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【雪辱編】第064章 両雄対峙
 ここ最近の政治情勢は、実に複雑で、かつ目まぐるしいほどに激しき変化を繰り返していた。
 何しろ、僅か一年前までは、細川晴元も三好宗三も三好長慶も、同じ仲間として、手を携えながら細川氏綱討伐に精を出していたはずだった。それがどうだろう。気がつけば、細川晴元陣営は晴元・宗三勢力と長慶勢力の二つに分裂していがみ合うようになった。その結果、風前の灯といって差し支えないほどに追い詰められていたはずの細川氏綱は、長慶方の盟主となることによって息を吹き返すことに成功している。
 世の中とは分からぬものであった。一寸先は闇とは、よく言ったものである。
 昨日の敵は、今日の友。今日の友は、明日の敵。などとよく言われるほどに殺伐とした戦国時代ではあるが、未だかつて、これほどの激変はなかったのではないかと思われるほどの目まぐるしい状況変化に、人々は開いた口がふさがらなかった。


 長慶は二万の大軍を従えて越水城を発すると、二月二十六日、尼崎に入り、その後、摂津は中島のほうへと兵を進めていった。
 中島という土地は、ちょうど石山御坊(本願寺の総本山。後の大坂城)の北側に位置する中洲で、淀川の分流神崎川と天満川に挟まれた地域のことを指す。またその中に中津川という川があり、この川より北側を北中島、南を南中島といった。さらに南中島は長柄川(現在の新淀川)によって、柴島と長柄の二つの地域に分割されていた。そして、この中島一帯は悉く三好宗三の所領となっているのだった。
 彼の居城である江口城は、淀川から神崎川が分かれる、そのちょうど分岐点に位置している。そのことからも分かるように、ここは宗三にとって単なる所領というより、自領の中核を占める本領、本拠地といってもよい場所であった。
 そんな土地であるから、三好長慶が攻略目標として目をつけ、真っ先に攻撃を仕掛けてきたのは、ごく自然なことであった。何しろ宗三の拠点である中島を制圧することができれば、晴元陣営に与える影響は果てしなく大きいのだ。
 そこで彼は圧倒的な三好軍を引き連れ、南中島を目指して進軍を重ねたのだが、宗三方が防御を怠っているはずもなく、中島北方の防衛ラインの拠点となる柴島城には、三好宗三方の細川晴賢(氏綱の従兄弟)が、総勢二千の兵で立て篭もっていたのだった。


「たかだか二千足らずの兵力で我らに立ち向かうとは、度胸があるというべきか、無謀というべきか…。氏綱の従兄弟ならば、従兄弟と行動を共にすればよいものを」
 と、長慶は一人ぼやいていたが、基本的に、この程度の城は三好軍の敵ではなかった。
「一両日もあれば確実に陥落するでしょう」
 と、立花小太郎範政も、そう言って自信満々に胸を張った。長慶はニタリと笑い、そして眼前に聳え立つ柴島城を睨み付けた。
 単純な城攻めなら、さして問題なく勝利をもぎ取れるだろう。だが、ここで問題となってくるのは、江口城に温存されている三好宗三の主力軍の存在であった。要するに、宗三が今後どう出てくるのか。それ次第によっては、長慶としてもいろいろ作戦を組み立てなおしたりしなければならなかった。
「宗三入道が何もせず、座してみているわけもあるまいしな」
 長慶がぼやくように呟くと、
「左様でございますな」
 と、小太郎範政も小さく頷いた。
 三好長慶軍が南中島を制圧することを何よりも恐れているのは、宗三入道に間違いないのである。何と言っても、中島は彼の本領。南中島が落ちれば、長慶方は江口攻めにおける格好の前線基地を手に入れたも同然となり、宗三の立場は一挙に悪化する。それだけならまだしも、万が一にも江口が落ちるようなことにでもなれば、それは中島全体の陥落と同義であり、中島の戦略的価値を考えれば、断固として阻止せねばならなかった。何しろ、堺にも越水城(長慶の本拠)にも、芥川山城(晴元の本拠)や京の都にも近いという、実に絶妙な位置に存在する交通の要所たる中島が長慶軍の勢力下に入ると、晴元軍全体が大きな窮地に追い込まれかねないのである。
 だから、宗三が援兵を派してくる可能性は十分に考えられた。彼も晴元の権勢を背景に、摂津南部に侮りがたい勢力を誇っているから、長慶としても、油断するわけにはいかなかった。


