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18:老人と商人

 そいつと出会ったのは街が秋の収穫祭を終えしばらく、本格的に肌寒くなってきた時節だった。

 エルフの国はパアル大陸の北域にある。

 夏はそれなりに過ごしやすくとも冬ともなれば厳しい環境が待ち受ける。

 寒の強い冬ともなれば人の往来、行商も絶えてしまう。


 それは商人だと名乗った。

 「ミスティよ、よろしく」

 おそらくは偽名、そう思わせる何とも言えない胡散臭さが滲み出る声だった。

 容姿は十人十並、年は二〇の後半にさしかかるか。

 桃色の髪、そばかすの散る、ふてぶてしい顔で笑う人間種の女だった。

 口元には洒落者のつもりか似合わないキセルをくわえ、煙を殊更にふかしては野卑た笑みが一層深くなる。

 額にはこれまた似合わないバンダナをグルグルと巻き、小振りなレンズの眼鏡は知的さよりも怪しさを醸し出していた。

 シャツに暗色のコート、ズボンにブーツは年季の入ったといえば聞こえはいいが、お世辞にも清潔とは言い難いくたびれようで商人というよりも詐欺師と紹介された方がまだ納得出来る。

 出会う者のおよそ第一印象は最悪といっていいだろう。


 「それにしてもこれは凄い剣ねー、いやぁ~こんなの持てる奴はそれだけでとんだ奴よね、ひゃははは」

 さも物を知ってるかのような仕草、顎をさすりながら客間の壁にかかる、竜殺しの大剣を見つめ大仰に笑う。

 その特大剣の威容はヤクザ者の巣くう屋内、客間にあっては来客の肝を冷やすには十分な迫力でそれは絵画の如く様になり、『お話』、とかく交渉事をすすめるにあたっては十全の益を持ち主に運んでいた。

