【絶頂編】第069章 揺らぐ政権
十月になった頃。
南近江の太守たる六角定頼は居城たる観音寺城内にあって、ニタニタと笑っていた。
既に五十四歳。いい歳ではあるが、近江源氏佐々木氏に連なる名門六角氏の当主としての……、いや、内政、外交、軍事等あらゆる方面で卓越した手腕を発揮して最盛期を築き上げた英主としての気概は依然として失われておらず、特に最近などは、若かりし頃に戻ったような気持ちになって、新たな好敵手たる三好長慶と対決する日を心待ちにしていたのだった。
「三好長慶、か……。よもや、これほどの男になろうとは思わなかったが、この老人が最期の敵とするに、申し分ない強敵じゃわい」
などと呟きながら、定頼はすっくと立ち上がると、
「但馬! 方々は無事に坂本に入られたか?」
側に控える重臣後藤但馬守賢豊にそんな風に尋ねていた。
「無論にございます」
と、賢豊は大きく頷く。
「既に若殿(六角義賢)の御指図により、将軍家(足利義晴・義藤親子)並びに関白家(准后近衛稙家)、管領家(細川晴元)ほか、三好方より救出した方々は、坂本城にて匿われてございます。坂本には若殿の手勢三千が入り、厳重に警護しておりますゆえ、三好軍とても容易く奪還には動けますまい」
「そうか」
とにかく磐石な体制が整っていることを確認した定頼は、安心したようにホッと溜息を吐く。
「いずれはわしも坂本に伺候し、公方様や管領殿に謁見せねばなるまいな」
「左様にございますな。その折は是非、二万の兵をお供につけて、正々堂々出向かねばなりませぬ」
「……二万? はっはっは。それだけの兵を持って坂本に出向けば、さしもの筑前も、少しは肝を冷やそう」
豪快に高笑いしつつ、定頼はようやくその場に腰を下ろした。けれど、老いてなお盛んな彼の鋭き頭脳は、少しも休むことなく今もぐるぐると目まぐるしく回転を続けていた。
「ところで但馬よ。あの一件、準備は滞りなく進んでおるか?」
そう言って定頼はじろりと後藤但馬守を睨みつけた。
「無論にございます。若殿の下、蒲生定秀殿を総奉行として、下準備は既に整っております」
「左様か」
老人は、ようやく安堵した。上座にごろりと寝転がると、定頼は静かに「疲れた」と呟きながら、ハァといつになく深き溜息を吐いていた。
近江坂本に将軍家以下貴人たちを迎えた六角家は、三好家との決戦に備えて着々準備を整えていた。
十月中頃、六角義賢が総勢五千の精鋭を率いて慈照寺方面まで進出し、その南方にある如意ヶ嶽に新たな城を築き始めた。六角家の重臣たる蒲生定秀を築城総奉行とし、近江中の人夫を駆り出して行った土木事業は、いつ何時、三好軍の妨害を受けるか分からぬ危険作業であったが、いずれ六角軍が上洛する折に欠かせぬ最前線基地となる場所であるから、定頼はいくら犠牲が出ようとも、どれほど出費が嵩もうとも、必ず完成させるようにと、しきりに厳命を下していた。
けれど楽な作業ではない。
何より、自らの膝元でそんなことをされている三好方が何もせず見逃してくれるはずもないのである。
「如意ヶ嶽に城を築いているだと?」
報告を受けた長慶は、呆れたように溜息を吐いた。あくまでも三好家と徹底抗戦する腹らしい六角定頼の決意に辟易しつつ、
「弾正。六角のことはそなたに一任する。何とかしてみろ」
と、今や立花信濃守範政と並び立つ側近となった松永弾正久秀にそう命じた。
それを受け、弾正久秀は早速動き出した。長慶より付けられた寄騎たる小泉秀清、今村慶満らを従えて、総勢四千の精鋭を率いて都を発すると、築城部隊を護衛する六角軍と激しく激突したのだった。
十月半ば以来、六角方による断続的な攻勢もあって、京都周辺の情勢は極めて不穏であった。
年も明け、天文十九年(一五五〇年)になったが、三好と六角の対立は激しさを増すばかりで、全く解決の糸口は見えなかった。ゆえに長慶は、天下人になって初めて迎えた正月だというのに、不機嫌そうな顔をしてずっと不貞腐れていた。
