【雪辱編】第065章 江口の合戦(前編)
五月一日。
午前中に細川晴元が一庫城に引き上げると、午後になって、三宅城の守備及び芥川山城攻略を一任された香西元成は、その任務を達成すべく、総勢五千の兵を率いて出陣した。
壮大に散り行く桜並木の下を、粛々と軍兵が歩み行く様というものは、いつ見ても、どう見ても、なかなかに圧巻なものだった。そんな様を眺めつつ、香西元成はニヤニヤと笑っていた。
「楽しそうですね」
と、側近は言った。
「分かるか?」
元成はいつになくやる気に燃えている。何しろ、芥川山奪回作戦は、成功すればそれが晴元方勝利の決定的要因となるやもしれぬ大作戦であった。言ってみれば、元成にとって、これは手柄を挙げる上での一世一代の好機であったということである。やる気が湧きあがらぬはずもない。
芥川山城は京と摂津を結ぶ交通の要所に聳えている。即ち、ここが敵方の手にある限り、京・摂津間を往来するには、わざわざ丹波か大和を経由しなければならないのである。しかしその丹波とて、三好方の守護代内藤長頼の勢力下にあり、簡単に通過できるものではない。まあ、丹波国には波多野秀忠はじめ、晴元方に属する勢力が根強い力を保っていることを考えれば、完全に三好方の勢力下にある大和国を通過するよりは幾分マシなのかもしれなかったが、さりとて難しいことに変わりはない。
しかし芥川山を奪回して、京と摂津を直接接続することができれば、状況は一変する。何しろ、いざとなれば京に展開中の六角義賢(近江守護職六角定頼の嫡子)の精兵一万に援軍を依頼することも容易くなるというわけで、そうなれば、戦況は一挙に晴元方優位に傾くであろう。それでなくとも、最前線と本拠地が分断されているということは、既にそれだけで大きな不利であり、逆に最前線と本拠地を最短ルートで結ぶことができれば、戦を優位に運ぶことも難しくないのだ。それゆえに、最前線たる摂津と京の間に厳然と聳え立つ芥川山城の奪還は、目下、晴元方の最重要戦略課題となっていたのであった。
「わしが戦局を握っているのだ」
と思うと、晴元方の芥川山攻略軍司令官たる香西元成は、興奮の余り、いてもたってもいられなくなるのだった。
元成という男は、讃岐国の有力国人の一人である。勝賀城(現在の香川県高松市)の城主であり、讃岐国内では、十河氏と並び立つ大豪族として広く知られていた。けれども、このところの讃岐国では、阿波の三好氏と深く結びついた十河氏が目覚しく勢力を拡大して、逆に香西氏は誰の目にも明らかなほどに落ち目となっていた。それでも必死に細川晴元に仕え、その力を背景として三好・十河家と対立する道を歩み続けてきた香西元成にとって、今回の戦いは、三好家を葬り去って、自らが讃岐の国主となる唯一にして最大の好機であった。
だからこそ、彼はやる気に漲っていた。この好機を逃すまいと焦っていた。何しろ宿敵十河の後ろ盾となっている三好長慶を葬り去り、かつ、晴元政権内での自身の立場を高めるという、これ以上ない一石二鳥を実現できる立場に、彼はいるのだ。故にこそ、その前提条件となる芥川山城攻略の任は、何としても実現しなければならぬと、強く胸に誓っていたのであった。
一方、芥川山城。
晴元をまんまと出し抜いて、この城を奪い取った芥川孫十郎の下には、長慶より援軍として派遣されてきた三好日向守長逸の姿もあった。
「香西勢は五千とのこと。その程度、わざわざこの城で迎え撃つまでもありますまい。ここはいっそ、出撃して、蹴散らしてやりましょう」
と、日向守長逸は力強く、自信満々の表情をその満面に浮かべながら、そう言った。
「日向殿は勝てるとお思いか?」
と、実に不安そうに、孫十郎はおろおろと落ち着きなくあちこちを動き回っていた。
「勝てまする!」
長逸ははっきりと、そして大きく頷き、そう断言すると、
「芥川殿、出陣の御命令を」
と、しきりに催促していた。
ゆえに芥川孫十郎は、三好長逸に総勢三千の兵を預けて出陣させたのだった。
五月二日。
香西元成軍五千と三好長逸軍三千は、芥川山城に程近い総持寺の西川原(現大阪府茨木市西河原)にて激突した。
押しては引き、引いては押す。
両軍共に、一歩も引かぬ激戦を演じた。数に勝る香西軍が若干優位ではあるが、長逸軍も負けじと押し返し、戦況は、ほぼ互角だった。
「いかんな」
