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番外編:竜と猫

 数多の人々が倒れ伏していた。


 パアル大陸、南西域にある獣人世界、セイ皇国、その皇都セイラ。

 闇が濃くなる時刻、街に灯る光源、食事を出す店では酒が酌み交わされ一日の仕事を終え、一服を求めてきた者達とで席と卓は埋められる。

 いつも通りであるならばこの界隈は、店は大いに賑わい、気の合う者達が杯を交し話に花を咲かせていたであろう。


 女がいる、男がいる、齢を重ねている者もいればまだ年若い者もいる。

 手に拳を作る者もいれば槍、棍棒、刀剣の類を持つ者もいた。

 およそ共通点を見出し難い、様々な、多様な者達が倒れ伏している。

 一人は腹をおさえ呻き、一人は顎を押さえ痛みに耐えている。

 腕が足が、首が、頭が。

 痛みのあまりか、打ち所が悪かったのか意識を失っている者さえいた。

 しかし、その誰もが命までは失ってはいない。

 恐るべき事に十重二十重の襲い手を前にして撃退者は加減を、手心を加える余裕があったという事を表していた。


 「グゥゥゥ」

 虎が唸る。

 否、獣ではない。

 その肌こそ毛に覆われ、容貌こそ虎であるが、人の証の如く確かな五指の手があり二足で立ち、服を纏っている。

 虎人。

 獣人種虎形。

 虎の加護を宿す人類。

 名をレンカと言う。

 南派虎爪牙拳の使い手であり皇都でもそれなりに知られた使い手と自負している。

 そのレンカが今、攻めあぐねている。

 もはや酒場に確固とした気概を持って立っているのは彼女一人だけ。

 多くの気骨あるものは挑み、ことごとく沈められ、身の程を知る者達は店の端で酒椀を持って退避している始末である。

 虎が吠える。

 服の下で筋肉がはち切れんばかりに膨れあがり、淡い白光が身に纏われる。

 ありったけの筋力と魔力を総動員してやる。

 両の手は虎爪の構え、虎の膂力と肉体強化魔法を用いた技、ひとたび触れれば皮を剥ぎ肉を抉り骨を砕く同門の初歩にして絶大なる一撃。

 右手を上に左手を下に、両の手を巨躯なる獣の、巨虎の顎に見立てられたその武技。

 虎爪牙拳が絶招、虎刃双裂掌。

 構え、今にも獲物に飛びかからんと身を伏せるそれは死をもたらす飢虎の如く。

 

 なぜこんな事になった。

 レンカは相手の隙を窺いつつほんの少し前の事を思う。

 仲間内で飲み騒いでいたのが嘘のようだ。



 それは目をひく客であった。

 顔馴染みばかりの店内にあって異質。

 黒の、もはやボロと呼んで差し支えない拳法着と暗黒の外套を目深に羽織った客。

 その様子から一見の旅人、冒険者の類かと思われるが、店内の客が目を見張るのはその立ち振る舞いだった。

 武を学び、その道を歩む者にとって武技を知る者とそうでない者とでは隔絶した差がある。

 立ち方、歩き方、その所作、呼吸、視線、重心、なによりも身に纏う雰囲気、臭いとでもいえばいいのか、言語にし難い、総合的な、身から滲み出る何か、知る者が見れば一目でご同輩とわかる。

 それも格別の味をもった相手。

 空いた椅子に座り飯を注文をする、声から女だと推察される。

 ほどなく料理は運ばれ黙々と外套の客は咀嚼する。

 味わっている節もなく、かといって雑然という事もない。

 美しい所作であるとレンカは評した。

 何故ならその動き、視線の配し方、気配の抑え方、それらは隙を排除した所作であり常在戦場を地でいく姿であったからだ。

 皇都には武人が多い。

 それはひとえに仕官の道を希望する者、我こそはという腕自慢が多く集まっているという事でもあり、都には自派自流こそ最強、当家こそ一番などと看板を掲げる道場も多くある。

