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【絶頂編】第073章 長慶暗殺?
 権力者には、その胸一つで人の命を左右できるだけの力がある。どんな人も、権力者の言葉には敵わない。権力者は、その権力下にあるありとあらゆる人の生殺与奪の権を一手に握っているのである。
 けれど…。
 そんな、さながら神の如き存在たる権力者にも、唯一思いのままにならぬものがあった。どれほどの権力を握ろうとも、どうにもならないことが一つだけあった。それが、他ならぬ自分の命である。
 これまでも、ありとあらゆる権力者たちが、自分の命を自らの支配下に置こうとしてきた。その権力で、自分の命を左右しようとした。いや、できると信じていた。不老不死の仙薬を求めて、遥か東方の島国に徐福を差し向けた秦の始皇帝などはその代表的な例といっていい。始皇帝をはじめとする権力家は、権力と金さえ駆使すれば、いくらでも命は買えると、本気で信じていたのだった。
 けれど、どうにもならなかった。始皇帝は巡幸中に死に、そのほか、数多くの権力者たちも、ありふれた人間と変わらぬ死を迎えて、歴史の中に消えていった。
 三好長慶とても例外ではない。今や天下でも有数の最高権力を握っている男だが、そんな彼にも死は例外なくやってくる。無論、まだまだ若い彼には、“死”などと言っても、実感の沸くものではなかったが、しかし、彼が安泰と信じてやまぬ自らの命は、案外砂上の楼閣の上に、辛うじて成り立っている危ういものでしかなかった。実際、彼の死を今か今かと待ちわびている男たちもいた。彼らは密かに爪を研ぎ、牙を磨いて、三好長慶の暗殺の機会を虎視眈々と窺っていたのだった。


 最初の暗殺未遂事件は、天文二十年(一五五一年)三月七日に発生した。
 三好長慶はこの日に先立つ三月四日、伊勢貞孝に招待されて、彼の屋敷に出向いていた。わざわざ総勢一千の兵を率いて、仰々しく街中を練り歩いた上で、彼は伊勢邸に入ったのだった。
 そこで、貞孝をはじめとする幕臣たちと、酔いつぶれるほどに飲み明かし、移ろいゆく気分の中で、今後のこと、国事のこと、女のこと、兎にも角にもいろいろなことを思う存分語り合った。
 長慶も、よほど楽しかったのだろう。それから三日ほどたった、七日。今度は吉祥院の宿所に貞孝を招聘したのである。
「方々、今日は思う存分楽しんでくれ。無礼講だ」
 と言って、長慶は嬉しそうに高笑いしていた。
 酒にはそれほど強いほうではないが、酒は何より好きな長慶なのである。ほうっておくと、いつまでも飲み続け、結局翌日には体調を崩して使い物にならなくなる。だから家臣たちは、彼が酒を手にし、酒盃を口に運べば、その都度、ジッと睨んで、無言の圧力を加え続けていた。
 伊勢貞孝も、心ゆくまで楽しんでいる。酒に肴、女子もよく、夜空に輝く満月を眺めながら、彼は愉快そうに笑っていた。
「筑前殿、天下に臨みながら飲む酒はまた格別でござろう」
 貞孝はすっかり酔っ払っている。すっくと立ち上がって、あちこち落ち着きなく歩き回っているが、ふらふらと、だらしない千鳥足であった。
「ははは。この世をば、わが世とぞ思ふ、望月の…」
 そこまで言って、長慶は再び杯に手を伸ばした。
「欠けたることも、なしと思へば…、でござるか。ふふふ、筑前殿は御堂関白気取りか?」
 茶化すような貞孝の言葉に、長慶は「ははは」と笑った。
「御堂関白気取りではない。あんな奴と、俺を一緒にするな。如何に藤原摂関の最盛期を築いた道長とて、所詮、名門に出自し、生まれながらに栄達を約束された立場ではないか。それに比べ、俺は阿波の田舎土豪の嫡子に生まれ、幼くして父を殺された。そこから這い上がって今の地位を築いたのだ。一緒にするな」
 酔っている。誰もがそう思った。実際、長慶は酔っていた。
 絡み酒なのだ。
 家臣たちは頭を抱え、貞孝は一緒になって笑っている。これが、今や天下を治めている三好筑前守長慶と、政所執事の伊勢貞孝とは到底思えなかったが、二人は気にせず、
「そうだ。筑前殿は御堂関白程度に納まる器ではないぞ!」
 と、酔った勢いに任せて、思い切り騒いでいた。


