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〜第二章 磨かれる原石〜
妙薬 2
 なんだかで尋常では無い状態のセリアを、やっとの思いで温室へ連れて来たイアン達は、そのままゆっくりとベンチに座らせる。心配して顔をもう一度覗き込めば、途端に顔を赤らめ目を逸らされてしまった。セリアが奇怪な行動を取る度、イアンはグラリと自分の中で揺らぐものを感じるのだが、必死にそれを押し殺す。額にそっと手を当ててみるが、熱ではなさそうだ。多少の火照りはあるが、病気の類ではない。
「こんな時に限って誰も居ないのかよ」
 見回した温室内には、自分達以外の影は無い。居るだろうと思っていたルネすら見当たらないのだ。けれど、この状態のセリアを、安心して相談出来るのは、残念ながら彼等だけである。
「とにかく、原因が分からねえと」
「確か、校長室へ行くと言っていなかったか?」
 また余計な事を企んでいるのか、あの校長は。と内心で舌打ちしたカールは、取り敢えず原因を知っているであろう学園の主の元へ向かう事にした。それに続いて、イアンはクルーセルを当たってみる事にする。とにかく、あの二人が今回の事に関わっている可能性は、多分にあるのだ。無闇に人を疑うのはどうかとも思うが、普段の行いから、二人に心当たりがないか聞くくらいはしても問題は無いだろう。
「いいかセリア。絶対にこの場所を動くんじゃねえぞ。いいな?」
「イアンは行っちゃうの?」
 途端に潤んだ瞳を向けて来るセリアに、イアンもうっと言葉に詰まった。こういう反応は星の数程受けて来たというのに、相手がセリアだけにどう対処すれば良いのか分からないので、一々戸惑ってしまう。
「いいから。俺達が戻るまで大人しくしていろ」
「イアンがそう言うなら、分かった」
 そう言ってシュンと肩を下げたセリアに、イアンだけでなく、カールまで目を見開く。
 コイツが大人しく待っている事を了承するなんて、今まであっただろうか。いや。どれだけ自分達が望んでも、決して頷く事はしなかった。なんだか妙な感動を覚えてしまうのだが、今はそれどころではない。
「すぐ戻って来るから、とにかくここに居ろよ」
「うん。早く帰って来てね」
 制服の袖を弱く引かれ、上目遣いで懇願するように呟くセリアに、イアンも足を止めそうになってしまった。なんだ、この夫を送り出す新妻みたいな台詞は。
 もう暫くこのままでもいいかもしれない、と一瞬過った馬鹿げた考えを、頭を振って追い出した。しかし、幾らそうしても、一度浮かんだ考えがそう簡単に消える筈もなく。セリアをこのままにしておく訳にもいかないだろう、と現実的な思考で自分の愚かな考えを押さえ込む事に必死になる。
 とにかく、今は一刻も早く原因を探す事が先である。ここには候補生以外は滅多に近づかない。彼等ならセリアの異常を察して、なんとかしてくれるだろう。とイアンはそのまま温室を出た。



