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作者: 尚文産商堂

それは、学校の帰り道での出来事。

「もし、そこのお方」

影が、声をかけてきた。

実体がなく、何かいるという曖昧な感覚だ。

宿題でリコーダーの練習が出ていたから、ついでと言わんばかりに、吹きながらの下校だった。

「その笛の音、まことに素晴らしい。我が心は光に満ち、体が浄められるごとく」

何を言い出すかと思えば、そんなことだった。

不審者と判断して、すぐに立ち去ろうとする。

「もし、待たれよ」

影が再び声をかける。

再び足を止め、影の言葉を待つ。

「そちのような人物を探しておった。我が願いを聞き届けてはくれぬか」

遠慮しますと言って、家へと帰ろうとする。

どう考えても、不審者に違いない。

「否、もうそちに選択肢はない」

そう影が言うと、急に周りの景色が真っ暗になった。

まるで、誰かが画面の電源を落としたかのような感じだ。


「我が主、良き者を連れてまいりました」

「御苦労」

相変わらず影の中で、影から声が聞こえる。

どうやら前にいるようだが、話している相手も、ここに連れてきた張本人も、なにもみえない。

真っ暗だ。

ただ、手で目のあたりを触っても、特におかしなところはないから、目隠しをされているというわけではないらしい。

声は二つ聞こえる。

最初から聞こえてきているのは、ヤクザみたいなドスの利いた声だ。

でも、今聞こえているのは、柔らかい、とても落ち着ける声だ。

女性のようにも聞こえるが、12、3歳くらいの男子にも聞こえる。

「お主か」

その声は、急に目の前から聞こえた。

「ふむ、好い体つきをしておる。よきかな、よきかな」

何がいいのかさっぱりだ。

「お主には、少し手伝ってもらいたい事柄がある。と、いっても、ここまで来たからには、不安であろうし、軽く紹介をしておこう」

手を彼女が二度叩くと、闇がカーテンを開けるかのように目の端から薄くなった。

まぶしいと感じたのもつかの間、あたりの風景は一変していた。

そこは、御所の中のような、木張りの大きな部屋だった。

目の前十数メートル離れたところにある一段高くなっているところには御簾がかかっていて、その奥に何人か座っているようだ。

「さて、そこに座るがよろしいか」

言われると、5メートルぐらい離れたところに、銀色に輝いている座布団が置かれていた。

ここにきて、周囲の状況も理解する。

有象無象が周囲に取り巻いているが彼らは、明らかに御簾の向こうの人の命令を忠実に聞いているようだ。

どうやら、ここまでくると、逃げることはできない。

それだからであろうか、座布団へ導かれるように歩いていき、そこに胡坐で座る。

「……!」

それを見て周りは急にざわつきだす。

してはいけないことをしたのだろうか、汗が手のひらから、背筋から吹き出す。

「よい、よい。それでよい」

ホホホと彼女は笑っていた。

「わらわは、冥界の主。疫を流行らし、病を撒く。そして、お主の世界より人が参り、それゆえ冥界は成っておる」

ようは死後の世界と言った感じだろう。

「じゃが」

彼女はさらに続けて言う。

「正直に言わせてたもれ。わらわは、冥界の主としての職を辞そうと思う」

今まで聞いたことがないざわつきが、後ろからはっきりと聞こえてくる。

そのさざ波たるや、もはやジェット機の轟音のごとき騒音にも似てきている。

だが、彼女が話しだすと、ピタリと、何も音がしなくなる。

「このままでは、わらわは死ぬであろう」

彼女の声は、今までで一番はっきりと聞こえた。

その声は、冷徹な雰囲気すら漂っていて、体中に鳥肌がたつほどであった。

「じゃが、その笛の音を一度聞いて、体が楽になったのじゃ」

リコーダーを知らないということだろう。

これを笛と言っているからには、何をするものかは知っているはずだ。

これで癒されるというのであれば、きっとプラシーボ効果かなにかだろう。

「わらわは、お主に笛を吹いてもらいたい。湯治も、呪も、何も効果がなかったのにもかかわらず、お主の笛によって、わらわは癒された。いかぬか」

吹きましょうと、静かに答える。

