【雪辱編】第053章 丹波擾乱
この頃、丹波を巡る情勢は、いよいよいっそう、不穏の度を増していた。
というのも、丹波八上城城主である波多野秀忠が、武力上洛を果たした上野源五郎を討伐すべく、全軍を挙げて出陣したからであった。波多野氏は丹波守護代職を勤める内藤氏に匹敵する丹波国最大の土豪であり、また内藤氏とは、長年に渡り同国の覇権を巡って抗争を繰り返してきた犬猿の仲でもあった。
その波多野氏が国許を空けたのだ。虎視眈々、彼の領地を狙っている獰猛な狼が、このまたとない絶好機を、みすみす見逃すはずがなかった。
「八上城は今やもぬけの殻だ。攻撃するなら、今しかあるまい」
言わずもがな。かく叫んで、満面に笑みを浮かべていたのは、丹波八木城主にして同国守護代の内藤国貞であった。
「兵を集めよッ! これより直ちに八上城に攻め入り、これを攻め落とすのだッ!」
今しかない。内藤氏累代の宿願たる丹波統一を果たすのは、今をおいて他にない。
時は今!
内藤国貞はスクッと立ち上がり、落ち着きなくあちこちをきょろきょろと動き回った。
やる気は十分。自信満々。
内藤国貞は高ぶる気持ちを隠そうともせず、先祖代々の陣羽織を羽織ながら、いつになくニタニタと不敵な笑みを漏らしていた。
「くっくくく。今回こそ波多野を踏み潰してくれるぞ」
国貞の本音はともかく、建前としては、あくまで、かつて三好宗三によりでっち上げられた謀叛騒動の際に、波多野家に横領された領地を奪還しようとしただけ…、ということになっている。けれど、状況が状況だけに、養子である長頼は、
「左様なことをすれば、三好家を敵に回すことになりまする。お控え下さりますよう」
と、必死に諫言していたが、国貞は一切耳を貸さなかった。
「…黙れ! 三好が何だというのだ。せっかく丹波を統一できる絶好の機会だというのに、それをみすみす見逃せと申すのかッ!」
雷が落ちた。そのとき、長頼はそう思った。
国貞の怒りは、彼の想像を遥かに超えていた。
無理もないとは思う。波多野を滅ぼし、丹波国を統一することは、内藤一族の悲願であった。長頼とて内藤家に婿入りした時点で、いつの日か丹波の統一を実現したいと思っていた。そして今、その絶好機が目の前に転がっているというのに、駄目だといわれれば、誰だって怒るだろう。が、国貞の怒りの原因がそれだけではないことを、長頼は薄々察していた。
「所詮、三好の間者のくせに…」
国貞のぼやき声も、長頼の耳には凄まじき大音声の如く聞こえた。
国貞にとって…。今となっては、三好家より迎え入れた、この養子が何より疎ましくて仕方がないのだ。三好との関係が疎遠になるにつれ、長頼はもはや養子ではなく、三好から差し向けられた目付役、間者のように思えてならなかった。自分から請うて貰い受けたにも関わらず、国貞は、厄介者を押し付けられたような気がして、どんどん彼に対する不満を募らせていった。
その上、今回の諫言である。波多野から領地を奪回し、彼に目にもの見せてやると息巻いていた国貞は、ついに我慢の限界を超えたものらしく、凄まじき剣幕で激怒した。
「所詮、あれは三好の間者に過ぎんのだ。これまで我慢して養子としてきたが、何で三好の手先、それも卑賤の生まれの輩に、名族内藤の家督を譲らねばならんのだ」
と、散々怒鳴り散らした挙句、家臣に命じて、内藤長頼を捕縛し、拘束するよう命じたのである。その上で、嫁がせてあった娘とも離別させ、内藤姓を剥奪してしまった。
内藤国貞は、長頼だけでなく、多くの家臣たちが止めるのも聞かず、六月、波多野征伐と称し、総勢六千の大軍を従えて八木城を発した。
