12:老人と窮地
女は左手で懐から何枚もの紙片を取り出すと無造作とも見える所作で放り投げる。
風に、宙を舞う紙、符には墨で書かれた紋様があり巨狼の死体に張り付くと発火。
火はほどなく炎へとなり対象を燃やし続ける。
勢いは止まる事を知らぬかのように燃えさかり、このままではいずれは骨すら焼く。
実際そうなるように作られた道具だ。
「…待たせた、こちらのわがままに付き合わせてしまったか」
近づく女の言葉にコアは泰然と。
「ん、いや、良いものを見させてもらったしの」
と、内心をおくびにも出さず答えた。
だてに年はくってない。
「……少し話をせんか、ぬしよ?」
コアは剣先を下に向け、問いかける。
二人の距離は今や三メートルをきるか否か。
静止状態の刃圏には遠くとも一足一刀で斬れる、出来得る距離。
「……」
女の沈黙を肯定と受け取る。
「わしはコア。間違ってもコア・オルトなぞというものではないぞ、あやつの所ではなんというか食客とかそんなもんじゃ」
腰に手を当て無駄に胸をはる。
「…あたしはシェスリー、粗雑な出で姓も家名もない」
「それはわしもじゃ、あらためて言うがオルトなんて名を貰った覚えはないからな!」
「そ、そう」
蒼い瞳が揺らぐ、情報に齟齬があったとシェスリーは納得してくれたか。
「まぁそれはもうよい、先程のあれ、正に一撃必殺、一体いかほどの研鑽を積めば功成るかと感心したわ」
「……それはこちらも同じ…ワンシー、狼人との闘いは見させてもらってた、剣技、体術、エルフでありながら気功術。――こちらでは魔法と言うのだったな、魔法を用いず…いや、魔力のないゼロであり腕や足が傷つけば治癒すらままならない、傷つけば負け、即、死に繋がる中での胆力、圧倒するその腕、ほんとうに凄い」
コアの素性をあらかじめ知られている。
鋭い者ならば目前のコアから魔力が一切感じられない、ゼロである事は容易に当てられるだろうが…この場合、知られていたと思った方が無難だろう。
「いやいやいや、ほらわしこう見えても、エルフじゃしお主よりはよっぽど長く生きてるわけじゃ、経験、時間の優位よ」
コアのおどけたような口調。
「それでも高く積まれた功夫は尊敬に値する」
「…魔法に長じたエルフの中ではいまいち認められがたい特技じゃがの」
コアは顎をさする。
「剣筋から南山派蛇身剣の色が見える。師と流派をぜひ知りたい」
南山派の蛇身剣…おそらくはパアル世界、こちらの武派。
コアとて地球世界の全武技、派を知っているわけでもないが、聞き覚えのないものだ。
「断る」
コアは一顧だにせず答えた。
「!?」
「はぁ……考えてもみよ、お主はわしを害そうと、攫おうなどと画策してるような輩じゃろうに、そんな相手になぜ手の内の一端を教えなくてはならん」
「むぅ」
「――が、条件が合えばその限りでもないぞ?」
「条件?」
「わしの同胞や友なればそれを明かす事もやぶさかではないという事じゃ」
それはコアを害する者でなければ、コアが属するオルトに害為す者でないのならという事。
「ぬしはなんでこんな事をしている?」
コアは剣を背の鞘に納める。
「…食っていくにも金がいる」
「なんと世知辛い、ぬし程の者が小さい、なれば用立ててやろう。オルトを煩わせる殺し、犯人には賞金がかかっている。理由はどうあれあの狼を誅したのはそなた、相応の金が支払われるじゃろう、これ以上オルトを煩わせないというのならぬしの事もわしは黙っていよう」
