坂東蛍子、桜と共に笑う
坂東蛍子の、本日の春の陽気を体現したかのような軽快な帰り道の足取りは、校門の先を右折してすぐに停止させられることになった。蛍子とは違う学校の制服を着た少女が道端にしゃがみ込んでいたのである。俯いているため顔は見えなかったが、蛍子はその少女が自分より少し幼い年頃であるように思えた。また、蛍子の住む町に三校ある高校は互いに近いとは言えない距離に建てられていたため、きっとこの子は道に迷って困っているんだな、と蛍子は持ち前の分析力で鮮やかに状況を結論づけた。迷子を助けることには人一倍の自負がある坂東蛍子である。一先ず上品な笑みに表情を整えて少女の隣にしゃがみ込み、蛍子はそっと声をかけた。
「どうかしたの?」
少女は考えごとに没頭していたため周囲のことがまるで見えていなかったが、蛍子の三度目の呼びかけでハっとしたように顔を上げ、蛍子を見やった。
この少女、名前を麻守瀬良と言い、この町で兄と二人暮らしをしている。先日枕元に新品の歯ブラシを置いて眠っている兄の姿を見て、また何か良からぬことに巻き込まれているのではないかととても心配している模範的な高校一年生であった(ちなみに兄は現在クラスメイトを変質者から逃がすべく商店街を奔走していた)。瀬良は陸上部に所属しているがそれでも飽き足らないぐらい走ることが大好きで、たまに町中を散歩ついでに走り回っている。本日もその散歩の道中であったが、蛍子の通う高校の前を走っている時に地面に溜まっている桜の花びらがふと気になり、足を止め観察していたのである。
瀬良はまず隣でしゃがんでいる女子高生を見て、何て綺麗な人だろう、と思った。その後どうしてこの人は少し不満そうにこちらを見ているのだろう、と考えた。そしてようやくドウカシタノ、という言葉の意味に思い至る。
「え、えっと・・・花びらを見てたんです」
セラは地面いっぱいに広がった桜の花びらを指さした。蛍子の高校には敷地の端、道路と対面した場所に一列に桜の木が植えられていた。そのため春になるとこの通学路は片側だけ見事な桜並木となり、地元に住む人々の目を朝から晩まで楽しませるのであった。
坂東蛍子は彼女の指す地面を見た後、頭上を見上げる。季節はそろそろ桜のシーズンが終わる頃にさしかかり、木にはもう殆ど花は残っていなかった。
「見てたんですが、見てたらなんだか悲しい気持ちになってしまって・・・」と少女はまた俯いた。散ってしまったから?と蛍子が尋ねると、それもあるけど、と瀬良は言葉を続ける。
「散る前の桜って皆から愛されているじゃないですか。でも一度散ってしまったら、桜の花びらは見向きもされなくなる。異物として、何だか汚らしいもののように扱われてしまう。アタシも正直心のどこかでそう感じていることがあったように思います」
瀬良は踏みつけられ歪んだ花びらを寂しそうに指で撫でた。
「というか、疎まれるならまだしも、多くの場合意識すらされなくなるなるんですよね。視界に入らなくなる。あんなに注目されてたのに・・・アハハ、これが儚いってやつなのかなーなんて」
少女は苦い笑いを浮かべ溜息をついた。手頃な花びらを摘まんで指先でクルクルと回しながら話を聴いていた蛍子が、再び黙り込んだ瀬良の独白を引き継ぐように口を開いた。
「あなたの言う通りこの花達は疎まれたくも無視されたくも無いでしょうけど、寂しい顔をされたくも無いんじゃないかな」
瀬良が蛍子を見る。蛍子は歪な花びらを太陽に透かして目を細めていた。
「きっといやなものよ、たまに気付いてくれた人に寂しい顔をされるのは。相手の気持ちなんて分からないけど、でも自分の嫌だと思うことは相手にするなとも言うでしょ?私はイヤだもん、そんな顔」
「・・・でも、じゃあどんな顔すれば良いのかな」
「笑っちゃいなさいよ」と言うと、坂東蛍子は立ちあがって大地を指し顎を上げた。
「私はいつも笑いながらコイツらを踏みつけてやってるわ。私に踏みつけられて有り難く思いなさいよーと思いながらね」
世の中には踏みつけられると喜ぶやつもいるらしいわよ、と蛍子が言うと、何それ、と瀬良が笑った。
「・・・そうだね。笑っちゃうことにする」
アタシの笑顔でも喜んでくれると良いけど、と瀬良が言うと、それならすぐに確かめられるから暫く笑ってなさい、と蛍子がしゃがみ込んで何やらし始めた。瀬良が通行人の目を気にしながらも言われた通り笑い声を控えめに口の中で転がしていると、よし!と蛍子が勢いよく立ちあがった。
「見てごらん」
瀬良が地面に視線を落とすと、桜の花びらで作られた可愛らしい顔がこちらに笑いかけていた。