 一体あの校長は何をしたんだ、とイアン達が学園内を駆け回っている頃、図書室での用事を済ませたザウルが普段の様に温室へ足を踏み入れた。中を覗けば、一人取り残され、椅子に座ってしょんぼりと俯いているセリアの姿。普段とは何処か違う様子に、ザウルは心配になって歩み寄った。
「セリア殿、どうかされましたか?」
 ザウルが入って来た事に今気付いたセリアは、パッと顔を上げその端正な顔をしっかりとその瞳に映した。途端にパチリと大きく瞬きをすると、フッと息を短く吐き出す。頬を染めるセリアにザウルが首を傾げていると、次には信じられない言葉が飛び出した。
「ザウルはいつも落ち着いていて、とても優しいね」
「セリア殿?」
「私、貴方が好き」
「はっ!?あの……」
 何をいきなり言い出すのだ、と驚きで目を見開いていると、セリアがゆっくりと立ち上がり、自分の目の前に立ったのだ。咄嗟に身構えたが、そんな事意味を成さず、あっけなくその手を握られてしまった。手から伝わる温もりに、ザウルがパクパクと口を開け閉めしていると、また熱を含んだ言葉が吐き出される。
「私、貴方が好き」
 再び言われた言葉に、ザウルは身体の芯から揺さぶられた様な感覚を覚えた。何が起こっているのか分からず、まさか夢か、と疑ってしまう。けれど、次第に心地いい痺れに脳が支配されていくのも事実で、夢でもいいとさえ思えて来た。
 と、そこで頭を振る。いやいや、あり得ない。何が何だか分からないが、この状況は絶対に起こりえない。何か、異変が有るに違いないのだ。と一度失いかけた冷静を取り戻し、ジッとセリアに視線を向ける。
 相変わらず自分の手を握りしめながら、嬉しそうに頬を染めている姿は、確実に可笑しい。これではまるで、多少なりとも好意を寄せられているようではないか。何がセリアをそうさせているのか、冷静に見定めようとしていたザウルは、再び思考を停止させた。今度はセリアが自分の胸に抱きついてきたのだ。
「ザウル」
「セ、セリア殿……」
 ザウルは驚きと動揺から息を呑み、どうしたらよいかと必死に考えを纏めようとするが、頬擦りしてくるセリアの所為で失敗していた。けれど、惚れた弱みとやらで、嬉しそうにしているセリアを無理に引きはがす事も出来ず、そのまま固まっていた。もういっそこのまま受け入れてしまおうか、などという迷いも生じる。
 そんな事をしていると幸か不幸か、後ろから新たな訪問者が現れた。その者の足音を聞いたザウルは、はっとして振り返る。
「……ラン」
「ザウル、どうし……っ!?」
 温室の中から必死に何かを訴えるザウルの視線に、ランがどうしたのか、と状況を確認しようとしたが、その瞬間に固まった。目の前では、嬉しそうに身を寄せ合うザウルとセリア。実際は、セリアがザウルに一方的に抱きついているだけなのだが、ランにはそうは見えなかった。一瞬理解が追い付かず、信じられない物を見るような目で二人を凝視していたが、セリアの次の言葉で更に目を見開く。
「ザウル、好き」
 ランは大きな岩で頭を殴られたような感覚がした。目の前の光景と、たった今耳にした言葉の意味を理解する間もなく、心臓が早鐘を打ち始め、ズクンと鷲掴みにされた様な痛みが走る。端正な顔が血の気を失い、フラリと蹌踉ければ、心配したようにザウルが声を掛けた。セリアがしがみついている所為で駆け寄る事は出来なかったが。
「ラン!?」
「……ラン……?」
 ザウルの呼びかけにランが居る事を漸く知ったのか、セリアがゆっくりと視線を上げる。すると、またパチリと大きく瞬いた。
「ラン。貴方は本当に気品があって紳士的ね。私、貴方が好き」
「はっ!?」
 ザウルの胸からスルリと抜け出したセリアは、今度はランの目の前へ来た。そしてそのまま胸の前で指を組み合わせ、うっとりとランを見詰めるのだ。その場の二人にしてみれば、何が起こっているのか全く分からないだろう。そんな二人の様子に構う事なく、セリアは尚も熱の籠った視線でランを見詰める。
 普段は決して見る事のない、セリアの乙女らしい表情を真っ正面から受け、ランも怯んだ。というより、心臓が再び揺れた。今度は別の理由で。そのまま無意識の内に手をセリアの赤に染まった頬へ持って行けば、まるで猫の様にすり寄って来る。なんだろうか、この言いしれぬ感動は。
 けれどはっとする。つい先程聞いたセリアの言葉。それを確認するためさっと一歩下がった。すると、不安を覚えたのか、セリアが離れようとした手を反射的に握りしめたのだ。その行動にランの思考は完全に停止する。
「ラン、セリア殿の様子が……」
 ザウルの、複雑なものを含んだ様な声にランの意識も現実に引き戻された。そこで漸く落ち着きを取り戻す。そうだ、セリアがこんな行動に出るのは可笑しい。そんな素振りを誰にも見せた事がなかったのだから、急にザウルや自分に好きだのなんだの言うなんて、あり得ない。
 今までに感じた事の無い感覚に、つい酔いしれてしまったが、これではダメだ。とランはすっかりセリアの物になっていた己の手を引き離す。けれど、セリアが途端に不安そうに目を潤ませたので動きを止めた。
「ラン、行かないで」
「うっ!」
 なんだこれは。と頭を掻きむしりたくなるような状況だが、それでもランは気持ちを鎮めようと懸命に努力した。しかし、それも無駄に終わる。再び距離を詰められて、ギュッと腕を掴まれてしまった。まるで、子供が駄々を捏ねるように見詰められては、ランもその手を振り払えない。