 人間よりも少ない魔力量、加護という利はあるものの魔法の撃ち合い、真正面からの攻め合いとなれば他種族に比べ分が悪い。

 それをよしとしなかった獣人種の先人達はその獣と人の力を効率よく操る技を、武を編みだし磨いた。

 武技は獣人の誉れであり国技であり教養である。

 そして個人差はあれど腕比べ、技比べは彼女らに刻まれた衝動といってもよい。

 人の欲、それがそうさせるのか、獣の、荒々しい獣性それがそうさせるのか、比べずにはいられない。


 俺はあいつより強いのか否か。


 全く馬鹿げた思考だと思う、安い矜持だと、ちんけな自尊心だと思う、エゴだろう。

 だが、それこそが獣人種を強く、発展もさせてきた。

 獣人種は他種族には比較的穏やかな人類種で通っている。

 それは一面である。

 武を披露する相手は、闘争の相手は辛辣に選り好みするだけ。


 匂い立つほどの強者であるならば灯りに群がる蛾の如く。

 

 さぁさぁ、俺を睨め、勢いにまかせ罵声でも浴びせてみろ。


 店内の客らは檻に放り込まれた肉を前に口を開けんとす。

 どうすれば振り向いてくれる、乗ってくれる。

 喧嘩の売り方とは、色気のある闘争とは、異性を口説くに似ている。

 あれこれと頭で組み立てやきもきする。

 これがなんとも楽しい。

 多くの武人が熱い視線を向ける。

 どうしたものか、いっそ直情に任せていくべきか、壁際のうら若い者達がそわそわと落ち着かなそうにしている。

 もう少しすれば売りに行くか、これは。

 レンカはほくそ笑んだ。

 勢いに任せ一番槍をつけたがるのは若人の証とはいえなんとも我慢のきかない困ったものだ。

 酒椀を傾け、のんびりと事の経緯を観察させてもらおう。

 ある程度に熟達した者は慎重に事を進める、血気盛んな若人に先をこされるものの、そこはそれ未熟な者に敗れるようでは話にならない。


 

 「旦那様ーーー!! またこんな所でお食事をして、にゃんたる事ですにゃー」


 は???


 唐突に、一匹の、いや一人の子が店に『訛り』のきつい言葉を叫びながら闖入してきた。

 その身のこなしは猫のようで、実際その身は猫であった。

 まず頭に髪と同じ鳶色になる猫の耳、尻からは尾が生え、くりくりとした愛らしい瞳は猫族の見本のような、愛嬌と特徴を有した子であった。

 髪は肩より少し伸びたくらい、邪魔にならぬように二つの房に編み込み、その背と様子、年の頃はやっと十を過ぎた程度か。

 服装は平原の遊牧民族が身につけるような風を友にした格好、布を幾重にもその身に巻き付け、時にゆったりとさせたローブのようで、皇都の反物屋でも中々に見られない細やかな刺繍は祖父から父へ子へ孫へと継承される針の技とささやかながらも一族に流れる豊かな、文化の深みを感じさせる。

 一瞥しただけでは判断し辛いが装いから男の子であると見るべきだろう。

 

 「旦那様、お食事ならばリィリィが作りますので今すぐ宿へ帰りましょう、というかもう作ってますにゃ」

 猫口を尖らせぶーぶーと言いながら外套の者に駆け寄った。

 「…お前の食事は美味いが、妙なものをいれるのでたまらん」

 茶碗を片手に傾けつつ外套者は愚痴る。

 「それはですね、旦那様には精をつけてもらにゃニャにゃ」

 猫の者は妙な客の隣に座り紅顔しクネクネと蛇人の如く身をくねらせる。

 この二人はどうやらそういう関係らしい。

 しかし男の方があまりにも若い、幼いといっていい、その愛らしさは認めるがこれに手を出すのはよっぽどの好き者。

 周囲の好奇の視線に耐えられないのか外套者がため息を吐く。

 おもむろに外套者が動く。

 中指を親指で止め弾く、いわゆる『でこぴん』である。

 が、その速さは凄まじく、動作の初手、一瞬、手がぶれたと思えば猫人の額が後ろに飛んだ。

 「い、痛いですにゃー」

 咄嗟に後ろへ首を傾けたものの衝撃を流しきれず、痛む額をさすりながらリィリィが抗議の声を上げる。

 「つまらん事を言うな」

 にべもない。

 どうやら二人の関係は猫が一方的に懸想しているだけらしい。

 

