13:老人と外法
――あぁこれはいけない。
色をなくした世界、緩慢な時の中でコアは自己をどこか他人事のように思考する。
真っ直ぐな拳筋、嘘を知らぬとばかりに突き込まれる苛烈な一撃。
数多の虚実を織り交ぜた武など小癪な事と言わんばかりの眩しい姿だった。
なんというか、妬ましい。
生まれ持った優れた肉体が妬ましい。
まっすぐな技とそれを通せる拳が、気風が妬ましい。
その前だけ見据える瞳が妬ましい。
その純然たる正道な強さが妬ましい。
なぜこのような者がこんな日陰にいてこんな事をしているのか、見聞を広めるためか、武の探求か、こんな影の道に、太陽の如き眩しさが割り込んでくるような疎ましさ。
あぁ、これはいけない。
これはただの老人の逆恨み。
先ある若人に向けられた妬み。
全くもって大人げない。
震脚。
コアはゼロだ、魔力を保持出来ぬ身。
穴の空いた器と言う者もいる。
だがコアはそうではないと考えた。
パアル世界に生まれ出でて、魔力、魔法なる気功とも仙術とも言える不可思議な技を前にして大いに考えた。
魔女と共に人里と離れ暮らし世俗とはいささか隔絶していたがエルフ社会は殊更に魔法社会だ。
ただただ魔法が使えぬ身が不便だというのもあった。
魔法を事も無げに使う者達が羨ましく、対抗手段が欲しかったというのもあった。
コアは思考し続けた。
地球世界の概念、思想、知識、魔女の持つ書や伝聞を参考に自身にもどうにか魔法というものが扱えないかどうか。
学び、思考し、実験し、問い、求めた。
エルフという長命、世俗を離れたる生活、幸いにも時間だけは十分にあった。
そして、ある日『あれ』は一応の形をなすまでに至る。
他者の魔力に同調し命令を偽る技、剣や道具を介して防護を潜り抜ける術、それらはあれの副産物のようなものだ。
コアはゼロだ。
穴の空いた器と言う者もいる。
だがコアはそうでないと考える。
例えるなら筒。
いうなればストロー。
蛇口のようなものと認識した。
ならそれを何処につければいい?
『大地』の勁道、強固な意念を通す。
同調、開門。
真下より黒き膨大な魔力がコアを彼岸の彼方にさらってしまおうと噴出する。
他者、他物の魔力は身を害する毒だ。
同期、融合。
地龍気脈経絡仙合一。
この過程を経験すれば人と同調するなどなんという事はないと思える。
コア以外の者、他者にたとえ大地の門を開く、同じ技を使えたとしても、ゼロでなければ、コアでなければ一瞬で死ぬ。
魔力を留めず放出するゼロであるからこそ、身を灼くような痛みと苦しみの中でも同調、同期し続ける強さ、精神、相応の経験、知、意地を持つコアだからこそ。
およそ余人には真似の出来ない後天的固有魔法。
技術であって技術を越えた所にある特殊固有の絶技。
ただコアはこれを卑怯な技、外法と呼ぶ。
あれほどに求めた力、技ではあるが自身の力ですらない、所詮は借り物の力とそれを操る術。
出来てこそわかる深い理解。
このような技は好みでもない。
たとえば闘争において、金や権力にものを言わせて人を雇い入れ相手を袋にするのと大差ない。
卑怯で矮小な外道技。
しかし、窮地にあって磨いた武でなく、それに頼らなければならない自身になによりも腹が立つ。
驚くべき事が起こった。
渾身の一撃、およそ避けられぬ一撃、致命の一撃だった、はずだ。
石造りの家屋に体を埋め擾乱する意識と定まらぬ視界の中でシェスリーは魔人をたしかに見た。
おそらくは殴り返されたのだろう、ただ拳筋が全くもって見えなかった。
腹部分の布地は破け飛び、鱗もついでと言わんばかりに砕け散っている。
獣人をして、シェスリーをして常識範囲外の膂力だった。
「ごぼッ」
女の口から血が漏れる。
「…疾く癒えよ」
詠唱動作。
痛みが引き、傷が獣の生命力と相まって見る間に癒えてゆく、が、流石に鱗までは元に戻らない。
視線の先、魔人がこちらに歩んでくる。
恐るべきはその姿。
コアの、矮躯なるその身が火に、風に、雷に、冷気に彩られ、包まれ、その身の上部から膨大な、不吉にすぎる漆黒の魔力が使われる事なく、否、使い切る事が出来ずに噴出、場に拡散している。
十三番街のそれを知る者は、ヴァルならば今のコアの姿をみれば笑って言うだろう。
あれが嵐だと。
「すまん……これはもう、ただの八つ当たりじゃ」
コアが疾走する。
シェスリーは迎え撃つべく起き上がり、急ぎ構える。
気づけば目前。
たぶん拳ですらない。
真に『男』らしい平手打ち、ビンタで左頬を張られた、のだろう。
強化されたコアの肉体はもはや鱗ごときにその手を傷つけられる事もない。
平手打ちの一撃でシェスリーの体が浮き、ぐるりと半回転する。
「堅く護れ!」
とっさの詠唱動作、シェスリーとコアの間に三層になる多層防護の不可視壁が生みだされる。
追撃の蹴り……だったと思う。
防護を難なく砕き、鱗を割り、骨に響く冗談のような衝撃で体が地とすれすれですっ飛んでいく。
圧倒的にすぎる!!
