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【雪辱編】第050章 範長の寵臣
 十一月二日。
 三好範長は、氏綱討伐の結果を芥川山の晴元に報告した後、ようやく居城越水へ帰還した。
 ここずっと戦いの連続だった彼にとっては、久方ぶりの居城である。彼にとって気がかりなのは、妊娠中の雅の方のことであり、帰城するなり、一ヶ月ほど前に産まれたという姫に会うべく、西の丸御殿へ急いでいた。
「御元気な姫君様にございますよ」
 と、お福が嬉しそうな顔をして言うと、
「左様か!」
 範長もまた、興奮を隠し切れぬ面持ちで、そこにすやすやと眠っている可愛い、二人目のわが子を見つめた。


「又右衛門、お主にとっては孫が出来たわけだ。嬉しかろうな」
 越水城表御殿の一角で、範長は眼前に平伏す側近の立花又右衛門を冷やかしていた。
「ははは、初孫でございますから、嬉しゅうございます」
 又右衛門はそんな風に言って、にこりと笑う。その嬉しそうな笑顔に、範長も思わず楽しくなった。
「姫だぞ、姫。行く末は、有力な大名家の奥方様となる身の上だ。お主は、どう思う?」
「どうと仰せられましても、まだ生まれたばかりの孫にございますから、結婚などと、なかなか想像できぬものです」
「ははは、左様か」
 範長は豪快に高笑いし、又右衛門は恥ずかしそうに苦笑いした。
 何と言っても、今回誕生した雅の方の娘は、三好筑前守範長の堂々たる姫君様なのである。又右衛門は不思議な気がした。元来、立花家などというものは、先祖代々三好家に仕えてきたとはいっても、その身分家格は取るに足らない下級武士に過ぎなかった。それが、娘お雅が範長に見初められ、以後急速に側近として頭角を現したわけだが、ここ数年の日々は、ずっとうだつの上がらぬ下級武士生活を送ってきた又右衛門にとっては、まさに夢の如き時間であった。そして、今や、又右衛門だけでなく、嫡子の小太郎も、範長の寵愛を一身に受ける御小姓として、国政の枢機に携わるようになっている。
「それはそうと、又右衛門。そなたに一つ頼みたいことがあるのだが、よいかな?」
 ふと、真剣そのものの顔をして、範長は又右衛門の温和な顔を見つめた。
「今年、ようやく一歳となったわが子千熊丸だが、まだ傅役(もりやく)など具体的なことを一切決めてこなかった」
「…はい」
「そこで、そなたに傅役として、千熊を指導してもらいたいと思うのだが、どうかな?」
「も、傅役ですか? こ、この私が、わ、若君様の?」
 驚きを隠しきれぬといった様子で、素っ頓狂な声を張り上げる又右衛門に、範長は平然と、ニコニコと笑っていた。
「で、ですが、私の出自は余りに低く、と、とても若君様の傅役なる大役は…」
 と、恐縮そうに頭を下げる彼に、
「気にするな」
 と、範長は言った。
「身分低きことは、断る理由にはならんぞ。というより、余としては、そなたの出自の低さというものも、一つの能力として、買っているつもりなのだ」
「…」
「わが子というのは、やはり何より可愛い。だが、そんなわが子だからこそ、いろいろな経験を積ませてやりたいと思うのも、親心だとは思わんか。…もし、千熊に身分高き傅役など付けてみろ。身分高い家に生まれ、身分ある者に育てられたのでは、高い身分しか知らぬ狭量な人間に育ってしまうだろう。わが三好家は、公家になりたいのではない。いずれは天下の民を治める、この国の王になりたいのだ。民の大半は、身分低き者だろう。民のことを知らぬ王に、いったい何ができる。余の後を継ぐ嫡子なれば、様々な環境に身を置かせて、いろいろと学ばせたい。いっそ、許されるなら、しばらくの間、城から追い出して、下々のところで生活させてもよいと思っているぐらいなのだ」
 などと範長は言うのである。正論だと、又右衛門も思う。ただ、範長ほどの男、それこそ天下に大手をかけんとしているような実力者=高貴なお方の口から、そんな言葉が聞けるとは夢にも思っていなかった又右衛門は、ただ呆然と、驚いていた。
「ま、お主を傅役に回した後の、余の相談相手には、そなたの息子の小太郎に任せる。そなたは安心して、千熊の養育に力を注いでくれ。それと、千熊の傅役ともあろう者が、微禄では、他に示しがつかぬ。ゆえに、立花家に摂津のうちより五百石を加増してやろう」
