32.トップシークレット
大学の正門を通り過ぎ、東側の住宅街に入っていく。そこは、国内有数の高級住宅街だ。
政財界の大御所や、俳優が多く住んでいることで知られている。
だからと言って豪邸がひしめき合っているというわけでもなく、標準的な東京の戸建てが普通に並んで建っていた。
後部座席の横の窓に、鼻をすり寄せんばかりにして外の景色を眺めているわたしがそんなにおかしいのか、助手席に座っている遥が後ろを向いてクックッ……と笑う。
「ここがそんなに気になるのか? でもこのあたりはおまえの住んでるアパート周辺とあまり変わらないぞ。もう少ししたら驚くような一角に出くわすからな。よーく見とけよ」
遥はもう見慣れているから平気なのかもしれないけど、テレビのお宅訪問でしか知らないわたしはその全容を把握しようと必死なのだから。
日本のビバリーヒルズとも言われている※城川通りの真実をこの目で確かめてやろうじゃないかと鼻息も荒く意気込んでいるのだ。
わたしが、窓から顔を離したその時だった。
「な、何? ……すっごい門。ここも、あそこも……ぇえええええ!」
道路の幅が少し広くなったと思ったら、両脇に見たこともないような門構えの家が次々と姿を現す。
中でも凱旋門かと思うほどの大きな門をくぐり、あきらかに公道ではない石畳の道を車がゆっくり奥に進んでいく。
そしてホテルのロータリーのようなところに車が止まり中から人が出てきた。
「お帰りなさいませ。お車はどういたしましょう」
スーツ姿の中年の男性が本田先輩にとても丁寧に応対している。だ、誰?
「車庫に……ああ、いい。俺が自分で置いてくるから。堂野と彼女をゲストルームに案内しといて」
「はい、かしこまりました」
車を降りた遥とわたしは、何が何だかわからないまま、目の前のスーツ姿の男性についていく。
「どうぞ、こちらでございます」
男性が案内してくれたのは二階の階段横の部屋だった。
そこはソファーセットと※コンソールがおいてあるだけのシンプルな洋室。
「雄太郎様がお戻りになるまでこちらでお待ちくださいませ。すぐに食事にご案内できるかと思いますので、主人の意向によりお茶の給仕は遠慮させて頂いております」
そう言って頭を下げると、男性は部屋からいなくなった。
まるでホテルの案内係の人みたいに、卒なく丁寧な物腰の応対。
「ねえ、遥……。今の人誰かしら?」
「ここの使用人じゃないか? これだけの家を維持するには人が必要だろ?」
「し、使用人? 執事とかいうんじゃないでしょうね? そ、そ、それって、もしかして、家族じゃない人が家にいるってことだよね?」
「そうだな。でもこうやって人の出入りも多いだろうし、伊藤小百合くらいの地位のある女優だと警備上の安全性確保の面からも、周りで支える人が必要なんじゃないかな?」
「そうなんだ……。じゃあ、遥もここのどこかに居候させてもらってるの?」
家族にわたし達の同棲がばれてから、遥は本田先輩の家に世話になっているのだ。
つまりここってことだよね。
確かに部屋はいっぱい余ってそうだ。
「俺? 俺は離れの部屋に住ませてもらってる。普通の庶民の家だよ。先輩の家族も普段はそっちで生活してるぞ。ここはおもに客を招く時の特別な場所なんじゃないか? よく知らないけど俺も初めて入るよ」
「そうなんだ。ああ、びっくりした。だってまるでホテルみたいなんだもん。なんか場違いっていうか、もう帰りたいっていうか……」
「はははは、来るなり帰るってか? 実をいうと俺も最初に先輩ちの門をくぐった時、腰抜かしそうになったからな。このでけー建物は何だ? ってな。それに、おまえの見立ては間違ってない。ここ、昔はホテルというか、迎賓館みたいなところだったらしいぞ。先輩のじいさんが事業に成功して戦後のどさくさに紛れて安く買ったんだとさ」
天井が高く、壁の腰の位置にボーダー柄の壁紙が貼られ、まるでインテリア雑誌からそのまま飛び出してきたようなエレガントな部屋に目を奪われる。
木枠の窓も上下にスライドさせるレトロなタイプで、見るからに上等と思われるレースのカーテンが細いひも状のタッセルで片側に寄せられ、夕方の優しい光が部屋の中に薄っすら差し込んでいる。
庭には樹木も多く植えられ、心持ち暑さも和らいで涼しく感じられる。
「お待たせ。みんなが待ってるから食事室の方へ行こう。柊さん、今日は突然誘って悪かったね。俺も、正直こういった会食は苦手なんだけど、お袋がどうしてもって言うもんで……。堂野も……すまん。あまり硬くならないで、普通にしててくれたらいいよ。今朝からはりきってたからな、お袋」
本田先輩って、こんなにしゃべる人だった?