名目としては、守護代に従わぬ不届き者を成敗する、という形をとっているが、波多野秀忠の後ろに三好範長がいる以上、丹波の国人たちは、去就に困った。
ただ、国貞には自信があった。三好と密接に繋がる波多野家を潰すことは、即ち三好の勢力を削ぐことに繋がるわけだから、三好の勢威に恐怖している細川晴元や三好宗三の支持が得られるに違いない。彼らが支持してくれれば、如何な範長といえど、容易く波多野の支援には乗り出せないだろう。範長さえいなければ、波多野家などは敵ではない。などと一人皮算用しながら、彼は悠々と軍を進めていた。
だが、従っている家臣たちは、余裕綽々の彼とは裏腹に、不安でいっぱいだった。
何しろ、国貞は、必ずそうなるに違いないと信じて、晴元や宗三に対し、事前の根回しすら怠っていた。彼らは自分の味方につくに違いないという希望的観測のみで動いている主君を見ていれば、誰しも不安に思うのは当然だった。
「殿は、筑前殿を侮っている」
家臣たちは、不安と不満をない交ぜにした顔で、主君たる国貞を睨んでいた。
「あのお方は、自分の利益になると分かれば、親の敵とも躊躇なく手を結ぶ人だぞ。管領様や宗三入道様をも味方に取り込んで、我らのほうに向かってくることは、十分考えられるのに」
と、皆思っている。だが、それを率直に言ったがために、養子の長頼は、養子たる身分を剥奪され、さらには八木城内に収監されてしまった。その他多くの重臣たちも同じような憂き目にあっている。だから、誰も何も言えなかった。ただなるようになれと、半ば自暴自棄のような心境で、事態の推移を見守るより他に仕方がなかった。
内藤勢と波多野勢は、六月三日に決戦し、これは内藤勢の勝利に終わっていた。というのも、波多野秀忠の本隊が未だ帰還しておらず、留守居の兵だけで応戦せざるを得なかったからだが、国貞は、この勝利を大っぴらに喜び、大いにはしゃいで、しばらくの時間を無意味に浪費してしまった。
その間に、波多野秀忠本隊は八上城に戻り、迎撃準備を整えた。そして六月十五日、秀忠は、総勢四千の手勢を従えて出陣し、十六日、内藤軍と再び決戦したのだった。
この戦いは、押したり押されたり、とにかく延々と三日ほど続いたが、実質的な引き分けに終わった。ただ、波多野軍を撃破することができなかったことで、堅城と名高き八上城を攻め落とすだけの力を失ってしまった内藤勢は、やむなく関城(現京都府船井郡日吉町辺り)に立て篭もって、態勢を立て直さざるを得なくなった。その後、猛然と押し寄せてきた波多野勢と、連日に渡り、愚にもつかぬ小競り合いを繰り返していたが、明確な勝敗がつくでもなく、ただ無為に兵と矢玉と時間を浪費するばかりであった。
「これでは、丹波統一どころではないぞ」
そんな具合だから、重臣たちだけでなく、ついには下級足軽に至るまで、そんなことを噂しあうようになった。このまま無駄な長期戦を強いられていれば、いずれ三好範長が乗り出してくるだろう。そうなれば内藤勢に勝ち目などあろうはずがない。
三好範長が出兵したのは、七月も中頃に迫った頃のことだった。
逆に言えば、それまでの間はさしもの範長も動けなかったのである。
というのも…。内藤氏への対応を巡り、徹底して討伐すべしと主張する範長に対し、あくまで内藤国貞の肩を持つ細川晴元、三好宗三の間で、延々と、飽くなき小田原評定が繰り返されていたからであった。
「御所様、なりませぬぞ。内藤攻めなど断じてなりませぬ」
と、宗三は散々晴元にそう主張していたわけだが、
「先の上野源五郎の叛乱の背後に、内藤国貞がいたことは、もはや動かし難き事実ですぞ」
という範長の意見のほうが、晴元の心を動かすに大きな力を持っていた。
かくして最終的には範長の主張に、晴元が折れる形で、内藤征伐が正式決定することになったのであった。