 「いやぁ、これはすごい」

 芝居がかった大げさな身振りで驚き、笑うミスティ。

 そのあまりのわざとらしさ、笑い声はどうにも人の神経を逆なでする。

 内心では何の萎縮も感慨もないのだろう。

 その薄っぺらさが透けて見える。

 問題なのはそれが天然か、意図されて作られたものであるか。

 「…商談をしよう」

 ヴァルはそれなりに長い付き合いになるミスティを見据え静かに声を発する。

 聞く者が聞けばわかったであろう抑えられた苛つきがその声音には宿っている。

 有能でなければ殴り殺したいところだ。

 「ん? あぁ、そうそう儲け、儲け話ね、金を稼ぐのが商人というものだもんねぇ」

 今まさに自分がなんであるのか気づいたとでも言うかのようにミスティは声を上げヴァルの対面のソファーに座る。

 ヴァル・オルトの隣にはコアも座りこんでいる。

 髪色に合わせた黒の装い、長袖のシャツは夜のようで、暗黒のスカートに長靴下、革靴は闇を纏うが如く、白の肌によく映える。

 首には細やかな細工の鎖で銀の指輪が一つ、首飾りしてきらめく。

 幼くも妖美なる黒花の如き様は一目見た者を惹きつける。

 「それにしても噂の愛人は噂以上、眼福とは正にこれのこと」

 ミスティの言をヴァルはうっとうしそうに蝿でも払うような仕草で中断させる。

 「商談に関係のない話はやめろ」

 渋面を作り言い放つ。

 「んー、そちらの方に似合いの装身具、宝石でもいくつか見繕って買って貰おうと思っていたのですが」

 薄く笑うミスティ。

 「そもそもこいつは宝石には興味を示さん、要らん」

 これはヴァルの趣味も大いにある、この男は服飾には凝り性であるが宝飾の類になるとその限りではない。

 そういう趣味というか独自の哲学のようなものがあるらしい。

 コア自身も自分に宝石の類が似合うとも思っていないし実用品でないものは必要にも感じない淡泊な性質なので都合が良いが。


 「それよりも書類にある品を集める事が出来るか?」

 獅子はテーブルに広げられた紙の群れ、そこに記載された脈絡もない品々を指し示す。

 収集屋。

 相対する女はその二つ名で通っている、それが『売られている物』であるのならそれがどんな品でも収集してみせるという意味。

 品、人、利権、情報、『売られているモノ』なら。

 蛇の道はなんとやら、その筋では有名な人間である。

 ミスティは紙に書かれた雑多ともいえる品目、情報に目を通す。

 「そうですねぇ、まぁ時間を十分にいただければアシを残す事なく、運びこむ事は可能ですよ」

 紫煙を吐き出しながら、自信があるのかないのか、なんとか浮ついたような、掴み所のない声音の返答。

 「そうか」

 ヴァルは静かに応えるだけ。

 「……仕事を請けるにおいていくつか質問を?」

 胡乱な目をヴァルに向けるミスティ。

 「……」

 「一体、何をする気です? 品目からはちょっと想像がつかない」

 ヴァルの肯定の言葉をきかないままに眉根に皺を寄せ考え込むように喋るミスティ。

 「商談に愛人を同席させた意味は?」

 獅子は咎める事はせず隣人である花に対し静かに視線を向ける。

 

 「それはわしからじゃな……」

 見てくれに合わぬ奇妙にすぎる言葉遣い。

 その違和感以上に気に触れたのは甘い、耳朶に絡むような声。

 これは良くない類の者だとミスティは感じ取る。

 知らず、警戒心が沸き起こる。

 「これらの品はわしが必要としたから、それが同席の意味。新しい事業をはじめるにあたって人員、材、器具、その他諸々が不足、身内だけでは確保が難しくてな。既に小規模では始めている物や計画もあるが、予定が狂ってしまっていて幾らか計画を前倒しにしなければならなくなっている」


 ミスティは思考を回転させる、愛人がねだるには雑多な、膨大な金銭が動く買い物にすぎるし、ねだったからといって購入を許されるものでもないだろう。

 これではまるで誰が組を動かす者かわからない。

 ここ数年、変化の早く大きいそれ故に儲けも大きい貿易の盛んな東域、人間世界での商売を中心に商ってきたが……自分の知らぬ間にこの街に何があった?

 街の勢力図は大きく変わり、古馴染みに久々に呼び出されては大口の武器の調達かと思えばそうでもない。

 エルフは長命だ、それ故に人間と比べれば勢力、物事に対しての群の動作は人間からすれば悠長、緩慢とさえ感じられる。

 だが、久しぶりに見たオルトファミリー、その変質は人間世界でも類を見ない速さの変化だ。

 十三番街はミスティとて知らぬ街ではない。

 だが突如として湧いたこの不安はなんだ。

 水かと思っていたものが口に含めば酒であったような違和感と驚き、いや、酒なら良い、もしこれが劇薬の類なら。

 「……これを全部揃えるのは時間がかかる」

 まずは一手。

 「――十年くらいならば待てるし、待つ。目録にある物も優先順位、順位の高い物から確保、送ってくれればよい。本来ならもっと時間をかけるはずだったが…ここまではする気もない計画も混じっているしこちらとしても面倒くさい事極まりないが、文句なら、そうだな……王城の連中にでも言ってくれ」

 あらかじめ決められた台詞のように喋る愛人。

 事実そうなのだろう、こちらの反応、渋る事は予測済みという事だ。

 「王城……上とやりあう?」

 鉄や銅、軽銀、ミスリル鋼やドワーフ鋼など各種鋼材、紋章術においては魔石として珍重される様々な輝石、ドワーフ、妖精人などの人材、奴隷、現在の大陸の勢力を含めた詳細な地図、土地の権利、利権、薬品に植物、農作物、食料品まで多岐にわたる

 戦争の準備と言われてもおかしくない。

 「――それは最終じゃな、まずはこの街が有益である事、わしらが莫大な富を吐き出し将来性があり、それはわしらにしか出来ないと証明する」

 それは最終、迂闊ともいえる気軽さでとんでもない事が聞こえた。

 「つまり?」

 話が、全体図が見えない。

 「力をつけ、有用性を証明し、繋がりを持ち、骨抜きにする、この街がこの街のまま存在しなければ生きていけぬようにしてやる、いずれはこの街を真っ当な番街として上に認めさせる」

 無謀な、とんでもない事を言い放った。

 無茶苦茶もいいところだ。

 頭がわいてるのか。

 話を聞かされた者は笑うだろう、何を馬鹿なと、だがここは酒場でも、馬鹿話を興じる雑談の席でもない。

 群れの長を横にした会話。

 部屋の中にはおらずとも外には警護が隙間なく詰め、魔法による盗聴、盗み見すら許さない状況。

 笑い話、馬鹿話、冗談の類ではない。

 本気でこいつらはそれを実行しようとしている、最後には血みどろの抗争すら厭わないとまで言う。

 「そんな事が…」

 出来るのか?