笑顔まで浮かべて、いつもの鋭い刺すような視線も心なしか和らいでいるように思える。
「せ、先輩。あの……。お母様具合が悪いんじゃぁ……」
「あっ、もう治ってるから。マスコミには内緒だけどね。ピンピンしてるぜ。娘の頃からずっと仕事してて、今やっと休暇が取れたって生き生きしてやんの。俺も、ずっと親不孝者だったから、ちょっとは見逃してやろうかと。だから、くれぐれも元気だったとか外部に言わないでやってくれ。仕事のオファーすべて断ってる状態だから」
「でも、まさか先輩のお母様が伊藤小百合さんだなんて。まだ信じられません。だって、先輩とは全然、その……」
「似てないだろ? ははは……! よく言われる。俺は父親似だからな。それに子供の頃以降、一切家族はマスコミに出てないから、余計に俺がよそ者みたいに見えるらしい。まあ、そのおかげで外で自由にふるまえるってのもあるけどね。嘘かと思うかもしれないけど、俺、小学生の頃まで伊藤小百合とお袋は別人だと思ってたんだ。堂野はもう知ってるけどこれから会う伊藤小百合の正体も他言無用。くれぐれもトップシークレットということで」
って、先輩! 柄にもなくウィンクなんてしないでください。ああ、びっくりした。
やっぱり先輩の母親は、あの伊藤小百合なんだ。
正体とか、トップシークレットとか言われてもピンとこない。何か仕掛けでもあるというのだろうか? どっきりカメラみたいに?
今向っている食事室とやらには、あの大女優の伊藤小百合が待っている。
イブニングドレスとか着てるのだろうか? 髪をアップにして、耳元にはアンティークなイヤリングが上品な輝きを放ち……。
そして、さっきの執事さん風の人やメイドさんがいて、椅子を引いてくれたりなんかするんだ。
緊張感がピークに達してきた。心臓の音が屋敷中にこだまするような錯覚すら湧き上がる。
その食事室は二階の東側つき当たりにあるようだ。
本田先輩を先頭に遥の横に並んだわたしは、同じ側の手と足が同時に出るようなぎこちない歩みで絨毯敷きの廊下をゆっくり進んで行く。
レリーフの施された重厚な扉が開かれ、目に飛び込んできたのは大きな大理石のテーブル。
そして、そして……。
「まあ〜。よくいらっしゃったわね。ええと、ええと……。たしか柊さんだったわね。あっらあ、かわいらしい方じゃない。ほらほら堂野君もそんなところに立ってないで座って座って」
こ、この人、いったい誰? え? ええええ!
よく見ないとわからないが、多分、もしかすると、いや、きっと……。
伊藤小百合だ。
白いシャツとジーンズ。そして、ありきたりのエプロン。
ノーメイクのそこにいる女性は……普通のどこにでもいる母親の姿をしたおばさんだった。
※城川通り──架空の街です。もし同じような呼び名の街が国内に存在したとしても全く無関係ですのでご了承下さい。
※コンソール──出窓の下や柱の間に、置物や花瓶を飾る台として置かれる小さくて横長のテーブル。壁掛け鏡とセットで
取り付けられていることも多い。
|