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【絶頂編】第081章 絶頂の始まり
 天文二十二年(一五五三年)も十二月になってみると、三好政権というものは、信じられないほどに強大化していた。
 六月には細川持隆が滅び去って、かねてからの懸案であった阿波国は、今や完璧に三好家の領国になった。既に細川晴元を追放して幕政の実権を握った三好長慶にとっては、これにより、完全に主家としての細川を凌駕し、下克上を完了させたことになる。
 持隆に取って代わった三好義賢の結婚も決まった。持隆の妻たる小少将の方だと知ったときは、長慶も少々意外ではあったが、それが義賢の気持ちならば、あえて反対する気はなかったし、彼女と結婚することにより、新たな阿波細川家当主細川真之の義父という立場を得られるのだから、三好家の阿波支配強化には得策だろうと、長慶は長慶なりに、結婚を歓迎するつもりだった。
 八月になると、芥川山城に立てこもっていた芥川孫十郎も滅び去り、京と越水を繋ぐ最重要戦略拠点である芥川山城を確保することにも成功した。長慶はここを固めるため、居城を越水から移し、九月ごろから、三好政権の強大を示すための大規模な大増築を敢行した。
 そのほか、八月ごろから再び蠢動し始めた将軍足利義輝や前管領細川晴元を撃破して都から追放しているし、彼らに随行していた有力幕臣や公家たちを恫喝することで、彼らも完全な支配下に置いた。何より、獅子身中の虫であった将軍が朽木谷に落ち延びていったことは、京都情勢の安定には欠かすことの出来ない決定的な要因となり、以後都は、三好政権の絶対的な軍事力を前提とした大いなる平和を謳歌することになった。後残すは、相変わらず騒乱打ち続く丹波であったが、これとていずれ三好方の勝利に終わるだろう。
 三好政権の強大、安定に、もはや死角はなかった。文字通りの順風満帆ぶりで、三好長慶は天下に君臨していた。


「まさに、わが世の春とはこのことだな」
 芥川山城から見下ろす景色を、まじまじと眺めながら、長慶はぼんやりと呟いていた。
 眼下では、相変わらず無数の人夫たちが、普請作業に従事すべく、必死に働いている。その数はおよそ三万という。三好家支配下の領国からかき集められた男たちは、皆、少しでも多くの銭を稼がんと懸命になっていた。
「給金については、きちんと支払っておろうな」
 ふと、そんなことが気にかかる。長慶としては、三好政権の偉大さを示すための普請なのだから、少なくとも、自分がケチであるとは思われたくなかった。だから人夫たちに支払う給金の額は、相場の常識を遥かに超越していたし、かつ一日二食確実に支給するなど、普通の普請では考えられぬほどの厚待遇を約束していた。嘘つきだとも思われたくはない。長慶は必死に働く人夫たちの健気な姿を眺めながら、その労力にどうやって報いてやろうかと、そればかり考えていた。
「無論、完全支給しております。財政面については少々厳しいものもありますが、我らの天下が固まったと見た堺の豪商たちが挙って献金してきますので、とりあえず、何とかなりましょう」
 と、家宰の松永弾正久秀は言うのであった。
「ならばよい。ただ、豪商たちの御用金に頼る財政というのも、少しばかり危うかろう。我らも勘合貿易など再開してみたら、莫大な金が手に入るかもしれん」
 長慶は、いろいろなことを考えている。政権の主催者としては、あらゆる可能性に手を伸ばして、如何に政権を強め、民を富ますかということを考えなければならないのだ。
「勘合貿易にございますか。それも一興ではございますが、明国は大内家のみを貿易相手と定めておりましたので、容易く事が運びましょうか。その大内も、今や滅びておりますし…」
 と、弾正は言って疑義を示したが、
「しかし大内が貿易を独占する以前は、細川と大内の両家が貿易の実権を握っていたはず。細川氏綱殿名義にすれば、明国側も貿易を認めるのではないか」
 長慶はなおも諦めきれぬといった様子で、しつこく尋ねてきた。
 ただ、松永弾正にしても、貿易というのは一つの手であると思っていた。堺の町衆があれほどの財力を手に入れたのは、堺という優良な貿易港を基盤に、海外貿易を一手に握っているからである。海外のものを仕入れて国内で売り、あるいは国内のものを海外に売り飛ばす、といった極めて単純な取引であるが、そこから上がる利益は莫大で、堺や博多といった有力貿易港の商人たちは、どれも、下手な大名家など遥かに上回る財力を誇っていたのだった。
