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【絶頂編】第084章 越後からの来訪者
 播磨や丹波の問題に一区切りをつけた三好政権の勢力は、今や天下に並ぶ者などないほどに圧倒的なものとなりつつあった。
 支配領国は、阿波・淡路・讃岐の三ヶ国、摂津・和泉・山城・丹波の四ヶ国に加えて、近江・播磨・伊予・大和の一部をも領有している。さらに、畠山氏の領国である河内や紀伊に対しても、事実上大きな勢力を誇るようになっていた。
 三好長慶は、天文二十四年(一五五五年)になって、管領代なる地位に昇った。文字通り、管領の代行者である。無論、そんな地位があろうとなかろうと、彼は今や幕政の総覧者であるし、天下の最高権力者であったが、形の上でもそれが裏付けられたことにより、彼の権勢は完璧なものとなった。
 この辺りは、後の織田信長とは実に対照的な長慶である。信長は自らが将軍に擁立した足利義昭から副将軍、あるいは管領への就任を打診されながら、あっけなく断ったという。その理由については諸説あるが、基本的には、足利将軍家の配下、即ち幕府という旧態依然とした組織の枠内に嵌め込まれたくなかったというのが通説になっている。無論、そういう考え方が信長の中になかったわけではないだろう。ただ、非常に合理主義的な信長が、それだけの理由で断ったとも思えない。
 要するに、信長から見て、当時の幕府にはそれほどの魅力がなかっただけの話だ。管領や副将軍になったところで、何の利益もない…、即ちプラスよりはマイナスのほうが大きいと判断したからこそ、信長は断ったのだ。もしも管領や副将軍の座につくことが、自らの天下布武の野望を実現する上で欠かせない要素だとしたら、彼は一も二もなくこれを受け入れたろう。将軍の家臣になろうがなるまいが、そんな些細なことにいちいち拘るような男ではあるまい。
 一方、長慶も、基本的には信長と似たような人である。彼もまた合理主義的な考え方をする。そんな彼が御供衆やら管領代となって、幕府の高官職を手に入れていったのは、彼にとって、まだ幕府は利用するに値するだけの価値をもった存在だったからだ。即ち、マイナスよりはプラスのほうが大きいと判断できるだけの力を、この当時の幕府が保持していたということでもある。実際、長慶時代の幕府は、まだ辛うじて権威を持っていた。少なくとも、近畿地方の統一を目指していた長慶にとっては、将軍家の権威は大いに役立つものだった。
 室町幕府というものは、その成立から今に至るまで、ずっと不安定だった。義満時代の絶頂とか、義持時代の安定、義教時代の復興などいろいろあったが、兎にも角にも、室町幕府というのは、上下の幅の大きなダイナミックな政権であった。そんな幕府が、まがりなりにも二百年以上の長きに渡り存続しえたのは、権威があったからの一言に尽きるといっても、決して言い過ぎではあるまい。源氏の実質的嫡流とも評される圧倒的な家柄、兎にも角にも十三代に渡り将軍職を世襲してきた実績…、その他諸々からはじき出される権威は、一朝一夕に費えるものではない。
 しかし長慶時代までは保たれていた権威も、信長時代にはほとんど皆無となっていた。長慶死後に勃発した、とある大逆事件が、将軍家を将軍家たらしめていた権威を完全に吹き飛ばしたのである。無論、全くなくなってしまったというわけでもない。その辺は、やはり腐っても鯛である。最後の将軍となった足利義昭は各地の大名家を糾合し、二度にわたって信長包囲網を作り上げることに成功した。彼をして対信長連合の盟主にまで押し上げたのは、将軍の権威に拠るところが大きかった。ただ、それだけではない。万一足利義昭という人が無能であれば、包囲網など作り上げることはできなかったろう。義昭の有能さが、不足する権威を補い、その結果として出来たのが、信長包囲網なのである。即ち、将軍個人の器量で補完しない限り、何の役にも立たなくなった将軍家の権威など、信長が欲するはずもない。ゆえに信長は、長慶とは異なり、義昭の要請を蹴り飛ばしたのだ。