 そんな頃のことである。
 夜は深く、空には満月に照らし出された薄白き雲のほかは、何もなかった。ただ月光に照らし出された世界は比較的明るく、それがまた、常とは違った独特の情感を醸し出している。
 月見酒とは、なかなかに風流で、長慶たちもついつい酒が進んでしまったが、彼らのそんな騒がしき酒宴の片隅で、一人の少年が、屋敷の一角に潜みこんで、おもむろに火を放ったのである。
「何事だ?」
 バチバチと、何やらただならぬ気配を感じた番兵たちは、どれも不思議そうに首を傾げていたが、よもやそんなことになっているとは夢にも思わぬ彼らは、
「殿様方がまた何やらなされておられるのだろう」
 と言って、あえて深く考えなかった。
 その間も、つけられた火は、猛然と燃え上がって、凄まじき炎となった。宿所の一角がまるまる燃え上がった頃、ようやく事の重大を察した兵たちは、慌しく消火の手配を整え、かつ、
「大変です。火です。炎です」
 と、本殿にあって大騒ぎしている長慶たちの下に伝えたのだった。
 長慶も貞孝も、すっかり酔っ払っていたから、「火」と言われても、その深刻性が全く理解できていない様子で、けらけらと楽しそうに笑っていた。とはいえ、居並ぶ家臣たちは、
「御屋形様、危のうございます。一刻も早く脱出を」
 そう急かして、半ば強引に、彼らを屋敷の外へと運び出したのだった。
 火はその後も勢いよく燃え上がったが、必死の消火活動が功を奏したのか、全焼という最悪の事態だけは何とか避けたようであった。また、長慶や貞孝だけでなく、小者に至るまで、けが人は多少なりとも出たが、死者は皆無だった。とにかく不幸中の幸いとはこのことであり、酔いがさめた長慶も、
「それはよかった」
 と、安堵したようにホッと溜息を漏らしていた。
 やがて、下手人たる少年も逮捕され、早速事情聴取が始まった。無論、他ならぬ三好長慶の命を狙った上での放火であるから、取調べも容赦なかった。容易く言葉で言い表すことができないような、おぞましき拷問にかけられると、それまでは貝の如く堅く口を閉ざしていた少年も、ついに観念して、全てを白状した。
 三月八日。
 少年の供述に基づき、今回の暗殺未遂事件に関与したと思われる全ての者が、この日のうちに三好軍により逮捕され、長慶の下に引きずり出されていった。その数は六十人に達したが、長慶は、その全員に対して例外なく死罪を命じた。


 結局、三好方による徹底捜査の結果、判明したのは下手人と、その一味であったが、その黒幕が誰だったのか、肝心なことは一切分からぬままに日々は流れ、ついに三月十四日になった。
 長慶は不満であったが、分からないものは仕方がなく、そうした鬱憤を晴らすかのように、下手人たちの一族を探し出しては、都に連行し、見せしめの如く、その全員の首を例外なく斬り飛ばした。女であろうと、子供であろうと老人であろうと、一切容赦しない彼の方針に、人々は大いに震え上がった。
 実に、この六日間で、合計百人以上の老若男女が、洛中にて首を斬られたことになる。長慶暗殺計画に参与した者の一族…、ただそれだけの理由で、日々を普通に生きてきた平民たちが無惨に殺されたのである。如何に殺されそうになったからとはいえ、これは少しばかりやりすぎだと、三好康長や安宅冬康らは、口を揃えて諫言してきたが、長慶は全く聞き入れなかった。そればかりか、
「余に逆らう者は、楯突く者は、例外なくこうなるのだ」
 と言って、平然と、処刑の執行を命じた朱印状を次から次へと発給していった。
 これは後日の話になるが、諫言が受け入れられなかった冬康は、長年飼い続けてきた鈴虫を数匹ほど長慶の下に送って、
「かような虫けらとても、無意味な殺し合いはせぬというに、何ゆえ兄上は、それほど人の血を欲しがるのか」
 と、兄の苛烈な方針を痛烈に非難していた。温和で人望厚く、今やすっかり海の男として、淡路水軍を見事に束ねている歴戦の闘将は、一方で不自然なほどの平和主義者であったりした。幼い頃から血を見ることが嫌いで、それゆえに、対照的な弟一存とは凄まじい喧嘩になったこともある。
 冬康のそういう性格を誰よりも知っている長慶は、幼い頃より全く変わらぬ彼の純真さに呆れつつも、困ったように、恥ずかしそうに、ハァと大きな溜息を吐いた。
「少しばかり、やりすぎたかな」
 と、そのときは、そう思わずにはいられぬ長慶であったりした。


 そして、三月十四日である。
 この日、長慶は伊勢貞孝の宿所に赴いていたが、そこで、彼は再び殺されかける破目となった。
 即ち…。
 長慶がこの日、貞孝の下に向かったのは、貞孝が長らく庇護下に置いてきた狂言師たちの公演を見物するためであり、それ以上でも以下でもなかった。煩わしい政治の一切を忘れて、思う存分演劇に浸るのもよいだろうと、長慶は何一つ疑うことなく、軽やかに足を運んだのである。
 だが…。
 狂言もようやく佳境を迎えようかと言う頃、長慶は、背後におぞましき殺気を感じて、すかさず身構えた。けれど…。
「うぐぅッ!」
 と、彼は声にならぬ悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちた。
 長慶を狙った刀は、彼の身体を容赦なく貫いていた。急所は外れていたが、貫かれた体からは、とめどなく鮮血があふれ出ている。
「お、御屋形様ッ!」
 たちまち、場内は騒然となった。よもや、こんなところで主君が窮地に追い込まれようとは、夢にも思っていなかった家臣たちは、どれも悲鳴のように叫びながらも、何をすればよいのか分からぬと言った風に、しばらく呆然と、その場に立ち尽くしていた。
 下手人は、仕留め損ねた標的に、止めを刺すべく、再び立ち上がって、血塗れの刀を構えたが、攻撃態勢に入るより前に、彼自身が凄まじき激痛に耐え切れなくなって倒れこんだ。
「この下郎ッ! 御屋形様のお命を狙う不届き者め」
 立花範政は、赤く染まった血刀をぎゅっと握り締めて、そんな罵声を下手人に対して、思い切りぶつけていた。
「く、くそッ…」
 下手人は慌てている。肩から背中にかけて、ばっさりと斬り付けられたので、受けたダメージは予想以上に大きかった。それでも、ここで討ち漏らすわけにはいかぬと、下手人は必死になって立ち上がった。けれど、既に長慶の周りには、範政以下、三好家の郎党たちが鉄壁の壁を作って、主君を守らんと必死になっていた。こうなると、もはや手など出せるはずもなく、無念そうに唇をかみ締めながら、
「もはや、これまで…」
 と、持っていた短刀で、その喉を思い切り掻き切ると、壮絶な自害を遂げてしまった。
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