが食洗機を作動している。
「さあ、若い人たち同士で、お酒でも飲みながら楽しみなさいな。ここはいいから……ね。柊さんもゆっくりしていってちょうだいね。なんだったら泊まってもいいのよ。堂野君がここに来てくれてから雄太郎もすっかり家にいてくれるようになって、感謝してるのよねぇ」
食器の当たる音と流れる水音の合間からそんな親切な言葉も聞こえてくる。
申し訳ないと思いながらも、みんなと一緒にリビングへ移動した。
リビングなんていうからてっきり普通の居間を想像してたけど、やはりここは本田邸。
ダンスもできるんじゃないかと思えるくらい、広いホールのような部屋だった。
空調の効いたその部屋はとても真夏とは思えないほど心地よい空間だった。
レトロな感じの板張りの床の中央には、毛足の長いラグが敷かれ、しぐれさんが足を崩して座っている。
わたしは胸の高鳴りを必死で押さえながら、彼女の横にそっと腰を下ろしたのだった。
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