香西元成は、床机の上で、思わず爪を噛んだ。
「後詰の兵も出せ! この際だ。総攻撃をかける」
彼は、スクッと立ち上がって、居並ぶ諸将をぎろりと見回すと、声高にそう命じた。
ほら貝が、ボォォォと、その独特な音色を響かせる。すると、香西軍の陣所は、俄かに騒がしくなった。
その報は、当然長逸の陣にももたらされてきたが、総大将たる日向守長逸は、別段驚く風もなく、淡々とした顔で、
「そうか」
と、答えたのみであった。
「よろしいのですか? 敵が総攻撃をかけてきたとなると、こちらも総力戦で臨まねば…」
そう言うのは、長慶より長逸の副官兼軍監の任を仰せ付かって、三好長逸の下に従軍している篠原長房であった。
「構わんさ。総攻撃をかけてきたということは、本陣はがら空きというわけだからな。そこを突けば、まだまだ我らにも勝機はあるさ」
日向守長逸は、勝ち誇ったように、からからと笑っていた。そんな大将の様を眺めつつ、篠原長房は恥ずかしそうに頭を掻いた。
五月二日午後。
総力戦に打って出た香西軍であるが、その大攻勢は、花を咲かすことなく、ものの見事に散る破目となった。
期せずして長逸が指摘した香西軍の弱点は、彼らの決定的な致命傷となった。即ち、総力戦と銘打って、後詰の兵など全てを最前線に投入したことにより、肝心の本陣ががら空きとなってしまったのである。確かにそのおかげで香西軍の攻撃力は格段に高まった。実際、兵力に劣る長逸軍は苦戦を強いられていたわけだから、元成の作戦を頭ごなしに間違いと断言できるものでもない。けれど、攻撃に特化しすぎると、当然防御が疎かになるのは当たり前のことである。攻撃こそ最大の防御、なる言葉が常に通用するとは限らないのであった。
攻撃に特化した香西軍も、例に漏れず、防御を怠っていた。しかも、あろうことか本陣を手薄にしてしまったのである。敵から見れば、これ以上ない反撃の好機である。無論、手薄と言っても、本陣には依然として百騎ほどの兵が総大将たる香西元成を守るべく配置されていたが、虎視眈々と獲物を狙って攻撃の機会を窺っていた獰猛な肉食獣にとって、その程度は、何の障壁でもなかった。
手薄極まりない香西軍の背後を叩き、本陣を潰したのは、これまでずっと芥川山城に立て篭もっていた芥川孫十郎であった。彼は長逸からの援軍要請を受けるや否や、すかさず篭城兵のうち八百の精鋭を引き連れて城を出、図々しいほどの無防備を晒していた香西軍に向かって、猛然と攻撃を仕掛けたのだった。
これによって、香西元成本陣は壊滅した。元成本人も泡を食って逃げ出さざるを得なくなり、これがきっかけとなって、香西軍全体もたちまちのうちに総崩れとなった。
「も、元成が負けたと?」
一庫城にて三好軍に備えていた細川晴元は、思わず身を乗り出して、思いもよらぬ凶報に愕然と立ち尽くしていた。
「はッ! 香西様はさる二日、三好日向守の軍と戦い、芥川孫十郎の奇襲を受けて、あえなく敗北したとの事にございます」
使者の報告に、晴元はがっくりと腰を落として、腹立たしそうに、
「たわけがッ…」
と、唸っていた。
兎にも角にも、香西勢が敗れ、芥川山城奪回に失敗した今、晴元としては、三宅城に入ってその防備を固めることが、何よりも急務となった。何と言っても、三宅城は芥川山城に次ぐ戦略上の要地なのだ。ここまでも敵方に奪われてしまうと、晴元の立場は一挙に悪化する。
「やむを得まい。全軍に命じよ。これより我らも出陣し、三宅に入って、三好日向を迎え撃つ」
晴元はそう命じて、家臣たちを下がらせると、どう転ぶか全く見当のつかない戦況のことを考えてみた。
負けるわけにはいかないのである。ここで敗北すれば、晴元が苦心して築き上げてきた細川政権は、今度こそ、間違いなく崩壊してしまうことになる。晴元の手の中にあったはずの天下は、ただの家臣に過ぎなかった三好長慶の手に移ってしまうだろう。それだけは断じて阻止せねばならぬ。晴元はそんな風に胸に誓うと、フゥと大きく息を吸い込んだ。
「それにしても…。それにしても、三好とは、実にしぶとき一族よな」
晴元はそんな風にぼやきながら、思わず苦笑いした。