 三月四日。
 三好軍に攻囲されている柴島城の細川晴賢を助けるべく、三好宗三の派してきた援軍が、この日ようやく到着した。
 総大将は宗三の一門である三好加介という男が勤めていた。彼は総勢五千余騎の兵を率いている。今のところ、宗三が出しうる全力に近い戦力であったが、その程度は、戦歴豊富な精鋭長慶軍二万にとって、怖れるほどの敵ではなかった。
 両軍は柴島城に程近い西の方浜という土地で戦い、激戦となった。宗三勢は寡兵ながらも懸命に奮戦したため、長慶方の早期の圧勝という当初の下馬評は完璧に覆った。長慶はというと、すぐ終わると思っていた戦いが、比較的激戦となったことに驚きつつも、さして動揺することもなく、床机の上にでんと構えて微動だにしなかった。この辺りは、さすがに歴戦を重ねてきた経験豊富な大将である。結局、彼の堂々たる態度が功を奏したか否かは分からないが、戦いそのものは三好軍の圧勝に終わった。蓋を開けてみれば、何のことはない。下馬評と寸分違わぬ圧勝をもぎ取っていたわけだが、宗三軍の奮戦ぶりが凄まじかったことの証として、戦場一帯に所狭しと両軍兵士の息のない冷たき骸が山の如く転がっていた。
 宗三軍も頑張った。けれど、戦歴豊富にして兵力に勝る長慶軍の敵ではなかった。それだけの話だ。決して宗三軍の兵士たちが武門の名に恥じるような戦いをしたわけではない。それどころか、彼らは大いに誇ってよい。何しろ四倍近い兵力の敵を前にしても、一歩もひかずに挑んだのだ。
 ともあれ、宗三軍は大敗した。怒涛の如く押し寄せてくる長慶軍の猛攻の前に、順次、宗三軍は総崩れ状態に陥っていった。それでもなお抗戦しようとする彼らの気構えは見事なものであったが、勝敗が決した以上、いくら徹底抗戦しようとも、それは無意味な犠牲を出すばかりで何の意味もなかった。結局、激戦、乱戦の中で、宗三軍の総大将三好加介は、長慶配下の足軽により討ち取られてしまった。
「勝ったな」
 長慶は、別段喜ぶわけでもなく、逃げ去る敵を見つめながら、いつものように淡々と呟いていた。
「申し上げますッ! 敵将三好加介、主税助様(岩成友通)の兵が討ち取ったとのことにございます」
 という報告が入ったのも、この頃のことだった。けれど、相変わらず長慶は平然とした顔で、
「そうか」
 と、軽く頷いただけだった。
 その後、長慶軍は柴島城を攻め落として南中島一帯を掌握し、江口城攻撃に向けた格好の拠点を手に入れることになった。一方、三好宗三はというと、苦虫を噛み潰したような顔をして、予想通りの敗報に耳を傾けていた。
「このままでは、我らは江口に孤立することになりかねん」
 圧倒的な三好軍の勢いを見れば、宗三が怯え始めたのも無理はなかった。何しろ、江口城は北と東と南の三方を川に取り囲まれた水城であり、防御は堅いが、一方でいざというときに脱出しにくいという致命的欠陥を抱えていた。江口に立て篭もって三好軍を迎え撃つというのも一つの手ではあるが、いつ晴元軍が応援に駆けつけてくるか分からない以上、逃げ場のない江口に閉じ込められるのは、得策ではないように思えたのだった。
 かくして三好宗三入道は配下の手勢三千を引き連れ、三月五日朝に慌しく城を離れると、嫡子三好政勝に与えてあった榎並城へと引き上げていったのであった。


