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僅かにシモネタ成分が含有されております。ほんのちょっぴりですが、真剣に苦手な人はご注意ください。
黄昏DASH
作:伊達倭


 今野一いまの はじめは現在、非常にまずい状況にあった。
 放課後の校舎はオレンジ色の西日に包まれ、どこかロマンティックである。ましてや街を一望できる屋上などという場所にいるものだから、ムードは最高潮であった。ついでに言えば、目の前で顔を火照らせた美少女がもじもじしており、この先に待ち構えるラヴコメ的展開は誰にでも予想ができた。できないのは生物室のミジンコぐらいのものである。校長室の熱帯魚にもなると予想ができるはずだ。生徒会室でこっそり飼育されているオウムなら確信を持って「間違いない」くらいは言ってのける。
 閑話休題。つまり、全くギャグを受け付けない雰囲気の中で、一の尿意は臨界点に達そうとしていたのである。うかつであった。うっかり体育の後に水をがぶ飲みしてしまい、そのまま呼び出されてしまったのだ。トイレで用を足してから屋上に上がっても、遅くは無かった。
 相手は美少女であり、今にも泣き出しそうな顔で、何かを伝えようとしている。ここで「ごめん、ちょっとトイレ」とは言い出せない。一としてもこんな状況に陥ったことなどなく、緊張している。呼び出されてすぐは緊張が尿意を抑えていたのだが、屋上で一時間も突っ立っていると、逆に緊張感が尿意を暴れさせ始めた。
 それでも、一はよく耐えた。普段はその名前からイマイチと呼ばれる一だが、この姿を見れば誰もが呼び方を変えるであろう。
 一が「ちょっとトイレ」と言えないのには、もう一つ理由があった。相手が美少女で、しかも知らない子だったからである。気心の知れた人間ならば、この状況においてでも「ごめん、漏れそう」などと冗談っぽく言えたであろう。だが、初対面の美少女に生理現象の臨界点にあることを伝えるのは中々に恥ずかしい。
 この状況を打破するには、何らかのアクションが必須である。待っていても、美少女は何も言えそうではない。ここは、一から行動するべきであった。彼は尿意の二文字に占領されそうな脳味噌をフルに回転させて、二つの策を思いついた。
 まず、恥を忍んで「ごめん、ちょっと待ってて」と言ってトイレに駆け込んでしまう作戦。これならば落ち着いて話を聞くことも出来るだろう。
 もう一つが、「あの、話って何かな?」と美少女に話を振って、全てを終えてからトイレに駆け込む作戦。こっちであればムードはとりあえず壊れない。
 尿意からすれば、前者であるが、ささやかなプライドがそれを邪魔していた。ましてや、これから告白しようという人間の気持ちを考えれば、逃げ出すような真似はできなかった。幸か不幸か、一はフェミニストであった。
 仕方ない。ここはもう少し踏ん張って、この子の話を聞いてみよう。
 一は悲壮な決意と共に、下半身に力を込めた。

 一方、一を前にしてもじもじしていた美少女、佐藤美由紀もまずい状況にあった。
 なけなしの勇気を振り絞って、恋焦がれる一を呼び出したのはよかった。ただし、彼女もまた尿意を我慢しているクチだったのである。
 偶然、通学に使う電車が同じで、一と友達が笑いながら会話をしているのをよく見ていた。一はイマイチと呼ばれていたが、そのことを気にした風もなく、優しい笑みを浮かべていたのだ。以来、美由紀は本名も知らない『イマイチ先輩』にあこがれ続けてきたのである。
 今まで声もかけられず、ただ憧れ続けるだけの存在であった人間に、どうしても我慢できず告白すると決めた。その決意は並々ならぬものがあり、ついぞ尿意に気づかぬまま実行に移してしまった。その結果が、これである。早く告白せねばと思うほどに声は出ず、焦ると何故か尿意が増した。
 一の様子を伺うと、なにやら我慢をしているような険しい顔つきである。だが、こちらに気づくと、ふと表情を緩めて、笑いかけてくれる。迷惑をかけている上に、気を遣ってもらっている。この状況で「すいません、ちょっとお手洗いに」などと口が裂けても言えなかった。
 しかし、早く告白せねばならない。一時間も待たせているのだ。しかも、こちらは尿意に足をもじもじと動かしている。挙動不審であった。だが、声が出ない。憧れだったのだ。最初は見ているだけで良いと思っていた。美由紀は本来、告白どころかまともに呼び出すことすら出来ないほど、気の小さい少女である。男に声を掛けられることも珍しくなかったが、反応に困っている内に相手が離れていくのが常だった。そんな彼女がついに自分を抑えきることが出来ず、いきなり一の教室に乗り込み、強引に連れ出したのだ。自分でもわかっていた。こんな行動を起こすことは、おそら二度とない。それ以上に、ここで告白しなければ、生涯イマイチ先輩から「変な女」の烙印を押される。一種の強迫観念であった。
 こんなことならば、気持ちを落ち着けるためにコーヒーなど呑まなければ良かったと、美由紀 は深く後悔した。
 コーヒーにはカフェインという物質が入っているのは諸兄も知るところであろう。カフェインには眠気覚ましの効果があるとよく言われている。ただし、意外と知られていないのだが、このカフェインの目覚まし効果は、日本人には効かないのである。目覚めにコーヒーを飲んでスッキリするのは、思い込みによる効果なのである。だがそれとは別に、カフェインにはもう一つの効能がある。利尿作用。ひらたく言えば、カフェインを摂取すると、尿意をもよおすのである。こっちは日本人にも効く。
 告白を決意するため、美由紀が要した紙パックコーヒーは三つ。三パック分のカフェインが、利尿作用となって美由紀を苛んだ。
 だが、ここで諦めるわけにはいかなかった。何と言っても、一世一代の告白である。美由紀は意を決して、両足を踏ん張った。これで数分は尿意を抑えることが出来るであろう。後は、たった4文字の、宝石よりも美しい言葉を紡げばいいだけなのである――

