21.遥と父と
「はい〜?」
いつもなら勝手に中まで入っていくのに、今夜は生まれて初めておばあちゃんの家の門についているブザーを押した。
インターフォンでもなく、チャイムでもない。めったに押されることのない古びたブザーだ。
玄関の引き戸を開けて顔を出したのは希美香だった。
「お、お兄ちゃん! それにお姉ちゃんも! かあさーん! お兄ちゃんが帰ってきた。お姉ちゃんも一緒にぃー!」
部屋の奥に向って大声で叫ぶ希美香が、もう一度わたし達の方へ向き直ると、意味ありげに口元をニヤっとさせ、さも得意げに話し始める。
「さっき、母さんに聞いたよ……。お兄ちゃん達、デキてるんだって?」
いきなりの先制パンチになすすべもない。
「へへへへへ……。実を言うとね、前から二人は怪しいと思ってたんだ。だって時々見詰め合ってるんだもの。それにお兄ちゃんのスキスキ光線、バレバレだよ。お姉ちゃん愛されてるね!」
「希美香……いい加減にしろ……」
怒りの爆発一歩手前に差し掛かった遥は、威圧的な目で希美香を睨みつけた。
今回の怒りはレベル五くらい。最大級だからね。
希美ちゃん、それくらいにしといた方が身のためだよ。
「お兄ちゃんの脅しなんてもう怖くないもんね。あとでゆっくり、二人の話聞かせてもらうからさ。いつまでもそんなところに突っ立ってないで早く中に入りなよ。そうだ。あのね、先に言っとくけど。父さん……かなり怒ってるから。でもね、あたしは二人の味方だからね。まあ、がんばりなよ……」
声をひそめて教えてくれたその内容は、ああ、やっぱり……というものだったけど、ご親切にも知らせてくれてありがとうと心の中でひそかに毒づいた。
ますます緊張するじゃない。
「希美ちゃん。はい、これ」
アイスの入った袋を差し出し、わたしは遥と並んで靴を脱いで部屋に向った。
袋の中を物色しながら嬉しそうに奇声をあげている希美香も、もう高三だから、わたし達のことをそれなりに理解してくれてるんだ。
ああ、でも気が重い。
おじさん、かなり怒ってるんだろうな……。
ってことはわたしの父も……。
それ以上は今は考えないでおこう。でないと、ここから逃げ出したくなるから。
おばあちゃんの部屋に入ると、そこには今朝会ったばかりの綾子おばさんが驚いた顔をしておばあちゃんとテーブルをはさんで向かい合って座っていた。
「あ……あなたたち、もう帰ってきたのね。それにしても素早い行動だこと」
「おばちゃん、ただいま。そ、その、今朝はごめんなさい。思えば、お茶の一杯も出さないで……。わたし、とても失礼なことしちゃった」
「いいのよ、そんなこと気にしないで。もっと失礼なこと、このバカ息子がやってるんだから。今日あったことおばあちゃんに話してたの。そしたらどう? おばあちゃん、全部知ってたじゃない。こんな大事なこと親に何も言わないで……。ほんと、遥には失望したわ」
朝早くから家を出て東京までやって来た挙句、目を疑うような光景にまで出くわしてしまったおばさんの疲労は相当なものであることが、彼女の目の下の隈を見ればわかる。
「綾子さん、あんたの気持ちはわかるよ。……けどね、この子達、親には言いにくかったんだよ。二人のおかれてる立場がわかってるだけに、簡単には口にできなかったんだろうね。でも遥、おまえたちもいけないよ。あれほど先に籍を入れろと言ったのに、どうして手順をきちんと踏めないのかね……」
大学入試前のまだ高校生の時、おばあちゃんに言われたんだっけ?
籍を入れてから、東京へ行けって。
いくらなんでもそれは気が早すぎるといって、遥もあきれていたのを思い出す。
真っ先におばあちゃんに二人のことを知らせたのは間違いだったと、後悔してたよね。
「ばあちゃん、心配かけてごめん……」
いつもは口の悪い遥も、おばあちゃんには何も言い返せないでいる。
わたしだって同じだ。言い訳するつもりはない。
「でもまあ、ちっとも悪い話じゃないんだからね……。二人が一緒になってくれればそれはご先祖様が一番喜んでくれる。私がお墨付きを出したんだから、お前達は堂々としてればいいんだよ」
「おばあちゃん……ありがと。あ、あの……そして今ごろだけど、ただいま……」
そんな間抜けな挨拶をするわたしに、ほんと柊はおもしろい子だねぇ、と目を細めるいつものおばあちゃんがそこにいた。
遥といえば、ムスッとしたままみんなから離れたところで、壁にもたれるようにして膝を立てて座っている。
綾子おばさんとは目も合わそうとしない。
すると、息を切らせた希美香がドタドタと部屋に駆け込んできた。
「みんな呼んできたから。ねえねえ、あたしもここにいていいでしょ? 母さん、お願い!」
おばさんは一瞬ためらいの様子を見せたが、わたしの横に貼りついた希美香を見て、あきらめたように、いいわよ、と言って大きくため息をついた。
しばらくすると、わたしの両親と俊介おじさんが厳しい顔つきで部屋に入ってきた。
「はるかっ! い、いったいどういうことだ!!」
真っ先に怒鳴ったのは……。わたしの父だった。
そんな父に一番驚いていたのは遥の父親である俊介おじさん。
おじさんも怒ってるって聞いていたのに、真っ赤な顔をして怒鳴っている父に圧倒されたのか、逆に恐縮しきった様子でおろおろしている。
ただならぬ父の剣幕に遥も覚悟をきめたのだろう。
素早くその場に正座すると、深く頭を下げた。わたしも遥と同じように頭を下げる。
「おじちゃん、ごめん……。俺のわがままからこんなことになったんだ。柊は悪くないから、どうか……どうか俺だけを責めるなり殴るなり、なんでも気の済むようにやってくれ」
畳に向ってこもったような声を出している遥の両肩を掴んで起き上がらせると、遥のシャツの襟首を持って、今にも殴らんばかりの体勢に入っている父。
その時の父の目は真っ赤に血走り、額の血管がくっきりと浮き出ていた。
遥は父を真っ直ぐ見て、唇を一文字に結んで歯を食いしばっている。
いつ殴られてもいいように……。
父のこぶしが今この瞬間にも、遥の顔面を直撃しようとしていた。
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