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【雪辱編】第061章 波乱の再婚
 河内高屋の戦線は、相変わらず膠着したまま、ついに越年してしまった。
 時は天文十七年(一五四八年)になった。
 高屋城以外の世界は、細川晴元一色に染まっていた。舎利寺の合戦で晴元方の勝利が固まると、もはやこれまでと覚悟を決めたのか、近江坂本に亡命していた足利義晴・義藤親子は、恥も外聞もなく、晴元と和睦して、都に戻った。
 また、氏綱方の残党ともいうべき細川国慶(氏綱の一族)が、京に程近い高雄に立て篭もって抗戦していたが、八月四日、晴元軍がこれを攻め、翌日の日没までに攻略を完遂した。その後、国慶は丹波方面へ落ち延びていったが、そこで再び氏綱党の勢力を糾合し、十月頃、性懲りもなく再度京を目指して進撃してきたのである。けれど…。今更氏綱残党勢力をどれほど糾合してみたところで、晴元政権に太刀打ちできるはずもなく、十月六日、六角定頼の軍にあっけなく敗れた彼は、敗走途上、蒲生定秀(六角氏の重臣)の兵に捕えられ、七日、晴元の命により、斬首されてしまった。
 これにより、京都周辺は完全に晴元政権の支配下に収まって、晴元政権はようやく安泰をみたわけだ。けれど、何一つ問題が起こらなかったというわけでもない。十一月になった頃、再び、至極厄介な問題が、四国は阿波より、海を越えてやってきたのであった。
 

 阿波国には、同国守護職細川持隆の庇護の下、平島公方と呼称されながら、細々と足利家一門の格式を保ってきた足利義維(よしつな)(かつての堺公方)という男がいる。先代将軍足利義晴の実弟に当たるこの男は、晴元と将軍家の関係が上手くいっていないのを良いことに、次期将軍の座を求めて、わざわざ自ら堺に上陸してきたのであった。
 これは、一見すると単純かつ何と言うこともない問題のように見える。けれど実際のところは晴元政権にとって、これ以上ないほど厄介で、面倒極まりない政治的大問題であったりした。というのも…。まあ、要するに晴元の変節が全ての原因であった。
 かつて晴元は、細川京兆家の家督を巡り、義理の叔父である細川高国と対立していた。高国は十二代将軍足利義晴を擁立し、晴元方に対する政治的優位を保っていたわけだが、晴元としてもこうした状況に甘んじているわけにはいかなかった。高国方の神輿に対抗する形で晴元が擁立したのが、この足利義維であった。
 その後の経緯については、今更述べるまでもないだろう。細川高国を大物崩れの合戦に撃破して勝者の座を確実のものとした晴元は、無用な騒乱を避けて、自身の政権基盤を早急に固めるべく足利義晴の将軍職続投を容認したのである。これにより、当然、将軍候補としての義維は、その役目を失い…、悪く言えば用済みとなったわけで、殺されることこそなかったものの、その直後に起きた元長叛乱事件の余波もあり、阿波に追放され、今に至るのだった。
 というわけで、晴元にとり、足利義維はいろいろとやりにくい相手であった。
 だからといって、義晴・義藤親子と和睦した以上、義維を今更将軍とするわけにもいかない晴元は、京の管領御所で、一人困ったように頭を痛めていた。
 だが…。
 この深刻かつ政治的に重大な問題は、案外あっけなく解決した。というのも、足利義維の実質的な後ろ盾となっていた本願寺証如が、一転して彼に対する一切の支援を断るようになったためだった。その理由としては、義維擁立に晴元が乗り気でないことが証如にも伝わったからとされている。
 元々、本願寺証如が足利義維を将軍候補に仕立てようと画策するようになったのは、晴元方と氏綱方の対立が激しさを増していた年初頃のことであった。その当時は、氏綱方の支配下に将軍家があり、政治的正統性という点において、晴元方は大きな不利に立たされていた。それを克服するための非常手段として、阿波に逼塞する足利義維の存在に注目が集まったのは、当然といえば当然のことであった。だからこそ、証如は密かに彼を呼び戻し、将軍候補として晴元に差し出すことで、天下人細川晴元の歓心を買おうとしたのである。