「今や天下に並ぶ者なき筑前守様が、左様なお顔をなされるというのは、なんとも不思議なものでございますな」
臨済宗大徳寺派九十世住持の大林宗套の皮肉に、長慶は恥ずかしそうに苦笑いした。
「ははは、どれほどの力を握っても、この世というのはままならぬものでございます」
長慶がぼやくと、
「ま、左様でございましょうな。ただ、力で何事も片付けようとする昨今の筑前様の所業は余り褒められたものではありません」
宗套は厳しい口調で、咎めるように言った。それに対しても、長慶はただ「ははは」と、苦笑いするだけだった。
「和尚には敵いませんな、全く……。ただ、実力でここまで昇ってきた我らには、力以外に頼るものがないということも和尚にはお察し願いたい。もしも我らが力を示さねば、天下は再度乱れ、収拾のつかぬ最悪の事態ともなりましょう。我らが強くあってこそ、天下は一つに纏まるのです」
「……なるほど。確かに力あってこそ纏まる部分がないとは申しませぬ。されど何事もやりすぎは失敗に繋がります。筑前様のやり方は、少々やりすぎと言えましょう。あれでは、必要以上に敵を作ってしまいますぞ」
宗套の言葉も尤もではある。長慶も頭から否定する気はない。だが、今の彼が天下に君臨しえているのはその圧倒的武力あってこそであり、だからこそ、逆にこれまで以上に強力な武断政治を行わなければ国を一つにまとめ上げることは不可能なのではないかと考えている長慶なのであった。
「ま、天下が安泰になるまでは力による政治もようございましょう。が、それだけでいつまでも天下を纏められると、筑前様はお思いか?」
「……」
「力による統治は至極簡単。だが、それでは天下人としては相応しくない。それは、あれほど北越で強勢を誇っていた木曾義仲が入京より半年足らずで滅び去った事例を見ても明らか。唐の国においても、力に頼ったがゆえに滅び去った事例は数多く……。近くは、唐王朝が滅び、次から次へ王朝が入れ替わった五代十国の世など、その最たる例といってよいでしょう。力に頼ったがゆえに、力を失えば最期、どれも無惨に滅亡の道を歩みました」
「……では、和尚は、力のほかに何を頼りに、天下を治めるべきとお考えでござるか?」
肝心要はそこだと、長慶の顔色はきらりと光った。具体的にどうすべきなのか。そこをはっきりさせてくれない限り、宗套上人の御高説はただの陳腐な理想論になり下がってしまうのだ。
「和尚、お答えくだされ。具体的にそれがしは何を頼りに天下を治めるべきなのか?」
こういう風にぐいぐいと迫ってくるときの彼は、実に良い顔をする。さすがに一代で天下をつかみ取った梟雄だと思いながら、宗套はにこやかに微笑んだ。
「秩序を作ることです」
「秩序?」
長慶は、きょとんとした顔をして、不思議そうに首を傾げている。
「要するに、支配の仕方と申しましょうか。……力による支配というのも一つの秩序ではありましょうが、先ほども申しましたように、力に重点を置きすぎると、力を失ったときが、即ち滅びに直結する。それでは安定政権などいつまでたっても築けませぬ」
「……」
「力も秩序を構成する一つの柱ではありましょう。が、それが全てではない。力と並ぶほかの柱をいくらか作るのです。さすれば、政権は容易く倒れぬ。そして、力以外の柱というのは、まあいろいろあるわけですが、例としてあげるなら、血筋に頼るのも一つの手ではありましょう。あるいは、既存の権威を利用するのも一つです。全く新たな秩序を作り上げるというのもよろしゅうござるが、これはなかなか現実的ではありませんから、既存の権威を利用するのが得策かと」
大林宗套の言いたいことは長慶にもよく分かった。要するに、どういう政権を志向しているのか。それを今のうちから明確に意識しておけと言いたいのであろう。
長慶とて全く考えていなかったわけではない。いつまでも軍事力にのみ頼りきった統治体制でやっていけるとは思っていなかったし、その気もなかった。政権を取り巻く情勢が鎮静化し、政権が軌道に乗ったなら、順次武断政治を改めて別の政治体制を確立するつもりでいた。ただ、具体的にどういう政治体制を確立すればよいのか、それが彼には分からなかった……もとい、候補はいろいろあっても容易く決められなかったのである。
