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【絶頂編】第080章 禁断の恋
 三好豊前守義賢は、今や阿波国内においては並ぶ者なき絶大な権勢を誇るようになっていた。細川持隆を滅ぼしてからというもの、それだけの力を、この男はその小さき手の中に握るようになっていたわけである。無論、形の上では阿波守護、勝瑞城主である細川真之を主君と仰いでいるが、彼には何の力もなく、義賢が事実上の阿波守護、勝瑞城主となって、阿波一国のみならず、讃岐、淡路にも君臨していた。
 長慶は、彼のこの功績を称えて従四位下へと昇叙させた。かくして従四位下豊前守となった義賢は、四国内において今まで以上の強勢を誇るようになり、四国、特に阿波・讃岐・淡路三国と伊予東部に属する諸豪族は、挙って義賢の下に伺候しては、これまで以上の忠誠を誓っていった。


「此度、従四位下となられましたこと、誠にお喜び申し上げます」
 と、口を開けば、決まりきったお世辞を吐いて、型通りに頭を下げる諸侯を見下ろしながら、義賢はうんざりとしたように、「はぁ」と、幾たびも溜息を吐いていた。
「ま、今や殿は名実共に四国の王となられたわけですし、御家の中でも、御屋形様に次ぐ御立場になられたわけですから、無理もありませぬ」
 と、篠原長房は言うのだが、そんなつもりは一切ない義賢にしてみると、ただ苦笑いするしかなかった。
 四国の総大将とか、三好の副総帥とか、義賢の呼称は目まぐるしく変わっていったが、そのどれも、この至って平凡な英雄にはしっくりとこないのだった。
 何はともかく、細川持隆を滅ぼした後の三好義賢は、誰が何と言おうと、四国最強の権力者になっていた。三好家中にも様々な実力者が犇いているが、三ヶ国もの広大な領土を、たった一人で束ねているほどの部将はいない。官位においては、長慶や慶興だけでなく、三好日向守長逸と同格であるが、誰も彼と長逸が同格であるとは思わなかった。今や彼は誰からも、兄であり、かつ三好家総帥である長慶に次ぐ地位に立ったと見られていた。
 けれど、肝心の義賢にはそんなつもりは一切ないのである。元々政治は好きだが、権力への執着はそれほどないこの男にとって、権力を得たことより、主君である持隆を殺したことの罪悪感のほうが遥かに強かった。


 それはともかく、義賢は小少将の方に一目惚れしていた。彼女は持隆が迎えた後妻で、十二歳になる真之の母ではあるが、まだ三十路前と若く、かつ四国屈指の美貌の持ち主とかねて評判の人だったから、義賢が一目ぼれしたのも無理なきことであった。
 義賢と小少将が出会ったのは、鑓場の義戦に勝利して、勝瑞城に乗り込んだ折のことだった。無論、初めての出会いではない。ただ、立場が限りなく対等に近くなった状態で会ったのは、当然、これが初めてのことであった。


 義賢が勝瑞城の奥御殿に乗り込んだとき、小少将は、今まさに死なんとしている直前であった。
 夫が死に、阿波細川家は滅び去ったのである。ならば、妻である自分も死ぬべきなのだろうと思っていた。実際、持隆の側室や彼に仕えていた女官たちの一部は、この世を儚んで、次から次に首を掻き切って死んでいた。そんな彼女たちは、揃って、
「敵の慰み者になるぐらいなら、死んだほうがマシです」
 と、悲鳴のように叫んでいたが、正室でありながら、一人冷静を保っていた小少将は、ずっと困ったように迷っていた。
 夫とはいえ、細川持隆のために死ぬほどの義理など持ち合わせていないし、それほどの恩を受けた記憶もない。阿波の名家に生まれ、かつその美貌を見込まれて、勝手に正室とされたが、それは持隆や親たちの勝手な都合であり、彼女自身の気持ちなどなんら反映されてはいないのである。持隆とはかれこれ夫婦生活を十数年続けているわけだが、最近は他の側室たちにうつつを抜かして、自分など一切省みてはくれなかった。そんな夫のために、なぜ死なねばならないのか…。
 夫との夫婦生活で、唯一良かったと思えることは、息子の真之を儲けたことぐらいであったが、その真之さえも彼女の下から取り上げられてしまったので、ここ数年は同じ屋根の下に暮らしながら、小少将は一度もわが子を見たことがなかった。
 敵の慰み者になるぐらいなら…。と、皆は言ったが、これまで散々持隆の慰み者になってきた彼女にしてみると、そんなことは別段大した問題ではないような気がした。とはいえ、皆が死んでいく様を見ていくと、やはり死なねばならないのかとも思うのである。
 だから彼女は、家臣たちが手渡した短刀をぎゅっと握り締めて、その鋭き刃先を白き首筋にちょこんと当てた。
 ちくりと痛い。その瞬間、刃先を伝って、朱色が柔肌に一つの線を描いた。
 死んだらどうなるのだろう。ふと、そんなことを思った。側には、数人の側室たちが、息もせず、ただの骸となって転がっている。自分もこうなるのだと思うと、途端に恐怖がこみ上げてきた。
「やめなされ」
 そこに、唐突に、そんな優しき温和な声が響き渡った。
 小少将は思わずぎょっと振り返る。幾人かの武者が、その凄惨な地獄以上の惨劇を目の当たりにして、どれも唖然としたように絶句していた。
「あなたは…」
 聞かずとも、見れば一目瞭然だったが、聞かずにはいられない。三好家が代々受け継ぐ伝統的な陣羽織に身を包んだ、立派な武将の姿がそこにあった。
「三好豊前守義賢でござる」
 と言って、その男は深々と頭を下げた。
 三好豊前守義賢。
 と言えば、彼女にとっては憎むべき仇敵のはずだったが、なぜだか、それほど怒りも憎しみも抱かなかった。夫といったところで、持隆への思いがそれほどでもなかったからなのか、それとも、夫を殺した典型的な戦国武将とは思いもよらない凛々しい顔立ちに、純粋に“女”として惹かれたからなのかは分からなかったが、とにかく、彼女は自分でも不思議なほど、この豊前守義賢という人に興味を持っていた。
「細川讃岐守様が御内室、小少将の方とお見受けする。…死にたくば、我らとしてはお止めする権利はない。だが、個人的な考えを言わせてもらえるなら、今更、無意味に血を流す必要もあるまい。我らとしては、天下に混迷をもたらす持隆公を、やむにやまれず討ち取ったが、細川家への忠義を忘れたことはなく、真之様を持って新たな守護職とするつもりでございます。とはいえ、真之様は今なおお若く、多事多難な国政を司るにあたっては、母君の支えも必要となりましょう」
「…六郎殿の支えに…」
 小少将はその瞬間、力なく肩を落として、がっくりと項垂れた。握っていた短刀は、手元を離れて、畳の上に突き刺さったまま動かなくなった。
「死ぬのは容易い。されど、生きなさい。六郎真之様の御為にも、生きなされ」
 持隆を滅ぼした自分がそんなことを言える義理ではないのかもしれない。そんなことは重々承知している。けれど言わずにはいられない。一言で言えば、義賢は一目惚れしていた。彼女が、自分が殺した男の妻であったことを思えば、それが容易くは許されぬ恋であることを、彼もよくわかっていた。けれど惚れてしまったものは仕方がないではないか…。などと思いながら、彼はゆっくりと小少将の下に歩み寄り、すっとその手を差し出した。