 

 誰かがつばを飲み込む音がした。


 先程のやりとり、一体幾人の者が視認できたろうか。

 撃ち手もさることながら、子供である猫もまた望外。

 奇妙な取り合わせの二人であるが、もしかしたらどこぞの名のある武門の師と弟子ではないか。

 にしても師に懸想する弟子など不埒にも程があるが、猫族の気まぐれさは虎であるレンカもその気まぐれさ不埒さには思い当たる節があるので強くは言えない所である。

 笑いがこみ上げる。

 自分と同じような事を思う、嬉しく思う者達もここには大勢いるだろう。

 これは生半可な相手ではない、そこらの若いのでは、いや若いのに食わせたくない。

 知らず椅子から腰が浮き、酒椀は置かれる。


 「さぁさぁ、このような無頼の者が集まる場は息苦しいですにゃー、シェスリー様であればもっと大きな酒家で飲み、食べる事もできましょうに」

 

 猫の言葉、その名、場にいる者達は戦慄した。

 猫が外套者、シェスリーの腕に勢いよく抱きつきその拍子にフードが落ちる。

 真白い髪に蒼天の眼差し、年の頃は二〇を越える。

 シェスリーという名、その姿形。


 まさか、あのシェスリーか!!


 ここ数年、獣人、武林の間でその名は頻繁に話題になる。

 武技を研鑽する者にとってその話題の根源、発端は他愛のない物だ。

 曰く、武芸者、武人で当代最強なる者は誰か?

 よくあるそんな話。

 ある者は拳聖ハイレンという。

 ある者はおとぎ話で出てくる、帝を影に守護する一子相伝、万魔拳の継承者と与太話を披露する。

 北派の鳥千拳のあれが、西山派のなにがしがと、話題は様々な派閥、流派と数多の武人が口の端に上り、あらわれては消える。

 では若手で強いのは誰か?

 年経た達人たちではなく馬鹿話に興じる若人と同世代、誰がもっとも強いか、次代の拳聖や達人と呼ばれるか?

 そんな話に移った時に必ず出る名前の一つ。

 それがシェスリーだった。

 方々の武門の扉を叩き、挑み、勝つ。

 北の地で弓に、槍を持つ鳥人の群れを相手に大立ち回り、東の地で魔獣と化した大蛇を撃ち倒し、南の地で悪逆なる盗賊達へただ一人で立ち向かい村を救った、ドワーフとの力比べ呑み比べ勝負、人間の街を襲う魔物退治などその逸話も枚挙に暇がない。

 常勝のシェスリー、鉄拳のシェスリー、白鱗、拳鬼、暴君、求道者、彼女を示す二つ名、あざなは多い。

 ある者はあれをただの暴力者といい、ある者は慈悲ある拳者という。

 あのハイレン秘蔵の直弟子という話もある。

 噂は錯綜する、どこまでが本当でどこからが嘘であるかなど傍目にはわからない、ちょっとした話にも尾ひれがつき外野は面白おかしくはやし立てるものだ。

 シェスリーはその身に竜を宿すなどという馬鹿な話もある。

 竜などと、そのようなものが加護であるならば初代皇帝の再来だ。

 加護は親の遺伝などに依らないとしても、冗談にしても酷すぎる。


 噂話で聞くべき所はただ一つ、シェスリーという女はとんでもなく強いだろうという事。

 