 何はともかく、管領代として幕政を完全掌握した三好長慶は、この頃ようやく完成した芥川山城にて、盛大な就任式を催した。それこそ将軍や管領の就任式など遥かに上回る盛大な規模で行われ、人々は改めて三好家の天下というものを再認識するようになったのだった。
 そんな式典の中で、長慶は何やら物思いに耽っていた。ここ数年、瞬く間に流れていった年月の中で、とにかくいろいろなことがあった。人々の拍手や祝いの言葉などに耳を傾けつつも、彼の心は、いつしか昔のことでいっぱいになった。
 時は少しばかり戻って天文二十二年(一五五三年)。
 なんだかんだと三好政権にとっては大きな節目となった、この年。六月に阿波守護細川持隆を葬り去り、八月には足利義輝を近江に追放して、以後、幕府の権威というものを利用しつつも、別段それに依拠せずとも天下を統治しうる実力を持った、正真正銘の三好政権が確立した。
 こうした華々しい業績の中にあって、長慶が未だ忘れられないのは、その年の九月、遥か北の彼方、越後の地よりはるばるやってきた青年のことであった。長尾景虎といって、当時まだ二十四歳の若者に過ぎなかった。まあ、かく言う長慶も、当時三十二歳だったから、年齢差がそれほどにあるわけではなかったが、その凛々しくも逞しい、堂々とした青年の迫力に、かつてない衝撃を覚えたものだった。
「長尾殿、と申されたか?」
 朝廷に参内して、後奈良天皇に謁見し、退廷してきた景虎は、長慶の招きに応じて三好屋敷にやってきていた。そこで、彼は上座にでんと構える長慶をジッと見つめていた。
「この度、従五位下弾正少弼を仰せ付かりました長尾景虎にございます。筑前守様にはお見知りおきくださりませ」
 と、景虎は恭しく頭を下げた。
 弱冠二十四。けれど、遠く越後の地で、彼が乗り越えてきた道のりはよほど険しかったものらしく、とても二十四とは思えぬ存在感を漲らせていた。
 長慶とて、地方の状況に全く無知ではない。熟知しているというほどのこともないが、近年越後の国主となって、四隣に存在感を示し始めた長尾景虎のことは、大まかには知っているつもりだった。
 長尾氏というのは、元来越後の有力な国人の一つに過ぎなかったが、彼の父である為景の代に飛躍的に勢力を伸ばして、事実上越後の国主的な地位に上り詰めた。その為景が越中にて一向一揆と対戦中に戦死すると、兄である晴景が家督を継ぐも、柔弱な彼に、長尾氏に取って代わらんと野心を燃やしていた国内各地の国人勢力を統御する力などなかった。結局、長尾氏の被官や国人たちは、晴景に愛想をつかして、弟で、当時から武勇の誉れ高かった景虎に期待を寄せるようになった。
 景虎は晴景と熾烈な争いを繰り広げた後、彼から強引に家督を奪い取ることで、越後国主となった。以後、彼は北条氏の圧迫を受けて勢力を失った山内上杉氏の当主たる上杉憲政を庇護して、上野国に勢力を伸ばしたり、あるいは武田晴信(後の信玄)に圧迫されていた信濃の村上氏らを支援する形で、同国に兵を入れたりしていた。
「で、長尾殿。都はどうでござるかな? やはり、御国とは違うものでござるか?」
 長慶はいろいろ聞いてみたかった。若くして激動の時代に巻き込まれながら、逞しく生き抜いている彼を見ていると、なぜだか他人のような気がしないのだった。
「思った以上に禁裏の荒み方が激しく、帝の御気持ちを慮りますと、臣下として、悲しまずにはいられませぬ」
「ほぉ。禁裏が荒んでいると…。だが、あれでも昔と比べれば、随分ましになったのだぞ」