元来、三好氏は、阿波に数多く存在する豪族の一つに過ぎなかった。それが之長(長慶の曽祖父)の代になって飛躍的に勢力を伸ばし、細川京兆家を代表する重臣にまで上り詰め、特に細川政元死後の三兄弟(澄之、澄元、高国)による後継戦争では、細川澄元に属し、澄元方の最高実力者として活躍するまでになったのだった。そんな三好家に訪れた最初の危機は、その之長が高国に敗れて処刑されたときのことだ。それ以前に嫡子である長秀を失っていたので、後継者となったのは、長秀の息子であった元長だが、生憎、彼はまだ若かった。
この当時は三好家のみならず、澄元陣営そのものが崩壊寸前の危機に立たされていた。一歩間違えば、三好家どころか澄元陣営そのものが崩壊しかねぬ大危機にあったのだが、まあ、結局、若き元長が之長に勝るとも劣らぬ名将であったこともあり、幼君晴元(澄元の子)を擁立して勢力を盛り返し、ついには細川高国をも滅ぼして、晴元政権を樹立するに至るのだった。もちろん、元長は細川家中において右に出る者のない最大の功臣となった。
しかし出る杭は打たれるの例え通り、力を持ちすぎた元長は、晴元により殺され、ここに三好家は二度目の危機を迎えた。文字通り、絶体絶命と呼ぶにふさわしき大危機であった。誰の目にも、三好家は風前の灯に見えたし、実際、あの当時の三好家は、生かすも殺すも晴元の自由だったわけだが、彼は元長の遺児たる千熊丸に同情して、ついにこれを助けてしまった。期せずして、幼き源頼朝の境遇に同情し、伊豆に流すという形としつつも、ついに殺さなかった平清盛と同じ轍を踏んでしまったわけだが、伊豆に流罪となった頼朝がそうであったように、長じて後、曽祖父之長や父元長を遥かに上回る英雄へと成長した千熊丸は、利長、範長、長慶と名を変えるたび、その勢力を飛躍的に伸ばして、晴元政権の屋台骨を担う重臣中の重臣となり、曽祖父や父以上の勢力を築き上げてしまった。
そして今、彼は晴元がこれまで対峙したあらゆる敵よりも強大な存在として、眼前に立ちはだかってきた。そして彼は、ひたすらに親の仇と、死に物狂いの攻勢をかけてくる。まさに、何から何まで頼朝のようだと、晴元は自嘲気味に呟いたが、末路までも平家と同じになるのでは、笑うに笑えなかった。
細川晴元は六千の兵を従え、三宅城に入った。
これを受けて、三宅に急接近していた三好長逸勢は、三宅近くで進軍を停止すると、晴元軍を威嚇しつつ、芥川山城へと引き上げていった。
その頃。
三好長慶軍は中島の柴島城に、三好宗三軍は榎並城にあって、それぞれ様子を覗っていたが、情勢の急変を受け、三好宗三は榎並城を発し、江口城に入ることにした。榎並城よりは遥かに堅固なこの城に立て篭もることで時間を稼ぎ、京都に展開している六角定頼の援軍を待つ。芥川山攻略に失敗し、情勢刻々悪化の一途を辿る今は、それ以外の手はないと考えた上でのことだった。
「宗三が江口に入ったか…」
柴島城の長慶は、使番からの報告に、にやりと不敵な笑みなど漏らしつつ、大きく頷いた。
彼が柴島城を攻略してから、ある程度月日は流れていた。その間、彼はほとんど微動だにしていない。もちろん何もしていなかったわけではない。というよりは何もできなかったと言い直すべきだろうか。と言うのも宗三の残党勢力による蜂起が相次ぎ、その討伐に四苦八苦していた長慶軍には江口攻略に乗り出す余裕がなかったのである。そうこうしているうちに、先に江口を離れ、榎並に逃れていた宗三が再び江口に戻ってきた。自分との決戦を覚悟したのであろう。望むところだと思いつつ、難攻不落の名城と名高き江口攻めのことを考えると、ひたすらに気が重くなる長慶なのであった。
「篭城戦に臨むつもりでしょうな。江口は堅城と名高き城でございますから」
と、松永久秀が言う。
「だろうな。だが、それはそれでこちらにとっては好都合。江口城は北と南と東側が川に挟まれ、故にこそ堅城といわれているが、逆に言えば、川を越えねばならぬ以上、脱出もそう簡単にはできん。故にこそ、余が細川晴賢を破って中島に乗り込むと、奴はあっさり榎並へ引き上げていったわけだが…。ま、いずれにしても、宗三入道には、ここで死んでもらわねばならぬ。自らの居城で死ねるとあらば、奴も本望だろう」
そんな風に呟きながら、長慶は楽しそうにからからと笑う。大好きな阿波の酒など、思い切り呷りながら、「はっはっは」と、どこまでも楽しそうに大笑いしていた。
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