「…………」
「よい話であろ? 金は入り罪も問わぬ。まぁぬしのような拳士が積極的に加担していたとも思えぬが」
コアの笑顔。
裏表のない笑顔に見える。
ヴァルが見れば悪い貌と見ただろう。
人が震えるほどの、必殺拳の相手を前に闘わずに克つ。
老獪。
小賢しく、狡賢く。
殴り合いは好きだ、斬り合いも好きだ、闘争は楽しい、その果ての殺しはただ結果であり殺し合いを好む、楽しむ事はコアにはない。
ついでに言えば痛いのや苦しいのは好きでもない。
目の前の女、シェスリーとの闘争は互いの命のやりとりに、痛く苦しい事になってしまうだろう。
それはしんどい。
「……いい、話なんだろうね、たぶん」
「あぁ、いい話じゃ」
互いに笑みが浮かぶ。
やおらシェスリーは半身をきり腰を落とし、左手を前に右手を拳に構え。
「……おぬしは、その、馬鹿なのか?」
「ふふっ、よく言われる。だがな武に生きる者、『女』ならば強い者を見れば挑みたくなる、胸が騒ぐ、そうだろ?」
「さぁ? わしは『男』じゃ」
「そうだった」
すり足で一歩、また一歩と距離を詰めるシェスリー。
話は最早通じない。
「嫌じゃ嫌じゃ、わしはやらんぞ!!」
両手を前に嫌々する、駄々子のように首を振るコア。
彼我の距離はじりじりと詰まり互いの制空圏へ。
するり
あなぐらから蛇が飛び出るよう、鞘から剣が抜け出て女の首に咬みつく。
シェスリーに先んじて打たせる事ない意識の虚での侵入、早さと速さで相手の左脇からコアは抜け出る、確かにコアの剣は女の首、頸動脈を断ち切らんと動きその役目を存分に果たした。
が。
「なんという硬さ、こちらの刃が欠けるかよ…」
コアの持つ剣、その片刃が欠けてしまっていた。
「いい速さ、不意打ち」
シェスリーの獰猛な笑み、コアに向き直り感嘆の声こそ出しても、そこに非難の色はない。
その首筋には鎧の如き白鱗が覆い、剣による薄い傷をつけていた。
獣化の部分適用。
腕や足、肉体の一部を加護の獣のそれに変じ柔軟に運用する獣人技。
「刃の通らない硬き鱗、おぬし一体なにを宿している?」
「それを易々と言うほどあたしも馬鹿ではない」
「それもそうじゃ、な!!」
拳が撃ち出される、鼻先を掠め、当たれば死ぬ拳撃はコアの肝を冷やす。
当たらなければ致死には至らず。
とはいえ、躱し続けるのはひどく神経を使う。
剣撃が舞う。
蛇の如き、粘つく剣筋は相手の腕に足に絡みつき喰らいつく。
しかし、そのどれもが皮膚を覆い尽くさんばかりに増した硬き白鱗に阻まれる。
一歩踏み込む、両の手から繰り出されるシェスリーの拳を避け、時に剣の粘勁技を用いあしらい、更に一歩、あえて死線へ踏み込んでいく。
硬い鱗、鎧に阻まれているのなら……。
震脚。
足裏からの反発、沈墜勁、瞬発、生まれる力、増す力を螺旋の如く練り上げ発勁。
シェスリーの腹にコアの左手掌打、透される勁力は服と鱗を伝導し内部に抉り込まれ
「~~ッッ!!」
触れた瞬間にコアの左掌が切れる。
逆立つ鋭い鱗が刃の鎧の如く、柔らかい肉の接触を拒否する。
もうなんていうか、帰りたい。
こんなの無理じゃろ。
腕に足に首に顔にコアの剣は縦横無尽に走り、弱点とも言うべき口内、眼を狙うが、それは相手も承知している事、口を閉じきり眼への剣筋は警戒も露わに避け防ぐ。
その時々、一瞬、一瞬で視界を奪えてもシェスリーは相手を見失うような事はないのか正確に拳打を振るってくる。