「ただ明国とか、朝鮮とか、そうした国との貿易では、利益も限られましょう。もしも御屋形様が海外交易をお望みなら、南蛮の国々と交易することも考えてみては如何ですか?」
「南蛮?」
「はい。実際、かの国のもつ技術力は凄まじいものがあります。火縄銃にしても、元々は南蛮より渡来しもの。彼らと交易すれば、利益が上がるだけでなく、様々な知識を習得することも出来ましょう。それは即ち、御家の更なる発展につながります」
「…なるほどのう」
 かつて、フランシスコ・ザビエルなる南蛮人と会見したこともある長慶は、あの青い目をした大柄な男の異様な姿を思い出しながら、おもむろに、パンと手を叩いた。
「ともかく、弾正。その方にこのことは任せよう。貿易のこと上手く取り計らい、より多額の利益を上げられたなら、お主のかねての望みであった大和平定のことも、前向きに考えてやろう。…何はともかく、今は金が物入りだ。丹波のこともあるし、大和を攻めるにしても、国内の整備を固めるにしてもだ」
 などと長慶が言えば、弾正久秀は嬉しそうに、その皺くちゃな顔を小汚く歪めて、
「御意」
 と、つとめて平静な顔をして、恭しく頭を下げた。


 一通り仕事を終えて、くたくたになった挙句、大奥に引っ込んだ長慶は、相変わらず急ピッチで工事の続く奥御殿の一角で、雅の方と、とりとめもない雑談に花を咲かせていた。
「すまんな。いくら急かしてみても、普請というものは容易く終わるものではないのだ」
 と言って、ところどころつぎはぎだらけの壁を眺めながら、長慶は「ははは」と苦笑いした。
「別に構いませんよ。…貧しかった頃を思い出せば、天国のようなものでございますから」
 雅の方はクスクスと、にこやかに微笑んだ。
「そうか。…ま、何はともかく、今日は眠い。膝を貸せ」
 長慶はすっかり冷たくなった冬風をその肌に味わいながら、ごろりと寝転がると、雅の方の上で、落ち着ききったような顔をして目を閉じるのだった。そんなときの彼は、実に子供らしい無邪気な顔をするので、雅の方の密かなお気に入りであったりした。
 少なくとも、こんな青年が天下を背負っているのかと思うと、彼女は不思議な気がした。実際、自分とはたった一つしか違わないはずである。自分が三十歳であるから、彼は三十一になるのだろう。およそ、天下人とは思えぬ寝顔を眺めながら、時折それが無性に愛おしく感じられるのだった。この顔は、この姿は、自分だけのものだ。誰のものでもない。いつの頃からか生まれた果てしない独占欲は、彼女自身驚きだったが、実際、ここ相次いだ暗殺未遂事件などを経て、すっかり用心深くなった三好筑前守長慶という人が、何の警戒もせずに接してくれるのは、兄弟を除けば自分だけなのである。遊佐家から入ってきた御台所でも、このところ彼が寵愛している若い側室たちでもない。
 奥の支配者として、今やすっかり貫禄のついてきた雅の方は、ふと、女性としての自分の存在に思いを馳せた。もう三十。されど、まだ三十ともいえる。子供だって、まだ産める。彼女も長慶との間に一女を儲けた身だが、やはり、男子がほしい。独占欲を補完し、彼との関係を未来永劫に渡って完璧なものとするためには、男子が欲しかった。無論、孫次郎慶興も可愛い。父又右衛門が傅役となっている関係上、彼女が事実上母代わりを務めてきたこともあり、わが子の如く可愛がってきた。けれど、やはり彼は、自分の腹から生まれた子ではない。
 そんな風に、いろいろと考えていると、やがて長慶も目を覚ました。どれほど時間がたったのだろう。相変わらず外は暗いので、いまいちよく分からなかった。
「雅、孫次郎はどうしている?」
 眠い目をこすりながら、越水においてきた最愛の息子のことに思いを馳せる。父親らしい顔をして、嬉しそうに尋ねる長慶の顔に、少しばかり嫉妬しつつ、
「父上からは、健やかにお育ちとのこと。越水城代の任も見事にお勤めになり、最近では、孫次郎様御自ら、御家来衆を指示して政治を行うこともしばしばとか」
 と、言った。
「そうか。やはり、わが息子よな。俺も、十歳の頃から現役だったが、あれも気づけば既に十を超えた。それくらいな行動力を身に付けてもらわねば、三好の跡取りとして相応しくないからなぁ」
「左様にございますね」
