掌編――リングワンデリング
目を開けると、見慣れた木目の天井が見えた。丸い蛍光灯がまぶしい。
心臓はまだバクバクいってる。息をするのもつらい。大きく開けていた口の中はからからに乾いている。舌がへばりついて痛い。つばも出てこなくて、苦い。
体がこわばったままなのに気がついて、鼻から深く息を吸う。ゆっくり、呼吸に合わせて力を抜いていく。
右腕を上げようとすると、肩や肘の関節がひっかかる。それでもなんとか額に手をやると、しずくになった汗が手の甲をぬらした。冷たい。わきの下や尻の下もじっとりしているのが分かる。
また、あの夢か。
息を吐いて目を閉じた。
「大丈夫か?」
聞き覚えのある声が降ってきた。目を開ければ、幼なじみの一夫が覗き込んでいた。のっぺりした白い顔。黒目がちの細い目。
どこかで風鈴がちりんと鳴った。ベランダに吊り下げてたっけ。
「ああ、大丈夫だ。夢を見ていただけだから」
「本当にそれだけか?ひどくうなされてたぞ。寝言もひどかったし。最後なんか叫び声になってた」
「ああ、よくあるんだよ。体の調子が悪いときとかにいつも同じ夢を見るんだ」
「ふぅん。どんな夢?」
一夫は俺のすぐ隣にあぐらをかいた。俺は寝そべったまま、続けた。
「小学校にさ、なんでか大学の専攻の奴らが集まってるんだ。ほら、あの木造校舎の。去年廃校になったあそこ。食い物とかジュースとか持ち込んで、夏の合宿とか言ってやってるんだ。小学校なんだからアルコールはダメとか言い出す奴がいてさ」
そう、いつもの夢。だから、どういう展開になるのか、全部知っている。
夢の中には、シナリオどおりに動く俺のほかにもう一人、俺を上から見ている俺がいる。これから起こることを確認しながら夢を見ているもう一人の俺。
「でさ、お決まりの肝試しをしようって話になって。ほら、二階の奥の図書室っていろいろ噂があっただろ? そこに一人ずつ行って、一冊本を持ってくることになって。じゃんけんで負けた俺がトップバッターになって、懐中電灯渡されて行くわけよ。でも、廊下はちゃんと電気がついてるし、途中で消されたりもしないし、なんか拍子抜けな肝試しで、こんなのしなくていいじゃん、と夢の中で思ってるわけよ」
「ああ、そういうのってあるよな。夢の中ってなんか怖くないんだよな」
「そうなんだよ。せめて廊下の電気ぐらい消せよって感じでさ。図書室も電気がついてるから本を探すのも大してかからなかったし」
「なんて本?」
「題名とかは覚えてないけど、なんかすんごいへんな題名だった気がする。で、本を持って宴会やってた部屋に戻ると、誰もいないんだよ」
「置いていかれたのか?」
「いや、飲みさしの紙コップとか残ってたし、ポテトチップスやフライドチキンがまだ一杯残ってた。床にジュースがこぼれてたから、掃除道具でも借りに行ってるんだろうと思ってたんだよ。でもいつまでたっても帰ってこないし、足音一つ、声一つしないんだよな。で、気がついた。ああ、きっとこれはみんなで示し合わせて隠れてるなと。俺がうろたえもしないから、出るに出られないんだと」
「ああ、よくやるよな。そういう悪ふざけって」
「だろ? トップバッターでなけりゃ、俺も言い出してたと思うし。仕方がないから声かけたんだよ。『隠れてるのは分かってんだよ。出て来いよ。つまんねーぞ』って。ところがさぁ、誰も戻ってこないんだよ。他の部屋探してみても、埃だらけで人がいた形跡なんかないし。で、やられたとようやく気がついて」
「ああ、やっぱり」
「そ。そんなに嫌われてたんだなあ、とそのときに初めて知って。夢の中ですっごい落ち込んでるんだよな。で、片付けるのもいやになって全部ほっといて帰ることにしたんだ」「ほっといてって?」
「コップとか食いかけのチキンとか。むしろ腹が立って机、蹴散らかしてやったよ。バカにされるためにのこのこやってきた自分が情けなかったし。で、そのまま帰ろうとしたんだけどさ」
深く息を吐いて口を閉じる。なんだか喋り疲れてきた。
「だけど、何だよ。もったいぶるなよ」
「もったいぶってるんじゃねえって。――あの小学校ってさ、出入り口が一個しかなかっただろ? 俺たちが使ってた部屋ってのは玄関から一番遠い部屋だったんだけど、確か玄関までは教室五個しかなかったはずなんだ。何度も見て回ってるから間違いない。ところが、歩いても歩いても、玄関に着かないんだよ。十分以上歩き続けて、おかしいと気がついた。そんなに広いはずがないんだ、この校舎は。その瞬間――すべての明かりが一斉に落ちたんだ。手にしてた懐中電灯をつけようとあわてて落っことしてさ。手探りで探してたらいきなり手がこう来て――」
自分の左手首を右手で掴むしぐさをしてみせる。
「掴まれてさ。それが闇の中でも見えるんだよ。無数の白い腕が。夢でも怖くってさ。絶叫したところで目が覚めた」
今回のエンディングは結構怖かった。いつもと違う、夢の終わり方だった。
「ところでお前、何しに来た? 金ならないぞ」
「寝ぼけてるのか? お前、廊下で倒れてたんだぞ」
「廊下?」
俺の部屋に廊下はないし、アパートの前は道路だ。
いやな予感がして目を開け、起き上がった。
丸い蛍光灯と思っていたものは、かさのついた裸電球。布団の上だと思っていたのは、スプリングがところどころ飛び出した、ぼろぼろのパイプベッド。ほこりとカビ臭さの中、かすかに消毒薬の匂いがした。
「ここ……」
「小学校の保健室だよ。――左手首、見てみな」
「なんのことだよ」
「いいから」
何気なく自分の左手に目をやった。そこには――赤い手形が三つ、くっきりと浮かんでいた。
悲鳴にならないうめき声が喉を突いて出た。白く浮かぶ一夫の姿が揺らいだ気がした――。
「おい、大丈夫か」
誰かが体を揺さぶっている。からからに乾いた口の中が苦い。
「ああ。だいじょうぶだ。――夢を見ていただけだから」
そう答えながら、どこかで同じ台詞を吐いたような気がした。
風鈴が、ちりんと鳴った。
別館サイトからの転載です