 彼は、果てしなく戦乱の打ち続いていた頃を知らない。それこそ、細川家が真っ二つに割れて、都をめぐり、取ったり取られたりの分捕り合戦に明け暮れていた頃や、足利、細川、三好、畠山、木沢、遊佐、一向宗、法華宗、延暦寺…。その他諸々、いろいろな勢力が京都周辺に入り乱れて攻防を繰り返していた時代。都は常に戦争の中心であり、その都度焼けて、人は死に、その屍は片付けられることなく散らばっているなど、まさしくこの世の地獄と化していた。将軍御所、管領御所ですら荒廃していた世の中で、禁裏など、ただの廃墟に過ぎなかった。
 そう言う時代をひたすらに生き抜いてきた長慶だから、今の禁裏は見違えるほど立派になったと思えるのかもしれなかった。けれど、越後という田舎に生まれ、そこしか知らずに育ってきた景虎にしてみると、今の禁裏も、まだまだ物足りないのだった。日本の中心として、神武以来ずっとこの国を支配してきた万世一系の天皇の宮殿なのだ。それこそこの世のものとも思われぬほど壮麗壮大を誇っているものだと思っていた。それが、蓋を開けてみれば、何のことはない。彼の居城春日山城のほうがよっぽど宮殿らしかったという、皮肉な悲劇を痛烈に味わわされる破目となった彼の衝撃は、果てしなく大きかった。
「ま、ようやく都も安定したばかりだ。不肖、都を預かるこの三好筑前、以後全力を賭して、天子様が御為に尽くすつもりだ。長尾殿にも、是非ご安心なされよ」
 と、長慶は言ったが、ジトッと睨むように見つめる景虎の視線は、相変わらず鋭く、何より厳しかった。

「何ゆえ、筑前殿は公方様を追放したまま、呼び戻そうとはなされないのか?」
 ある日、景虎は厳しい口調で、そんな風に長慶を咎めてきた。
「公方様、か…。だが、公方様を呼び戻すと、都は再び騒乱の渦に巻き込まれかねん。これまでも幾たびあのお方の策動によって、都の民が塗炭の苦しみを強いられてきたかしれぬ。…余とすれば、今の公方様に、征夷大将軍たる資格はないように思うのだ」
 と、長慶は率直に答えていた。何と言っても、景虎は純真無垢である。嘘と偽りに染まりきった都で人生の大半を過ごしてきた長慶にしてみれば、滑稽なほど正直で、純粋だった。だが、それゆえにこそ、嘘偽りで飾り立てた言葉を吐けば、自分という存在を貶めているような気がして嫌だった。
「筑前殿は誠に左様にお思いですか? この世に武士と生まれた以上、将軍家を主君と仰ぎ、従うは当然の定めでございましょう。君が臣を左右することはあっても、臣が君を左右するなど、聞いたことがありませぬ。左様なことが許される世では、秩序も何もなく、ますます乱れる一方かと思われます」
 景虎は景虎なりの、確固たる考え方をもっているらしかった。よく言えば保守派、今時珍しい律儀な男である。もはや旧来の権威などないに等しく、実力なければ将軍だろうと管領だろうと、守護だろうと、容赦なく追い落とされる時代だ。かく言う景虎の実父為景は守護上杉氏から実権を奪って勢力を拡大したし、景虎自身、兄である晴景を追い落として国主の座に居座った立場である。
「かといって、君にひたすら盲従するだけが良臣ではないだろう。我ら武士は、民の安寧と幸福を守るために存在するのだ。主君がその民に危害を及ぼすようなら、臣としてお止めせねばなるまい。それで聞かねば、君を除くのも、一つの手だ。…貴殿とて、そう思ったからこそ、晴景殿から家督を奪われたのであろう」
 それを言われると、極端に弱くなる景虎であった。その点は若いので、理論防御はまだまだ完璧ではない。理想論だけ膨れ上がっていても、その程度で押し込められるほど、長慶は甘くないのである。
 ただ…、と長慶は思った。戸惑う景虎を見つめながら、不思議そうに、ジッと、まじまじと眺めている。