「は、はぁ」
 有り難い沙汰ではあるが、全く夢のような気がして、又右衛門は卒倒しそうになった。ただのうだつの上がらない足軽から、一躍五百石取りの、三好家世子傅役に栄達したのだ。息子は引き続き主君の側近として仕え、娘は、主君の愛妾として、その寵愛を一身に受けている。
 幸せすぎて、いずれ災いなど一挙に降りかからねばよいものだと、少しばかり恐怖しつつ、又右衛門は思いもよらぬ幸福なひと時を心の底から味わうことにした。


 それから、再び月日はめまぐるしく流れていき、時は、天文十三年(一五四四年)六月になった。
 細川氏綱党の乱が終息して、以来半年以上の月日が流れたが、世の中は不気味なほど平和そのものだった。範長も摂津越水城にあって内政に励んでいるし、細川晴元も、ここ最近は政権の基盤固めに必死といった様子であった。
 世の中もせっかく平和になったので、三好範長は、亡父三好筑前守元長の十三回忌を盛大に執り行うことにした。これまでは、戦をはじめいろいろと忙しなき日々が続き、三好家を挙げて法要を行うということは難しい状態であったが、今年はそういう問題もなく、また三好家にも盛大な法要を行うだけの財政的余力が身についてきたこともあり、範長はこの際、三好の力を満天下に示すべく、空前絶後の法要を催すことにしたのだった。
 そして、その一切を取り仕切ったのは、立花小太郎であった。御小姓衆の一人から、法要奉行的な立場を任せられると、そのために必要な資金を調達すべく、堺に出向いては、豪商たちと折衝を重ね、最終的には潤沢な資金を持っている本願寺にも資金提供を要請すべく、石山御坊にまで足を運んだ。
「法主様におかれましては、是非、此度の法要のための費用をお貸しいただきたいのです」
 きりっとした、如何にも有能な青年といった雰囲気を全身から醸し出している小太郎青年は、三好家の特使として申し分ない迫力で、法主たる証如に迫っていた。
 証如は、筑前守範長の代官としてやってきた青年を、じろりと見下ろしている。例えどんな相手であろうと、決して臆することない彼の度胸に、若き高僧は思わず苦笑いした。お互い、知らぬ仲ではない。去年、証如に初めての男子(後の本願寺十一世法主顕如=本願寺光佐)が産まれたとき、その祝いとして、無数の財物を持って石山御坊にやってきたのが、この立花小太郎であった。無論、その折の小太郎の立場は副使に過ぎず、正使は三好康長が勤めていたが、とにかく、その折からの知り合いであった。
「君も変わらんね」
 そんな風に証如が言うと、
「僅か一年やそこらでは、人間容易く変われませぬ」
 小太郎は平然とした顔で、そう返した。
「ま、だろうがな。…ま、よかろう。銭のことなら、わしに異存はない。いくらでも用立ててやろう。他ならぬ三好筑前殿が頼みとあらば、断るわけにもいくまいしな。わが倅が生まれた折の借りもあることだし」
 観念したように、にやりと不敵な笑みを漏らす法主は、ゆっくりと立ち上がり、下座に平伏す小太郎の下へ厳かに歩み寄った。
「ま、くれぐれも筑前殿によろしく頼む。…ま、それにしても、かつて元長殿を葬り去った張本人である我らが、元長殿の法要の支度金を出すというのも不思議なものだが、ま、仕方あるまい。今をときめく筑前殿に、親の仇と恨まれてはかなわんからな」
 などと豪快に高笑いする彼に、立花小太郎は思わず苦笑いした。


 石山御坊を去った後も、立花小太郎は大いに忙しかった。
 まず法要が催されることになっている和泉国は顕本寺に赴き、自らその下準備を取り仕切った。三好の威信を注いで行われる法要だから、ほんの些細な落ち度とて許されないのである。だから、その責任者となっている小太郎は、それこそ死に物狂いだった。
 法要担当の奉行に任命されて以後の立花小太郎は、尋常ならざる多忙の中にあった。