 しかし、そうする前に晴元の勝利が確定し、将軍家との間で和議が成立してしまった。ならば義維を将軍候補に擁立する価値などないわけで、晴元は彼に対し、阿波へ戻るよう命じたのである。
 けれど…。
 長らく阿波の片田舎にあって、ほとんど忘れ去られた存在となっていた男が、ほんの僅かとはいえ、再び世間の脚光を浴びたのである。世間の注目を浴びる快感を取り戻してしまった男としては、表舞台に舞い戻るまたとないきっかけを、そう容易く諦められるはずがなかった。実際、阿波に戻った後も、本願寺からは度々金銭が届けられるなど、義維を勘違いさせるに十分な状況が整っていた。本願寺としては、退屈ながらも平穏な日々を謳歌していた義維を、まがりなりにも面倒な政治の世界に引っ張り込んだことに対する迷惑料的な位置づけで金を提供していたに過ぎなかったのだが、これをもって本願寺は味方だと思い込んだ義維は、空気も読まず、自分こそが正統な将軍候補だとして、堺に乗り込んだのであった。
 証如としては迷惑千万である。今更義維を支援できるはずもなく、また義維を支援しているなどと妙な風聞が立つのも困るので、早速堺に使者を飛ばし、半ば強引に阿波は平島まで送り届けることにしたのだった。


 こうして、激動の天文十六年は過ぎ去り、世の中は天文十七年一色に染まっていた。
 相変わらず、細川晴元方による高屋包囲は続いている。いくら総攻撃を仕掛けても、立て篭もる畠山勢は、容易く晴元軍を受け入れなかった。
 一方。
 三好家中に渦巻いていた熾烈な権力闘争は、新年を迎えた頃から、ようやく鎮静化するようになった。無論、根本的な解決を見たわけではないのだが、とりあえず収束の方向で事態は推移しつつあったのである。
 なぜか。
 まあ、簡単に言うなら、三好範長が事の全容を知ったからだ。範長という人は、こういう内輪の争いを極端に嫌う。彼は両派の代表を戦陣に呼びつけると、これでもかというほど、こってりと叱りつけた。その結果、両派は対立の矛を収めざるを得なくなったのである。彼の意向を無視して、引き続き対立を続ければ、もはや叱責だけではすまないだろう。範長は決して温厚なだけの主君ではない。必要とあらば、苛烈な暴君にもなる。例え家中の人間であろうとも、別段躊躇せず処刑命令を下すに違いない。というわけで、以後、両派は露骨な工作活動を行わなくなった…、もとい行えなくなった。
 けれど…。
 だからといって対立が下火になったわけではないのである。範長という強大な権力者に抑え付けられているに過ぎない。表ざたにならなくなった分、逆に、対立の火は、勢いよく燃え上がったといってもいい。
 そして、水面下では立花小太郎範政と松永久秀が、引き続き両派を代表する形で、相も変らぬ謀略工作に奔走していた。


 この一連の政争は、立花家と松永家という、範長の両翼と称えられる側近一族による熾烈な主導権争いという一面もあった。
 ただし、範長の側近として、外交交渉などで各地を飛び回ることが認められている小太郎に対し、三好軍の宿将として、高屋城から動くことが出来ない松永久秀では、当然、やれることにも大きな違いが生じてしまう。立場としては、小太郎範政の優位は、誰の目にも明らかであった。
 実際…。
 小太郎は二月の中頃のこの日も、京にあって、六角家の重臣である進藤貞治と論議を交わしていた。進藤貞治といえば、湖南の名族六角氏の家老で、主君定頼の信任厚い重臣であるだけでなく、筆頭家老後藤賢豊と共に、『六角の両藤』とも称えられているほど有能な男であった。六角家では、主に外交政策を統括しており、今風に言えば、外務大臣的な立場にあった。
 そんな男と、小太郎範政は膝を交えて密議している。元をただせば下級足軽の家に生まれた青年が、随分と出世したものであった。
「もはや、和議を結ぶ以外、高屋問題を解決に導く方法はありませぬ。というのが、わが殿の御考えにございます」
 と、小太郎範政が自信たっぷりに言えば、
「我らも同様にござる」
 進藤貞治もまた、大きく頷いた。
「されば、つきましては、六角様より和議の斡旋をしていただければ、幸いに存じます」
 試すような、実に挑戦的な瞳をして、立花小太郎範政は六角家家老の身分にある進藤貞治をぎろりと睨みつけていた。彼には、こういう悪い癖があった。なまじ身分の低い家に生まれただけに、人の実力というものを必要以上に知りたがるのだ。