 という言葉は飲み込んだ。

 出来る、出来ないのではない目の前の者はやると決め込んでいる。

 聞いた所で愚問でしかない。

 「まぁ、そうなればボスには新興貴族の仲間入りを果たしてもらい名実ともに街の長として、変わりない辣腕を振るってもらうという筋じゃが」

 コアは笑う。

 「――正直なところ、これは博打じゃよ」

 毒花は微笑む。

 「それも失う物の多い……ね」

 ミスティは苦笑をかえす。

 この賭博に自分も乗れと言うのか?

 無謀であり無茶がすぎる野望、最悪の壊れ方しか想像できない。

 話は聞いてしまった。

 冗談ではない、どうする、どうすれば逃れられる?

 「失う物か…まぁ、最悪死ぬだけ、分の悪い賭け事は好きか? 燃えるじゃろ?」

 狂っている。

 ミスティは眼前のコアの瞳を見つめ、その闇色の眼に奈落を視た。



 一切を投げ出し、そこに墜落したくなった。


 

 深い井戸を覗き込む、見続けるような感覚。

 抗いがたい、甘美な誘惑、衝動に近い。

 とても理性的とは言い難い馬鹿げた思考、危険な考え、捨てるべき、忘れるべき想い。

 人の精神をどうにかするなど魔法でも無理からぬ事、魔力は万能なる力、魔法はそれを行使する術理。

 人という器の制限こそあり、良くて万能であって、とても全能な代物ではない。

 人心とは冒されざる聖域の一つ。

 これは魔法ではない。

 

 ミスティはぐらつく。

 理性で、常識的に考えて危険に過ぎる誘いだ。

 どうとでも言って蹴るのだが正しい。

 蹴る事が出来なくてもこの場はどうとでも、口先で収め反故にしてもいい。

 そうすべきなのだ。


 「――この街が正式な番付街として成った暁にはぬしには当オルトの商会を仕切ってもらうというのは?」


 するりと。

 毒の花が、さも今思いついたような、純真な童のような相好を崩した笑みと言葉で手を合わせ意気揚々と提案する。

 その言葉がミスティの心の隙間に入り込み食らいつく。


 嘘をつけ。

 とんだ詐欺師め。

 これもまたあらかじめ決められていた言葉だろうが。

 カードの一つを切ったにすぎない、それも最悪のタイミングでだ。

 証明は簡単だ、そんな重要な、利権の一つに関して隣のヴァル・オルトは静観を決め込んでいるからだ。

 このファミリーを実質『誰が』仕切っているのかはこの際どうでもいい。

 名目上はヴァルこそが長、その長が無言を決め込んでいる意味。

 全てが予定調和だ。

 各々が決められた配役を演じる舞台にすぎない。


 「――ボスから話はよく聞き及んでいる、母御の代からオルトとは昔からの付き合いとか、商会などというものが嫌であれば顧問、相談役など用意できるぞ」

 ひどく魅力的な。

 事実、たいへんに魅力的な誘い、追加の報酬。

 どんなに商いが大規模になろうとも、危険な綱渡りのような収集家業、右から左への流し屋を続けていけるわけでもない。

 一度の失敗で命を失う事も少なくない、母はそれで命を失う事になった。

 法に触れ、恨みを買う事も多い。

 金は入り、成功すれば莫大、一生遊んでは働き次第、立ち回り次第にしても、食う事に、金銭に困る事はまずなくなる生活。

 名誉や地位も得られるだろう。

 得られる利益と危険性の天秤が危うく揺らぐ。

 奥歯を噛みしめる。


 「――何を迷う事があろう? わしらは所詮は世間の爪弾き、野良犬にもウジ虫にも等しい、どこかで這い上がられねばウジは一生そのままじゃ、そして野良犬に惜しむ命などあろうか? のうミスティ、手を伸ばせ、わしらと共に掴もう」

 コアがいつの間にかミスティの隣に座り耳元で囁く。

 「ただの畜類と人を分けるは何かわかるかミスティ。覚めたまま夢を見る事が出来るか否かよ、夢のない人生など長く、味気ないものではないか? 共に面白き夢を見ようではないか、なぁ」