 長尾景虎と言う青年は、実に不思議な男だった。実兄晴景を追い落として国主の座に立った、典型的な戦国大名かと思えば、先のように、天皇家や将軍家の安否に必要以上に気を遣っている。また国許においては、北条氏康に追い落とされた上杉憲政を庇護し、彼のために強勢を極める北条軍と決戦したりしているらしい。
 旧来の権威に媚びている、というわけでもないようだが、とにかく必要以上に旧来の権威を称える傾向が、彼にはあるようだった。上杉憲政は関東地方屈指の名族山内上杉氏の当主であり、関東管領として、公的に関東地方を支配している存在だった。言うなれば、東国における旧来権威の象徴的存在である。
「されど、都には将軍家もなく、筑前殿は幕政を勝手に決済なされておられるとか。これでは奸臣と評されても無理なきことと思われるが、如何思われますか?」
 景虎は必死になって反論してきた。その青さが、長慶には楽しかった。
「いずれ将軍家には都にお戻りいただく。ただ、そのとき、幕府に何の実態もなく、形だけの飾り物になっていては、将軍家とて御不快であろう。そうならぬよう、管領殿が将軍家に代わって政務を執り行っているだけのこと。それがしが勝手に決済と申されるが、それがしは管領殿を補佐しているに過ぎず、全ては管領殿がなされていることだ。無論、管領というのは、そういう役目として設置された職であるから、別段問題もないと思う。…ただ、いつまでたっても将軍家が御改心なされぬときは…。朽木谷の公方殿には御退任いただき、阿波におられる義栄公を新たな将軍に立てるつもりでいる」
「義栄公?」
「御当代義輝公の従兄弟にあらせられる御方だ。今は亡き前公方義晴様の実弟義維様の御嫡男で、先年、御家督を継承なされた」
「…」
 景虎は黙り込んだ。長慶はにこりと微笑むと、頃合だろうと、おもむろにパンパンと手を叩いた。すると、数人の小姓たちが待ってましたとばかり、ぞろぞろとやってきて、長慶と景虎に茶菓子など差し出した。
「これはの、長尾殿。南蛮より渡来し菓子じゃ」
 と言って、美味しそうに頬張る長慶に、景虎もおもむろに手を伸ばした。

 長尾景虎は、その後年末まで京に留まり、やがて帰国の途についた。およそ、戦国大名の多くが国許にあって、内治や隣国との戦争にかまけ、天皇や将軍のことなど一切気にもかけない時代で、わざわざ自ら出向いてきた景虎に、人々は大いに驚いたものだった。
 長尾景虎。
 彼こそが、戦国最強と称えられた越後軍を率いて武田信玄や北条氏康ら戦国屈指の最強大名たちと覇を競い、やがて北陸地方をおおよそ統一して、天下一統に大手をかけた織田信長をも圧倒せしめた、あの上杉謙信である。
 それから二年。
 天文二十四年(一五五五年)になった今も、長慶は彼の事を鮮烈に覚えていた。天下人として、安定した政権を構築した長慶は、後奈良天皇のために、毎年毎月多額の銭を献金するようになったし、かつ、壮大な大内裏だって作ってやった。
「これで文句はあるまい」
 彼は遥か北の空を睨むように見上げながら、出来上がった大内裏の側で、そんな風に呟いていた。
「どうなさいました?」
 そこに、松永弾正がやってきた。
「いや、二年前に上洛してきた越後の龍のことを思っていた」
「…越後の? あぁ、長尾殿でござるか」
 あの折は、弾正が接待役として長尾景虎をもてなしたものである。その剛毅な武略や武勇には驚嘆したものの、田舎者にありがちな理想主義というべきか、無知さには、少しばかり呆れていた。総じて、当面の間は気にすべき男でもない、というのが弾正の考え方であった。
「長尾景虎…。案外、侮るべからざる男かもしれんぞ」
 長慶がそんな風に言うと、弾正久秀はきょとんとしたように、
「左様でございますかね」
 と、不思議そうに首を傾げながら、そんな風に呟いていた。
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