「ほほぉ。我らに和議をな」
 貞治は気にする風もなく、淡々と言った。
「左様です。和議です!」
 そう言って、深々と頭を下げる小太郎を、進藤貞治はまじまじと見下ろしていた。さて、どうしたものかと、自慢の髭を、何度も何度も摩っていた。
「六角様なれば、格式は細川様、畠山様と並びます。その上、管領様の御義父上(おちちうえ)様でいらっしゃいます。和議斡旋をしていただくに、六角様ほどの適任はおられぬと、それがしは思っておりますが」
「ま、だろうね」
 貞治は否定も肯定もしない。歴戦の外交官は、のらりくらりと言い交わしつつ、小太郎の実力を測っているようであった。
「何より、和議斡旋が成功すれば、六角様の御名はますます高まり、管領様も、当然わが殿も、六角様を一目も二目も置くようになるでしょう」
「ふむ」
 小太郎範政の必死な説得に、貞治はようやくそれらしい反応を示した。それを見て、小太郎は畳み掛けるように、
「これを機会に、管領様に恩を売り、細川六角同盟を大いに強化してみては如何ですか?」
 と、言った。
 そんな小太郎の説得に心を動かされたのか、あるいは元々そのつもりだったのかは定かではないが、腕組んだまま、しばらくの間、黙り込んでいた進藤貞治は、
「それもそうだな」
 と、ついに快い返事をその口から発するようになった。
「ただ、和議と言っても、口約束では意味があるまい。…例えば、その証拠として、両陣営の実力者同士で、縁組などするのが、一般的だと思うが」
 と、進藤貞治が言うと、その瞬間、待ってましたとばかりに、小太郎はニタニタと勝ち誇ったように微笑んだ。
「それについては、それがしもいろいろ頭を悩ませていたところです。…確か、遊佐河内守には年頃の姫がおりますので、これをわが陣営のどなたかに嫁がせればよいと思うのですが…。ただ、管領様には、六角様の姫君様が嫁がれておられますし、また管領様に御子はない。宗三入道様は、入道なされてからの妻帯というのは、御仏の教えに反しておりましょう。入道様の嫡子の政勝様は、未だ十二歳と若く、河内守の姫とは全くつりあいませぬ。…となると、誰がよいものかと、ずっと考えあぐねておりました」
「なるほど」
「進藤様は、誰かよき人など思いつきませぬか?」
 露骨に芝居がかっている小太郎の物言いに、進藤貞治は呆れたような溜息を漏らしつつも、
「お一人、いるではないか」
 と、わざと乗ってやることにした。
「貴殿の御主君。三好筑前守様でござるよ」
 貞治はそう言って、にやりと笑った。
「さ、されど、わが主君にも正室はおりますわけで…」
 白々しい物言いが、随分小面憎い。仰々しく驚く小太郎の姿を睨みつけながら、何から何まで自分に言わせるつもりかと、内心反発しつつ、
「御正室と筑前様の御仲は悪いと聞き及んでおりますがな」
 と、答えずにはいられないところが、進藤貞治の悪い癖であったりした。
「な、なるほど…。い、いや、御夫婦のことは、主家のことゆえ、それがしには分かりかねます。た、例え、御仲が悪いとしても、それがしの一存にては決められぬこと。…再び殿の下に戻り、きっと進藤様が御助言、殿のお耳に入れましょう。ゆえに、和議の証としての婚姻はともかく、和議斡旋の一件、六角様によろしくお伝え願いたい」
 などとすっかり狼狽した忠臣を装いながらも、そんな風に言ってのける小太郎の凄まじさを痛感しつつ、進藤貞治は、にこりと微笑み、そして静かに頷いた。


 四月に入り、六角定頼が主導する形で進められた和議話は、いよいよ現実味を帯びて、両陣営の中にて(まこと)しやかに囁かれるようになった。
 実際のところ、このまま高屋城を延々と攻めていても、埒が明かなかった。既に八ヶ月近くに渡り、退屈な城攻めを繰り返している兵たちの戦意低下も著しかった。ここらで和議にこぎつけなければ、何かと厄介な問題が起こりかねないのだ。
 で、四月に入った頃、三好康長を全権代表、松永久秀らを副使とする晴元方の代表団は、何度か畠山方と六角家の代表団を交えた席で、和睦に向けた具体的な協議を重ねていたが、三度目となる協議の中で、