今の晴元は、反三好としての内藤、親三好としての波多野、といった複雑な相関図など、全く眼中になかった。それよりも、至極単純に、自分に楯突いた内藤に対して…、その楯突いたという行為に対し、凄まじき怒りを燃やしていたのだった。
範長にとっては、そうした彼の単純さは、説得する上で実に好都合だった。兎にも角にも、幕府管領細川右京大夫晴元の号令の下、範長は総勢一万五千の軍をまとめ、丹波へ急行したのである。副将に三好宗三が付けられたのは、彼が望んだことというより、晴元の命であり、何より宗三自身が望んだことでもあった。
関城に立て篭もる内藤国貞は、そこで三好軍が都を発したことを知った。
総勢一万五千という。
主将は三好筑前守範長、副将兼軍監が三好越後守宗三だと聞いたとき、内藤国貞は当然のように絶句し、精気が抜けたかのごとく、呆然と青ざめていた。
「にゅ、入道殿が筑前の副将だと?」
信じられぬといった様子で、がっくりと項垂れている。
「それも、管領殿の正式な命を帯びた、紛れもなき『幕府軍』にございます」
酷く冷め切った顔をして、側近たちは眼前で無様に狼狽する主君をどこまでも見下しきったような目で見つめている。
「如何なさいますか? 管領殿、筑前殿を敵に回した今、我らに勝機はありませぬ」
「…しょ、勝機がないだと? い、戦は、やってみねばわからん」
この期に及んでなお、必死に強がっている国貞を見て、家臣たちはどれも「はぁ」と、大きな溜息を吐いた。
「殿…。今一度、よく御考えください。管領殿と筑前殿を敵に回したということは、即ち畿内全土を敵としたのと同義です。丹波一国すら支配しきれていない我らに、勝ち目などあるとお思いですか? 勝負以前の問題です」
「…」
「このまま戦となれば、御当家に将来はありませぬぞ」
家臣たちの、冷たくも厳しき言葉に、内藤国貞はへなへなと、力なくその場に倒れこんだ。そして、
「どうしたらよいのだ?」
と、藁にも縋るような気持ちで、そう尋ねるのだった。
「手なら、ないわけではありませぬ」
家臣たちは、皆、口を揃えて言った。
「殿が、開戦前に幽閉した長頼様を、今一度養子に戻し、長頼様に仲介を頼むのです。長頼様は、何より筑前殿の寵臣でございますし、兄に当たる松永久秀殿は、筑前殿第一の側近といってよい御方でございます」
「…な、長頼に頼むのか?」
余り気乗りしないのか、国貞は腕組みしながら、「うーむ」と唸っている。だが、「それ以外にありませぬぞ」と、口をすっぱくして主張する家臣たちの言葉に、国貞も、ついには観念せずにはいられなかった。
「八木城に使者を出し、長頼を解放させよ。長頼の口添えで、筑前殿の怒りを和らげるのだ」
とだけ言うと、国貞は、がっくりと項垂れ、「ははは」と、精気なきから笑いを、いつまでも、誰に対するでもなく吐き続けていた。
内藤姓を剥奪され、松永長頼に名を戻していた彼は、国貞の命により出獄すると、かつての養父の指示に従う形で、兄久秀と、主君範長宛に、二通の書状を記した。
あくまでも、表面的には従順な養子を貫いているが、彼の本心は、別にあった。
「御屋形様を裏切り、俺を幽閉するような男は、もはや親父殿とは思わぬ。親父殿がその気なら、俺も俺でやるのみだ」
と、薄暗き土牢の中で一人心に誓っていた彼は、出獄するなり、まず、これまで親しくしていた家臣たちに手を伸ばした。彼らを一人でも多く味方に取り込み、その武力をもって養父国貞の支配から独立するつもりでいたのだ。
