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【雪辱編】第049章 氏綱敗走
 堺の戦いに敗れた細川氏綱だが、その高ぶる戦意に、衰えは一切見えなかった。
 とはいえ、戦いを続けるにも、先立つものは必要である。目下、何より必要なのは軍資金と、兵糧であった。
 けれど、堺衆は氏綱の借財要求を却下し、晴元方、特にその中核を担っている三好範長への従属姿勢を強めていた。ならばと、氏綱は本願寺に兵糧、金銭を融通してもらうべく、石山御坊に使者を派したが、こちらも三好家に気兼ねしたのか、八月三日、法主証如の名を以って、
「我らの金、米は、皆、門徒たちの共有財産である。それを寄越せとは、実に迷惑至極である」
 と、明確に拒否してきた。


 氏綱の戦意が衰えることはなかったが、軍資金、兵糧の不足が目に見えて深刻化してくると、氏綱軍は見る見る弱体化していった。やむなく畠山家へ再度使者を出し、支援してくれるよう要請したが、畠山方と氏綱方の繋がりを疑っている範長や、三好宗三の厳しい監視の目が光る中では、大っぴらな支援は非常に難しかった。
 おりしも、季節は八月である。
 氏綱方は、夏の暑さにやられたか、すっかり干乾びていた。金もなく、兵糧もないのでは、どうしようもなかった。兵は逃げ、残った者の士気も大幅に減退している。
「…もはや、賭けに出るより他に仕方がありませぬな」
 と、藤賢が言うと、氏綱も静かに頷いた。
「我らの力の程を満天下に示してやれば、金など、我らが望まずとも、嫌というほど手に入ろう。…何としても、我らの武威を天下に見せ付けてやらねばならぬ」
 氏綱はそんな風に力強く叫ぶと、早速全軍に対し、出陣準備にとりかかるよう命じた。


 一方、八月十六日。
 三好筑前守範長は、総勢一万の大軍を従えて、堺に上陸していた。先の堺の戦いをきっかけに、ようやく氏綱討伐に本腰を入れ始めた細川晴元直々の命令によるものだった。
 堺衆は、慌しく範長の下にやってきて、その武威を称えつつ、軍資金として、莫大な銭を競い合うように献金した。範長の将来性を認めた彼らの、浅ましいまでの処世術に、三好筑前守範長は、すっかり呆れていた。
 二十一日。
 範長は、軍議を開いた。
 集まったのは、総大将たる範長を筆頭に、副将の三好康長、安宅冬康以下、三好長逸、三好政成、三好政康ら有力な三好一門衆と、岩成友通、篠原自遁、波多野秀忠、松永久秀、内藤長頼ら主だった三好家諸将が中核を占めていた。そのほか、晴元配下の日根野景盛や、松浦興信の姿もあった。
「まずは細川氏綱の完全な討滅が急務である。だが、槇尾寺には、依然として数千の兵が、氏綱に従ったままである。報告によれば、紀伊の根来寺宗徒たちが、本格的に氏綱支援の兵を挙げるつもりであるという。こうなると、我らとしても不利は否めぬ」
 総大将として、範長は居並ぶ諸将をじろりと見回した。そのほとんどを占める家臣たちは、
「先制攻撃あるのみ!」
 と、頼もしくも血気盛んな言に終始していた。
「日根野殿、松浦殿のお考えは如何に?」
 範長は、そう言って評定の片隅に放置されていた二人の寄騎部将に目をやった。
「筑前殿、此度の氏綱討伐。出来れば、我らにお任せ願いたい」
 すると、日根野景盛は、叫ぶように声高に宣言した。
「日根野殿に?」
 範長はニタニタと笑っている。一方、三好家の諸将にとっては気に入らないようで、
「氏綱討伐は、それがしにお任せあれ!」
 などと、必死な様子で自らをアピールしていた。けれど、範長はそんな家臣たちは歯牙にもかけず、ただじっと、睨み付けるように日根野景盛を見つめている。
「昨年末の失態、見事に挽回して見せまする!」
 と、必死の形相で主張する彼の根気に、ついに範長も折れた。だから、
「日根野殿には槇尾寺の氏綱征伐を任せる。副将として松浦殿、軍監として、内藤備前守を付けよう。これでよいか?」
 と言って、改めて日根野景盛を見た。
「有り難き幸せにござりまする」
 日根野は恭しく頭を下げると、嬉しそうな顔をして、早速出陣準備にとりかかるべく、与力として付けられた部将たちと共に己が陣へと戻っていった。


