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11:老人と絶技

 世界が反転した。


 一瞬なにがどうなったのかもわからず、宙でコアは呆けてしまった。

 おそらくは投げ。

 いや正確には捨てられたと言うべきか。

 相手に投げたという意もなく、目の前に邪魔なものがあり、掴み、後ろに捨てる。

 ただそれだけの動作。

 殺意、害意や悪意すらもない。

 必要だからそうしただけの単純行動。


 コアは敵意を感じ、それに応答する事に慣れきっている、頼り、親しんでいるといっていい。

 故にその意がない行動には無様に遅れをとる。

 これは悪癖だ、弱点といってもいい。

 かつて師からも指摘された事でもあり、世の中には作業的に暴力、行動が意よりも早い相手、行動が意を一切含まぬ無空境地に達した者、敵意や害意すら持たず親愛の情すらもって斬ってくる相手というのもいる。

 害ある意念を感じても、それはあくまで情報材料の一つとして処理し行動すべきであり、その点コアはまだまだ未熟だった。


 どうしても意を感じ反応する事が捨てられぬのなら敵意や害意などと選り好みせず自身に向けられる全ての意、自身が感じられる全意、膨大なそれを真っ向から受け止め御する器を見せよ。

 師から言われた事のある耳に痛い言葉が頭に響いた気がした。

 

 中空、視界にうつるは黒衣の外套者。

 体を捻り反転した世界を元に戻す、着地点を見定め然るべき戦形を組み立てる。

 右肩がひどく痛い。

 桁外れの膂力で肩を掴まれ放られた、ただそれだけで肩が外れかけている。

 剣を右手から左手へ、着地、敵からの追撃に備える。

 が

 「なぜ来ん?」

 思わず疑問が口をついて出る。

 黒衣の者は狼と対峙する。



 「痛ぇ、いてぇす、姐さんおせぇっです、俺もうほんと限界で」

 涙声の狼は黒衣に語りかける。

 黒衣は左手をかざす。

 

 不要。


 それだけの簡素な意思表示。

 「あねさん?」

 狼は問う。

 目の前の武林、同門の先達に。

 「ワンシー」

 黒衣の者の、女の声、それはどこか哀しげな色を含んでいた。

 「あたしは最近ずっと思ってた事があるんだ、あんた今、戻れるか人に?」

 「……なに言ってんすか、そんな当たり前」

 「あたしは言ったぞ、対象は捕らえろ。と、お前、斬り殺して喰おうとしてたな?」

 「な、なに言ってんすか、そんな事ねぇっす捕らえようとしてましたし人にだって!!」

 「――なら今すぐ戻れ、戻れば止血も治癒もなんでもしてやる」

 どこか狼狽する狼の、ワンシーの言葉に被せた。


 「はっ、もど、もどってみせますよ、そんな簡単なことじゃねぇですか、ねぇ?」

 「あんたは今、人の姿の自分を思い出せるか? 人を人として見られるか、獣人っていうのは獣じゃない」


 「わかってます、わわわわわかってマスヨ」

 狼の体が膨れあがる。

 その身に圧縮された肉が、筋肉が奔流となって皮を突き破らんと蠢く異常なさま。

 コートは引きちぎれ狼だったもの、肉の塊は苦しげに呻く。

 「ワンシー!! 意識を強くもて、斬られた痛みを、悔しさを楔にしろ、快楽に流されるな」

 「わkわわかだkわかわkだああkわkわ、カあだわわらわあうぇああわあ、わかってbぁすよよあだうあだ」

 依然とまらぬ肉の蠢き、ワンシーの体が異常なまでに、倍するほどに膨れ、膨れあがり続ける。

 黒衣の女が狼から十分に距離をとる。

 

 狼の、まず手が変化した。

 次に足が変わった。

 もはやそれは人の手でも足でもなく、前足、後ろ足と言った方が相応しい。


 「……ワンシー」

 女の声はただただ哀しげだった。

 「もう、人、おれわkらねぇすあぁさん、すあぁあうあんぁうんだ、すんみばせん、ああとだえs始末、おばがだだh、願います。だあげあhdfkっす」

 それが彼の人らしい最後だった。

 