 そのままどうしようか、と固まっていると、後ろから誰もが恐れる魔人の声が響いた。
「さっさと離れろ」
 思考が停止している所に、唐突に声が聞こえれば普通の人間ならば驚くだろう。けれど、ランは違った。カールの声が聞こえた途端、条件反射で頭が急激に冷え、声の主を判別する間もなく後ろを強い視線で振り返った。そして一瞬の後、ダークブロンドとプラチナブロンドの青年の間で火花が燃える。
「ああ、やっぱりこうなってたか」
「本当に、カール達の言ってた通りだね」
 カールの後から入って来たイアンとルネが見たのは、嬉しそうにランの腕にすり寄るセリア。
「セリア。とにかく座って」
 ルネが顔を覗かせた途端、大きく瞬いてまた好きだ、と迫るセリアを、ザウルとランは信じられないものを見る様な目で追う。けれど、ルネはセリアの異変を既に知っていたようで、笑顔を絶やさずセリアに席を進めた。
「いったい、どうなっているんだ?」
「原因はこれらしい」
 混乱を隠せないラン達に、カールがそう言って差し出したのは白い小箱。その中には、甘い香りを漂わせる茶色の物体がちんまりと陳列している。
「これは……?」
「校長と共にこの菓子を食べたらしい」
「なぜ、ただの菓子で?まさか、校長も同じ状態に……?」
 もし、校長がセリアと同じように目に映った異性全てに好きだと言って迫っていたら、それはそれで大問題になっているのではないだろうか。けれどランの心配を他所に、カールは首を横に振った。
「あちらはなんともない。原因は恐らくアルコールだな」
「アルコール……?」
 チョコレートにはかなり度数の高い酒が使用されたらしく、大人でも一口で軽く酔う程だとか。それで、恋に落ちる菓子、だという宣伝文句を使っていたのだ。確かに、人は酔うと普段ではあり得ない行動を起こす者も中には居るようで、セリアがそのいい例である。
「つまり、セリア殿は、酒に酔われたと……?」
 確認するように言ったザウルの言葉の先では、ルネをうっとりと見詰めるセリアの姿。これは、一種の酒乱なのだろう。なんて質の悪い酔い方をする女だ、と候補生達は大きく息を吐いた。
 とにかく、セリアをこのままにしておく訳にもいかない。寮の自室か、医務室でさっさと寝かせた方がいいだろう。起きた時には、酔いも醒めているだろうし。
 そう思って候補生達は同時に動きを見せたのだが、それとほぼ同時に静止した。
「っ?」
「おい」
「なんだ、この手は」
「セリア殿は自分が」
 四人がお互いの腕を掴んで、揃って動きを固定したのだ。瞬間、お互いを強い視線で見据える候補生同士の間で火花が散った。



「俺が寮に連れて行く」
「それは私に任せてもらう」
「セリア殿は自分がお送りします」
「貴様等の好きにさせると思うか」
 このままセリアを放っておくことも出来ず、かといって、今の状態のセリアと他の奴を二人っきりにするのは面白くない。というより、とんでもない。全員が少なくとも一度はセリアの熱い言葉を聞いてしまっているため、その威力は十分理解している。それを、たとえ仲間であっても、(ある意味)敵でもあるコイツ等に任せられるか。と互いに睨み合っているのである。
 動くに動けない状態を、ルネは少し遠い所から傍観していた。その隣では、セリアがニコニコと上機嫌で大人しく座っている。ちょっと頭を撫でてやれば、それは気持ち良さそうに目を細めるので、まるで猫が横に座っているような気分だ。
 遠くで言い争っている友人達に、自分がセリアを連れて行こうか、と提案するべきか迷う。ああやって珍しく国政についての議論以外で言い争う友人達を見るのも面白いのだが、少し心配だ。それに、こうしている間にも、セリアの瞼がトロンと下がって来ている。やはり酔っているのだろう、眠気には抗えないようだ。
「セリア、大丈夫?」
「……ル、ネ……?」
 笑いながら、まるで寝言の様に自分の名を呼ぶセリアは、もう殆ど夢の世界に片足を突っ込んでいる状態なのだろう。起きている時は散々好き勝手して、その後はさっさと寝てしまうとは、最早ただの酔っぱらいである。このままここで寝かせるのも戸惑われるが、なにせ目の前で繰り広げられる舌戦が納まりそうにない。
 どうしたものか、と悩んでいると、その横で今まで微睡んでいた筈のセリアがフラリと立ち上がった。慌てて視線を映すと、セリアが向かったのは直ぐ傍のテーブル。そして目に留まるのはその上に何時の間にか置かれていた小さな白い小箱。そしてルネの静止の声も空しく、セリアは箱の中身に手を伸ばした。正常な判断が下せないセリアは、フワリと漂った甘い香りに惹かれ、深く考える事なく菓子の一つを口に放り込んだのだ。
 これには目の前で言い争いを繰り広げていた候補生達もギョッとしたように目を見開く。濃厚で甘いチョコレートをゆっくり飲み込み、顔を上げたセリアを見て候補生達も頬を引き攣らせた。今度は、完全に瞳が据わっているのだ。眼光を鋭くしたセリアがズカズカと候補生達に歩み寄ると、一番近くに居たザウルの腕を掴み、グイッと引き寄せた。
「ザウルは私の愛が受け入れられないの?」
「は、はぁ!?」
「私はこんなに愛しているのに、貴女は私を捨てるというのね」
「セ、セリア殿。お、落ち着いてください!」
 常に冷静を保ってきたザウルも、これには言葉を無くした。けれどそんな事おかまい無しに、セリアはジワリと瞳を潤ませ、自分の想いが届かない(と思っている)事に対する不満を解消させるべく、ギャアギャアと騒ぎ出したのだ。その後も、カールの愛情が感じられないだの、ランの心を独り占め出来ないだの、イアンと愛の逃避行をしたいだの。いったい何処で覚えて来たんだ、と聞きたくなる様な言葉を連発しながら、温室内をバタバタと暴れまくった。