一打が避けきれずコアの脇腹に。
咄嗟に剣の腹を入れ腕と膝も動員し受けきる。
化勁。
苛烈な衝撃を化法で散らし、化かす技。
如何なる激打も全身にて散らし放逐、また別の運動へと変換し消費しきる。
くるくると後方にコマのように廻り飛ぶコア。
化勁とて万能、絶対ではない。
ましてや相手は必殺の使い手、化かし、必殺にこそ成らずとも脇を抉る一撃は重く、痺れと熱、やがて尾を引く嫌な痛みへと変わる。
敵を見る。
トカゲか蛇か、全身の皮膚を白い鱗に覆われ、その硬さ、頑強さを知る者が見ればその姿は鎧を着込んだ騎士か戦士の如き威容。
が、そこに人が持つ威圧はあっても獣の持つ獣性は薄い。
「おぬし、いまだ全力ではないな、先程の狼のように変じきらぬのか?」
巨狼のような暴走など論外であるが、目の前の女、シェスリーはまだ自身の獣を表に出し切ってはいないとコアは感じた。
獣人と相対した経験、そこから裏打ちされた確信。
「…今のあたしの器ではここまでが精一杯、これ以上は呑まれる」
構えを解かずシェスリーが言い放つ。
「さよか」
馬鹿のくせにこういう事には理知的と見える。
これではいよいよコアの勝ちの目は非常に薄い。
相手は魔法を多用する相手でも驕る者でもなく、磨いた技を用い、確かな戦形を持って挑んでくる。
純粋な肉体の力で真っ直ぐに向かい、正道に圧倒する相手。
剣は通らず、掌打は当てられぬ。
話は通じない。
もうどうしようもない。
どうしようもない中でコアの頭に戦形が浮かぶ、およそ十六形、その過半数は逃げの算段。
はたして逃げる事は可能か?
これに背を向けて逃げ出すのは立ち向かうよりも難しいとさえ感じる。
思い出す、エルフとして生を受けて危機は何度かあった。
避けられぬ戦い、逃げられぬ闘い、生存の危機を感じる窮地。
樹海の奥に潜む氷妖、十三番街を相手取りヴァルとの闘争、もっともあの時は今のような剣すらなく木刀を担いでいたのだから一概に比べる事は出来ないが。
また一手、更に一手と詰め寄られ、コアの身体を掠り、時に触れる。
身の軽さ、速さ、技術こそコアが勝るだろう。
だが有り余る体力、膂力、頑健さはシェスリーが勝る。
決め手に欠けるコアとシェスリーの立ち会いは自ずと長期のものとなり、技を、剣筋を存分に見られ、覚えられ、子供の体力ゆえかコアは徐々に不利に、押されていく。
初手の一撃で全てを終わらせなかった事が口惜しい。
「疾く速く!」
詠唱動作。
シェスリーの力ある言葉に彼女の体が淡い白光を纏う。
魔法を行使し疾駆する体躯、後ろへ、逃げと避けに徹しつつあったコアの命に肉薄する。
シェスリーが懐に深く踏み込んでくる。
コアの突き剣。
が、シェスリーは事も無げに左手で掴み捕った。
鋭き剣だが何度も見た。
腕は良い、鱗に守られた左掌が切り裂かれる、まさに鉄すら斬り突く勁力凄まじい一撃。
斬れぬと見せかけてここ一番では獲りに来る。
素晴らしい剣術使いだと思う。
しかし、ここまで。
引き絞られた手が、死を与えんと伸びる。
いい闘いだった。
殺すつもりはない、ただ全力で打つのみ。
が、その結果が死するのはしょうがない事。
シェスリーの意に殺意はない、確たる害意もない。
ただ少し寂しげな気配がまとわれる。
本当に闘いが好きだ、殴り合いが、斬り合いが好きだ。
しかし、これで終着。
女の拳が墜ちる星の如く流れる。