第7章 光り輝いた時代
21歳から遊び人となったため、たいした稼ぎもないくせに遊びまわった。
だが22歳の時、激痛のため入院し、検査の結果が良くないため、2度目の手術を決意する。
だが、緊急じゃないため、順番を待つ間、内科で入院した。
この時、最初で最後となったが、祖父と同じ部屋で入院となった(祖父は翌年の元旦に空に羽ばたいた)
僕は患者でもあり、祖父の付き添いでもあったのだが、暇があれば僕は、喫煙所に行って他の患者とお話をしていた。
僕は、もう少し祖父の相手をしてあげればよかったと、祖父が亡くなってから気づいた。
そして、僕の手術日がやってきた。
僕は、前にふられたお気に入りの看護師さんに「次の日にここまで(外科は6階で内科は12階)歩いてくる」と約束した。
最初と同じで、痛み止めは効かなかったが、僕は気合を入れて、看護師さんのとこまで歩いていった。
2回目は気合がかなり入っていた。
三日後には見舞いに来た友人を下まで送り、そのついでにタバコを吸ったが、さすがに調子が悪いためまずかった。
しかも病室に戻ると、付き添いの母親にタバコを吸ったのがばれ、母はそのまま帰宅してしまった。
僕は電話で謝り、二日目くらい経った頃、母は来てくれた。
僕は嬉しかった。
退院すると忘れてしまうが、入院中は家族にすごく感謝していた。
たとえ離婚していても、僕のことを思ってくれる。
だが、退院すると馬鹿なことをし、親に迷惑をかけていた。
約半年の入院生活、もちろん新たな仲間もできたが、失った友もいた。
僕はこの頃から、空に羽ばたいた人たちのために祈りという曲を作った。
詞と曲を書いたのはこの曲だけだが、今でも納得いく曲にはならない未完成の曲である。
もしかしたら永遠に完成しないのかも……
2度目の手術から1年後……
また、同じところが再発し、一部の腸が狭窄していた。
僕は痛みと恐怖を忘れるために、遊びまわった。
だが、周りのヤンチャ仲間たちが、悪い事をし、逮捕されて、考えが少し変わった。
今まで入退院を繰り返し、アルバイトを転々としてきたが、あるリサイクルショップ(僕は以前にもリサイクルショップでのバイト経験がある)にバイトとして入社してから、生き方を変えようと思った。
そのためクローン病の病気の会で、役員のボランティアをやることにした。
さらにこの頃は、ほとんど空手の稽古をしていないが、館長が運転代行をやり始めたため、僕や他の兄弟弟子たちは、館長の仕事の手伝いをした。
また当時、同じクローン病同士でバンドも組んでいた。
今のところこの頃が、一番忙しく、一番輝いていたのかもしれない。
ある日、病気の会の会議で、「若い患者さんが来ない」「ご両親だけみえて、本人は来てくれない」など、「どうしたら若い患者にも興味を持ってもらえるのか」と話し合いをしていた。
確かに勉強ばかりじゃ、1度来たらもう来たくないだろう。
そんな時、当時の会長が、「生時くん、余興でライブをやってみたら」と言われた。
この会長とはすごく仲がよく、遊びにもよく行ったほどの仲だ。
僕は断る気はなかった。
病院の中とはいえ、ライブデビュー出来るのが嬉しかった。
僕にはこの時目標があった。
クローン病の患者の間では有名な、クローンバンドが北海道で活動していたので、僕は彼らを超えるクローンバンドを作ろうと考えていたのだ。
だが、喜んでいたのは僕だけで、他のメンバーは「自信がない」「忙しい」という返事しか返ってこなかった。
でもすでに引き受けてしまったため、僕は修羅生死と云う名で、ソロライブを行う事にした。