そして、内藤国貞を見限り、松永長頼へ随身する者は、案外多かった。三好の大軍がひた押しに迫って、内藤家そのものが絶体絶命の窮地に追いやられている以上、家臣たちが御家安泰を賭けて、三好氏と繋がり深い養子長頼に期待を賭けたのも無理なきことであった。長頼自身にとっても予想の範疇だったと見えて、大勢の家臣たちが彼の前に平伏しても、別段驚いたり、喜んだりはしなかった。さも当然のような顔をして、
「以後は、俺が内藤家を率いる。無能な親父殿に全てを委ねることはできぬ」
と、堂々と宣言していた。
「異議ある者は、この場にて名乗りでよ。構わんぞ。処罰はせぬ。だが、この八木城に留まることは許さぬ。即刻城を出、関城の親父殿の下へ向かうがよい」
そう言われて、「異議あり!」と唱えられるほど、度胸ある者などいるはずもなかった。どれも、三好範長という強大な力を背後にちらつかせる長頼に対して、絶対の臣従を誓うと、もはや関城の国貞のことなど忘れ去ったかのような顔で、
「長頼様万歳!」
と、唱えていた。
七月二十五日。
内藤国貞が立て篭もる関城は、総勢二万にまで膨れ上がった三好軍により完全包囲された。各地の丹波国人衆を糾合しつつ、その兵数を大幅に増やした三好軍であるが、中でも、内藤国貞が八木城に残してきたはずの守兵が、養子である松永長頼に率いられて参陣したという事実は、丹波諸侯の度肝を抜くに十分だった。
そして、七月二十七日。
内藤国貞は、白装束を纏って、僅かな配下のみ伴い、城を出た。当初はもはやこれまでとばかり、丹波守護代、名門内藤家当主としての意地を賭けて徹底抗戦する覚悟を決めた国貞であったが、三好の大軍を見るに及んで、何より兵たちの戦意が低下し、脱走兵が相次いだ。挙句、三好方の一員としてやってきた長頼の調略工作により、家臣たちが次々と切り崩されると、彼もついに観念せざるを得なかったのである。結局、僅か二日で、丹波守護代及び内藤家当主としての意地を全面的に取り下げると、この日、二万人の包囲軍の頂点にでんと構える筑前守範長に謁見し、深々と頭を下げて、無条件降伏の代償として、諸将の面前にて謝罪したのだった。
「内藤国貞」
三好筑前守範長は、その鋭くも冷たい視線で、じろりと国貞を見下ろした。
「余はそなたが嫌いではなかった」
「…」
「つまらぬ誤解が、此度の騒乱を招いた。その責は、そなたにも、そして余にもあるだろう。…だが、余は勝って、そなたは負けた。世の中、勝ち負けが全てだ。勝てば官軍とはよく言ったものだが、まさにその言葉どおりなのが、この世の理」
「…」
「だから余は、勝者として命じる。心して聞け!」
そう言って、ハァと大きな溜息を吐く範長に、国貞は恐る恐る、再び頭を下げた。
「これまでのそなたの功績を鑑み、領地一切は引き続き安堵しよう。だが、此度の戦で波多野殿より奪い取った占領地は返還すべきこと。これが、内藤家に対する沙汰である。続いて、内藤国貞に対する沙汰だが…」
「…」
「国貞の稚拙な判断により、此度の騒乱が引き起こされた責は大きい。ゆえに、隠居謹慎を命じる。跡目については、養子である内藤備前守長頼に引き継がせることとする」
きっぱりとした口調で、範長は断言した。そして、その瞬間、国貞は、がっくりと肩を落とした。
「な、長頼に…」
これまで必死になって作ってきたものが、全て音を立てて崩れていくような、なんともいえぬ無気力感が全身を包み込んだ。時折、がたがたと五月蝿く響く障子の音さえも、哀れな自分を嘲笑っているように聞こえた。
範長は、哀れなかつての同志をじっと見つめつつ、おもむろに側に控える立花小太郎範政に目をやると、彼は阿吽の呼吸で立ち上がり、蹲る内藤国貞を強引に連行していった。
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