 日根野勢は総勢六千である。
 八月二十三日に堺を発し、二十六日には槇尾寺に迫った。
 日根野景盛は逸りに逸っていた。何と言っても、昨年末の氏綱蜂起の折、彼が見事氏綱を退治してさえいれば、こんなことにはならなかったのである。そう思うと、武将として、やるせない気持ちになるのだった。
「この辺りは、既に氏綱の勢力下です。御用心なさりませ」
 と、軍監として彼の下に従う内藤備前守長頼は、そんな大将を落ち着かせようと、何度も進言を重ねていた。
「ふん。何を用心するのだ。この辺り、和泉国は皆、我らの庭のようなものなのだぞ」
 和泉守護職細川元常の重臣たる日根野景盛は、不遜なまでの自信と血気を漲らせながら、内藤備前の進言など、一切耳に貸さなかった。
「されど、氏綱勢を侮れば、痛い目を見ることは日根野殿とてご承知のはず。それでなくとも、氏綱の背後には畠山や遊佐が控えていると専らの噂。油断は禁物と、お分かりになりませぬか?」
 内藤備前にしてみると、完全に敵を侮り、勝利を信じ込んで、防御や斥候による調査を疎かにしている日根野は、愚かの極みとしか思えなかった。無論、氏綱は、今や三好方による強烈な兵糧攻めにより、干上がり、弱体化している。だが、だからといって油断してよい理屈にはならないのである。窮鼠猫を噛むの例え通り、切羽詰った氏綱が、どういう行動に出てくるかは、誰にも分からなかった。
「五月蝿い! 如何に三好筑前殿の軍監といえど、筑前殿より総大将を仰せ付かったこのわしに逆らうは、軍規違反であるぞ!」
 そんな風に、日根野はきっぱりと言い切って、内藤備前の反論を塞いでしまった。
 だから、備前守長頼も黙り込んだ。彼の口調の中に、出自の悪い長頼に対する侮蔑の感情が露骨に表れていることを敏感に察すると、
「ならばご勝手になされよ」
 と、思い切り吐き捨て、以後は彼の方策に対し、何の関与もしなかった。ばかりか、自らの陣中に戻って、道連れは御免と、養父国貞より預かってきた内藤勢と共に日根野景盛の軍事指揮権から勝手に独立してしまった。


 こんな調子であるし、日根野景盛は相変わらず、戦う前から勝ったつもりでいるので、氏綱にしてみると、実にやりやすい相手だった。
 八月二十九日。
 細川氏綱は、五千の手勢を三つに分け、うちの一つ、主力部隊を自らが率いて日根野勢に突進した。かくて始まった戦いは、当初こそ数に勝る日根野勢が優位であったが、しばらくして、日根野勢の左右両翼に回り込んでいた氏綱方の伏兵二部隊が、それぞれ左右より攻撃を加えたので、意表を突かれた日根野勢は、無様ともいえる完敗を喫してしまった。
 日根野景盛は命辛々、旗本たちの奮戦により九死に一生を得たというほどの有様で、一人激しき戦場より逃げ出してきた。それでも氏綱方による追撃は凄まじかったが、この追撃は、待ち構えていた内藤備前守長頼のために失敗に終わった。
 内藤勢は一糸乱れぬ隊列を守りつつ、勢いに乗って陣形を乱しつつ攻撃してくる氏綱勢に猛然と反撃を加え、手痛い打撃を与えた。結局、日根野景盛は、長頼の巧みな戦手腕のために命拾いしたようなもので、内藤の兵に助けられつつ、長頼の本陣にやってきたときは、随分ばつの悪そうな顔をして、
「かたじけない」
 と、言った。