 義賢が小少将を妻に迎えたのは、それからすぐ後のことであった。
 当初はそこまでする気はなかった。夫を殺した男としての引け目が、彼の腰を重くしていた。好きなのだが、好きとはいえない。女を奪うために主君を殺したのだ、などと言われては、義賢だけでなく、三好家の名をも傷つけることになりかねないのである。
 けれど、彼も今年で二十六歳になるのである。女というものにも、当然興味はある。彼もいっぱしの権力者であるから、これまで幾人かの女子と関係を持ったが、小少将ほどの女子は初めてだった。四国屈指の美貌を誇り、一児の母とは思えぬほどの若さを、今なお保っている。聞けば、歳は二十八という。年齢的にも大差はない。義賢はいつの間にか彼女に夢中になり、彼女は彼女で、生きるために、息子を守るために、この権力者と関係を持ったほうが得策であると考えるようになった。
 義賢と小少将が正式に婚姻を交わしたのは、六月末のことである。三好家と細川家の和解を象徴するものだとして、結婚そのものは好意的に評価されていたが、中には、殺した男の妻を略奪したも同然の義賢の所業を非難する声も、ないわけではなかった。
 ともかく、結婚式は勝瑞城において、盛大に執り行われた。阿波、讃岐、淡路など、義賢の管轄下にある諸豪族が次々と参列した。義賢の権勢だけでなく、三好家の力の程を見せ付けるには十分すぎるもので、さらに義賢は、勝瑞城に一万もの大軍を集め、安宅冬康配下の水軍衆を阿波沿岸部分に集結させるなど、圧倒的な武威を四国中に示していた。
「いよいよ、兄上も結婚だなぁ」
 と、十河一存などは嬉しそうに高笑いしていた。そんな彼も、気づけば二十歳を超えている。既に妻もいれば、側室だっているのである。去年生まれたばかりとはいえ、熊王丸(後の三好義継)というれっきとした嫡男もいるわけで、そういう点においては、次兄より遥かに進んでいる一存であった。
「ふん。これでようやく、お前らに女子のことでとやかく言われんでもすむな」
 義賢は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、そんな風に呟いていたが、
「後は早く世継ぎを儲けねばなりませんな…。何と言っても、兄上は三好家の柱石にございますれば、世継ぎの一人や二人もたねば、三好の行く末にもかかわりまする」
 などと、そんな初な兄を茶化すように、クスクスと、楽しそうに笑っている安宅冬康であった。


 その夜のこと。
「よいのか。わしの妻などになって…」
 義賢は、かねて聞きたかった疑問を、この際だからと、思い切ってぶつけてみた。
 彼には負い目がある。彼女の夫である持隆を殺したのは、他ならぬ義賢なのである。そのことについて、彼女は何と思っているのだろう。持隆の一件は、言ってみれば二人にとって、踏み込んではならぬ聖域のようなもので、義賢もこれまでずっと自重してきたのだ。
 だが、結婚という一つの門出を迎え、記念すべき初めての夜に挑むにあたって、彼の中で急激に膨れ上がる疑問は、もはや口にして表現せずにはいられなくなった。
「よいのです」
 小少将は悲しそうに目を背けると、それ以上は何も言わなかった。彼女は既に、真之を守るために仕方のないことだと割り切っている。そのためなら義賢に春を売ることくらい、なんとも思ってはいないのだった。
 そんな彼女を見て、義賢はただ苦笑いした。所詮、自分は夫を殺した男に過ぎない。それでも好いてしまった以上は仕方ないではないか。などと開き直りつつ、彼は思い切り強引に、小少将の方を押し倒して、獣の如く、荒々しくその服を脱がしていった。
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