 

 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

 

 

 場に隻眼、手負いの巨狼が出現した。

 月光に映え、猛々しいまでに吠え、その暴性を息苦しいまでに周囲に漂わせる。

 コアは右肩を、痛みを斟酌せず、地に当てすぐさま嵌め込む。

 痛みが走るが関節、神経、筋肉に異常はない事を確認し狼を見据える、これをどうにかするのなら事だ。

 狼は遠吠え、吠え続ける。

 今ここに生まれた喜びを、解放される悦びを表現せんかのように。

 黒衣が外套を脱ぎ放つ。

 靴、上から下まで装飾などない簡素な黒の稽古着、半袖の拳法着に身を包んだ姿。

 女、年の頃は色気のある十代の半ばにも見えるし幼い雰囲気を持った二〇前後にも見える。

 中肉中背、肌は小麦色に日焼けし、肢体は鍛えられ純度高い金属を彷彿とさせ、そして何より見る者の眼を惹くのはその真白い髪だろう、長く背にまで伸び、一本の三つ編みにまとめ垂らされている。

 硬い、ただひたすらに硬い水晶のような、神秘的な印象を抱かせる女だった。

 コアは剣を握りしめ狼を見据えていたが女はコアの方に視線を向ける。

 瞳は蒼く、その瞳孔は縦に割れていた。

 人間にはありえない身体的特徴、コアの視線の先にいるもおそらく獣人。

 女はコアに向き直ると手をかざす。


 不要。


 ただそれだけの簡素な意思表示。

 「はぁ?」

 コアは間抜けな声をあげてしまった。


 というかこれ、独力でどうにかなるのか?

 背中を見せて逃げるという選択はまずい。

 狼の遠吠えなど騒音は大きくなっているが誰もここに来ぬのは事前の根回し、オルトの道規制があって邪魔が入らないようにしているからだ。

 少しばかり走り大きな道に出れば多くの人がいる区画にも出る。

 この街は夜にこそ人口が増える。狼を引き連れる事は避けるべきであり、可能ならここで始末するべきだ。

 応援を呼ぶべきだろうが下手な人員は犠牲を増やしかねない。

 やってやれない事はないだろうが、手負いの獣、巨狼、相当に苦戦する事は考慮しなければならないと感じる。

 それを助けなし、武器なしの徒手空拳でやろうというのだ。

 獣人の寿命は人間と大差ないはず、それを自分の姿を無視していうが、小娘にしか見えないこれがどうにかできるのかという疑問。

 いや、この世界には魔法がある。

 獣人種がエルフに比して魔力や魔法素養に劣るといっても何かとっておきの秘術の類でも用意してるのかしれない。

 

 女は狼に向き直り近づく。

 不用意といってよい近づきかたは見ている者の方が怖くなってくる。

 そして、半身をきり腰をやや落とし左手を前に右手を拳の形に、腰だめに構える。

 口を真一文字に閉じ巨狼を見据える女、魔力の流れは一切なく、詠唱動作の類も一切ない。

 

 こいつただの馬鹿かッ!?

 

 巨狼が女を見据える。

 この状況、手負いの巨狼を前に、剣を捨て、みえみえの中段突きの構えで待機しろと言われればコアとて遠慮する異常状況。

 十中八九、死ぬ。

 自殺に等しい。


 エルフ、特にヘラなどは多様な攻撃魔法を無詠唱で発動させるがあれは種族特性、才と英才教育、本人の努力があってこそ、ヘラだからこそ出来る芸当だ。

 ヨハンなどは攻撃魔法を無詠唱では出せない、だからこそコアと一緒に木剣を振ったりもするのだ。

 エルフの大人でも日常的に使い慣れた日常のもの、コンロに火をつける程度なら無詠唱できるようになるが、それ以外となると専門職でないと厳しい。

 ドワーフをのぞけば他種族なら相当に熟達した魔導師と言われる位にまで魔法を修めないと無理な技術。

 年若い獣人には言うまでもない。

 おまけに無詠唱魔法とて万能ではない、面前の敵に何の魔法か察知され難いという長所はあるものの詠唱動作を入れた場合に比べ出力や精度も全般的に弱くなりがち、個のイメージや体調、精神状態にも大幅に左右される不安定さをはらんでいる。