 席を立つ音がした。

 幾人もの抑えきれぬ者達がシェスリーとリィリィの二人を囲む。

 「……リィ、端に行ってろ、すぐ終わる」

 「はいにゃ」

 猫人は跳躍、悠々と人を飛び越え、輪から外れ店の端っこに、椅子を確保してはお行儀よく座り傍観の姿勢。

 その様子は手慣れている。

 こういう事は多いのだろう。


 すぐに終わる。


 理由はもう何でも良かった、その言葉を侮りと受け取った気性の荒い者が怒号を上げ掴みかかる。

 次の瞬間、掴みかかった者が天井付近まで吹っ飛んだ。

 何をしたのかがわからない。

 とっさの、瞬間の出来事に頭がついていかない、多くの者が阿保面を晒して頭上を越える哀れな者を見やってしまう。

 卓を巻き込み落下。

 「え?」

 間抜けな誰かが呟いた。

 刹那、風が吹き抜けた。

 六門六花拳、流花旋風。

 シェスリーの体が円を描き、二つの手が高速で流れ、指が、手が、手首が、肘がその拳圏にいるものをことごとく打ち据える。

 一人は首が真横に飛ぶ、首だけに止まらず体を衝撃にもっていかれ壁にまで飛ぶ。

 飛ぶ、トブ、とぶ。

 誰かが叫んだ。

 たぶん何らかの罵声だったと思われる。

 白刃が煌めいて。

 シェスリーの裏拳が剣の腹を打ち飛ばし腹に蹴りが叩き込まれ、嘔吐しながら沈む。


 それは有象無象が一個の強者に群がる乱戦であった。

 十重二十重の襲撃をいなし、潰し、いやあれは闘いと呼べるものではなかった、ただただ処理された。

 簡単な、簡潔な作業に等しい。

 知恵が介在する事もなく、木偶の坊を作業的に打ち据えたにすぎない。



 「グゥゥウゥゥウ」

 虎が唸る。

 およそ勝負の体を保ち、相対した者は店内でも僅か、レンカもまたその一人。

 シェスリーとレンカの頭の中では制空圏の取り合いが行なわれている。

 その視線、身の所作、ゆらぎ、少しばかりの筋肉の強張り、それら些細な情報から導かれる戦形と極限の集中からなされる未来視に等しい予測。

 それによる、はじき出される残酷、無慈悲な結果。

 闘争の体をなんとか保っているものの勝つとなると話が違う。

 勝負にはなる事と打ち勝つ事は似て非なるものだ。

 レンカの口がカラカラに渇く。

 絶技を頼りに、それをもってしても相手からのこの重圧。


 私、なんでこんな事してんの。

 

 考えても詮ない事が頭をよぎる。

 シェスリーは両の掌を眼前にわずかに突き出す姿勢。

 両手、その手の平がまるで厚い壁のように思える。

 遠い、そのわずかな距離が膨大な距離に思える。

 この差を埋める事が出来るのか。

 出来る出来ないではない、やるのだ。

 行くぞ、今行く、飛びかかる、この拳を打ち込むのだ。

 じりじりとシェスリーがにじり寄る

 レンカの足が一歩下がる。

 動かない、前に動けない。

 獣化し魔法すら用いてるのに目の前の相手がどうしようもなく怖い。

 底が知れない。

 

 「やめるか?」


 シェスリーの言葉。


 ぶち切れた。


 言葉を完全に吐き終わる前に床が沈み込むほどの蹴り足。

 一足で距離を詰め、その虎爪拳が天地から襲う。

 両腕を砕き、握りつぶす、思うさまに蹂躙するべく襲いかかる。

 シェスリーは天地の凶手に自らの両の手を合わせる。

 レンカのその動きは見えている。

 見切られている。

 が、真に驚嘆すべきはその後。

 レンカとシェスリーの手の平が合わさり指を組む形になった。

 瞬間、レンカの手が、手首が腕が、無残に握り、へし折られた。

 「あ、え?」

 あまりに瞬発的な事で痛みすらない。

 シェスリーの腕が白鱗に覆われている、獣化の適用。

 暴力、理不尽な腕力がその身、両腕に宿る。

 虎を凌駕する獣の力とは何だ。

 レンカの疑問は至極当然。


 懐にシェスリーが潜り込む。

 それはまるで狩りに長けた虎のようでいて静か。

 

 震脚。

 

 床が砕けるほどの瀑布の如き発勁。

 その暴性、圧倒する威圧感は獅子のようで。

 「少し痛いぞ」

 腕をへし折っておきながら言うせりふではない。

 あまりな言にレンカは笑ってしまった。

 それはこんな異常状況であるからこそか、それとも虎の矜持か。

 