例えば細川晴元が目指した政権モデルはどうだろうか。晴元はかつて自らの政権を執権北条の如きものにするといった。要するに、それは既存の権威である室町幕府という存在を最大限に利用するということであり、元から土台があるだけ、一番手っ取り早く、手軽な方法であるともいえた。だが、そこには名目的であれ将軍家と言う主君が存在することになり、少なからぬ制約が生じる点に欠点があった。結局、その欠点を上手く克服できなかったがゆえに、細川政権は脆弱なままついに崩壊してしまった。
ならば血筋に頼ってみるのはどうだろう。かつての藤原摂関家や平氏政権の如く、帝、あるいは将軍家に姫を嫁がせ、生まれた子供に跡を継がせ、その外戚という立場で政治を執るというやり方。だが、これも結局、上記の方法と余り変わらないような気がした。即ち自分が頂点に立つわけではないから、名目なりとはいえ頂点にたった人間との関係が悪化すれば、政権は途端に不安定となる。
「全く新たな秩序を作り上げる、と申して、例えばどういうものがありましょう」
長慶は、興味津々といった顔をしてジッと宗套を見た。けれど宗套は「さぁ」と、ニコニコと笑うだけで、それ以上の答えはくれなかった。
だから一人で考える。宗套が去った後も、ジッと考えてみた。
新たな秩序。要するに、平安王朝時代とも、鎌倉時代、室町時代とも違う新たな時代を自分の手で作り上げるということ。室町将軍家を追い落とし、自身の幕府を作ってみるのも一つの手であるように思えた。ただ、将軍家が足利から三好に代わっただけで、中身は従来の室町幕府と同じではやはり意味がないような気がした。どうせやるなら一から自分の幕府を作り上げたい。けれど、どうやればよいのか分からなかった。いや、今と全く違う幕府というものが、彼には思いつかなかった。
それからしばらく経った、天文十九年二月十五日。
如意ヶ嶽において再び六角軍による築城作業が本格化した。だが、その当時長慶は依然として摂津で踏ん張っている伊丹大和守親興の討伐のために自身八千の兵を率いて増援に出向いていたから、都には代官として残しておいた三好康長と五千の兵があるのみだった。
築城部隊の支援として六角定頼自ら総勢二万の兵とともに観音寺から出向いてくると、多勢に無勢ということもあり三好康長としては容易く都の外に出向くわけにもいかず、結果として三月ごろになると、六角方が築いていた最前線拠点は大まかではあるが、確かに完成をみることになった。
そこで定頼は、早速前将軍足利義晴と将軍足利義藤の二人をこの新城(中尾城という)に迎え入れようとした。けれど足利義晴は坂本を発し、三月七日に穴太(現在の滋賀県大津市)に入ったところで病に倒れ、人事不省の危機的状態に陥ってしまった。ようやくこれから、というときの出来事であり、義晴としては無念だったろうが、こればかりは仕方のないことだった。
まあ、義晴が病に倒れるのも無理無きことであった。何しろ将軍に就任して以来、京都に入っては逃げるという日々を繰り返し、常に針の筵の上に暮らしているような精神状態のまま生きていくことを余儀なくされていたのである。これでは肉体的、精神的に限界を迎えるのも無理はなかった。
何より義晴の体はそれほど頑健ではない。これまでも病に倒れることは多々あったが、今回はいつになく酷いと、侍医たちは口を揃えて言った。
とまあそんな具合に初っ端から出鼻を挫かれた形となった六角方であったが、とにかく将軍足利義藤を中尾城に入れた定頼は、細川晴元やその被官である三好政勝(宗三入道の遺児)とともに、西院(現在の京都市右京区)や大原(同左京区)に出没しては、三好政権を朝昼晩、連日に渡って脅かした。
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