「和睦の証として、遊佐河内守殿の姫君を三好筑前守殿の御内室にするというのが、最良策だと、我らは考えます」
 と、六角方の全権代表後藤賢豊が切り出すと、事は一挙に片付いた。畠山方全権の安見直政(遊佐長教の一族)などは、
「それは良い」
 と、諸手を挙げて受け入れる姿勢を示し、寝耳に水の話に呆然と驚くばかりの晴元方代表の反論を許さなかった。


 そのことは、康長より範長に伝えられた。
 当然、松永久秀は猛反発した。
「既に御屋形様には、波多野家より降嫁された姫が御正室としておられましょう。それなのに、新たに遊佐家より正室を入れれば、丹波御前の立場はどうなりますか。…離縁するより他に仕方ありませぬが、左様なことをいたせば、波多野秀忠殿を敵に回すことになりかねませぬぞ」
 彼の言い分も、至極尤もではある。けれど、その程度で押し切れると思ったところに、久秀の甘さがあった。彼は、少しばかり小太郎範政という人間を甘く見すぎていたのだ。今回の縁談は、何も唐突にもたらされた話ではない。立花小太郎範政が各地を必死に駆けずり回って、懸命に工作した結果生み出されたものなのだ。そんな範政が、主君たる範長や、有力な重臣たちへの対策を怠っているはずがなく、気づいてみれば、縁組に対し、明確に反対を貫いたのは松永久秀ただ一人だけであったりした。
「波多野家が離反したくば、させればよろしいではありませぬか。所詮、波多野など丹波の有力な豪族に過ぎませぬ。一方、遊佐河内殿は三管領家に連なる畠山家の筆頭家老。どちらと結ぶのが得策か、赤子でも分かる簡単な計算でしょう。…この際です。遊佐河内殿と手を結び、いざというときに備えるのも、一興かと思います」
 小太郎範政は、勝ち誇ったような顔をして、そう言った。
「だが、波多野家が離反すれば、せっかく保たれている丹波の安定は一朝一夕のうちに揺らぎかねん!」
 ひとたび反対姿勢を貫いたからには、どこまでも反対を貫かねばならなくなった久秀に出来る唯一の反論は、まるっきりまともすぎて、意外性は全くなかった。それでは、立花小太郎が時間をかけ、多大な汗を流して作り上げてきた、遊佐河内の娘との結婚に踏み切らざるを得ないような雰囲気を突き崩すことなどできようはずもなかった。
「立花殿が仰るとおりでござる。遊佐家との同盟も面白い策ではあります。それに、遊佐殿は、先君元長公の仇ではありますまい」
 かつて波多野家が晴元軍に従軍して、三好元長討伐の陣に加わったことを痛烈に皮肉りつつ、立花支持を明確に打ち出したのは、三好一門の重鎮として範長の信任厚い三好長逸であった。その他、三好政康や三好政成ら有力な一門衆も口を揃えて、小太郎支持に回ったので、松永久秀の不利は誰の目にも明らかとなった。
 そして…。
「それも一つだな」
 と、一門衆筆頭にして重鎮中の重鎮たる三好康長までもが、小太郎に靡いたものだから、久秀の敗北は決定的となった。


 かくて四月二十二日。
 三好方からは、三好範長、三好之康、三好康長。
 畠山方からは、畠山政国、遊佐長教。
 六角方からは、六角定頼、進藤貞治。
 彼らが、奈良の町に一堂に会すると、早速和睦に向けた具体的な協議が始まった。とはいえ、基本的な和睦内容は、これまでの実務者協議でほぼ決まっていたから、今回の首脳会合は、一連の和睦案を精査、確認し、正式に調印しあうものでしかなかった。
 かくして、和議は成立した。
 高屋城は攻囲を解かれ、四月二十四日、三好範長は堺に入り、五月二日には、ようやく越水城に戻ったのだった。
 そして…。
 三好範長と遊佐長教の姫が、正式に結婚したのは、五月中頃のことである。その式典は、三好家の権勢と、三好・畠山の友好関係の強さを満天下を示すべく、盛大に執り行われることになった。
 ただ、それに伴って、波多野家の御台所は事実上離縁され、国許に送り返されることになった。その結果として、三好家と波多野家は、至極当然のように不穏な関係に陥り、丹波摂津国境及び波多野、内藤の境界線は、俄かにきな臭い戦雲に包まれるようになった。
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