 ある時は、天下に名高き高僧を招くべく、法華の有力な寺院を駆け巡った。またある時は、各地の諸侯の下に精力的に赴き、あるいは文を飛ばしたりして、法要への参列を求めた。それらしい贅沢な調度品を調達すべく、堺、京都をはじめ、あちこちを飛び回ったりもした。それこそ、体が二つ三つあっても足りるものではないほどの多忙さであったが、これは主君より与えられた崇高な使命なのである。何としても成し遂げて見せると、若き彼は大いに燃え上がっていた。
「六月二十日まで、後数日。余り残された時間はありませぬな」
 と、小太郎の補佐役となっている和田新五郎という男は、苦りきった顔をして、溜息混じりにぼやいていた。
「ふん。後、三日もあれば全て滞りなく終わらせてみせるわい」
 小太郎はどこまでも大いに強がって見せたが、寝る暇なき忙しさの反動か、ここ最近の彼の顔色は誰の目にも明らかなほどに悪かった。それでも、「大丈夫だ」「平気だ」と言って聞かない彼は、ついに力尽きてその場に卒倒した。
「ほら、言わんことではありませぬ。立花様は、ひとまずお休みになられませ。医者も、過労ゆえ、一日も休めば大丈夫だろうと申しておりましたぞ」
 和田はそんな風に言って、クスクスと笑った。
「たわけ! 今日にも都に上って、公方様が参列に応じるよう、幕府の役人どもに根回しせねばならんのだぞ。寝ていられる暇などあるものか」
 と言って、小太郎は精一杯の力を振り絞って起き上がった。その顔は、げっそりと痩せこけて、おぞましいほどに蒼ざめていた。範長に愛された端正な顔立ちの面影などどこにもなく、骸骨の如く成り果てた形相に、和田新五郎は苦笑いせずにはいられなかった。
「幕府への根回しならば、この和田新五郎にお任せあれ」
「…」
「これでも、それがしは幕府には顔の広い男ですぞ」
 などと、誇らしげに胸を張る和田に、小太郎は「ふん」と、呆れたように鼻で笑った。
「ま、構わぬ。だが、余り女子は利用するなよ。巷では、『女たらし』などと評されていい気になっているそうだが、女子のことで問題になったことも、一度や二度ではないだろう」
「ははは。ご心配なく。『女たらし』の力は、いざというときのみ使うことにいたします。基本は正攻法。…何の。幕府の役人を口説き落とすことぐらい、この新五郎にかかれば、赤子の手をひねるより容易いものでござる」
「…ならいいが」
 その巧みな弁舌と、天下無双の美男子と評されるほどの端正な顔立ちを武器に、下級武士から、一躍範長の小姓衆に列するまでになった和田は、自分の能力に絶対的な自信を持っていた。小太郎にとっては、同じ小姓仲間で、弟分といった存在だが、幾たび彼の女子を巡る騒動に巻き込まれ、そのたび、彼の尻拭いをさせられてきたか分からなかった。それだけに、一抹の不安をその胸に抱きつつも、病身の彼は、もはや和田に全てを託す以外の道はなかった。


 六月二十日。
 顕本寺では、この世のものとは到底思えぬほど、壮麗壮大盛大な法要が、三好家主催の下に執り行われていた。
 金に糸目はつけず、ただひたすら三好家の勢威を満天下に示すことだけが目的の法要には、将軍足利義晴の代理として、重臣の伊勢貞孝(政所執事)、蜷川親俊(政所代)らが参席したほか、管領細川晴元の代理として、細川元常(和泉守護)、細川持隆(阿波守護)らの姿もあった。他に近江の六角定頼の代理として進藤貞治や後藤賢豊が参列し、また丹波の波多野秀忠、内藤国貞・長頼親子、摂津の伊丹親興、三宅国村、塩川政年、大和の筒井順政(筒井順昭の代理)、柳生家厳など、各地の有力豪族たちが勢ぞろいしていた。また、先の氏綱騒動以来三好家と対立していた河内畠山家からは、世論のあらゆる予想を裏切る形で遊佐河内守長教自らが参加し、諸侯たちの話題をさらっていた。
 無論、主催者たる三好範長以下、三好之康、安宅冬康、十河一存、三好康長、三好長逸、三好政成、三好政康…、といった三好一門衆や、岩成友通、篠原自遁、大西出雲守、松永久秀、立花又右衛門・小太郎親子など、三好配下の有力部将の姿もあった。
 まさしく、三好の総力を傾注した大法要であった。中には、これほどとは想定していなかった者も多かったと見え、
「これが、三好筑前守殿の勢威か…」
 などと、改めて三好家の凄まじさを痛感し、震え上がっていた。 
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