 情勢は明らかに三好方優勢に進んでいる。
 この頃、細川晴元が何をしていたのかといえば…。基本的には何もしていないと答えるのが妥当なところであろうか。…とはいえ、彼も辛い立場であった。長慶軍が宗三の領内に進撃を開始したとき、彼の本心とすれば、即刻援軍を差し向けて、腹心中の腹心を助けてやりたかった。
 だが、彼にはそれができなかった。
 晴元の下には、一万を超える大軍がある。だが、芥川山城の留守を任せていたはずの芥川孫十郎が三好方に寝返ったことで、あろうことか本拠地が敵方の手に落ちてしまった。これにより京と摂津戦線は真っ二つに分断されてしまったわけで、京にある晴元には、どう足掻いても摂津戦線に援軍を送り込むことが不可能になってしまったのであった。そればかりでなく大和より筒井順昭、柳生家厳をはじめとする軍勢が三好方に与力して、山城南部に進軍してきたので、容易く都を留守にするわけにはいかなくなった。
 けれど、だからといって座して事態の暗転を見守っているわけにもいかないのである。ゆえに、窮余の一策として、晴元は和泉守護の細川元常に宗三救援を命じたのだが、その元常も、配下の有力国人松浦興信が三好方に内通して挙兵したことで、容易く動けない状態に追い込まれていた。その上、松浦興信を支援するかのように、河内より遊佐長教率いる畠山軍が進軍してきたので、援軍を派遣するどころか、彼自身が援軍を晴元に要請しなければならぬ立場に追いやられてしまっていたのだった。
 打つ手がない。というのが、晴元の偽らざる本音である。けれど、何もしないわけにはいかなかった。このまま事態が推移すると、三好宗三や細川元常らは間違いなく、三好長慶や遊佐長教により滅ぼされかねなかった。宗三や元常が滅びて、摂津・和泉が三好軍の勢力下に入ったなら、次は間違いなく京の晴元である。そんな単純かつ明快な論理が分からぬほど、晴元も愚かではなかった。


義父上(ちちうえ)におかれては、是非、大和の筒井らを牽制してもらいたい」
 晴元は、四月に入った頃、自身わざわざ近江に赴いて、岳父たる六角定頼と事態の打開策について協議していた。
「だが、どうするのだ。三好軍の攻勢は凄まじいぞ。ここで打つ手一つ間違えれば、筑前の思う壺だ」
 定頼は、じろりと自らの婿を睨み付けると、晴元はにやりと不敵な笑みを漏らして、
「お任せあれ」
 と、大きく頷いた。何やら勝算があるらしい。いつもとはどこか違う晴元の笑顔に、後方に控えていた側近たちは不思議そうに首を傾げていた。
「婿殿に勝算があるのなら、我らとて全力で与力しよう」
 定頼がそう言うと、晴元はにっこりと微笑みながら、自信ありげにその胸をぽんと叩いた。


 晴元軍一万は、四月五日、京を発して丹波に向かった。
 目指すは、摂津である。苦戦する重臣三好宗三を助け出すべく、彼はその総力を率いて出陣したのだが、あえて遠回りである丹波を経由したのは、京と摂津を結ぶ交通の要所に堂々と聳え立っている彼の居城、芥川山城が三好方の手に落ちてしまったためであった。
 何はともかく、意気揚々京を発した晴元軍であったが、これを受けて、すかさず筒井勢を中核とする大和軍が、都に程近い槇島まで進軍してきた。都を奪い取るには、もぬけの殻となった今をおいて他に好機はない。大和衆がそう考えたのも当然である。何しろ、今の都には、晴元が残したほんの僅かな兵が残っているだけで、ほとんど無防備状態のまま、彼らの前に晒されていたのだ。さながら獰猛な肉食獣の前をうろつく手負いの草食獣のようなものだ。腹をすかした肉食獣が格好の獲物を逃すはずがないように、大和衆も隙だらけの都を奪うべく、俊敏に動き始めたのだった。
 けれど…。
 晴元とて馬鹿ではない。何一つ対策せずに都を留守にするほど愚かではなかった。
 それは近江からやってきた。
 大和軍が都に迫った四月七日。まさにその日の朝方、六角定頼が派遣した軍勢一万が、晴元の要請に応じる形で入京していたのである。率いているのは、彼の嫡子たる義賢である。彼は管領御所内に本陣を設けると、そこで大和軍の来襲に備えたのだった。
「退いた?」
 義賢は、重臣蒲生定秀からの報告に、呆気にとられたように呆然とその場に立ち尽くしていた。
「はッ! 大和軍、挙って槇島方面に退却を始めましてございます」
「…逃げたのか?」
 と、義賢が尋ねると、
「おそらく」
 自信満々にそう答える定秀であった。