 音を超えた拳が虎へ向け撃ち込まれる。


 あぁもう、こいつはとんでもない奴だ。


 レンカに自嘲気味な思考が支配する。

 なぜこんな者に喧嘩を売った、己の武技をひけらかし挑むのも武なら、ひたすらに逃げ、護り、相対しないのも武、後者を選ぶべきだった。

 反省はしよう、だが後悔はない。


 音速の拳は虎に触れる事なく引き戻される。

 それだけで十分、空気を撃ち抜いた衝撃は周囲を巻き込み暴力の波となって虎を喰らう。

 六門六花拳が奥義、音超えの拳、その初手。


 レンカが吹き飛ばされる。

 人とは一撃でここまで飛ぶものなのか。

 拳でここまで飛ばせる事が出来るのかと。

 野次馬は呆気にとられ呆然と見つめる事しか出来ない。

 噂通りの、噂以上の怪物だと誰もが思った。

 重い音を立て虎が地面に沈み込む。

 視線は定まらず、その意識は既にない。

 動くものはない。

 意識ある者、誰もが動けずにいる場。

 今、この店は強大な獣の腹の内も同じ。

 シェスリーは店内を見回す、もう向かってくる相手はいないと悟ると残心を解き、乱れた外套を整え、フードを被り直す。

 「終わったぞリィ」

 「さすがですにゃー」

 武骨ともいえるシェスリーの言に上機嫌に答えるリィリィ。

 「正に天下無双、旦那様がお強くてリィは鼻が高いですにゃー」

 シェスリーに抱きつくリィリィ、シェスリーはそれをうっとうしくしながら、けれど猫の身のこなしは存外に優秀でシェスリーの手をかいくぐり、まとわり続ける。

 打ち倒す気でいけば剥がす事も可能であろうがそこまでする気はさすがにないらしい。

 しばらくはあれこれとやるも無駄と悟ったのかなすがままにする事に落ち着く。

 いつもの事だ。

 背面から首筋に抱きつき、ああだこうだとリィリィが賛辞を紡いでるが当の女は聞き流している。

 「迷惑をかけた」

 用件のみの簡潔な言葉は短く、迷惑料を込めてか食した料理の代金以上の過分な金銭を卓に置き去る。

 シェスリーが去ってから酒家は大いにわいた。

 伝説の一つを目の当たりにした。

 十重二十重の武人を相手にただ一人で打ち勝つ、ものともしない武力。

 安全圏から眺めていた者にはさぞ面白い劇にでも思えただろうか。

 後日、あのシェスリーが暴れた店として賑わい、傷つけた椅子や卓、その傷口は客の肴となり楽しませ、座った座席には誰もが座りたがったという。

 打たれた者達にしても怨みに思うどころかあのシェスリーに相対した者として名誉になる程であった。

 それほどまでに彼女は格が違った。

 

 「旦那様は律儀ですにゃー、ああいうのはむしろこちらが貰ってもいいくらいですにゃー」

 ああだこうだと宿への道にリィリィが喋り続ける。

 「些事だ、気にするな」

 シェスリーは言ってから言葉に気づく、知らず口角が上がる。


 魔人を打倒する、その戦形と技は一応の目処がたっている。

 通じるかどうかは実際に相対、試してみなくてはわからない。

 あれは待っていてくれるだろうか、あれは今も変わらずそこに在るだろうか。

 あの時よりも育ち、強くいてくれるだろうか。

 この拳は届くか否か。

 届いて欲しいと思う。

 その反面、自分など一顧だにせず踏みつぶして欲しいという想いさえある。

 不可思議な心境だ。


 リィリィはシェスリーを天下無双と評した。

 それは間違いだ。

 「リィ、面白い話をしてやろう、嵐を操る…実在する天下無双なる魔人の話だ」

 「?」

 唐突な話にリィリィは目を丸くする。

 だが普段見る事のない上機嫌なシェスリーの声音に訳もなく気持ちが浮いた。

 

 夜空に星と月が瞬く。

 あの夜もこんな風だったか。


 

 あれからもうすぐ十年。

 約束の日は迫っていた。

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