 よし、言おう。美由紀が口を開きかけたそのときである。一の一言がそれを遮った。
「あの、話って何かな?」
 美由紀は焦った。実は文学少女であった。文脈やテンポは大いに気にする性質である。「あの、話って何かな?」「好きです」では、どうにも繋がりが薄い。話というより、思いの丈を吐き出す、いわば叫びにも近いものであった。話と言われては、とっておきの四文字が使えない。一はそんなことを全く気にしない男だが、美由紀にとってはそこは譲れないところであった。
 文学少女は話について悩まねばならなかった。話というからには、やはり主語・述語・修飾語ぐらいは必要だろう。この場合、目的語がなければ告白として意味を成さないので、それも加えねばならない。
 一も焦った。なんとか助け船を出したつもりだったのに、なんか悩まれた。
 目の前の美少女は、足を踏ん張ったまま、しきりに何かを考えている様子である。あれ、俺なんか悪いこと言っちゃったかな。もしかして、告白とかじゃないの? 話じゃないの?
 一も悩んだ。思わず下っ腹に力を入れて、真剣に悩んだ。俺は、何で呼び出されたのだろう。熱帯魚からミジンコへの格下げである。
「あ、あのっ!」
 ここにきて、ようやく美由紀の重い口が開いた。一は考えを中断して、がばっと美由紀の目を見た。ものすげぇ真剣な目であった。
 これはやばい。ビンタが飛んでくるかもしれない。
 一は尿意に切羽詰まっている状況を、うっかり美由紀に追いつめられているように感じ取ってしまったのだ。
「ご、ごめんッ!」
 咄嗟に謝ってしまった。一はイマイチと名付けられるほど、小心者であった。
 可哀相なのは、ようやく「叫び」を「話」に変換して、あとは告げるだけだった美由紀である。いざ告白と口を開いたところに、ごめんの一言。告白する前に断られた。
「う、うぅっ……」
 泣いてしまった。大好きで大好きでたまらないイマイチ先輩に、フラれた。溢れ出る涙は止めどなく、盛り上がっていた気勢の分、落胆によるショックも大きかった。
「ぐすっ……うぅ……」
 もう駄目だ。この場に居られない。美由紀は走り出した。屋上から一気に階下へ。一はぼんやりその様子を眺めていたが、ここに来て我慢の限度が崩れた。
「と、トイレッ!!」
 もはや美少女がどうとか、何故泣いているのかとか。そんなことはどうでもよかった。生理的現象の前では、フェミニズムもロマンチシズムも幻影のようなものである。
 三段飛ばしで階段を駆け下り、一は一番近くにあるトイレに駆け込んだ。危機一髪、神様が与えてくれた奇跡のようなタイミングで、一は救われた。
 用を足すと、一にようやくまともな思考をする余裕が生まれてきた。そうだ、あの美少女は何故、泣いていたのだろうか。
 手を洗って、大いに急いだせいで荒れた息を整えながら、一は考えた。もしかしたら、あの一言は、美少女にとって、とても悲痛な一言だったのかもしれない。
 ここにきてオウムレベルの脳味噌を取り戻した一は、先ほどまで漂っていたラヴコメ的ムードを思い出した。おーじーざす。

 美由紀は美由紀で、駆けだしたその足で、やはりトイレに直行していた。生理現象に男も女もなかった。
 涙を流しながら用を足すと、手を洗うついでに顔も洗った。目元はそれでも腫れている。
 人に見られたくなかった。急いで帰ろう。そして、家でもう一度、ゆっくり泣けばいい。そう思うと、また涙が溢れてきた。それを誤魔化すように、美由紀は走り出した。トイレの前で頭を抱えていた一の胸に飛び込む形で。
「おぐっ!?」
「ひぁっ!?」
 美由紀の頭突きがキレイに鳩尾に入る形になって、一はもんどり打った。大いに咳き込み、整えたはずの息が再び乱れる。
「ご、ごめんなさいっ……ああっ、イマイチ先輩!」
 尿意という呪縛が解け、フラれたという一種の開放感が相乗効果を生み、美由紀ははじめて一に真っ当な言葉を投げかけることが出来た。見ると、どうも急いで走ってきてくれたようで、肩で息をしている上に、尻餅までついている。しかも、なんだか苦しげというか、切なそうな顔をしている。もしかして、自分を追いかけてきてくれたのだろうか。
 せめて。せめて、きちんと言わなければ。フラれたけれど、想いをきちんと伝えることぐらい、してもいいんじゃないだろうか。
「っ……好きですッ――!!」

 余談だが、うっかりこの現場を目撃してしまった女性徒が、「トイレの前で男子を押し倒し、告白している女子がいた」と周囲に伝えた。
 付き合うことになった二人は、それを否定できずに、仲良く隣に並んで苦笑していたが、内心では悔やんでいた。
 何故、あのとき先にトイレに行かなかったのか、と。


拙作を読んでいただき、ありがとうございました。
感想など、お待ちしております。是非、忌憚のない意見をお聞かせください。













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