他に選択肢はなかった。


吹いたのは、学校で習ったばかりの曲だ。

どうにか吹き終わり、周りを見ると、とても静まり返っている。

「実にご苦労であった。これはひとつ借りを作ってしもうた。いずれ、返そう」

じゃが、今日はこれまでじゃと、彼女が言って、柏手を叩く。

オウという声とともに、再び目の前が真っ暗になった。

それから一瞬で、さっきまでいた路地に戻っていた。



この不思議な話から数ヶ月後。

通学路の途中で、車が歩道に乗り上げて、そのままこっちに突っ込んできた。

一緒にいた数名の友人とともに、体は宙に浮かび、そのままの勢いで叩きつけられる。

が、意識だけは地面にめり込み、そのままズブズブと沈んだ。

「おい、ここはどこだ」

友人に言われ、やっと起き上がると、周りは、あの時の御所の中だった。

今度は影もおらず、御簾は上がっている。

立派な松の絵が、一段高いところの奥に、屏風絵として描かれている。

屏風の前には、金色の座布団が1つだけ置かれている。

「冥界、かな」

友人に答えると、その通りじゃと声が聞こえた。

御簾は彼女の姿を隠そうとはせず、ただ一人だけできた彼女をはっきりと見せてくれる。

初めて見た彼女の姿は、20歳になるかならないかといった具合の、華奢な女性だった。

「あなたですか」

そうじゃと、簡単に答えてくれる。

その手には、紙が一枚持たれていて、それを見ながらこちらをチラ見している。

ほう、と彼女は息を吐いた。

「俺たちはどうなったんだ」

友人が俺の後ろから聞いてくる。

彼女は答えようとしないが、ただ、ふむとかなるほどといった相槌にも似たことをつぶやき続けている。

「ここは冥界だというならば、俺らは死んだんだろうな」

「なんだと……」

とはいっても、すでにうすうす気づいていたことではある。

今頃は元の世界では救急車でも呼ばれて、交通事故に気付いた人らが押し寄せていることだろう。

ならぬと、彼女は急に叫んだ。

「なにがならぬのですか」

なにかまったくわからないまま、彼女は急に考え込んだ。

ならぬ。

またつぶやいた。

「だから、何がだよ!」

さらに友人たちが騒ぎ出す。

不安になりつつあったが、彼女ははたと気づいたようにこちらをじっと見てきた。

「お主には恩義がある。故に助けよう。これで借りはなしぞ」

その言葉で、一気に視界が霧に包まれる。

初めは白かったが、じょじょに黒くなり、それから真っ暗になった。


ピッピッピッと電子音がうっすらと聞こえてくる。

それがゆっくりとはっきりとなっていくと、視界も開けてくる。

「……ここ、わ?」

その声を聞いたのは、誰もいない。

清潔そのものの感じな部屋は、誰もいなかった。

そこには、機械がたくさんあるのと、別の誰かがいる雰囲気があるだけだ。

雰囲気しか感じれないのは、首を左右に振っても、カーテンで仕切られていて、いそうだということしか分からないためだ。

電気はまだ付けられていないが、部屋は明るい。

おそらくは窓からの明かりが漏れているのだろう。

ということは、太陽が出ている日中だということになる。

「…何時なんだろ」

時計がないため、日付も時間も分からない。

分かっているのは、目には異常がないということ、両足にギプスをはめられているということだ。


しばらくして、看護師さんがやってきて目覚めていることに気づいていくれた。

「今、何日の何時ですか」

質問すると、事故に遭ってから1日しか経っていないことが分かった。

それから、今の状況を大体説明してくれる。

事故を起こした車の運転手は泥酔していたこと、今も運転手はこん睡状態であること。

そして、友人一同はどうやら起きたようだということ。


事故に遭ってから1週間は入院していて、友人たちの後に退院した。

花束をもらうとか、そんなことは一切なく、ただ病院から出ただけだ。

―これで、借りは返したよ。

彼女がつぶやいた言葉を思い返してみると、どうやら、これ以上は助けてはくれないようだ。

「なら、頑張って死なないようにするだけさ」

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