やつは神仙、武神の類か。
おとぎ話にあるような魔王とはこういう絶対的な存在かと感じさせ、忌避したくなる重圧感。
すっ飛ぶさなかに地に爪をたて姿勢を御する。
伏せたまま敵たるエルフを見る。
武神、魔王、上等。
強者と相対、挑める、武を学び追求する者にとってこれに勝る喜びなどない。
神や魔王というならば、これを破ればそれは神を超える事となる。
またとない望外の機会ではないか。
火球や円錐、つらら状の氷弾が次々に撃ち込まれる。
とっさに横に飛び避ける。
質、量ともに強大な魔力をもって撃たれた魔法とはわかる。
わかるが、獣人の目からみても使用されたその力に比べ術の展開速度、練度が低い。
「飛ばす魔法はどうにも経験不足がすぎるな、これは我ながら下手くそにすぎる」
コアが自嘲気味、苦笑しながら歩んでくる。
ゼロかと思えばそうでもなく魔法に長じたかと思えばそうでもない。
なんなんだこいつは。
なにかの作戦か、全て故あっての行動なのか、油断を誘うのか、天上の存在からしてみれば理のある事柄でも下界の者にとっては解せない行動、思考にしか見えないとは神々を表現する言葉ではあるが。
シェスリーの理解と目の前の事象と化した存在とがうまく結びつかない。
異形を理解する事は最初から人には無理なのだと納得するしかない。
考えるな、思考は今は邪魔だ。
魔人を見据える。
事ここに至っては全力でなどとは思わない、言えない。
確実に、今の全力を越えて、殺す気でいくしかない。
半身をきり構える、手は拳を作らず、指を揃え貫手の型。
最速、最高の手槍の一撃。
考えるな、感じろ、行動に脳を介するな。
「まだやる?」
歩みを止めず、呆れたような、どこか感心するような、甘えたようなコアの声音。
その顔は婉然と艶やかで。
「無論」
是非もなし。
「馬鹿よなぁ」
コアはわずかに笑い、シェスリーが地を蹴り、走り飛ぶ。
標的はもはや眼前。
「疾く速く!!」
左の貫手を放つ。
が、それは虚。
ここに来て虚実を混ぜる。
どうしても勝ちたい。
コアの左手側に高速旋回、踏み回り込む。
高速の突進、貫手からコアの左側部にぶれるほどの急制動。
今までのまっすぐな、素直な戦形がここに来て布石となる。
左腕くらいならくれてやる。
絶対に獲る。
「ここに来て意が見えるのがザンネン」
魔人が嗤う。
戦形がばれていようがどうしようが構う事はない、見えていても避けれらぬ一撃はある。
繰り返される毎日、薄紙の如く積まれ、高く組み上げた修練の成果、功夫はシェスリーを裏切らない。
否、例え努力が、自己の才が、積み重ねがシェスリーを裏切ったとしてもシェスリーは自らの拳を信じる事を決してやめない。
馬鹿だ。
それがどうした、馬鹿でなければ至れぬ境地というものを見た事がない、視野の狭い賢しい奴の言など捨て置く。
「ッ!!」
一心の気迫を纏い、右の貫手を放つ。
目指すはその首。
最高、最速の一撃。
「こうじゃったか?」
いつか見た戦形。
そして逆の立場。
最速の手槍を事も無げに掴み捕られ。
魔人の突き剣が墜ちる星の如く地に、シェスリーの腹に吸い込まれていった。
***
「……殺せ」
シェスリーは腹に剣をうずめたまま、仰向けに倒れ月を見ている。
二つの月は冴え冴えと今宵も美しい。
「そういうのはもっと名を上げてもらわんと、な!」
コアが無造作に近づき乱雑極まりない手つきで剣を抜く。
「ぐっ」
「……何か用向きがあるならオルトに来るといい」
静かに鞘に剣をおさめ歩き出す。
黒い魔力の噴出はもうない、大地との繋がりは既に閉じている。
外法は体に障る。
術の未熟さも多分にあるのだが、無理やりなドーピングのようなものだ。
正直な所、限界だ。
吐き気に頭痛、目眩と腹の内に溜まるような酔い、倦怠感が体にのしかかり一秒でも早く寝込んでしまいたい。
以前に使った時よりも魔力の抜けが悪い、前と変わった事といえば髪を切った事くらいだが、その影響なのだろうか。
まだまだ完成には遠い、反動の強い、欠点だらけの技。
「待て、あたしを!!」
何か後ろでぎゃあぎゃあとうるさいが無視してコアは夜の街に帰る。
「負ければ殺せ、殺せ、と若いもんはすぐこれだから困るわ」
コアはあくびと一緒に気持ち悪さ、倦怠感を噛み殺した。