 魔法を使うならもう詠唱動作に入っていなければならない、強力な魔法を使うなら長大な詠唱、印や動作、準備がいるものだ。

 はっきりいってこの状況は女にとって詰みだ。

 コアは女を助けに入るべく構える、狼が女に気を取られた一瞬を逃すまいと姿勢を低くし内息を巡らせ足に力を溜める。

 「手出しは無用だぞコア・オルト」

 女の低い声が冴え冴えと夜の、月光が照らす場に響く。

 

 つうかコアはいい。

 名前が把握されているのはいい、それくらい想定内だ。

 コア・オルトってなんだそれ。

 変な情報が錯綜してないか、おい。

 

 女はコアをちらっと見やる。

 その作られた隙、視線の外れに巨狼は食いついた。

 彼我の距離は十歩もなく、巨狼はそれをひとっ飛びで詰める、

 手負いとは思えない速さ、鋭さ。まず左爪が女を横薙ぎに襲う。

 女はそれを視線を巨狼に向き直しつつ、上に、狼の左前足に飛び乗って避け、そのまま軽やかに頭上まで駆けんとする。

 巨狼の口が迫る。

 爪で無理なら牙がある。

 「もっと早くこうすればよかったんだ、すまないワンシー」

 女はただ哀しそうに呟いた。

 

 およそ格闘術、無手武術を学び、研鑽する者にとって抱く一つの夢がある。

 武器術ではそれはごく当たり前であろうとも無手ならばそれは遠大な、遠き夢の一つに数えられる。

 いずれそこに至ると学ぶ者は皆、夢を見、そして多くは諦める。

 軽やかに、多様に変幻する芸へと昇華された技に、武を通し人の道を説くことに、自身の肉体を精緻に制御し動かす事に生涯終始するのだ。

 

 女が飛ぶ。

 高速下で行なわれる神がかりといって良い反射動作、それは突出した才の成せる技か、努力の結実か、はたまた偶然か、それはコアにはわからない。

 ただ、結果だけが後に残る。


 がら空きの脳天。


 「ッッッ!!」


 声にすらならない女の裂帛の息吹。

 正に疾風迅雷、女の拳が巨狼の頭の直上、頭蓋に叩き込まれ、撃ち抜く。

 拳に秘められた勁力、圧は如何ほどか、衝撃は頭を駆け巡り内部をドリルかミキサーの如く押し廻しながら顎下にまで突き抜ける。

 血と肉と脳漿を下へぶちまけ、それでもまだ十分ではないというのか衝撃が巨狼の全身を震わせる。

 やがて、ふらりと巨狼は風に傾き地に倒れる。

 生死は今更問うまでもない。


 一撃必殺。

 

 放ち、当てれば必ず死する絶技。

 多くの者が恋い焦がれ届かぬ夢の一つ。

 放たれたのは腰だめの一撃。

 何の変哲もないただの一発。

 更に恐るべきは、一切の魔力を感じなかった事だ。

 この女、純粋な肉体の力、技、ぶれぬ強靱な心でそれを成し遂げた。

 極めれば初歩すら奥義となる、それを眼前、真剣勝負で実演してみせたといっていい。

 尋常ならざる武の体現者。


 いくら種族特性、獣人であるとはいえ、魔力の容量はともかく身体能力でも遅れをとるなら男って一体この世界ではなんなのか。

 暗たんたる気持ちがコアに湧く。

 


 コアの指が、手が、腕が知らず震える、それは久しく感じた事のない感覚だった。

 正直、帰りたい。

 それが偽らざる今のコアの本音だった。

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