3◆一ヶ月で彼女を替える最低男 2
あのとき。
あの茜色の防波堤の上で。
彼の視線は、沙雪に駆けよるぐう太に引き寄せられるように、こちらに向いた。
そのまま――彼は咥えていたタバコをもみ消し涙をぐい、とぬぐった。
目がくらむような夕映えを背にした逆光の中で、彼が涙を流していたことは、沙雪だけが知る幻になってしまった。
彼はそのまま立ち上がったから、思わず沙雪はあとじさりする。
それほどの背の高さだった。
それきり沙雪と目も合わせずに、横を通り過ぎた。
すれ違う一瞬、潮の匂いが乱れて……苦い香りが残った。
それで沙雪は我に返る。
それまでずっと息を止めていたみたいだった……。
「三次さん、三次さんってば」
沙雪はハッとした。
頬にビリビリくるような重低音がリズムをきざんでいる。
覚えのあるリズムは最近流行っている曲。
「ハイ」とすかさず差し出された分厚いリスト。ここはカラオケだ。
そうだった。
試験が終わって、バスケ部の男子と合コンにきているのだ。
男子クラスの子が5人、それと沙雪をはじめ、彼氏のいない女子4人+α。
いかにも、もう2か月足らずに迫った、修学旅行前の付け焼刃合コン。
「三次さんは、ふだん何歌うの?」
男・女・男・女の順で座っているから沙雪の隣にも男子がいる。
体が沈むようなソファだから、隣のそのコとは膝が触れあいそうだ。
顔立ちはまあまあ。バスケ部だからすらっとしているし、服とか髪型がおしゃれだから、パッと見イケメンにみえる。
でも、近すぎて。
沙雪は、そのコの頬にいくつかある、ニキビあとを少し嫌だと思った。
あの涙が伝っていた頬には、そんな瘢痕はなかった気がする……。
それに、ちょっと香水がキツくて。
沙雪は車酔いの前兆のような錯覚に一瞬みまわれた。
「歌、ヘタだから」
「ふーん。そう」
男子は沙雪の素気ない返事を聞くなり、くるっと反対側のコに振り返った。
あまりにわかりやすい行動は、少し腹立たしくも可笑しくもある。
沙雪は、まあいいや、とテーブルの上のウーロン茶を手に取った。
あいにく、ごつい氷ばかりのそれに飲める液体はほとんどなくて、沙雪は大きいばかりのグラスを傾けた。
「あ、三次さん、なんか頼む? ……俺もたのも」
低いテーブルの向かいから、レイコと話してた幹事役のコが気をつかってくれる。
――たしか、バスケ部2年でリーダーの古田くんっていったっけ。眉がちょっと下がっていて童顔だけど、優しいヒトだな――
でもたしか、レイコによれば彼女がいるって話だった。
彼女いるのに、友達のためにわざわざこんな会を企画するなんて、きっと性格もいいんだ、と沙雪は目星をつける。
「そういえばさ、三次さんのクラスに松浦クンって転校生来ただろ? すっげーイケメンの」
古田芳樹は、アイスカフェラテを沙雪に手渡しながら笑った。
「俺、同中なんだ」
一瞬……こころの中を見透かされたような気がした……。
昨日。
『松浦 峻』
先生が黒板に名前を書いている間も。
「H県から転入してきた松浦 峻君だ。みんな仲良くな。……わからないことがあったら学級委員の○○くんに聞いてください」
黒板から振り返った先生が、型どおりの紹介をする間も。
彼はつまらなそうに教壇に立っていた。
いや、つまらなそう、という不満を含むニュアンスでなく。
もっと……気が抜けたかんじの……そう、心ここにあらずといった言葉のほうがふさわしいかもしれない。
先生より頭ひとつも上にある顔は完全にそっぽを向いていて、耳たぶにあるピアスだけが教室の面々に向って光を投げていた。
その態度は見ようによっては不遜とさえいえるもので――とにかく「照れ」とか「緊張」といった転入性にありがちな表情は彼の顔には浮かばなかった。
だけど、その整った顔立ちゆえに。
女生徒が多い、この教室の生徒たちのざわめきは、反発とは違った色合いを早くも帯びているようだった。
「静かにしなさい。……じゃ、松浦くん。自己紹介をしなさい」
先生にうながされて、彼はようやく視線を新しいクラスメートに向けた。
自然に、いったんざわめいたクラスが、静まり返る。
「……松浦です。よろしくお願いします」
その低めの声は、沙雪の腹のそこをふるわせるかと思った。
そして……彼が自分を見つけるのではないか、と恐れる。
そう。あのとき、沙雪は確かに恐れていた。
恐れながらも……彼はきっと自分に気付くだろうと思った。
だって、出会ったのはあの一瞬だけだったのに――沙雪のほうは彼をすぐわかったのだから。
声に触発されたように、心臓が、体を重く震わせる。
その振動が表に出ないよう苦しみながらも、沙雪は彼を見ずにはいられなかった。
だけど、彼は気付かなかった。
彼は一番後ろの席につくために沙雪の横の通路を通った、それなのに。
彼が沙雪に気付いた様子は、まったく見られなかった。
沙雪は息を凝らしたまま、祈るように――彼が横を通り過ぎるのを待っていた。
「あ、松浦くん」
ちょうど、沙雪の横に差し掛かった時、彼は先生に呼び止められて立ち止まった。
背の高いガクランは、威圧感の塊のように沙雪を上から圧倒した。
このときはさすがに沙雪もうつむいていたけれど……見なくても感じられる彼の気配に、鼓動は最高潮となる。
「ピアスは校則違反だ。はずしなさい」
「……ハイ」
意外なほど素直に、沙雪の横で立ち止まったままの彼は耳たぶに手をやった。
昨日の、苦い香りが降りてくる。
雨にぬれたアスファルトのようなそれが……沙雪にはすでに切ない。 |