 慶興は聡明だと思う。雅の方も、それは認める。幼いながらに武芸に秀で、学問に長じ、さらに優しさの中に厳しさも併せ持つ見事な性格をしていて、家臣からの信望はすこぶる厚い。三好の血筋に凡君なしと、昨今よく称えられているが、まさにそうだと思うのである。もしも何事も無く孫次郎慶興が成長すれば、三好家は少なくとも慶興の代までは安泰だろうと、雅の方は確信していた。
「あ、そうです。最近、兄上などが、時折大和攻めのことを話したりしておりましたが、また、戦にでもなるのですか?」
 雅の方は思い出したように、突然不安げな顔で、そう呟いた。
「…小太郎の奴、そんなことをぬけぬけと公言しているのか?」
 大和攻めは、秘中の秘である。三好政権の最高機密なのだ。ゆえに長慶の顔は朱に染まり、不快そうな仏頂面になった。
「いえ、私が聞きだしたので、兄上に他意はありませぬ」
「聞き出した?」
「は、はい。せっかく世の中平和になりましたのに、また戦などになれば、人々はさらに苦しむことになる。それは嫌だと、女子心に思ったまでにございます」
「…ふーん」
 そういうことならよかろうと、とりあえず不問に処すつもりで、長慶は彼女から目をそらした。
「ま、お主には打ち明けてもよかろうが、大和には攻め入る。いずれな」
「…そうですか」
 理由は聞かない。聞かずとも分かっている。雅の方とて馬鹿ではない。戦が嫌いで通るような、生易しい世の中でないことも分かっている。三好政権をさらに強大化、安定化させるには、畿内のど真ん中にあって、古来より大国と名高き大和国の掌握は欠かせないのである。
「大和攻めは、弾正に任せるつもりでいるが…」
 と、おもむろに長慶が言うと、
「弾正様、ですか…」
 余り気乗りしないような顔をして、悲しそうに俯く雅の方であった。
「お主は弾正の起用に不満か?」
「…い、いえ、そういうわけではありませぬ」
 女子が政治に口を挟むものではない。そう教えられ、そうあるべきものだと思い込んで、今まで生きてきた雅の方だから、長慶に問われても、ただ恐縮そうに畏まるだけだった。
「そういえば、小太郎の奴も自分が大和攻めをしたいと、しきりに申しておったな。…ほほぅ。弾正よりは、兄を起用してもらいたいのか?」
 長慶は面白おかしく、楽しそうに雅の方の反応を試していたが、彼女は彼女で、この瞬間、何やら決意したかのように、きっぱりとした顔つきで、
「私の個人的感情を言わせてもらえるなら、弾正様よりは兄上が適任かと思われます」
 と、言った。
「ほぉ。では、何故だ?」
 彼はどこまでも面白がっている。ただ、笑ってはいるが、その目はどこまでも真剣だった。
「兄だからです。というのも、一つの理由です」
「…兄だから? はっはっは。相変わらず正直な女子じゃ」
 長慶は手を叩いて笑い、愉快そうに腹を抱えた。
「ただ、そればかりではありませぬ。女子が政治(まつりごと)に口を挟むなと仰せなら、それまでにございますが、それを覚悟であえて申し上げますれば、弾正様は少しばかり危険でございます」
「危険?」
「はい。何しろ、弾正様はかつて木沢長政に仕えていながら、あっけなく寝返って、その木沢を容赦なく討ち取りました。無論、その後の忠誠心を疑うわけではありませぬが…。ただ、信用しすぎるのはどうかと思われます。また弟であらせられる内藤備前守様が丹波を持ち、弾正様が大和を持てば、その勢力は凄まじく強大化することになりましょう」
 讒言しているようで、彼女としては気が進まなかったが、思い切って思いの丈をぶつけてみたのである。言ってみると、案外気持ちのよいものであった。
 長慶は、しばらくじっと考え込んでいるようであった。実際、似たような台詞は、実弟の十河一存やら、一門の重鎮たる三好長逸をはじめ、様々な重臣から聞かされ続けていた彼なのである。ただ、彼がこの世で誰より信頼する女子の口から聞かされたということが、彼には衝撃らしかった。
「ま、これについてはまた考えてみることにしよう。ともあれ、今宵は政治の話は抜きとしよう。ともかく、酒だ。あれだけ美しき星空を見ながら、酒も飲まずにいては惜しい。今宵は月見酒じゃ。酒を持て!」
 と、彼は話題をそらすように苦笑いしながら、慌しく庭先のほうへと走っていって、そこで、再びごろりと寝転がった。
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