 一方、丹波に入った晴元軍は、波多野秀忠をはじめとする同志たちの支援を得つつ、三好方の内藤長頼の妨害を排除すると、四月二十六日には、摂津多田にある一庫城に入って、城主塩川政年の軍を配下に加えた。
 四月二十八日には、武庫郡に出陣し、周辺村落への放火、略奪に明け暮れた。これらは全て、中島に展開中の三好軍主力に対する、露骨なあてつけであり、牽制だった。
 その翌日、即ち二十九日には、かねて晴元方への与力の姿勢を明確に打ち出して三好方と対立していた伊丹城の伊丹大和守親興が、一庫城まで出張ってきた晴元軍に呼応する形で行動を開始し、三好方の勢力下にあった尼崎に攻め入った。
 何はともかく、晴元軍が一庫に入り、武庫郡を勢力下に置き、さらに伊丹軍が尼崎まで進出したことにより、三好長慶のいる中島と、彼の本拠たる越水城は完全に分断されることとなった。


 晴元軍の快進撃は、ここから始まった。
 一庫にいた彼は、伊丹親興の動向を確認すると、摂津中部における三好方の拠点となっていた三宅城に侵攻し、これに猛攻を加えた。晴元軍は総勢一万三千に膨れ上がっており、三好方の守兵だけでは、到底太刀打ちできるものではなかった。
 四月三十日夕刻。
 三宅城は陥落した。晴元は意気揚々と入城して、次第に自分のほうに傾きつつある戦況に浮かれあがっていた。
「はっはっは。筑前など恐れるに足らぬわ。このまま、一挙に中島に押し寄せて、筑前を袋叩きにしてくれるぞ」
 と、豪快に酒など呷りながら、彼は高らかに笑っていた。
「後は、芥川山を奪回すれば、我らの優勢は確実なものとなりましょう。ここが敵方にある限り、京と摂津の味方は分断を余儀なくされておりますので」
 重臣の香西元成の言葉に、晴元は苦々しげな顔をしつつも、大きく頷いていた。
「それにしても、芥川孫十郎め。これまで余が散々かけてやった恩義も忘れて、筑前に寝返るとは…。全く許せん」
 などと怒り狂う晴元の様を眺めながら、香西元成は思わず苦笑いした。だから言わんことではない、と、彼は心の中でそう舌打ちしていた。
 長慶の妹婿という、白とも黒ともつかぬ男を、わざわざ自身の本拠たる芥川山城の城代に任じたのは、他ならぬ晴元だった。あらゆる群臣、とりわけ三好宗三や香西元成らが散々諫言したにも関わらず、彼は、
「芥川孫十郎が余を裏切ることはないだろう。余が取り立ててやらねば、芥川家は衰退の一途を辿って、いずれ滅亡していただろうからな」
 と言って、全く聞かなかったのだった。昨日の敵は、今日の友。今日の友は明日の敵…、といった殺伐とした戦国時代を地で行っている今のご時世で、恩義だの、信義だの、そんなものが効力を発するとは思えなかった。それに、恩義や信義が大きな威力を発揮するような男なら、義理の兄たる三好長慶に弓引くことも難しいだろう。
 結局、芥川孫十郎は形勢の有利、不利で全てを決めるに違いないのである。晴元方が優位ならば、それに越したことはないが、万が一不利にでもなれば容易く寝返りかねない男に、本拠地、それも今回の戦いで重要な戦略拠点となる土地を苦もなく預ける晴元に、宗三だけでなく、香西元成もあきれ果てたものであった。
 で、蓋を開けてみれば、何のことはない。あっけなく孫十郎は三好方に寝返り、細川政権の本拠地は、労せず、一滴の血すら流さず、三好方の拠点の一つに成り下がってしまった。
「元成、芥川山攻めはそなたに任す。三宅城も、とりあえずそなたの裁量に委ねるとしよう」
 晴元は自らの判断ミスなど、毛ほども気にする風もなく、今はただ幸先よい勝利に嬉しそうな笑顔を浮かべながら、重臣の香西元成に命を下していた。
「…それがしが、芥川山攻めを行うのですか? 御所様御自ら御出馬はなさらないのですか?」
 香西元成は、少しばかり驚きを隠せぬような顔で、ジッと晴元を見つめていた。
「たわけ。余とて、それほど暇ではないわい。榎並の越後入道(宗三)を助けることが此度の戦の最大の目的だぞ。そのためには、伊丹大和ら配下たちとも連絡を取り合わねばならん。芥川山まで出向いている余裕はない」
 と言って、晴元はにやりと、勝ち誇ったような不敵な笑みを見せた。
「されば、御所様は、如何なさるおつもりですか?」
 そんな風に香西元成が、不思議そうな顔をして尋ねると、
「ひとまず一庫城へ戻る」
 と、晴元ははっきりとした口調で言った。
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