 吐息が首筋にかかる。

 甘い匂いがする、頭がくらくらしてくる。

 声が、匂いが身に絡みつく。


 「そのへんにしておけ」


 ヴァルの言葉。

 静かだが部屋を満たす冷水の如き威圧。

 「ん、すまんな、少しすぎたか」

 コアはミスティの隣を離れ対面に座り直す。

 「……さすがはボスの信頼する商人、随分と手堅い、しっかりとした感覚をお持ちのようで、今宵の事は羽虫の放った戯言と思うて流してくだされ」

 コアは頭を深々と下げる。

 それを見てはヴァルは席を立つ。

 伴うようにコアも音もなく静かに立ちあがる。

 「……あ」

 あっさりとした引き際にミスティは拍子抜けする。

 あまりに引きが速い。

 もしかしたら他に当て、自分以外にも打診するのか、もうしているのか。

 だとしたら追加の報酬は早い者勝ちなのではないか。

 自覚した途端に焦りのようなものが身の内に生まれる。

 「今宵の事は出来れば他言無用で願うが、なに、危害を加えようなどと思っておらん、人に話した所でホラ話と思われるだけじゃろうが」

 部屋のドアが開かれる。

 ヴァルが外へ、続いてコアが続く。

 「――待ってくれ!!」

 コアが足を止める、黒き花は振り向く。

 「……二、三日考えさせてくれ」


 絞り出すようなミスティの声にコアは艶然と微笑んだ。




***




 「乗ってくると思うか?」

 自室でヴァルはコアに言葉を投げかける。

 「……さぁ?」

 焼き菓子を頬ばりヴァルのベッドで寝転がりながら下世話なタブロイド紙を広げ読みつつコアは返答する。

 「おい」

 その無責任にすぎる返答もさる事ながらベッドにポロポロと零れる菓子のクズが気になるヴァルだった。

 彼は男らしく綺麗好きなのだ。

 そもそも組織の長に対する態度ではないだろ、このガキめ。

 「手応えは感じたものの、こればっかりはのぅ、人の心なぞわからんよ」

 ふわふわと掴み所のない言。

 それはそうだがそれを言ったらおしまいだろうな言葉。

 「……の割りには誑かすのがうまいな」

 ヴァルはベッドの菓子クズを掃除しながら嫌味を返す。

 これくらいの意趣返し、皮肉は当然だろう。

 「見てくれが良く生まれたおかげじゃな、親には感謝じゃな」

 ただの単純明快な言葉も美人が発せばそれは搦め手に、呪縛にもなる。

 自己の美貌を自覚している者の傲慢とも言える言である。

 「嫌な奴だ」

 「魔法の使えぬ身にはこれくらいないと世の中をわたっていけんよ、そもそも自分ではそう良い容貌とはイマイチ……」

 贅沢な話だ。

 とはいえ魔法の使えない身というのは同情する所だが『嵐』を知っているだけにツッコミたい所でもある。

 「にしても、この賭けには俺も思う事はある」

 「…説明は前もってしたであろ? 王城の連中が手を出す云々は本当かどうか真偽はわからんが対策は必要、最悪この街が潰れてもオルトが消滅せぬように今から動くべきであるし、それには金もさる事ながら優秀な人と技術の確立よ」

 コアの自信満々な声色。

 「そんなに凄いものなのか、ガイネン、ジョウキキカンとかいうのは?」

 ミスティに見せた紙束とは違う、計画書に記された工房や組の一部の者達にしか公開されていない資料の単語をコアに突きつける。

 「……さぁ?」

 ヴァルを見、首を傾げるコア。

 「おい」

 何度、同じやりとりをすればいいんだ。

 「未来が視えるわけでもなし、勝算あっての事じゃが何事もやってみんとわからんよ」

 当たり前の事を言わせるなという雰囲気がありありと。

 「それはそうだが」

 保証というものは欲しい。

 誰だって失敗の愚は冒したくはないし、この計画には多くの資金もさる事ながらオルトの先がかかっているのだ。

 長としては泰然としなければならないが無責任に構えてもいられない。

 「欲を言えばな紋章術、魔法があるならもっと高等な物、雷魔法を用いて発電炉など作ってもいいし蓄電、高効率な内燃機関も出来るが、初歩的なところから、紋章術、魔法、コークスを複合しての蒸気機関から始めて知識と知恵の蓄積、無難じゃろうということでな?」

 「……お前の言う事がさっぱりわからん」

 「ははは、それで良い。歴史書にあった産業革命前夜もたぶんこういう感じなのかと、天才の孤独を擬似的に体感できて嬉しい限りよ」

 コアの笑い声が部屋に響く。


 その声だけは年相応の童のような色だった。

 ただし世に悪戯を仕掛ける悪童、知恵の実を喰えとそそのかす蛇。




 かくして魔法科学の火はここに興る。

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