「負けたのか」
 結果報告のため、堺の範長の下に参上した二人に対し、彼は素っ気無く、そう言った。
「申し訳ござりませぬ」
 内藤長頼が深々と頭を下げると、
「気にするな」
 と、範長はにっこりと微笑みながら、そう言った。
「ま、追撃に出た氏綱に一矢報いた備前は見事である。とりあえず、疲れたであろう。今日は下がって、休め。ただ、日根野殿はいただけんな。氏綱を侮り、無様に敗北を喫するとは、将としての技量に、少々問題ありなのでは…」
 ニタニタと不敵な笑みを漏らしつつ、床机の上にあって、傷心の日根野景盛をじろりと見下ろす範長であった。
「無論、その方を大将にして送り出した余が、一番問題であることは重々承知している。だが、軍監の諫言には一切耳を貸さず、防備すら怠っていたとは、いったい何を考えていたのだ? そなたは、元常様の家来ゆえ、余にどうこうする権利はないが、もしも余の家臣であれば、即刻切腹を申し渡しているところだぞ」
「…」
「そのこと、理解したなら、もうこれ以上は言わぬ。そなたも下がって休め」
 範長はそう言って、悔しそうにわなわなと肩を震わせている日根野を体よく本陣より追い払った。


 以後、氏綱方の活動は、再度活発化してきた。
 兵力を増強し、さらには紀伊の根来寺宗徒を経由する形で、畠山家より金銭、兵糧を供給された氏綱方の戦意は大いに高まり、その総兵力は、既に一万に達する勢いとなった。
 氏綱の勢威拡大に伴い、範長としても容易く手を出すわけにはいかず、槇尾寺の氏綱と堺の範長の間で、しばらくの間、激しき睨み合いが続いた。
 そして一ヶ月。
 先に動いたのは、氏綱だった。
 彼は、配下の玉井某という男を先鋒部隊の大将とし、出陣させた。当然、この急報を受けた範長としても、黙って見過ごすわけにはいかなかった。そこで、日根野景盛、松浦興信を大将とする軍を派し、迎撃に向かわせたのである。
 両軍は菱木(現大阪府堺市)にて激突したが、先の敗戦に懲りている日根野景盛は慎重に慎重を期して戦ったので、十月一日、ついに晴元方の勝利に終わり、玉井勢は敗走した。
 だが、玉井勢も壊滅したわけではなかった。十月十二日、彼らは再度戦力を盛り返すと、横山(現在の和泉市)で、再び日根野以下晴元方と決戦した。ただ、既に兵力を大きく減らし、かつ寄せ集めとなっていた玉井勢に勝機などあろうはずもなく、この戦いは、案外あっけなく、晴元方の圧勝に終わった。
 そして十月十九日。
 相次ぐ敗報を受け、戦意喪失著しかった氏綱方は、もはや戦いどころではなくなっていた。実際、三好範長自ら堺を出、氏綱討伐に乗り出すと、氏綱勢の士気は見る見る落ちていった。
「これでは戦いになりませぬぞ」
 という藤賢の言葉通り、喜連杭全(くれまた)(現大阪市東住吉区)にて範長軍と決戦するや、あっという間に崩れ、見る影なく敗走した。
 細川氏綱、藤賢兄弟は慌てふためいて和泉方面へ敗走したが、先手を打った範長方が氏綱の支配地域の要衝を電撃的に攻め落としたので、氏綱に逃げ込める場所はなくなっていた。
「…再起を期すより他に仕方ありませぬ」
 と、藤賢が言うと、
「また忍従しなければならんのか」
 と、恨めしげに、槇尾寺を占拠する三好勢を睨みつけながら、貧農に身をやつした氏綱は、ハァと大きな溜息を吐いた。
「ま、されど、今回はかつての如く七年間などと長い年月はかかりますまい。此度の一件で、兄上もお分かりかと存じますが、晴元の支配も、さして長続きはいたしませんぞ」
「…」
「再び、兄上が必要となる時がやってきましょう。せいぜい我ら兄弟、そのときまで力を蓄えておくことといたしましょう」
 そんな風にあっけらかんと言ってのける藤賢に、氏綱もまた、
「そうだな」
 と、静かに頷いた。
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