 その後、それがいかなる形であっても、どんなに少量であっても、セリアには絶対に酒を与えるな、という暗黙の了解が候補生達の間で生まれたらしい。




 温室内での騒動がなんとか落ち着き、今セリアは寮の自室でぐっすり寝ている筈である。自分達に愛を語りながら騒ぐセリアの姿を思い出し、男子寮の自室で一人、明かりも付けずにベッドに横になっているイアンはクッと喉の奥で笑ってしまった。
 さすがにあの時は戸惑ったが、今までに見た事が無いセリアの姿に、多少の優越感を覚えたのも事実。酒に酔った上での意味の無いものでも、あのセリアから甘い言葉を聞けたのだ。脳に直接響くような言葉に、酔わされたのはこちらかもしれない。
 もう一度、脳内で可愛い想い人の姿を思い起こそうとする。と、ふいに脳を過ったのは別の光景。そこに見たのは、自分の腕をスルリと抜け、カールの元へ行ってしまったセリアの流れる栗毛。
 瞬間、ドクンと心臓が大きく脈打った。はっとして目を開けると、また目に映るのは、自分にしたのと同じようにザウルやランにも熱い視線と言葉を向ける少女の姿。
 途端に意味の分からない感情が込み上げて来て、思わずグッと拳に入った力に気付いた。驚いてその手を解くと、手の平に残った爪の後。指の数だけくっきりと残った血の滲んだ後を、赤みがかった瞳が凝視する。ピリッと走る痛みの意味を理解出来ず、イアンは思わず疑問を洩らした。

 なんだ、これは

 手の平から無理やり視線を外し、背筋を流れる嫌な汗の感触を誤魔化した後に一度大きく息を吐く。
 セリアの行動は酔っていた上での物なのだから、そこに何か意味がある訳ではない。それは彼等も全員が承知の事である。それでも、セリアに惚れてしまっているのだから、彼女が他の男にあの様に靡けば多少嫉妬するのも仕方ないだろう。
 けれど、今、一瞬胸を過った気持ちはなんだったのだろうか。嫉妬とは違う。もっと根深く、強いものだった。

 幾ら考えても答えの見えない疑問を、頭を振って追い出す。自分達は仲間であり、同じ様にセリアに惚れているのだ。互いが恋敵であることは知っているし、彼等だからこそ納得も出来る。嫉妬したり、横槍を入れたり、そういった事は覚悟の上だ。その事は十分理解しているのだから、そこに邪心が入る必要は無い筈である。
 だから、脳を掠めた未知の感情は、只の気のせいだ。
 そう自分に言い聞かせると、イアンは全ての思考を遮断させるように半ば強引に目を閉じた。

どこで間違えたのか分からねえ。何が擦れ違ってるのかも。引き返す事は出来ねえのに、アイツは来ちまった。
そろそろ、潮時ってやつなのかもな。腹を括れってことか。

でも、まだ両方を望んでる俺は、自分勝手なのか?



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